【人生を楽しむとは】3629
小林正観さんの心に響く言葉より…
60歳を過ぎたくらいの会社社長がいます。
彼は30年あまり、ワンマン社長として辣腕(らつわん)を振るってきたのですが、ある日突然、心臓麻痺で死んでしまいました。
肉体から抜けた彼の「魂」は、トンネルと林を通り、お花畑に差し掛かりました。
空は青く、寒くも暑くもなく、とても心地よいところです。
すると、天から声が聞こえてきたそうです。
その声は社長の「魂」に語りかけました。
「川べりまで行ったら『人生のまとめ』について尋ねる。川べりに着くまでに、自分がどんな人生を歩んできたのかを、まとめておきなさい」
その社長は、人の20倍も30倍も努力をして、頑張って、怠けることも、休むこともなく、ただただ働き続けました。
会社は大きくなり、従業員は1000人。
商工会の役員も務め、地位と名誉を手に入れたのです。
自分が成し遂げた実績に自信をもっていた社長は、「努力し、頑張り続けた自分は、きっと神様に褒めていただける」と胸を張り、意気揚々と川べりまで歩いていきました。
川べりにたどり着いたとき、再び、あの声が聞こえてきました。
「それでは『人生のまとめ』について聞く。人生をどれほど楽しんできたか?」
社長は絶句し、答えられませんでした。
どうしてか。
「人生を楽しんだ」と思った瞬間が、一瞬たりともなかったからです。
社長は、「人生は努力をするもの、頑張るものだ」と疑わず、ひたすら厳しく生きてきました。
従業員を叱咤し、家族にも厳しく接してきました。
そんな彼に「人生を楽しむ」という概念は、まったくなかったのです。
言葉を失った社長に、「天の声」は言いました。
「あなたは人生を勘違いして生きてきました。もう一度やり直しなさい」
「えっ」と思った瞬間、社長は息を吹き返しました。
生き返ったのです(彼は今も生きています)。
生き返った社長は、この経験を「自分の頭の中で想像した話ではない」と断言しています。
「人生は楽しむもの」というような概念は、今までまったく持ち合わせていなかった自分に、このような想像ができるわけがないからです。
だからこそ社長は「あの声は、神様の声だった」と、今も信じています。
「神様の声」は、「人生は、努力するものでも、頑張るものでも、地位や名誉を手に入れるものでもない」ということを教えてくれています。
では人生は何のためにあるのでしょうか。
人生は「楽しむもの」。
つまり「喜ばれるため」に存在しているのです。
『もうひとつの幸せ論』ダイヤモンド社
小林正観さんは、努力をすることを否定しているわけではない。
しかし、「努力」は往々にして、他人と競ったり、比べたりするためにすることが多い。
ライバルに負けないために、倍も三倍も努力する。
しかし、そもそも競合他社やライバルのことなど気にせず、社員の喜ぶことや、幸せだけを考えるとしたらどうだろう。
社員が幸せになれば、結果として、社員が接するお客さんも幸せになる。
逆に、不幸で不機嫌な社員は、お客さんを幸せにすることはできない。
人生の最大の楽しみは、まわりの人が喜んでくれること。
だからこそ、私たちが生きる目的は「人に喜ばれること」だと言える。
言いかえるなら、「喜ばれること」は、人生のすべて。
「人生を楽しむとは」
まわりの人に喜ばれる人生をおくりたい。
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小林正観さんの心に響く言葉より…
60歳を過ぎたくらいの会社社長がいます。
彼は30年あまり、ワンマン社長として辣腕(らつわん)を振るってきたのですが、ある日突然、心臓麻痺で死んでしまいました。
肉体から抜けた彼の「魂」は、トンネルと林を通り、お花畑に差し掛かりました。
空は青く、寒くも暑くもなく、とても心地よいところです。
すると、天から声が聞こえてきたそうです。
その声は社長の「魂」に語りかけました。
「川べりまで行ったら『人生のまとめ』について尋ねる。川べりに着くまでに、自分がどんな人生を歩んできたのかを、まとめておきなさい」
その社長は、人の20倍も30倍も努力をして、頑張って、怠けることも、休むこともなく、ただただ働き続けました。
会社は大きくなり、従業員は1000人。
商工会の役員も務め、地位と名誉を手に入れたのです。
自分が成し遂げた実績に自信をもっていた社長は、「努力し、頑張り続けた自分は、きっと神様に褒めていただける」と胸を張り、意気揚々と川べりまで歩いていきました。
川べりにたどり着いたとき、再び、あの声が聞こえてきました。
「それでは『人生のまとめ』について聞く。人生をどれほど楽しんできたか?」
社長は絶句し、答えられませんでした。
どうしてか。
「人生を楽しんだ」と思った瞬間が、一瞬たりともなかったからです。
社長は、「人生は努力をするもの、頑張るものだ」と疑わず、ひたすら厳しく生きてきました。
従業員を叱咤し、家族にも厳しく接してきました。
そんな彼に「人生を楽しむ」という概念は、まったくなかったのです。
言葉を失った社長に、「天の声」は言いました。
「あなたは人生を勘違いして生きてきました。もう一度やり直しなさい」
「えっ」と思った瞬間、社長は息を吹き返しました。
生き返ったのです(彼は今も生きています)。
生き返った社長は、この経験を「自分の頭の中で想像した話ではない」と断言しています。
「人生は楽しむもの」というような概念は、今までまったく持ち合わせていなかった自分に、このような想像ができるわけがないからです。
だからこそ社長は「あの声は、神様の声だった」と、今も信じています。
「神様の声」は、「人生は、努力するものでも、頑張るものでも、地位や名誉を手に入れるものでもない」ということを教えてくれています。
では人生は何のためにあるのでしょうか。
人生は「楽しむもの」。
つまり「喜ばれるため」に存在しているのです。
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小林正観さんは、努力をすることを否定しているわけではない。
しかし、「努力」は往々にして、他人と競ったり、比べたりするためにすることが多い。
ライバルに負けないために、倍も三倍も努力する。
しかし、そもそも競合他社やライバルのことなど気にせず、社員の喜ぶことや、幸せだけを考えるとしたらどうだろう。
社員が幸せになれば、結果として、社員が接するお客さんも幸せになる。
逆に、不幸で不機嫌な社員は、お客さんを幸せにすることはできない。
人生の最大の楽しみは、まわりの人が喜んでくれること。
だからこそ、私たちが生きる目的は「人に喜ばれること」だと言える。
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