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マリヤンカ mariyanka

日常のつれづれ、身の回りの自然や風景写真。音楽や映画や読書日記。手づくり作品の展示など。

河口にて

2025-04-18 | 

いつも辿る川の河口の、向こう側は行ったことがないことに気付いて、

出掛けたついでに行ってみることにしました。

橋を渡って、川に沿ってどんどん川下へ、

でも、土手の道は狭くて、左右共にガードレールも何もなく、

曲がりくねっていて、まるで突堤の上を走っているみたいで、

わたしは助手席でずっとはらはらしていました。

漁港に着きました。

漁港は割と複雑な形をしていて、入り江が入り組んでいました。

どちらを向いても、絵になりそう。

蛸壺があちこちに積み上げてありました。

牡蠣殻がびっしりと付いています。

出航する船

防波堤の上のお地蔵さんと墓石?

花が供えてありました。

釣り人が二人、友達のようでした。

見ていたら、左の釣り人が大物を釣り上げました。

右で釣っていた人がメジャーをもって近寄り、

測ってみたら、65㎝のヒラメ!

「ええな~、俺もがんばろ・・・」と二人とも嬉しそうにしていました。

わたしたちも思わず、すごい!

夫も、次は釣竿を持ってこよう、と思っているようです。

 

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桜ドライブ(多気~飯南)その4

2025-04-11 | 

↑ ご近所さんと家の前で花見しながら井戸端会議中のようでした。

道路は川沿いの緩い坂を登ったり降りたり・・・

↓ 畑で作業中のおばあさん。

大きな家です!

家の中はどんな風になっているのでしょう?

たっぷり積み上げられた薪がみごとです。

ミツマタ、サクラ、コブシ!

どこまでも辿って行きたくなる。

でも、わたしは暗くなるころには家に帰る一瞬の旅人

 

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桜ドライブ、多気~飯南・その3(無住の寺、医王寺)

2025-04-09 | 

京都のお寺などの観光地はサクラやモミジのシーズンは押すな押すなの人混みになります。

けれど、三重の田舎の山あいの、このあたりを訪れる人はほとんどありません。

コンビニもない、ガソリンスタンドもない、ダイソーもない、レストランもカフェもない、

公園も、自動販売機も、ドッグランもキャンプ場もない・・・

聞こえるのは鳥の声と、水の流れる音

こんなに美しい所を誰も知らない、

日本中にそんなところがどんなに沢山あることでしょう!

 

地元の人たちだけが、季節ごとに、身の周りの自然を愛でて楽しんでいる、

そして、草を刈り山の木の世話をして、石垣を修理し、

イノシシやシカと闘いながら、田や畑を耕し、

家の周りに花を植えている。

どうかいつまでも!と願わずにいられません。

↑ 丘の上は桜の林

Googleマップの案内で、医王寺(黄檗宗)へも寄ってみました。

↓ 医王寺には、珍しい鉄製の宝塔があります。

文字もクッキリ、平らな面もとても綺麗です。

宝篋印塔(1706年鋳造)屋根は最近設置されたものだそうです。

本堂の、前へせり出す大きな屋根の傾斜が素晴らしかったのですが、うまく撮れませんでした。

近付くとかなり傷んだ部分が目に入ります。

この本堂は荒廃していた寺を、明治時代に山林経営に成功した当時の住職が、再建したものだそうです。

けれど戦後GℍQによる農地改革で、土地を売り払い、

時の住職は寺の維持に興味がなく、手に入ったお金で贅沢三昧、

そのまま庫裡は崩れ、池も涸れ、再び荒れ果てて・・・

ということで、現在の住職さんは遠方から通っておられるそうです。

黄檗宗と言えば、京都の宇治にある大本山万福寺。万福寺と言えば「鉄眼和尚」の話を思い出します。

鉄眼和尚は、隠元和尚が中国から持ち帰った経(一切経)のすべてを桜の版木に彫って刊行(出版)、

一気に日本中にお経を広めた和尚です。

万福寺の宝蔵院には、迷路のように床から天井までの棚が並び、

鉄眼が彫った何万枚もの版木がぎっしりと積み上げられています。

今も、その版木でお経を刷ることが出来るそうです。

また漢方薬を広め、販売する、ということを始めたのも、万福寺が始まりと聞いています。

医王寺の名はそんなところからきている?のかもしれません。

隠元和尚は、インゲン豆、レンコン、タケノコ(孟宗竹)、スイカ、そして木魚、を日本に伝えた人物として知られています。

(現在万福寺で「普茶料理」を食べることが出来ます)

昔々、この医王寺と京都の万福寺を行ったり来たりした人がいたかもしれません。

山門の方は、土台部分が修理され周りも手入れされていました。

かわいい素敵な山門です。

 

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桜ドライブ、多気~飯南・その2(無住の寺、春谷寺)

