時々
久々の夕立やめっちゃ蒸し暑い
では昨日の続き
続いて訪れたのは、下吉田駅の近くにある
冨士山下宮 小室浅間神社
次の日に開催されるお祭りの準備をしてはるところをお邪魔しました。
桓武天皇の御代のこと。
征夷大将軍坂上田村麻呂が東征の折、
この地より富士山を拝し戦勝祈願をしました。
数年後、戦勝の神恩に感謝し
社殿を造営したのが始まりだそうです
こちらの神社には
お馬さんが居るねん
この神社では毎年秋に流鏑馬祭りが開催されるそうで
そのお馬さんやねんて
カッコエエやろな~
参道には
こんなハート形のコブ(?)のある桜の木があるよ~
探してみてね
そして、境内の御神木桂の木の根元に
なんと大塔宮護良親王の御首級が密かに埋葬されてる
という古文書があるらしい
…つい先程知ったので、どこにその御神木があったのかは…???
護良親王とは後醍醐天皇の皇子で、
鎌倉幕府討幕に尽力し征夷大将軍になったけど
その後足利尊氏やお父ちゃんと対立し、
鎌倉の東光寺(現在の鎌倉宮の地)の土牢に閉じ込められ殺害された皇子です…。
鎌倉宮のお話はコチラを見てね2012年3月8日のブログ
頂いたご朱印です
御祭神はもちろん木花開耶姫命
やから桜桜の印が可愛い~
こちらの御朱印帳もめっちゃ素敵やねん
木花開耶姫命と富士山と桜やの
今度伺った時は是非頂きたいなぁ
続いて訪れたのは
小室浅間神社からちょうど真北の方にある
新倉冨士浅間神社
705年にこの辺りの氏神様としてお祀りするために創建された新倉冨士浅間神社。
807年に起こった富士山の大噴火の時には
時の天皇平城天皇が勅使を送り
この地で国土安泰富士山鎮火祭が執り行われたそうです。
戦国時代には信玄公の父・信虎公が北条氏との戦いの折
この地(新倉山)に陣を張り戦勝祈願して勝はったんやて
ここ新倉冨士浅間神社といえば
新倉山浅間公園にある忠霊塔からの
この写真が有名ですよね~(頂いたチラシより)
忠霊塔の裏山に登り、撮ってみたで~
…富士山がちょっと残念やったけど
まだ里桜が咲いてたよ~ てっぺん見えん富士山と
富士山から東の方に
こんな不思議な雲が見えたので撮ってみた 変わった雲や~
頂いたご朱印です
「富士山眺望日本一」の文字が嬉しい
次回、ようやく、よ~うやくこの旅行記の最終回です(笑)
続く
久々の夕立やめっちゃ蒸し暑い
では昨日の続き
続いて訪れたのは、下吉田駅の近くにある
冨士山下宮 小室浅間神社
次の日に開催されるお祭りの準備をしてはるところをお邪魔しました。
桓武天皇の御代のこと。
征夷大将軍坂上田村麻呂が東征の折、
この地より富士山を拝し戦勝祈願をしました。
数年後、戦勝の神恩に感謝し
社殿を造営したのが始まりだそうです
こちらの神社には
お馬さんが居るねん
この神社では毎年秋に流鏑馬祭りが開催されるそうで
そのお馬さんやねんて
カッコエエやろな~
参道には
こんなハート形のコブ(?)のある桜の木があるよ~
探してみてね
そして、境内の御神木桂の木の根元に
なんと大塔宮護良親王の御首級が密かに埋葬されてる
という古文書があるらしい
…つい先程知ったので、どこにその御神木があったのかは…???
護良親王とは後醍醐天皇の皇子で、
鎌倉幕府討幕に尽力し征夷大将軍になったけど
その後足利尊氏やお父ちゃんと対立し、
鎌倉の東光寺(現在の鎌倉宮の地)の土牢に閉じ込められ殺害された皇子です…。
鎌倉宮のお話はコチラを見てね2012年3月8日のブログ
頂いたご朱印です
御祭神はもちろん木花開耶姫命
やから桜桜の印が可愛い~
こちらの御朱印帳もめっちゃ素敵やねん
木花開耶姫命と富士山と桜やの
今度伺った時は是非頂きたいなぁ
続いて訪れたのは
小室浅間神社からちょうど真北の方にある
新倉冨士浅間神社
705年にこの辺りの氏神様としてお祀りするために創建された新倉冨士浅間神社。
807年に起こった富士山の大噴火の時には
時の天皇平城天皇が勅使を送り
この地で国土安泰富士山鎮火祭が執り行われたそうです。
戦国時代には信玄公の父・信虎公が北条氏との戦いの折
この地(新倉山)に陣を張り戦勝祈願して勝はったんやて
ここ新倉冨士浅間神社といえば
新倉山浅間公園にある忠霊塔からの
この写真が有名ですよね~(頂いたチラシより)
忠霊塔の裏山に登り、撮ってみたで~
…富士山がちょっと残念やったけど
まだ里桜が咲いてたよ~ てっぺん見えん富士山と
富士山から東の方に
こんな不思議な雲が見えたので撮ってみた 変わった雲や~
頂いたご朱印です
「富士山眺望日本一」の文字が嬉しい
次回、ようやく、よ~うやくこの旅行記の最終回です(笑)
続く