【凛として年を重ねる】
医学博士、帯津良一氏の心に響く言葉より…
私はアンチエイジングが嫌いです。
なぜ年を取ることを嫌がるのか、よく理解できません。
間もなく80歳に手の届く年齢になりましたが、青年のころとも壮年のころとも違う独特の味わいが出てきて、私は今の自分がとても好きです。
60代のときは、からだも動くし精神的にも充実しているし、これが最高だと思っていました。
でも、70代になると、なかなか居心地がいいんですね。
今は、80代になるのが楽しみで仕方ありません。
青年には青年の良さがあり、壮年には壮年の良さがあります。
そして、老年になると、これまでの人生がぎゅっと詰まっていて、それでいてギューギューではなくて、高級なオムレツのようにふんわりしている。
そんな感じが、私は気に入っています。
髪の毛が薄くなってきても、どこか痛いところがあっても、それは長い間、がんばって生きてきた証です。
それを、まるで悪魔が取りついたように、必死になって追い払おうとするのは、自分のからだに対して失礼だと思います。
また、死も忌み嫌われるものです。だれにでもいつか訪れることなのに、一生懸命に見ないようにしている。
だから、いざというときになって慌ててしまうのです。
長生きしたいですか? と聞くと、ほとんどの人がYESと答えます。
でも、長生きの中には年を取ることも含まれていて、いろいろなところに不具合が出てきて不自由なことを背負うことですよと言うと、そうではなくて、人のやっかいにならずに長生きして、ぽっくりと死にたいと言います。
そんな都合のいいように物事が運ぶと思いますかと聞くと、そのために、酒もあまり飲まないようにして、たばこもやめて、毎朝、散歩をしています、と答えます。
実際は、いくら節制しても病気になる人はなるし、不摂生な生き方をしていて元気に生きている人もいるわけです。
『長生きするヒトはどこが違うか?』(S・J・オルシャンスキー/B・A・カーンズ著 越智道雄訳 春秋社)という本があります。
アメリカの老化を専門とする2人の生理学者が書いたものです。
いろいろと長生きする方法が書かれているのですが、最後の「長生きするヒトはどこが違うか?」という結論では、「違うところなんかない」で締められているのです。
これは笑えるというか、拍手を送りたくなりました。
昔から、たくさんの人が長寿の方法を求めてきて、いまだに見つからないのだから、そんなものはないと考えたほうがいいでしょう。
その本には、著者である2人の学者が「長生きの方法」について、どういう考えを持っているかが書かれていました。
それがまた私好みで、ここでも拍手を送りたくなりました。
人間、長生きするためには節制をしなければならないと思われているが、70歳を過ぎたら、いつも節制しないで、週に1回は悪食をしたほうがいいと書かれているのです。
75歳になったら週に二回は悪食。
だんだんと健康的ではない生活を増やしていくのがいいという。
なかなか粋な考えが披露されていました。
あれを食べちゃいけないとか、これはからだに悪いとか、そんなことを考えて生きるのは窮屈です。
私は、凛として老いることをおすすめしていますが、私が見る限り、すてきに年を重ねている人は、食べたいだけ食べ、飲みたいだけ飲んでいます。
残念ながら、そういう人は少なくて、私は、せっかく70歳とか80歳まで生きたのだから、そのご褒美として少しずつ羽目を外して、もっと自由になればいい のにと思えてなりません。
《あれはだめ、これはだめと窮屈に生きるより、やりたいことをやるのが、すてきな年の重ね方。》
『いつでも死ねる』幻冬舎
https://amzn.to/3CXMF2f
本書の中に帯津良一氏のとても素敵な言葉があった。
『先日、講演会に行ったら、昔の知り合いが聴きに来てくれました。
終わったあと、少し世間話をしたのですが、そのとき、「ところで、本当に休肝日はなくていいのかい?」と質問されました。
彼とは同い年で、よく飲みました。
酒の好きな男です。
私は、「休肝日なんか必要ない!」と、彼に返答しました。
この年になって休肝日云々と言っているようではいけません。