2025-04-08 | 

Googleマップの案内で、春谷寺へ行ってみました。

お寺というより、普通の民家のような建物でした。

折れた桜(ヒガンザクラ)の古木が再生し?今も花を咲かせていました。

寺の周辺のたくさんの桜の木はすでに葉桜になってしまった木が多く、残念でした。

↓ 山の白い棒状のものは、木を伐採した後に、

植林した若い木を、シカの食害から守るための白いネットです。

急斜面の上から下まできっちりと植林されています。

赤い機械は、枝の伐採に使用するものではないかと思います。

今は、桜の花見を台無しにしている見える、この山も

あと10年も経てば、すっかり姿を変えて、再び緑の山になっている事でしょう

(杉の場合、10年で約6メートル成長するそうです)

この道の奥には、どんな風景が広がっているのでしょう。

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桜ドライブ(多気~飯南)その1

2025-04-06 | 

苗を植えて4年目の我が家のかわいいソメイヨシノもほぼ満開になりました。

村の広場や公民館横の桜も満開になりました。

でも、どこかに行きたくなる、どこか知らない花咲く山里へ行きたくなる。

というわけで桜ウオッチングに出掛けました。

いつものように出発は午後2時頃

車を山の方へ向けて走り慣れた国道をしばらく走ります。

見慣れた山も、田や畑にも、あっちにもこっちにも明るいピンク色が!

こんなにも桜の木があるのかと感心しつつ、しばらく走り、

ふと気になった脇道へと入って行ったのです。

お天気がいいので田や畑で働いている人の姿が方々で見れたのも嬉しかった。

そして、桜!

路線バスは廃止になり、今はコミュニティータクシーの、

停留所になっているようでした。

黄砂で膜が張ったような太陽でした、

春霞とは、黄砂の事だった?

 

 

 

 

 

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太江寺(たいこうじ)

2025-03-12 | 

「潮音山・太江寺」は伊勢西国三十三カ所巡礼の一番目の霊場だそうです。

そんな巡礼道があることなど全く知りませんでした。

海に近いこのお寺、「潮音山」とはカッコいい。

山門は色鮮やかです。

(写真下の方に豚のような白い象?・・・)

立派な仁王さん。

山門をくぐってさらに石段を登って本堂に到着

太江寺は行基が開創したと伝わる古刹です。

天平時代の開創以来、興隆と衰退を繰り返し、

特に江戸時代の落雷による火災では諸堂が焼失したそうです。

その後、本堂は再建(1814年)され、現在に至っているとのことです。

その本堂は狭い敷地に立つ小さなお寺ですが、雰囲気のあるいいお寺です。

今も火祭りなどに加え、さまざまな行事、滝修行などもあるようです。

本尊は重要文化財に指定されている鎌倉時代の木造千手観世音菩薩坐像。

(本尊開帳は年に数回)

本堂の隣りに鳥居、

伊勢神宮や二見輿玉神社とのかかわりが深く、

他にもお稲荷さんや庚申さんや神様がいろいろ・・・

神仏混淆の見本のような興味深いお寺です。

屋根瓦が丁寧に補修されていました。

お稲荷さんの鳥居だけ朱色、他の鳥居は白(木なり)

↓ 石仏の列の中ほどの上部に行基さんの像、

薬師如来の祠には安産祈願の絵馬がいっぱい。

手前に穴の開いた石が供えてありました。

宿坊(ユースホステル)がありました。

↑ 宿坊の屋根の瓦もすごい。

手前は藤の枝、境内には藤棚がいくつもありました。藤の花咲くころは美しい事でしょう。

お寺へ続く坂道はなかなかの急勾配。

黒猫が近付いたり遠ざかったりしながら、坂道を行き来する人をチェックしているようでした。

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太江寺(たいこうじ)への道

2025-03-11 | 

前回の記事と時系列が前後します・・・

車検が終ったとの連絡があったので、代車に乗って車を取りに伊勢方面へ向かいました。

乗り慣れた車はちょっとだけ綺麗になっていました。

そこで、その朝、たまたま、新聞で見てちょっと興味を引かれた「二見・太江寺」まで足を延ばしてみることにしたのです。

二見の海沿いの広い道路から、山側に曲がり込むと旧道が太江寺へと続いています。

旧道沿いに参拝者のための駐車場が見つかってほっとしました。

細いうねうね道が続きます。

道沿いには廃屋となってしまった家もありましたが、

古い作りのまま補修しながら暮らしている様子がうかがえる家や、

丁寧にリニューアルした家もありました。

伊勢地方では、注連縄は一年中戸口に掛けます、お正月に新しいものに取り換えます

昔の家を見る度に「大胆」と「繊細」の見事なコンビネーションに感心します。

まるでタイムスリップしたような気がする町並みです、

昔は、茶屋や宿や土産物屋などもあって、賑わっていたのかもしれません。

そして、十王堂の所を曲がって、太江寺へ向かいました。

(左の赤い看板には、

津波避難所300メートル先、太江寺境内、海抜28,6メートルと書いてあります。)

 

