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高校野球は教育の一環なのです

2016年08月07日 23時16分30秒 | 日記
久しぶりに高校野球中継を見ました。自宅にテレビは無いのでネットで。

応援していたチームは負けてしまったのですが、超エリート高校相手に、思っていたより善戦したんじゃないかという感じでした。

我々のような汚れてしまった大人は、勝負事となるとどうしても、今年はどこが優勝候補だとか、ドラフト候補は誰なのかとか、やっぱりエリート校は強いなとか、そんな見方ばかりしてしまうのですが、、勝っても負けても、あるいは、試合中に劣勢になっても、ひたむきに全力で、そして、はつらつとプレーをする彼らの態度をみていると、なんだか色々と教えられる気がしました。そう、

勝つことだけが全てではない

のですよ。もちろん、試合中は勝利に向かって必死に戦っているのは当たり前ですが、負けたら意味がないのかというと、絶対にそんな事はない。

プロはともかく、高校野球みたいな学生スポーツにおいては、それぞれの個人やチームごとに、色々な目標があるべきだし、実際にあるのです。もちろん甲子園に出れたり、優勝できれば素晴らしいことだけれど、まずは甲子園1勝を目指すとか(これだけでも大変なことですが)。

あるいは甲子園に出れる可能性は低くても、県内予選での初勝利を目指すとか、先輩達が作った記録を更新するとか、そういうそれぞれの目標に向かって一生懸命に取り組む、それこそがスポーツをやることの意味なんじゃないかと。

甲子園なんて夢のまた夢でしかない弱小チームが、県予選初勝利を目指して死に物狂いで練習する。こんな美しいこと、学生時代しか経験できないじゃないですか。社会人になってしまったらもう、”儲かる見込みのない仕事”なんか端からやらせてもらえませんからね。

今の自分達ができることを、全力でやり切ったかどうか。それこそが一番大事なのであり、それを通して色々なことを学んでいくのが学生スポーツの意義なのです。甲子園に出場したりプロになったり、野球で大学に進学したり、そういう事だけが目標ではありません。野球を通して

己の限界を超える

これを経験することが一番大事なのではないかと。もちろん、勝負そのものは真剣なんですが、そこが遊びじゃなく真剣で非情な営みだからこそ、そこへの”挑戦”も荘厳な営みに成り得るのです。

試合は遊びじゃない、遊びじゃないからこそ、全力で挑戦する価値がある。でも、試合の勝敗が全てではない。子供達を見守ったり教育する立場にある我々大人は、この事を絶対に忘れてはいけないと思います。綺麗事かもしれませんが、やっぱり原点はそういう事だと思うのです。

というか、そういう事を子供達に教わった気がしました。好きな事を全力でやって、自己の限界に挑む、なんと美しい営みなのでしょう。そういう銭金、損得抜きの営みはまあ学生のうちしかできませんから、学生さんは思いっきり青春して頂きたいですね。
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