英語・ダイエット・その他徒然なるままに

趣味の英語学習(TOEIC 970点)やダイエットの成功談など、色々書いていきます。

"英語好き”と”英語嫌い”の違い

2015年09月23日 05時24分59秒 | 英語
こんな所で私などがイチイチ申し上げるまでもなく、人にはそれぞれ得手不得手というものがあります。向き不向き(前にも少し書きましたが)と言ってもいいでしょう。このブログが話題の中心としている英語についても、当然好きだという人もいれば嫌いだという人もいます。

今の私も含めて英語が好きだと言ってしまえる人間が、好きな英語について色々と熱く語るのはまあ当たり前というか簡単なことです。好きだと言える人間が好きな事を書いて、好きなもの同士だけで共感し合って、ついて来れない人は置いてけぼりでも、趣味の世界としては成立しています。別にそれ以上の物を求める必要はありません。

しかし、同じ「英語好き」でも、英語が嫌いな人の気持ちや思考パターンを理解できている英語好きとそうでない人とでは深みが違ってくると思いますし、ましてや指導者の立場にある人なら、英語嫌いの人達の気持ちを理解することはよい指導をするための必須条件でもあると思います。

私自身は指導者でも何でもありませんが、今まで、英語が嫌いで嫌いでどうしようもない、学生時代からいつまで経っても英語に対する苦手意識が拭えない、というような叫びを上げている人達の気持ちや思考パターンについて、深く考えたことはありませんでした。もちろん人に英語の指導なんかしたことはありませんし、それ以前にそんな力もありませんから、人から”教えて”と言われるたびに丁重にお断りしているのですが、もしも本当に人に教えなければならないような事態になった場合に一体何から教えれば良いのだろうか?と時々考えこむことはあります。

おそらく、単に自分の経験や思いの丈をぶつけるだけではダメなんです。”へぇー、あなたは凄いんですね。私にはとても真似できないですー”と言われてオシマイでしょう。そう、独りよがりではない、”教わる側のメンタル”まで考えた指導。これができないと結局は受けないと思うんですね。このブログもそういう風にならないように気をつけないといかんなとも思うわけです。ということで、前置きが長くなりましたが、英語が苦手・嫌いで仕方がないという人達の頭の中を、ちょっと想像してみようかと思うのです。それができないと本当に役立つ助言はできないんじゃないかと。

他人の頭の中を想像する前に、まずは私自身がどうだったかを思い返してみようと思いますが、学生時代の自分を一言でいうと、「受験科目として英語は好きな科目ではあったが、英語そのものには全く興味はない」という人でした。ごくフツーの受験戦士ですね。受験科目としての英語には苦手意識はありませんでした。まあ成績は良かったから当然ではあります。なので、”学生時代から英語が嫌いで苦手だった”人とはすでにこの時点で何らかの違いがあるわけです。

別に自慢するわけではありません。英語嫌いの人との違いはどこから来ているのか、深く掘り下げて分析してみたいだけです。上の記載から分かるように、私とて、当時は決して”英語そのものが好き”だった訳ではないのです。そしてよく考えると、実はここにこそポイントがありそうな気がするのです。もしも、中高生当時の私が”英語そのものが好き”というタイプの人間だったら、おそらくそこで潰れていたと思います。

こんな言い方をしても分かりにくいでしょうから、もう少し噛み砕いて言うと、もし私が中1で英語の勉強を開始した時に本当の意味で英語を好きになっていたら、本当の意味で英語そのものに強い興味を抱くような子になっていたら、中2、中3、高1と学年が進むにしたがって、結局は英語嫌いになっていっただろうな、と想像できるのです。ここ、凄く大事なポイントです。じっくり噛み締めて読んで下さい。

どうしてこんな事が言えるのか?答えをストレートに言うと、「学校の英語教育は、純粋に英語そのものに興味を持つ子ほど、その期待を裏切られる」そういう物だからです。

凄いことを言っちゃいましたね。でも、絶対これ、当たってると思うんです。次回に続く。
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