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こんばんは!中小企業診断士のあお先生こと青木公司です。
先ほど、名古屋のバルで、一人で22時半から遅い夕食を取りながらジャズの音楽をバックに父のことを考えていました。
2009年の7月17日、僕の父が亡くなりました。
そう。
昨日、7月17日は僕の父の命日でした。
なくなった当日や翌年の一周忌は仕事を入れないようにしたものですが、今はもうそういうわけにはいきません。
昨日一日、笑顔で名古屋で研修講師をしていました。
僕の父は、航空自衛隊で働いていて、無骨で真面目で、仕事一筋な人でした。
お酒も飲まず、とにかく仕事のみ、ありのように必死に働いていました。
うちの父は厳格で、厳しく、真面目、調子よく立ち回ることはできず、そのため、家族にも誤解されることがある父でした。
家庭では、昭和12年生まれらしく、非常に厳しく、時には鉄拳も振るうため、子供の頃は青木も怖い父という印象しかありませんでした。
中学卒業後、市役所や蕎麦屋などで働き、自分の兄弟を育てるために働き、19歳で給料がいいからという理由で航空自衛隊に入隊したそうです。
訓練中に、たまたま事務官が倒れたとのことで、市役所勤めの事務能力を買われて、急遽、人事の仕事に抜擢されます。
以後、自衛隊の人事畑一筋で定年まで本当にがんばりました。
自衛隊の大きな2つの事件(これはここでは書けません)の担当を行い、大変な事件を乗り切ったそうです。
家族の事情で、中学まで成績優秀だった父が中卒で働き、夜間高校は仕事の都合であと半年のところで退学させられた父でしたが、2佐まで昇進(普通、高卒以下で2佐までいくことはそうはないそうです)。
自衛隊を54歳で定年退官した後も、三井住友クレジットで64歳まで働きました。
そんな真面目な父は2009年、4月に国から勲章をいただく名誉をいただきました。
本当に喜んでおり、防衛大臣から叙勲式で勲章をもらい、皇居に拝謁にいくのを楽しみにしていました。
その直後の5月頭、敗血症になり3ヶ月苦しみ、2009年7月17日。亡くなりました。
もう、終わりの頃はあまり意識があることもなかったのですが、ずっと看病していた僕の弟の話によると、ぼくが病院にいくと意識を取り戻すことが多かったそうです。
なくなる前日も、僕が企業研修講師を終えて、病院による行くと、意識を取り戻し、何度も「もういい。もういい。」といっていました。
もう楽になりたかったんだね。様々な治療をためし、苦しませてごめん。とうさん。
青木が子供時代、無骨で非常に厳しい父とは折り合いが悪かったのですが、大学生の時、ロス・アンジェルスにホームステイにいくために、一年アルバイトしてお金をためてお金を払うときになって、父が全額お金を出してくれました。
「お前が必死にためたその金は、今度、お前が本当に必要なときに使うため、とっとけ。」
それが無骨な父の優しさでした。
子供のころ、厳しかった父も、就職活動の頃からはいつも父は青木の味方でした。
それまで非常に厳しかった父ですが
就職先を決定するとき、そして独立するとき。
いつも青木が決定する方向性を無条件に承認してくれました。
青木が会社を辞めて、独立することを告げるとこういってくれました。
「お前は、自分の道を間違えない男だ。どんな道を選んでも、うまくやっている男だ。俺はお前を信頼している。やりたいようにやれ。ただ、健康だけには気をつけろ。」
人事畑一筋。何万人もの自衛隊員の名前と特徴が言えるほどで、人の本質を見る目が評判だった父ですが、きっと子供を思うよく目でしょう。
しかしその力強い全面的な承認は僕にとって、強い力となりました。
2009年、父が71歳で亡くなりました。
まだまだ教えて欲しいことはたくさんありましたが、もうかないません。
今、年間214回、全国で講師登壇してNHKでTV出演も果たし、大手企業から中小企業までのコンサルをこなし、35名の最大規模の受講生を集めて東京都中小企業診断士協会中央支部認定プロコン塾、売れプロの塾長をして、二次合格率61%の中小企業診断士二次講座、二次合格スーパー本気道場を東京、大阪で主催する僕ですが、それらを父にみ
せることはかないません。
それどころか、父の命日に関東にいることすらかなわない。
そんな親不孝な僕を父はどう思っているのか。
せめて、これからもっと、日本の経営者、ビジネスマン、そして日本のために!
