言語空間+備忘録

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資本主義の袋小路と軍需

2009-07-03 | 日記
伊東光晴 『ケインズ』 ( p.184 )

 ケインズ主義は不況と失業という資本主義の病いを克服したか。たしかにそれは一九三〇年代のような病いからは脱け出すことに成功した。しかしそれにかわって、別の病いにとりつかれだした。第一は都留重人氏のいう "無駄の制度化" でありそれはより多く、アメリカにあらわれた。
 前述したように、投資を増加させることによって有効需要を増すという政策は、同時にその投資が資本蓄積となって、生産能力をますことであった。そして今までよりもいっそう需要をつくりださないかぎり、供給過剰の状態におち入ってしまう。そのためにはより多くの投資が必要であった。 (中略) 設備投資の拡張は生産能力の増加をもたらして、生産能力と現実の生産量とのギャップを大きくしたのである。投資が生産的であればあるほどこのようなギャップが大きくなるのが運命であった。これを回避するひとつの道は、生産能力のない投資――つまり無駄な投資をすることであった。第二次大戦後、この無駄な投資は軍需費という形で具体的に大量におこなわれるようになった。


 生産量の増大に伴い、次第に膨大な需要が必要とされるようになり、資本主義が袋小路に陥ったことが書かれています。


 投資が蓄積されてくると、生産能力が増してきます。それに伴い、不況を回避するために膨大な需要が必要とされるようになる。その対策として公共投資を行うと、さらに生産能力が増すので、さらに膨大な需要が必要になり…、と、果てしなく続いてゆくうちに、手に負えなくなる。それが問題になってきた。

 そこで、生産能力を増やさない投資、つまり無駄な投資が行われた、というのですが、本当に、軍需費が 「ムダ」 なのでしょうか?

 国家には、国民の生命や財産を守る義務があります。「軍事を軽視する経済大国、カルタゴの末路」 が示しているように、軍事力は必要で、それには、高度な生産能力が必要になります。兵器を作る製造業の分野以外でも、兵士の給与も 「ムダ」 ではないこと、もちろんです。

 アメリカが軍事分野の投資を増やしたのは、合理的で、「有益な」 資金の使いかただったと思います。

 というか、軍事 ( すなわち国民の生命を守る活動 ) は経済 ( すなわち金儲け ) よりも、はるかに重要ではないでしょうか。


 日本も、国防をもっと重視して、軍事費を増額すべきではないかと思います。二次的な効果として、不況脱出 ( 有効需要の創出 ) のほか、国際政治における外交力が増すことも期待されるからです。

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