古代、出雲からやってきた人々が住んでいたと言われている出雲路辺り、
やっと橋ができたのは明治時代だそうです。
それまでは、出町まで歩いて迂回するか、川の中を歩いて渡っていたのだと思います。
川は浅く、河原が広かったと思われます。
橋の上から東を見ると東山がずーっと連なって見えます。

重そうな雲が帯のように垂れさがっています。

正面の一番高いのが比叡山です。
橋の西北の袂に常緑樹と落葉樹の印象的な2本の木が立っています。
その下に、碑があります。

賀茂川沿いに桜を植えた時の記念碑のようですが、
初めて裏側を見てみれば、
日露戦争の勝戦記念に
師範学校の先生や生徒たちみんなで、
桜と楓を植えた、と書いてあるようです。
子どもたちは、スポーツの大会で勝った記念に、というのと、
いくらも変わらない心持で植えたことでしょう。

事実は、満州と朝鮮の支配権を、
ロシアと奪い合って勝ったということです。
他国の領土を侵し奪ったことを喜こんでいたのです。
それが日本という国の姿であることが嬉しかったのです。
記念に桜がふさわしいと皆が思ったのです。
そうやって、広島、長崎に原爆が落とされるまで、
軍国主義の道をひた走った「日本主義」は、
今も隙さえあれば、
あちこちで息を吹き返して、力を得て大きくなろうとしています。
ボルデモードのように。
この碑を見て、
心が重くなりました。
やっと橋ができたのは明治時代だそうです。
それまでは、出町まで歩いて迂回するか、川の中を歩いて渡っていたのだと思います。
川は浅く、河原が広かったと思われます。
橋の上から東を見ると東山がずーっと連なって見えます。

重そうな雲が帯のように垂れさがっています。

正面の一番高いのが比叡山です。
橋の西北の袂に常緑樹と落葉樹の印象的な2本の木が立っています。
その下に、碑があります。

賀茂川沿いに桜を植えた時の記念碑のようですが、
初めて裏側を見てみれば、
日露戦争の勝戦記念に
師範学校の先生や生徒たちみんなで、
桜と楓を植えた、と書いてあるようです。
子どもたちは、スポーツの大会で勝った記念に、というのと、
いくらも変わらない心持で植えたことでしょう。

事実は、満州と朝鮮の支配権を、
ロシアと奪い合って勝ったということです。
他国の領土を侵し奪ったことを喜こんでいたのです。
それが日本という国の姿であることが嬉しかったのです。
記念に桜がふさわしいと皆が思ったのです。
そうやって、広島、長崎に原爆が落とされるまで、
軍国主義の道をひた走った「日本主義」は、
今も隙さえあれば、
あちこちで息を吹き返して、力を得て大きくなろうとしています。
ボルデモードのように。
この碑を見て、
心が重くなりました。