英語・ダイエット・その他徒然なるままに

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”英語好き”と”英語嫌い”の違い (2)

2015年09月26日 08時19分38秒 | 英語
前回、「英語そのものに興味を持つ子ほど、学校の英語教育に裏切られる」と言いました。少々過激な物言いかも知れませんが、冷静に考えてみれば当たり前のことです。

我々の世代だと中学入学と同時に英語を習い始めたわけですが、それまでに習ったことがない英語という新しい教科を初めてやるとなった場合、純粋な子ほど期待してしまうわけです。英語の知識が全くない子でも、英語の発音とかスピード感とか、英語って何となく”格好いいもの”というイメージは持っているはずで、その格好いい英語をバリバリ覚えて、伝えたい事を自由に表現したり人とおしゃべりしたり、そういう楽しい営みを期待してしまうのです。

これから英語を教わると言われてそういう授業をイメージするのは当たり前でしょう。英語の授業とは本来そのような物であるべきです。しかし、ご存知のように学校で実際に行われる授業はそのようなものではありません。今は多少はマシになっているとは思いますが、我々世代が受けた英語の授業(昭和50年代後半から60年代前半)では、まず”音”の要素が皆無でした。英語教師の発音云々以前に、英語の音を聞くという営み自体がまったくないのです。格好いい英語の音に浸るチャンスもなく、英語教師も格好いい英語を操るわけでもなく、人とお話しができるわけでもなく、小難しい文法事項やつまらない内容の教科書の読解ばかりやらされる。そんなこんなで、英語の授業に対して純粋な期待を抱いていた子供ほど失望していくわけです。「これじゃあ算数の授業と同じじゃん」と。

こんな事はいまさらウダウダと書かなくても皆さんよくご存知だと思いますが、”英語嫌い”がどうやって作られていくかという話を順を追ってしていきたいので、当たり前のことをあえて書いています。実際、私が中学に上がった時もそのような同級生たちがいました。彼らは中学にあがる数ヶ月前から地元の英語塾に通い出したようで、私なんかはそんな事はしていませんでしたから、私に向かって凄く楽しそうに塾でならった英語をひけらかしたり自慢したりしていました。普段から他の科目で私にコテンパンに負けている同級生達は、英語だけは私に勝っているということで、さぞかし痛快だったのでしょう。実際、当時の彼らは相当英語に入れこんでいるようでした。中学の授業にもさぞかし期待していたことと思います。しかし、中学に上がって半年も経たないうちに、彼らは私に簡単に追い抜かれてしまいました(笑)。一発逆転はならなかったのです。別に彼らと私を比較したいのではありません。結局は学校の英語の授業なんて他の科目と同じ”知識の暗記競争”に過ぎず、結局はそっちの競争になってしまうのだという事、そして、折角英語に興味をもった彼らの希望もそういう暗記競争の下に踏みにじられてしまったという気の毒な様を、お伝えしたいのです。

長々と書きましたが、以上が英語嫌いを生み出すパターンの1つ目です。つまり、”本来の言語習得の授業とは全く異なる学校の授業内容に失望してしまったタイプ”です。1回失望してしまったら、暗記競争としての受験英語に熱が入らなくなる、したがって不得意になる、というのは当然の流れでしょう。まあ、ある意味被害者な訳ですが、そもそも学校の授業なんかに期待する方が間違っているという考え方もできます。これに関しては(どちらが悪いのか)ここでは触れませんが。

長くなりますが、英語嫌いを生み出すパターンの2つ目について述べてみます。学校の英語の授業に過度な期待はせず、暗記競争の受験英語レースに身を浸す覚悟は一応できたにも関わらず、挫折してしまった人。こういう人はさらに2種類いるのですが、そのうちの1つ目が、このパターン2に該当します。一言でいうと、”論理的思考力が強過ぎる人”です。

このブログでも何度か話題にしましたね。英語をまるで数学と同じように、徹底した理詰めで考えてしまい、結果的に”理解できない”となってしまう人達です。ある意味頭が回り過ぎるというか、理系的過ぎるというか、そういう人達。私は高校時代、理系の選抜クラスみたいな所にいたので、こういうタイプはちょこちょこ居ました。数学とか結構できるくせに、英語は苦手といって嘆いている奴。彼らの口癖は「英文法が理解できない」です。この辺の話は以前の記事にも書きましたので繰り返しませんが、英文法の体系自体が必ずしも論理的に完結したきちんとしたものになっていない以上、理詰めで考え過ぎると分からなくなるのは当然なのです。ここでつまずいてしまった人がパターン2。まあ、英語という物の本質を見抜けていない点で必ずしも頭が良い人達とは言い難いのですが、英語を勉強するときは英語頭に切り替えた方がいいよ、もうちょっと割り切ることも覚えようね、とアドバイスしたい人達です。

そしてパターン3。これはもう言うまでもなく、暗記競争を受け入れ、数学と英語の特性の違いも分かっているにも関わらず、学校英語をモノにできなかった人達。ずばり、”暗記の量に負けた人達”です。厳しい言い方ですが、辛抱が足りなかった人達です。まあ、必ずしも努力が足りなかったわけではない、やり方がマズかっただけの場合もありますが、結果として、覚えるべき量を覚えきれなかった人達のことです。

私が考えるに、学生時代から英語に対して苦手意識を持っている人、そして実際苦手な人というのは、大体これらの3パターンに分類されると思います。どのパターンが優れているとか劣っているとか、はたまた、受験英語の勝者が一番優れているとか、そういう事が言いたいのではありません。自分がどのパターンなのかを理解しておかないと、事態を改善するための処方箋も誤ってしまうよ、ということが言いたいわけです。

次回は、それぞれのパターン毎に、私が考える処方箋を述べてみたいと思います。ま、私自身、まだまだそんなに出来る訳じゃないので、あまり偉そうな事を言える立場じゃないのですが、20年英語で苦しんでいる人間が考える所を参考にして頂ければと。