おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

ジェンダーからの解放

2011年06月18日 09時31分46秒 | 日記
また雨だ

大雨洪水注意報が出ている。

昨日は梅雨の一休みで、畑ではその後始末で忙しかった。勢いの強い雨で葉っぱへの泥の撥ね返りで葉の裏には泥がいっぱい付着してその重さで萎れ倒れている。これを噴霧器に水を入れ圧縮して水をかけ洗っていく。

それからやっぱり表土が流れている。畝の高さが低くなって中には根が現れているものもある。これを土寄せする。

風に弱そうな茎には支柱を立て補強。

これで汗が出る。

       

午前10時からは月一の「男の簡単料理の会」。村の健康センターにムクツケキ男たちが三々五々集まってくる。

会費700円を払ってそれぞれのファッションセンスを表すエプロンを掛け、バンダナを被る。

私のは卒業生がくれた洒落た前掛けを掛ける。首から掛けるやつは止めた。紐を交差して首に通すのが面倒なのだ。

さて人間には生物学上男と女の二種があって、歴史社会的にそれぞれの性への役割というものが型作られいる。これがジェンダーというものだ。

男は「男らしく」、女は「女らしく」、ジェンダーの押し付けだ。たとえば男子厨房に入るべからず、女子は土俵に上がるべからず・・・探すと世の中いっぱいある。いつか都会の大学に通っている甥っ子が里帰りした折になんとスカートみたいな変なものを身に着けているのを見た時に、「これじゃあ世も終わりだ」と観念した。

今、このジェンダーが次々に解放されている。

男の中に昔で言うと「おとこおんな」と表現し、社会の裏側にひっそり生きていた人たちが表面に堂々と出てきて「私は女ではなく男が好き」とカミングしている。そうでなくても現代若者の特徴として「草食系男子」という言葉も現われた。女性をガツガツト求めない。傷つくのを避けてひっそりと生きるのが好きという。肉食系男子が減っているというのはある意味、少子化傾向のある現代社会の将来に暗い影を差しているのではないかー・・・でもないかー!

さて、男の料理についてだが、昔だったら料理人は別にして一般人の男子が厨房に入ることは忌み嫌われることだった。男はお膳ついて酒でも飲みながら料理の出来るのを待っている。美味くないと怒ってお膳をひっくり返す・・・巨人の星のあのオヤジみたいにー

確かに個人差もあるし向き不向きもあるだろう。私も料理というといろいろ失敗談がある。

就職して自称「ラスコーリニコフの部屋」(「ドストエフスキーの「罪と罰」から)と呼んでいた下宿(間借り)である年の誕生日24回目のバースデイだったと思う。彼女もいないし寂しい生誕記念日。孤独だけどパーッとやろうと街に買い物に出かけた。鮮魚店の前を通り掛ったらふと木箱に入った「カキ」が眼に入った。そうだ!生カキを食べようー

おばちゃんに聞いた、「おばちゃんこのカキ、そのまま食べられる?」

「そりゃあ新しいからそんまま食べられるよ!」と太鼓判を打ってくれた。

素直な私は帰ってビニール袋にはいったむきカキを「そのまま
どんぶりに入れて酢と醤油を少々入れて、少し馴染むように時間をおいて食べようとした。

食卓に買って来た他の惣菜と一緒にカキを食べだした。「うーん、美味い」どんどん平らげていく。

それは食後15分位経ったときだった。突然「きたーっ」お腹が痛いとか吐き気を催すという感じではなく、ムカーッとしたかと思うと窓をばーっと開けて裁判所に向かう坂の石垣に向かってゲーッと吐いた。

それからが地獄の始まりだった。

言うまでもない「そのまま」の解釈と表現の違いだった。おばちゃんは常識でそのままといったのは生で大丈夫という意味でもちろん食べる前にはしっかり洗うのは当たり前という無言の思いがあった。それが私にはなかっただけ。
 
こんな私だからぶきっちょで心許ない。しかし、男たちの料理教室楽しいのだ、これがー!
昨日のメニューは豚肉と筍(またけ)の炒めもの。水菜、白菜のサラダ。それからベーコンといろんな野菜の入ったスマシジル。これが美味かった。スマシ汁。

夕食でこれを作ろうと決意。そうだ、これに白菜を頂いたのでこれを湯がいて、からし醤油で食べたら美味いだろうからー

この結果はいづれまた報告する。