馬車馬のように働き、そして貢献できる男になっていくのを・・・・。
父に天国で見てほしいと思っています。
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先ほど、名古屋のバルで、一人で22時半から遅い夕食を取りながらジャズの音楽をバックに父のことを考えていました。
2009年の7月17日、僕の父が亡くなりました。
そう。
昨日、7月17日は僕の父の命日でした。
なくなった当日や翌年の一周忌は仕事を入れないようにしたものですが、今はもうそういうわけにはいきません。
昨日一日、笑顔で名古屋で研修講師をしていました。
僕の父は、航空自衛隊で働いていて、無骨で真面目で、仕事一筋な人でした。
お酒も飲まず、とにかく仕事のみ、ありのように必死に働いていました。
うちの父は厳格で、厳しく、真面目、調子よく立ち回ることはできず、そのため、家族にも誤解されることがある父でした。
家庭では、昭和12年生まれらしく、非常に厳しく、時には鉄拳も振るうため、子供の頃は青木も怖い父という印象しかありませんでした。
中学卒業後、市役所や蕎麦屋などで働き、自分の兄弟を育てるために働き、19歳で給料がいいからという理由で航空自衛隊に入隊したそうです。
訓練中に、たまたま事務官が倒れたとのことで、市役所勤めの事務能力を買われて、急遽、人事の仕事に抜擢されます。
以後、自衛隊の人事畑一筋で定年まで本当にがんばりました。
自衛隊の大きな2つの事件(これはここでは書けません)の担当を行い、大変な事件を乗り切ったそうです。
家族の事情で、中学まで成績優秀だった父が中卒で働き、夜間高校は仕事の都合であと半年のところで退学させられた父でしたが、2佐まで昇進(普通、高卒以下で2佐までいくことはそうはないそうです)。
自衛隊を54歳で定年退官した後も、三井住友クレジットで64歳まで働きました。
そんな真面目な父は2009年、4月に国から勲章をいただく名誉をいただきました。
本当に喜んでおり、防衛大臣から叙勲式で勲章をもらい、皇居に拝謁にいくのを楽しみにしていました。
その直後の5月頭、敗血症になり3ヶ月苦しみ、2009年7月17日。亡くなりました。
もう、終わりの頃はあまり意識があることもなかったのですが、ずっと看病していた僕の弟の話によると、ぼくが病院にいくと意識を取り戻すことが多かったそうです。
なくなる前日も、僕が企業研修講師を終えて、病院による行くと、意識を取り戻し、何度も「もういい。もういい。」といっていました。
もう楽になりたかったんだね。様々な治療をためし、苦しませてごめん。とうさん。
青木が子供時代、無骨で非常に厳しい父とは折り合いが悪かったのですが、大学生の時、ロス・アンジェルスにホームステイにいくために、一年アルバイトしてお金をためてお金を払うときになって、父が全額お金を出してくれました。
「お前が必死にためたその金は、今度、お前が本当に必要なときに使うため、とっとけ。」
それが無骨な父の優しさでした。
子供のころ、厳しかった父も、就職活動の頃からはいつも父は青木の味方でした。
それまで非常に厳しかった父ですが
就職先を決定するとき、そして独立するとき。
いつも青木が決定する方向性を無条件に承認してくれました。
青木が会社を辞めて、独立することを告げるとこういってくれました。
「お前は、自分の道を間違えない男だ。どんな道を選んでも、うまくやっている男だ。俺はお前を信頼している。やりたいようにやれ。ただ、健康だけには気をつけろ。」
人事畑一筋。何万人もの自衛隊員の名前と特徴が言えるほどで、人の本質を見る目が評判だった父ですが、きっと子供を思うよく目でしょう。
しかしその力強い全面的な承認は僕にとって、強い力となりました。
2009年、父が71歳で亡くなりました。
まだまだ教えて欲しいことはたくさんありましたが、もうかないません。
今、年間214回、全国で講師登壇してNHKでTV出演も果たし、大手企業から中小企業までのコンサルをこなし、35名の最大規模の受講生を集めて東京都中小企業診断士協会中央支部認定プロコン塾、売れプロの塾長をして、二次合格率61%の中小企業診断士二次講座、二次合格スーパー本気道場を東京、大阪で主催する僕ですが、それらを父にみ
せることはかないません。
それどころか、父の命日に関東にいることすらかなわない。
そんな親不孝な僕を父はどう思っているのか。
せめて、これからもっと、日本の経営者、ビジネスマン、そして日本のために!
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お父さんのお話、拝見しました。
僕の父がついこないだ末期の癌であることが分かり、いま病院で治療を受けております。
青木先生のお話にとても共感するところがあり、後悔のないよう僕も今できることを精一杯やろうと思います!
ありがとうございました。
おはようございます!青木です。
名古屋研修お疲れ様でした。
目指すものを考えてそれに向かって行動する!本当に大切ですよね!
お父さん大変ですね!そして永山さんをはじめ、ご家族もおつらいですね。
そういう大変なことが日常となる中、その中でもお父さんのささやかな喜び、永山さんの喜びを見つけながら、がんばってください!
お父さんの遺伝子はいずれにしろ、永山さんの中に残ります。
永山さんが立派に生きることで、お父さんも喜ぶと思いますよ。
励ましのコメントをありがとうございます。
親父を見ていると、平凡な日常のなかに小さな幸せが転がってることに気づかされます。
また、いつか先生の研修を受けたいです。
ありがとうございました。