おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

今日はまる一日労働、クタクタだ

2011年02月20日 17時22分33秒 | 日記
あーあ、疲れた。今畑から上ってきた。もう5時半か、朝から夕までよく働いた。午前中は木工、とうとう庭の垣根=柵を取り付けた。





足の剥離骨折をしてしまった妻も見るに見かねて手伝ってくれた。自作なので近寄るとミスもあるがまあまあの仕上がりだと自負している。

この後、畑に下りて春植えの準備。今日は堆肥を入れた。
いい土を作ることが畑作の基本。明日は耕運機で耕そう。一応、種芋(きたあかり)は買ったけれど、3月下旬までは我慢。ここは寒冷地、3月は愚か4月に一、二度遅霜が来るのだ。

なにしろ疲れた。
さあこれから風呂に入って、ビール飲もう

素晴らしい天気の春日

2011年02月19日 09時26分50秒 | 日記
こんな穏やかで天気のいい朝はこの今年に入って初めてではないだろうかー
夜気温は低く、布団の中でも寒く感じたし、朝畑を見ると霜が薄く掛かっていたし、水溜りには氷も張っていた。

さあ今から妻を連れて病院だ。
けつまづいて右足の中指をどうも骨折しているらしい。一晩冷やしたから脹れてはいないが内出血しているようだ。

どこに行こうかと迷ったが、地元の病院ではちょっと不安(失礼)なので、市内に下りて私がかかっていたT整形外科に行こうと思う。左肘を治療したところで、うまいと評判な病院。しかし、私の肘は全然良くならなかったがーついでに私も肘への注射をもう一度打ってもらおうかしらー

いい天気なので、今日は園芸の作業や庭の垣根の柵が殆ど仕上がったので取り付けするのにいいのだがー帰ってからやろう!




旅行プランを考えるとワクワクする

2011年02月18日 09時20分46秒 | 日記
昨日NHKの「あさいち」で高野山の特集をやっていた。

5,6年前だったかここを訪れたことがある。妻と一緒の旅だったが、高野山大学に入った教え子が卒後も結婚して和歌山に住み着いていた関係から随分お世話になった。

京都から大阪に出て、そこから電車で高野山に向かった。2時間くらいかかったように覚えている。教え子は高野山駅にガイドさんを雇って待たせていてくれた。その人の案内で観光ポイントを案内された。

なんといっても空海の修業地であり真言宗総本山である。空海は周知のように天才であった。遣唐使とともに中国に渡り、密教を日本にの伝え、そして三筆の一人としての書家の像、いろは歌の作者、四国の大規模なため池の築造に当たった土木設計者でもあり、各地にある空海の伝説として温泉の発掘、そして教育者でもあった・・・

空海については司馬遼太郎の本がある。興味のある歴史上の人物だ。
最澄との友情と軋轢もある。人間空海にも興味がある。

高野山は山上にあって杉を中心にした樹林を切り開いた場所にあった。日が傾きかけていた時刻でもあり、陰影が深く荘厳さを強く感じた。

ある宗門の寺院に余って有名な精進料理も食べさせていただいた。

その時は時間の余裕がなくて、名残惜しい感じで帰ったのだけれど、いつか再訪しようと心に誓った。
比叡山も一度だけだが訪れたことがある。若干の印象の違いがある。比叡山は都との距離が近く、信長の焼き討ち事件もあるのだが、近い分だけ俗化が感じられた。しかし、この延暦寺と金剛峰寺はもう一度見たいと思っていた。

そして昨日の高野山特集。気持ちは固まった。今度のJRフルムーンの旅は延暦寺~高野山金剛峰寺~熊野~伊勢神宮~東京~青森(しょっつる鍋を食いたい!)これでプランを練ろう。

旅のことを考えると何故か心がうきうきするから不思議だ。

妻は心配している、今度開通した青森までの新幹線に果たしてフルムーンで乗れるのだろうか?「のぞみ」も除外されているので確かにその危惧あり得る

陽気に誘われて天草へ

2011年02月17日 11時59分27秒 | 日記
体重は変動無し。82.0kg。情けないと思うけど、仕方ない。飲食の誘惑にとても脆い。なんとも精神が弱くできている。

昨日は朝から小春日和で、暖かい。家の屋根にも庭にも雪は解けないでいるけど、春は間近、空気がどことなく春めいているし、見渡す景色も霞の向こうに「春」が見え隠れしている。

