【当たり前が輝いてみえる】3326
渡辺和子氏の心に響く言葉より
今日は、今から数年前、同じこの日、同じこの記念館を巣立っていった一人の卒業生の言葉を皆さんへのはなむけの言葉にしたいと思います。
その人は、在学中、健康そのものの人でした。
それが卒業後まもなく、病気になって入院し、非常に苦しみ悩んだのですけれども、やがて快方に向かった折に、一通の手紙を書いてくれました。
その中に、こう書いてあったのです。
「ようやく外出許可がいただけました。久しぶりに地面を踏んだ時は、感激でした。今の私には、当たり前が輝いてみえます」
この手紙を読んで、私は、病気がよくなったことが嬉しかったとともに、病気という十字架が、この人を、ここまで成長させて、この言葉を書かせたことを、たいへん嬉しく思いました。
「当たり前が輝いてみえる」。
そして、この人から、幸せの秘訣を教えてもらったように思ったのです。
私たち一人ひとりは、幸せになりたいと願っています。
今日、ここに集まっていらっしゃる方たちは、あなた方一人ひとりが、一生の間、幸せに生きてほしいと、願っていてくださいます。
幸せの条件には、いろいろあって、人それぞれに違うかも知れません。
ですけれども、共通して言えることは、自分が愛するもの、価値あるものに取り囲まれて、心が満たされている状態といっていいでしょう。
ですから、幸せを願う人たちは、たやすく愛せる人を探し、やりがいのある仕事を求め、そして、すてきなもの、すばらしいもので、自分のまわりを囲みたいと願っています。
今日の日本は、この種の幸せをあおるかのように、そして、それを満たすに十分な、物質的な豊かさと、過激といっていいほどの刺激と情報に溢れています。
お金さえ出せば、ほしいものがほとんどすべて手に入る世の中です。
では、それらを手に入れた人たちがみんな幸せなのかというと、必ずしもそうではありません。
なぜでしょう。
星の王子さまが答えを出しています。
「地球上のみんなは、特急列車に乗り込むけど、いまではもう、なにをさがしているのか、わからなくなっている。だからみんなはそわそわしたり、どうどうめぐりなんかしてるんだよ…」
「おなじ一つの庭で、バラの花を五千もつくっているけど、…自分たちがなにがほしいのか、わらからずにいるんだ」。
そして続けていうんです。
「だけど、さがしているものは、たった一つのバラの花のなかにだって、すこしの水にだって、あるんだがなあ…」
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」
今から約千三百年まえにつくられた日本の一番古い歌集『万葉集』の中に、一つの歌が収められています。
信濃(しなの)なる千曲(ちくま)の川のさざれ石も
君し踏みてば玉と拾はむ
たぶん、うら若い一人の乙女が、自分の愛する人、夫、恋人を送り出した後、“その人が踏んだ石だと思えば、私には玉と思えるのです”とうたった一首です。
なにが、この当たり前の、どこにでもある石を、輝く玉に変えたのか、それはこの乙女の心に宿る愛する心、いとおしむ気持ちだったろうと思います。
この人は何カラットかするダイヤモンドでなくても、愛する人が踏みしめたその石を、玉と抱いて幸せな人です。
そして、私たちは、幸せの原点というものを、ここに見ることができます。
(ノートルダム清心女子大学・昭和五十八年度卒業式答辞)より
《ものごとがうまくいくから、ほほえむのではなくて、ほほえむから、ものごとがうまくいくのです》
『あなただけの人生をどう生きるか』ちくまプリマ―新書
《幸も不幸もない。 要は心の持ち方一つなのだ。》(シェークスピア)
ほんとうは、幸せという現象も、幸せという現象もない。
あるのは、その現象を見て、幸せと思えるか、不幸せと感じるかの違いだけ。
見方や考え方がその人の人生を決める。
「かんじんなことは、目に見えないんだよ」
ほんとうの幸せは日常の中にある。
当たり前の幸せに気づける人でありたい。
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渡辺和子氏の心に響く言葉より
