おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

田舎病院と奥田英朗

2011年06月22日 06時28分07秒 | 日記
こんな長雨ってこれまであっただろうか?

全身にカビが生えてきそう・・・

心臓の薬が無くなったので地元の小さい病院に行った。いろいろと噂を聞いている病院だ。先生は診察しても、いつも隣にいる看護婦の指示で処方するとか・・・

薬だけをもらえばいいのだけれど、日本の国は医者を富ますようにできている。必ず医師の処方がいる。患者が容態に変化がないと申告しているのだから、医者を通さなくたって薬を出せばいいじゃない・・・医療費の二重取りだと思う。

この日の診察。体調を聞かれたので「変化はありません」といった。聴診器で心音と呼吸の音を聞いて不整脈もないし、肺の音も澄んでいる。わかってるよ!!心のきれいな僕だもん。タバコも呑まないし、肺はきれいなはず!本当は喘息気味なんだけど、そんなこといったら、この先生必ず大事にする。

言わずにおけばよかったもののつい、些細なことを口にしてしまった。

「あのー、口の中が少し荒れているので診てらえますか?」

口腔内をチラッと見てのたまわく、「こりゃビタミン不足ですな、ビタミンの注射をダブルで打ちましょう

あっしまったと思ったけど遅きに失したようだ。それでも抵抗する。「こんなのはしっかりうがいしておけば治るんでしょう・・・」

「いやーうがいしたって消炎・消毒のうがいは却って大事なものをブロックしてしまうのでだめ!」

「はーい、注射の用意してえー」

そして別室にてダブルのビタミン注。ウイスキーのダブルならいつでも飲むけど、注射はなあ・・・

後悔先に立たず

          

晴耕雨読が生活の基本。
この雨の中、読書のピッチは早い。奥田英朗の「サウスバウンド」、534ページ長編小説を読んだ。
一言で言うと痛快

私より9歳下なので、全共闘世代ではない。しかし、よく調べている。かれの経歴を読むと高卒で仕事に就いているみたいなので中に入って活動した経験はないはずなのだが、小説の主人公は元セクトの活動家。

現在は同じ活動家=御茶ノ水のジャンヌ・ダルクと呼ばれていた妻と子供3人。

一部二部から構成されている。一部は東京編。二部が西表島編。イリノオモテヤマネコの生息で知られる場所というと一寸変な言い方だが、日本のずーっと南の果ての小さな島の話。主人公の上原一郎は島人伝説の英雄オヤケ・アカハチの子孫だと信じているシマンチュの歓迎で、一軒の廃屋に住み着く。そして自給自足の生活に入っていった。
ところが、ここへ本土の資本が目をつけ地元の悪徳土建屋と結託して「開発」という名目で、立ち退きを迫る。
一郎夫婦に変な外人=カナダ人のベニーが加わって、痛快な大立ち回り。ベニーは「義を見てせざるは勇なきなり」と外人らしくない仁義の人でいい役している。ラストシーンは戦いに敗れ官憲に追われて、夫婦は子供と別れ夢の島パイパティローマというどこの国も属さない無人島に向かって船出していく。

考えさせられる。「国」って何なんだろう・・・民衆から税金を搾り取ってその血税を偉そうに、恰も自分の懐から出したかのように政治家は国会で「予算審議」をしている。官僚は政治家の前ではヘイコラしているけど一旦民衆の前に立つとふんぞり返る。あなたたちを養っているのは私たち国民でしょう、政治家だって同じ。東北の義捐金をどう配分するかであーだこーだ議論しているけど、送ったのは私たちの薄いサイフの中から出たもので菅さんのものでもないし、「国家」のものでもない。
税金で国家予算が賄われ(国債も含めて)、国民に上から施しのように社会保障・福祉などなどに使われる。

一番最初には人がいてコミュニティーを形成し、協力し合って生活していた。国も税金も警察も法律もなく・・・縛られることなく生活していたはず。原点に帰って考えると生まれた時から「国民」として位置づけられていることってやっぱり自由民主ではないのではないかー国籍の選択権(入る入らないも含め)があってしかるべきなのかもしれないなー
上原一郎が主張するようにー

さすがに何年か前映画化されていた。映画は見ないもんねえ・・・暗いところに入ったらすぐ眠たくなるし・・・