とても凛として老いることはできません。
いくら健康に気をつけて生きていても、交通事故や災害で死ぬかもしれません。
あまり、健康、健康と言っているのは、私には、魅力的には見えません。
志を果たすには健康はとても大切なことです。
でも、志を果たせずに倒れたとしても、それはそれでいいじゃないですか。
本当にいのちがけでやっていたことなら、必ず、だれかがその志を引き継いでくれるものです。
あっちの世界から、自分が蒔いた種が、どんなふうに育っていくのか見ているのも、またおつなものです。』
「酒も煙草も女もやらず 百まで生きた馬鹿がいる」
という都都逸がある。
たとえば、謹厳実直、真面目に、羽目も外さずに生涯を生きるという生き方がある。
逆に、人生の中で時に、はしゃいだり、ふざけたり、調子に乗ったりと、子どものような柔軟な感性を大切にする生き方もある。
真面目は大事な資質だが、それが行き過ぎて、「健康のためなら死んでもいい」という状態になるなら本末転倒だ。
なんのために健康が必要かといえば、それはQOL(Quality of Life)を高めるため。
QOLとは「人生の質」。
それは、ソクラテスのいう「なによりも大切にすべきは、ただ生きることでなく、よく生きることである」ということ。
毎日が充実し、満たされた生活をおくるために必要なことでもある。
人生をよく生き、楽しむのに必要なことは…
●好奇心があること
●楽しみを共有する家族や友人、仲間がいること
●何かに挑戦すること、新しいことを始めること
●他人と比べないこと
●年齢を理由にあきらめないこと
●誰かの役にたっている、必要とされている、と実感すること
●何事も面白がること
●「やってみなはれ」と、行動すること
●どんなときも「ユーモア」と「笑い」があること
●今無いものではなく、持っているものに感謝すること
《あれはだめ、これはだめと窮屈に生きるより、やりたいことをやるのが、すてきな年の重ね方。》
凛として年を重ねていきたい。
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医学博士、帯津良一氏の心に響く言葉より…
私はアンチエイジングが嫌いです。
なぜ年を取ることを嫌がるのか、よく理解できません。
間もなく80歳に手の届く年齢になりましたが、青年のころとも壮年のころとも違う独特の味わいが出てきて、私は今の自分がとても好きです。
60代のときは、からだも動くし精神的にも充実しているし、これが最高だと思っていました。
でも、70代になると、なかなか居心地がいいんですね。
今は、80代になるのが楽しみで仕方ありません。
青年には青年の良さがあり、壮年には壮年の良さがあります。
そして、老年になると、これまでの人生がぎゅっと詰まっていて、それでいてギューギューではなくて、高級なオムレツのようにふんわりしている。
そんな感じが、私は気に入っています。
髪の毛が薄くなってきても、どこか痛いところがあっても、それは長い間、がんばって生きてきた証です。
それを、まるで悪魔が取りついたように、必死になって追い払おうとするのは、自分のからだに対して失礼だと思います。
また、死も忌み嫌われるものです。だれにでもいつか訪れることなのに、一生懸命に見ないようにしている。
だから、いざというときになって慌ててしまうのです。
長生きしたいですか? と聞くと、ほとんどの人がYESと答えます。
でも、長生きの中には年を取ることも含まれていて、いろいろなところに不具合が出てきて不自由なことを背負うことですよと言うと、そうではなくて、人のやっかいにならずに長生きして、ぽっくりと死にたいと言います。
そんな都合のいいように物事が運ぶと思いますかと聞くと、そのために、酒もあまり飲まないようにして、たばこもやめて、毎朝、散歩をしています、と答えます。
実際は、いくら節制しても病気になる人はなるし、不摂生な生き方をしていて元気に生きている人もいるわけです。
『長生きするヒトはどこが違うか?』(S・J・オルシャンスキー/B・A・カーンズ著 越智道雄訳 春秋社)という本があります。