今日は、今から数年前、同じこの日、同じこの記念館を巣立っていった一人の卒業生の言葉を皆さんへのはなむけの言葉にしたいと思います。
その人は、在学中、健康そのものの人でした。
それが卒業後まもなく、病気になって入院し、非常に苦しみ悩んだのですけれども、やがて快方に向かった折に、一通の手紙を書いてくれました。
その中に、こう書いてあったのです。
「ようやく外出許可がいただけました。久しぶりに地面を踏んだ時は、感激でした。今の私には、当たり前が輝いてみえます」
この手紙を読んで、私は、病気がよくなったことが嬉しかったとともに、病気という十字架が、この人を、ここまで成長させて、この言葉を書かせたことを、たいへん嬉しく思いました。
「当たり前が輝いてみえる」。
そして、この人から、幸せの秘訣を教えてもらったように思ったのです。
私たち一人ひとりは、幸せになりたいと願っています。
今日、ここに集まっていらっしゃる方たちは、あなた方一人ひとりが、一生の間、幸せに生きてほしいと、願っていてくださいます。
幸せの条件には、いろいろあって、人それぞれに違うかも知れません。
ですけれども、共通して言えることは、自分が愛するもの、価値あるものに取り囲まれて、心が満たされている状態といっていいでしょう。
ですから、幸せを願う人たちは、たやすく愛せる人を探し、やりがいのある仕事を求め、そして、すてきなもの、すばらしいもので、自分のまわりを囲みたいと願っています。
今日の日本は、この種の幸せをあおるかのように、そして、それを満たすに十分な、物質的な豊かさと、過激といっていいほどの刺激と情報に溢れています。
お金さえ出せば、ほしいものがほとんどすべて手に入る世の中です。
では、それらを手に入れた人たちがみんな幸せなのかというと、必ずしもそうではありません。
なぜでしょう。
星の王子さまが答えを出しています。
「地球上のみんなは、特急列車に乗り込むけど、いまではもう、なにをさがしているのか、わからなくなっている。だからみんなはそわそわしたり、どうどうめぐりなんかしてるんだよ…」
「おなじ一つの庭で、バラの花を五千もつくっているけど、…自分たちがなにがほしいのか、わらからずにいるんだ」。
そして続けていうんです。
「だけど、さがしているものは、たった一つのバラの花のなかにだって、すこしの水にだって、あるんだがなあ…」
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」
今から約千三百年まえにつくられた日本の一番古い歌集『万葉集』の中に、一つの歌が収められています。
信濃(しなの)なる千曲(ちくま)の川のさざれ石も
君し踏みてば玉と拾はむ
たぶん、うら若い一人の乙女が、自分の愛する人、夫、恋人を送り出した後、“その人が踏んだ石だと思えば、私には玉と思えるのです”とうたった一首です。
なにが、この当たり前の、どこにでもある石を、輝く玉に変えたのか、それはこの乙女の心に宿る愛する心、いとおしむ気持ちだったろうと思います。
この人は何カラットかするダイヤモンドでなくても、愛する人が踏みしめたその石を、玉と抱いて幸せな人です。
そして、私たちは、幸せの原点というものを、ここに見ることができます。
(ノートルダム清心女子大学・昭和五十八年度卒業式答辞)より
《ものごとがうまくいくから、ほほえむのではなくて、ほほえむから、ものごとがうまくいくのです》
『あなただけの人生をどう生きるか』ちくまプリマ―新書
《幸も不幸もない。 要は心の持ち方一つなのだ。》(シェークスピア)
ほんとうは、幸せという現象も、幸せという現象もない。
あるのは、その現象を見て、幸せと思えるか、不幸せと感じるかの違いだけ。
見方や考え方がその人の人生を決める。
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ほんとうの幸せは日常の中にある。
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