興味津々丸

日々の暮らしをそのまんま日記を書くように綴ります。

ビックリマンチョコ

2009-09-26 07:50:17 | ノスタルジー
今でもあるんですね。
「ビックリマンチョコ」



今から20年ぐらい前でしょうか、子供たちの間で大ブレークしていました。

箱買いしている子供もいました。
チョコレートはほとんど食べずに、中のシールを集めるのが目的だったんです。

当時、確か30円だったと思います。
100円で3つ買って10円お釣りがきてました。
今は、80円です。高くなりましたね。

およそ3倍です。
これだけですべてを論じることはできませんが、ずいぶん物価が上がったもんですね。変わらないものもあるので、一概には言えませんが…。

物価の上昇ほど、所得の水準は上がっていないですよね。



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青葉通りの屋台

2009-02-11 07:11:43 | ノスタルジー
<仙台・青葉通りの屋台「喜楽」 83歳店主、閉店決意>という見出しの記事を見ました。もうすっかりなくなったと思っていましたが、青葉通りに3店今でも営業しているんですね。認識不足で申し訳ありません。

小生が学生時代や社会人に成りたての頃、仙台市内の至る所で屋台が営業をしておりました。時々お世話になっていました。駅前周辺、青葉通り、一番町、広瀬通り、勾当台公園の周辺、正確な記憶ではありませんが、西公園のあたりでも営業している屋台もあったような気がします。仙台の夜を彩る風物でした。

道路管理や食品衛生の観点から昭和40年に宮城県、県警、仙台市の3者が定めた[露店飲食店処理要項]により、公道上で露店飲食店を営業している人に限り、道路使用許可を出され、許可は一人につき1店となっているため、結果として営業は一代限りになるというものでした。

この記事を見て、ちょっと懐かしさが込み上げてきました。
お役人様が言われるように、道路管理上問題があると言えば、そうかもしれません。一斗缶に汲んだ水で洗うどんぶりは不衛生であると言われれば、そうでないとは言えないかもしれません。でも屋台って人情味があってよかったですね。若い小生は、屋台のおじさんやおばさんとの会話で癒されたもんです。

屋台のラーメン旨かったなぁ~。だしの浸みた熱々のおでんも旨かったなぁ~。受け皿にこぼれるもっきりのコップ酒、これまた旨かったなぁ~。

一番町のフォーラス(当時は日活の映画館)の向い、その頃、車道があったので向い側になります。そこで夕方から屋台開いていたおやじさんがいつも戦争の話を必ず始めるんです。あいずちを打ちながら、止め処の無い戦争の話を聞いて、「今日は金は要らないよ!」と言われ、ただ酒をご馳走になった事が何度かありました。嘘のようなほんとの話です。小さな武勇伝かな!

昭和40年代と言うと、オイルショックの前の好景気の頃ですから、小生の周りにも、今では信じられないような酒にまつわる武勇伝のひとつや二つ持っているやつって結構いますね。

それにしても、夜を彩る風物が、またひとつ消えていくのかと思うと、寂しいですね。

時代背景をかんがみれば、屋台文化と共に生きてきたのは、団塊の世代と言われる年代の青年の皆さんが多いんでしょうね。ちょっと偏った見方をしてすみません。

青葉通りで「喜楽」を営む磯チカさん、3月で閉店なさるそうですね。
本当に長い事ご苦労様でした。これからも元気で長生きした下さい。




ノスタルジー

2008-03-05 13:20:00 | ノスタルジー
最近オープンした晩翠通りのドン・キホーテです。
名取に1店舗、仙台台原の長崎屋2階に1店舗、これが3店舗目。
外にあるエスカレーターで、2回に昇ります。入ってみました。

平日の午後1時ということもあるかもしれませんが、
あまり混んではいませんでした。

向い側に、こんなお店が。

「昔の味 支那そば 本格派」と書いてあります。
ノスタルジーを感じます。ちょっとひかれます。
厨房に出入りするそば屋のおじさんの動き、活気がありましたよ。
こういうお店、だんだん少なくなってきましたね。
気になるお店です。一度食べに来てみようかな。

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