珍しく妻が「今から天草行かない?」と誘ってきた。無二念に「いいね」。化粧の時間、釣りに用意していこうよとまでいう。「こりゃ、危ないぞ帰りは大雪で阿蘇に辿り着けなくなるのでは?・・・」心の中のザワメキ

今は海水が澄んで魚が沖に移動しているから堤防で釣っても期待できないから、お言葉有難く頂くけれど釣りは亦今度にして、新鮮な魚を食いに行こうーとなった。

10時半家を出発。裏道を走ったけれど、片道で90kmほどの距離。大好きな海までは遠いのだ

通い慣れた天草街道、平日なのに意外に車が多い。

最初大矢野の野釜島に寄ったけれど、すぐここを出て、岬の突端から下に下りた細い、超細い路地を海岸に入っていくと久しぶりのマイ釣り場に到着。誰もいない。満潮から下げの1分位だろうか、水が予想通り見事に澄んでいる。海岸線も砂場もあって美しい。ここはあまり知られていない穴場なのだ。




その帰り、大矢野警察署隣の物産館で買い物をして、お昼を食べることにした。
ここもよく来た、「鯛茶漬け」で有名な店「大番」という三角に入るカーブの角のある。
妻が「鯛茶漬け」(1600円)、私は欲張って2600円也の刺身特別定食を頂いた。
平日で店には他に客はいなかったけれど、相変わらず美味かった。満足してきた道とは違う不知火の道を通った。以前高潮で大きな被害が出たところ。

不知火の物産館の駐車場で30分ほど昼寝をして、帰途に着いた。
もうすぐ海の季節だ。

春よ来い

日本現代医学史上の画期ー和田寿郎教授の死

2011年02月16日 08時29分11秒 | 日記
今朝、いつものように5時半頃からベッドの中で読みかけの本を読んだ。
加賀乙彦著「生きている心臓」(講談社)の上巻を読上げた。主人公天木教授が事故にあって「脳死」状態になる。妻は本人の生前の意思=リビングウィルに従って、心臓移植を決意、夫の勤めていた病院で移植手術を受けることになる。

この中で、心臓移植が日本の医学史上で2例目の手術になると書かれている。
その1例目が1968年札幌医科大学で和田寿郎によって行われた心臓移植である。この手術には疑問があった。脳死判定が的確であったのかーレシピエントの青年が本当に心臓移植を受けなければ生存ができないという状況にあったのかー?
和田は大阪の漢方医から殺人罪と業務上過失致死罪に問われ裁判になった。そして不起訴処分。

この手術の後遺症がその後の日本における脳死臓器移植手術の普及を遅らせることになる。

脳死と生命のかかわり、脳死心臓移植の可否を問うたこの小説の作者もまた医者である。まさに医の倫理を問う本なのだが、この中でも和田移植手術が出てくる。
さあ、下巻に入ろうとしている時に、新聞を見たら和田寿郎氏死亡の記事が出ているではないかー

すごく因縁を感じる。

私は医者ではないのだが、長い間この問題については研究してきて、論文も書いている。「反転の思想ー生命というもの」(1997年、かもめ出版)という自費出版した本の中に書いた。

その後情勢が変化、脳死移植手術は再開されたが症例は決して増えてはいない。先日、月に一度眼科に通っている熊本大学医学部付属病院でも脳死移植が行われた。

最近の移植事情は詳しく調べていないので軽軽に論じることはできないが、どうしても疑問が付きまとう。万全を期しているとは思うのだが、密室で行われる脳死判定。和田移植の場合、証拠資料の紛失・改竄が指摘されている。
公正にして冷静且つ客観的な判断というものが神でもない生身の人間の手で、生死の判断を下すということの重大性。かかわるもの全てが生命というものの尊厳性に畏敬と畏怖の念を持ち、厳かな気持ちで手術に臨むのか。もし、経済効率の点で「無駄」を省くためとか、施術者に功名心=利己の兆しがないのかどうかー。

現在ドナーの意思表示がなくても家族の了解さえあれば移植は可能となっているという。ドナーにはならないという人はもしもの時を考えて、「移植手術に同意しない」旨のリビングウィルを残しておくべき時代になった。

狭心症発作を起こし、冠動脈にステントの入っているような私の心臓はだれも欲さないのだが・・・