おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

西南戦争始末記

2011年02月09日 07時35分32秒 | 日記
今日は好天になるという予報。晴れたら木工でもしよう

今村了介という人が書いた『西南戦争始末記』という古い本を読んでいる。
きっかけは移住して田舎暮らしを始めた南阿蘇村について勉強したくなったので役場の教育委員会で(図書館がない)村史を借りて読んだことにある。
住んでいるのは南外輪山の麓標高450mくらいの所だが、旧地名を久木野という。この久木野、白水、長陽の3つの村が合併して今の南阿蘇村になっている。だから村史といっても3つの村の歴史書が編纂されていて都合8冊あった。この地域、江戸時代はとても貧しい村で、地元民は米を作っていてもそれを食べられず麦、ヒエ、あわ、芋などを食べていた。明治維新という日本の近代の夜明けで少しずつ自分達の意見をまとめ役所に出そうという動きが出てくる。百姓一揆とまではいえないような小さな運動が起こり、それに西南戦争が土地が踏みにじられていく。通過点になっただけではなく、住民を巻き込んで官・薩両方に分裂し戦が続けられている。
植木の戦役で敗れた薩軍は矢部浜町を一時拠点にするが、そこからも追われ各所で戦いながら勢力と軍備で圧倒する官軍に各所で薩軍は破れ厳しい逃避行を続けながら故郷鹿児島城山に帰っていくのだ。

この戦役はじつに悲しい。この戦いに敗れなくなった薩軍兵士と肥後をはじめ他県からこの戦役に参加して没した者合わせて7476人。同じく官軍兵士6843人。1.4万人が戦没したことになる。

肥後神風連、萩の前原一誠、佐賀の乱と続いた不平士族の反乱もこれで終止符を打つ。
考えてみると日本史上内戦はこれが最後になるのだ。

「今般政府へ尋問之筋有之」という有名な届出書を発して以来、出兵から熊本城攻囲戦、そして田原坂の敗戦。その後は暗い悲壮な逃避行といってもいいのではないかーその道行きは城山まで続いていく。

著者も鹿児島出身、私も高校(出水)、大学(鹿大)と鹿児島に7年居住した身、どうしても西郷びいきになってしまう。
大久保利通は徹底した合理主義者で、冷徹な政治家であった。西郷とは対照的な存在で、征韓論で破れ下野した西郷に対しては静かに余生を送って欲しかったのだろう。しかし自分が育ててきた私学校生徒に祭り上げられた西郷は命をその時点で捨てた。そして挙兵の知らせを受けた大久保は心中で長く深く強い絆=縁(えにし)を断ち切ったのだ。

何故か私は敗軍の将に魅力を感じる。去年の旅行で会津に行き、飯盛山に登ったのも、長岡藩河合継之助が好きなのも敗者には文学のこころを擽るものが存在するからー