「へいわってなにかな」で始まった沖縄・与那国島の小1、安里有生(あさとゆうき)くんの詩の朗読が胸にのこっています。
沖縄「慰霊の日」の追悼式で読み上げられた詩は、6歳の澄んだ目に映る平和の尊さをつづりました▼先の大戦で国内唯一の
地上戦となり、県民の4人に1人が犠牲になった沖縄。
戦後も米軍政下で土地を追われ、生活と命を脅かされました。平和をつよく希求する県民の思いは、米軍基地が集中する現在
もかなえられずにいます。
日本から切り離され、米軍が土地を強奪した60年ほど前、「沖縄の太陽」と呼ばれた女子高生がいました。東京から沖縄の
現実に心を痛め、苦難に心を寄せ、ひとりで立ち上がった黒田操子さんです。黒田さんは、米軍に家屋を壊され、畑や山林を
焼かれ、暴行されている伊江島の住民に、励ましの手紙を書きつづけました。
そして、伊江島からの返書をもとに、破壊と暴力のすさまじい現状を国連や米国の新聞に訴えました。夜学に通いながら沖縄
の子どもたちに本を贈ることにも力を尽くしました。それは多くの協力で実現した「愛の書籍リレー」でした。彼女の献身的
な行動と沖縄の人々との心のふれあいは、大西照雄さんが記した『「沖縄の太陽」物語』に詳しい著者の大西さんは反基地闘
争の先頭に立ってきた人です。
今年の「慰霊の日」を前に亡くなりましたが、平和な沖縄を最後まで願っていました。遺志を引き継いだ安里くんの詩はこう
結ばれています。「ぼくのできることからがんばるよ」「潮流」