アメリカの老化を専門とする2人の生理学者が書いたものです。
いろいろと長生きする方法が書かれているのですが、最後の「長生きするヒトはどこが違うか?」という結論では、「違うところなんかない」で締められているのです。
これは笑えるというか、拍手を送りたくなりました。
昔から、たくさんの人が長寿の方法を求めてきて、いまだに見つからないのだから、そんなものはないと考えたほうがいいでしょう。
その本には、著者である2人の学者が「長生きの方法」について、どういう考えを持っているかが書かれていました。
それがまた私好みで、ここでも拍手を送りたくなりました。
人間、長生きするためには節制をしなければならないと思われているが、70歳を過ぎたら、いつも節制しないで、週に1回は悪食をしたほうがいいと書かれているのです。
75歳になったら週に二回は悪食。
だんだんと健康的ではない生活を増やしていくのがいいという。
なかなか粋な考えが披露されていました。
あれを食べちゃいけないとか、これはからだに悪いとか、そんなことを考えて生きるのは窮屈です。
私は、凛として老いることをおすすめしていますが、私が見る限り、すてきに年を重ねている人は、食べたいだけ食べ、飲みたいだけ飲んでいます。
残念ながら、そういう人は少なくて、私は、せっかく70歳とか80歳まで生きたのだから、そのご褒美として少しずつ羽目を外して、もっと自由になればいい のにと思えてなりません。
《あれはだめ、これはだめと窮屈に生きるより、やりたいことをやるのが、すてきな年の重ね方。》
『いつでも死ねる』幻冬舎
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本書の中に帯津良一氏のとても素敵な言葉があった。
『先日、講演会に行ったら、昔の知り合いが聴きに来てくれました。
終わったあと、少し世間話をしたのですが、そのとき、「ところで、本当に休肝日はなくていいのかい?」と質問されました。
彼とは同い年で、よく飲みました。
酒の好きな男です。
私は、「休肝日なんか必要ない!」と、彼に返答しました。
この年になって休肝日云々と言っているようではいけません。
とても凛として老いることはできません。
いくら健康に気をつけて生きていても、交通事故や災害で死ぬかもしれません。
あまり、健康、健康と言っているのは、私には、魅力的には見えません。
志を果たすには健康はとても大切なことです。
でも、志を果たせずに倒れたとしても、それはそれでいいじゃないですか。
本当にいのちがけでやっていたことなら、必ず、だれかがその志を引き継いでくれるものです。
あっちの世界から、自分が蒔いた種が、どんなふうに育っていくのか見ているのも、またおつなものです。』
「酒も煙草も女もやらず 百まで生きた馬鹿がいる」
という都都逸がある。
たとえば、謹厳実直、真面目に、羽目も外さずに生涯を生きるという生き方がある。
逆に、人生の中で時に、はしゃいだり、ふざけたり、調子に乗ったりと、子どものような柔軟な感性を大切にする生き方もある。
真面目は大事な資質だが、それが行き過ぎて、「健康のためなら死んでもいい」という状態になるなら本末転倒だ。
なんのために健康が必要かといえば、それはQOL(Quality of Life)を高めるため。
QOLとは「人生の質」。
それは、ソクラテスのいう「なによりも大切にすべきは、ただ生きることでなく、よく生きることである」ということ。
毎日が充実し、満たされた生活をおくるために必要なことでもある。
人生をよく生き、楽しむのに必要なことは…
●好奇心があること
●楽しみを共有する家族や友人、仲間がいること
●何かに挑戦すること、新しいことを始めること
●他人と比べないこと
●年齢を理由にあきらめないこと
●誰かの役にたっている、必要とされている、と実感すること
●何事も面白がること
●「やってみなはれ」と、行動すること
●どんなときも「ユーモア」と「笑い」があること
●今無いものではなく、持っているものに感謝すること
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