まつなが畑のはたけ日記

農ある生活をするため奈良御所市金剛山の麓に農地を借りスタート
素人農業の何気もない日々の日記

子供の育つ環境

2010年09月03日 20時32分57秒 | Weblog
どんどん苗を植えていく。

この暑さ溝を切って水を流し込み藁を敷き植えて水をやる。
丁寧に進めていく。

藁を敷く手間は苗の値が付くまでの水遣りの手間を考えれば良い方法。
籾殻の方が楽だろうか?
石油原料の資材とは違いゴミにならないし取り除く事も必要ない。
有機物の補給にもなるし。。

効率から見ると市販の資材を使った方が良いがコストと手間を照らし合わせて良い方法を選んでいく。



息子が帰ってきて環境の変化で子供の在り方が見えてくる。

実家にいる時はこことは違い物の多い現代生活。
ここに帰ってきて段々顔つきが変わり落ち着いてくるのが分かる。

そして遊び方も違うように思う。

電車のおもちゃが実家にはあったがここには無い。ということでここではケーキの型が電車になる。
おもちゃと言うのはそのものである必要がないことがわかる。

そのケーキの型がお風呂になって人形を入れたり、おもちゃ箱になったりと変化する。


少ないもので子供はどんどん想像力を働かせ、変化させていく。それが電車の形をしているとそれ以上変化しない。


先日子供の料理についてのワークショップに参加してきた。
そこで何故子供に料理をさせる必要があるのだろう?という疑問。嫁さんは生活の仕事に子供も入ってくる事が成長に必要だと。

そのワークショップで子供の為に、子供の為にとあらゆる事に気を使ってその方法、工夫についてお話しされていたが何か生活と繋げることに違和感がある。

本来子供は見てとか触れるとか自己の内面から発せられる行動から覚えたり感じたりしていくと考える。
それを興味があるから小さい包丁を買ってとか子供の為に台を付けてとかって・・・。

料理が出来上がるまでには・・・

畑仕事をして野菜を育てる。
畑から収穫してくる。
庭先や土間で土を洗い皮を剥く。
釜戸の火を熾す。
素材を切る。
煮る、炒める。
味つけをする。
盛り付ける。
運び並べる。

という長い過程が本来はあった。
その中に子供が育つ環境はあって、ある年齢には役割、仕事が与えられた。

育児というのは暮らしの一部であるからわざわざ子供の為にと言うのはお金と時間に余裕がある人の方法に思える。


下処理されていない野菜セットというのは手間が掛かる。
その手間が過程となり生活の一部となりその中に子どもが見たり触ったり手伝ったりをすることで感じ取るという事で十分ではないだろうか。
そこに引き込む工夫ではなく生活の手間、過程を増やす。例えば掃除機ではなくほうきを使う、洗濯機ではなく手洗いと、その暮らしの中に子供たちがいるということ。


物を減らし、生活を丁寧にする事でくらしの質を高める。
そこにこどもの育つ環境がただあるということ。

豆腐のマフィン。
おいしい。。






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