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冥界の王・閻魔

2025-03-09 | 

「ウソをつくと閻魔さんに舌を抜かれる」という戒めは、

昔の子どもには効き目がありました・・・たぶん・・・

古びたお堂の中の閻魔さんや、地獄絵図の閻魔さんは、本当に恐ろしげで、

私はそのような絵はなるべく見ないように避けていました。

今見れば結構興味深い。

二見(伊勢)の「太江寺(たいこうじ)」の参道の登り口に「十王堂」がありました。

お堂の建物は新しく作られています。

ガラスの扉を開けて入ると、

あの世の裁判官たちがずらりと並んでいました。

真ん中あたりに魂を計る天秤があります。

リアルと、空想が入り混じった奇妙な造形にちょっとぞくっとします。

(天秤の下がっている方、人体に見えます・・・右は何?)

昔の人の頭の中の風景を垣間見る瞬間でもあります。

自分の中にある、様々な情感が揺さぶられます。

古い神社やお寺に行って

石段や生い茂った木々や苔、

お堂や仏像などを眺めていると、

時を超える空気が体におしよせてくる気がします。

 

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ちょっとだけ熊野古道 その2

2025-02-25 | 

前日は、一時かなり雪が舞いましたが、帰路はからりと晴れあがり、

遠くの山々が西日に照らされてきれいでした。

家に帰ってから、熊野古道の案内図を見て、行ったところを確かめていたら、

「栃原」の少し先に「馬鹿曲がり」の文字が。

どんなところなのでしょう。

次の日早速、もう一度「栃原」へ、そして「馬鹿曲がり」へ向かいました。

↓ 馬鹿曲がりの、本来のルートは、ここからこの急坂を降りて

このトンネルをくぐり抜けて、

さらに、細い橋を渡って行くようです。

かつては深い谷を降りては登る、曲がりくねった道で、難所だったそうです。

でも私たちは車を放置していくわけには行きません。

トンネルの入り口だけ眺めて、「馬鹿曲がり」の案内板の写真を撮って、

ルートを飛ばして、次に古道と車道が出会う所に先回りして、

車を降りて、またほんの少しその近辺の古道を散策するという、

我流の熊野古道散歩を続けました。

ひとつ屋根の下に仲良く4つの神様が並んでいます。

左から「庚申」「津島大王」「皇太神宮」「山神」

↓ 神祠の立て札

この傍から、古道はまた人ひとり幅の細い坂道を谷に降りていきます。

でも私たちは車で、谷の上にかかっている眼鏡橋を渡りました。

(眼鏡橋・明治40年に作られたレンガ作りの橋、その後、鉄道を通すために一つは埋められた)

そして、車を停めて、谷の向こう側から案内板に従って谷へ降りていきました。

立派なレンガの橋が見えます。

とても綺麗な水がサラサラと流れていました。

↑ 左上に、谷を登る古道が見えます。

家を出てから帰って来るまで、約3時間の「ドライブ散歩」でした。

谷川で拾ってきた石、

綺麗な層になっています。

手前の石は紙のように薄い。

 

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ちょっとだけ熊野古道・その1

2025-02-24 | 

「熊野古道・伊勢路」は熊野と伊勢を結ぶ古い道です。

幾つもの峠を越える細くて険しい道ですが、

今は、国道や広い県道と並行になっている所や交差する場所、車が通れそうな道も、一部あります。

私と夫は、車でしばらく「旧伊勢街道」を辿っていましたが、

現代の市街地に差し掛かって、先へ進むのをためらっている所だったので、

ここらで、熊野古道を探索してみようということになって、

まず家から比較的近くて、車で行けそうなところへ行ってみることにしました。

よく利用する国道42号線、車がビュンビュン走る広い道路を曲がるとすぐに

小さなかわいい駅(JR・栃原)がありました。

近くのお地蔵さん。立派な瓦屋根

扉に石がいくつもぶら提げてありました。

中耳炎の回復を祈るものだそうです(耳の形の石!に穴を開けている)

交差点などに「熊野古道」と記した旗が立っていて、

その旗に案内されて、少し進むと、

線路の傍に、宿がありました。

今は静かでしたが、春になれば熊野古道を歩く人たちが利用するのでしょう。

↑ 左の建物が宿(田島屋)

右の昭和レトロな建物は昔は病院だった?かもしれません。

(家に帰って調べてみると、現在は土曜だけ営業のカフェのようでした)

内部はすっかりおしゃれにリニューアルされているようです。

長い塀!

雪がちらついてきました。

ちらついていた雪がだんだん強くなってきました。

ここからしばらくは車の中から写真を撮りました。

かわいい手描きの看板、窓を開けてパチリ。

絵の動物は、犬や猫ではなく豚に見えます。

 

↑、新しい建物のようです(お茶の製造所)

↑ 別の製茶屋さん。こちらは古い建物で白壁の文字が素敵だったのに、見えない・・・

裏はずーっと、広い茶畑でした。

 

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