今日の天気は時々
毎日暑うおますなぁ~
バテるわ
では前回の続き
美味しいほうとうを堪能した後は
4カ所の『浅間神社』を訪れます
まず向かったのは、山中湖から河口湖へ向かう途中にある
北口本宮冨士浅間神社
景行天皇40年(西暦110年)のこと。
日本武尊(ヤマトタケル)が東征の折、ここ大塚丘に立ち寄り富士山を仰ぎ
「北方に美しく広がる裾野をもつ富士はこの地より拝すべし」と言いはったそうな。
よって大鳥居が建てられ、浅間大神と日本武尊をお祀りし創建となったそうです。
その後、富士山の噴火を鎮める為
延暦7年(788年)に社殿が建てられました。
武田信玄公も造営しはったそうです
古くは富士山の様な高い山、美しい山は
人が入ることは禁忌で
富士山もこの地から遥かに拝み祭祀を行っていました。
平安時代になり山岳信仰が普及したことにより登拝が盛んになり、
人々は山頂を目指すようになったのです
ここ北口本宮冨士浅間神社は
吉田口登山ルートの起点になってるんやて~。
冨士山大鳥居
日本の木造の鳥居の中で最大級の大きさなんやて~
60年に一度建て替えられるそうです
昨年やったみたいよ~。
随神門
随神門をくぐると、左側に
とても立派な手水舎があります。
御神木冨士太郎杉 樹齢千年以上なんだとか
根本がもうなんか、凄いねぇ~
逆サイドには、こちらも御神木冨士夫婦檜 同じく樹齢千年
拝殿
御祭神は、木花開耶姫命 彦火瓊々杵命(旦那さん)、大山祇命(お父上)。
彫りが素晴らしい
富士講のひとり、村上講の村上光清は莫大な資金をかけて
江戸時代の享保18年から元文3年(1733~1738)まで6年の歳月をかけ
境内社殿の大造営を行いました。
現在の社殿はその当時から大きな被害は受けていないそうです。荘厳~
頂いたご朱印です
そして、とても素敵やったので
絵馬も頂きました。
赤富士がめっちゃカッコええ
たくさんの大きな木に囲まれた北口本宮冨士浅間神社は
とても厳かな雰囲気でした
次回へ続く
毎日暑うおますなぁ~
バテるわ
では前回の続き
美味しいほうとうを堪能した後は
4カ所の『浅間神社』を訪れます
まず向かったのは、山中湖から河口湖へ向かう途中にある
北口本宮冨士浅間神社
景行天皇40年(西暦110年)のこと。
日本武尊(ヤマトタケル)が東征の折、ここ大塚丘に立ち寄り富士山を仰ぎ
「北方に美しく広がる裾野をもつ富士はこの地より拝すべし」と言いはったそうな。
よって大鳥居が建てられ、浅間大神と日本武尊をお祀りし創建となったそうです。
その後、富士山の噴火を鎮める為
延暦7年(788年)に社殿が建てられました。
武田信玄公も造営しはったそうです
古くは富士山の様な高い山、美しい山は
人が入ることは禁忌で
富士山もこの地から遥かに拝み祭祀を行っていました。
平安時代になり山岳信仰が普及したことにより登拝が盛んになり、
人々は山頂を目指すようになったのです
ここ北口本宮冨士浅間神社は
吉田口登山ルートの起点になってるんやて~。
冨士山大鳥居
日本の木造の鳥居の中で最大級の大きさなんやて~
60年に一度建て替えられるそうです
昨年やったみたいよ~。
随神門
随神門をくぐると、左側に
とても立派な手水舎があります。
御神木冨士太郎杉 樹齢千年以上なんだとか
根本がもうなんか、凄いねぇ~
逆サイドには、こちらも御神木冨士夫婦檜 同じく樹齢千年
拝殿
御祭神は、木花開耶姫命 彦火瓊々杵命(旦那さん)、大山祇命(お父上)。
彫りが素晴らしい
富士講のひとり、村上講の村上光清は莫大な資金をかけて
江戸時代の享保18年から元文3年(1733~1738)まで6年の歳月をかけ
境内社殿の大造営を行いました。
現在の社殿はその当時から大きな被害は受けていないそうです。荘厳~
頂いたご朱印です
そして、とても素敵やったので
絵馬も頂きました。
赤富士がめっちゃカッコええ
たくさんの大きな木に囲まれた北口本宮冨士浅間神社は
とても厳かな雰囲気でした
次回へ続く