昨日も一日中暑かった。
日が落ちると、
屋根の上から大きな月が出てきた。
月の光が、車の屋根に反射していた。
明るくて、まんまるなお月さん!
もし夜空に月が無かったら、
月がいつも同じ姿だったら、
寂しいだろうな。
昨日も一日中暑かった。
日が落ちると、
屋根の上から大きな月が出てきた。
月の光が、車の屋根に反射していた。
明るくて、まんまるなお月さん!
もし夜空に月が無かったら、
月がいつも同じ姿だったら、
寂しいだろうな。
お隣りさんがいつか「農家はばっかり食べやしな・・・」と言われた言葉が
しみじみと納得の日々です。
エンドウ豆の季節はエンドウ豆ばっかり。
タケノコが採れる時期はタケノコばっかり、
ついこの間までは、トマトやキュウリやナスやピーマンやオクラばっかり、
「ばっかり」が終るとたちまちキュウリもトマトも無くなって、
食べたくなれば買いに行かなければならない。
スーパーに行けば、きれいなのが年中並んでいる、
ハウスで温度や日照時間を調整して栽培しているのだろうけれど、不思議だ~
今は、我が家は栗ばっかり、
丸々と太った栗が毎日採れます。
今朝は800g強の栗が穫れました。
昨日も、一昨日も、同じくらい穫れました。
栗は加工すれば保存できますが、
皮をむく手間がとても大変・・・
ネットで、簡単な皮むき、というのを色々試してみたけれど、
どれもいまいち、
結局、熱湯につけた栗を「くりくり坊主」で一つずつ剥くのが一番いいみたいです。
今日もひたすら皮むきです。
近くに「道の駅」があったらいいのになー、
売りに行きたい・・・。
栗おこわ
栗と鶏肉の煮物
甘栗のデザート、
食べる時にホイップ・クリームをかけます。
七里ガ浜は、延々22km続いているそうです。
紀伊半島の多雨地帯の深部から、太平洋に流れ込む熊野川(流れている場所によって北山川、新宮川、十津川などと呼ばれる)が
丸い石の長い浜を作ったのだそうです。
熊野川は、下の地図には入っていませんが、七里ガ浜が続く、南の方で、海へと注いでいます。
そして浜の北の端(地図中央部)からは、突然複雑に入り組んだリアス式海岸が紀伊半島の東の突端へとずっと続いています。
赤い矢印が「花の窟」紫が「獅子岩」オレンジが「鬼が城」の位置です。
このあたりには奇岩が多く見られ、「鬼が城」には散策道が設けられているようでした。
今回、鬼が城へは行けませんでしたが、この獅子岩もなかなかすごい。
熊野川は、「熊野詣」の「川の街道」としても、利用されてきたそうです。
今回は、車で国道42号線をずーっと走りましたが(私は常に助手席)、
所々で、「熊野街道」へと続く道標や案内板をたくさん見かけました。
今は、車や電車で、旧街道の近くまで行って、そこから日帰りの街道散策をする人が多いようです。
要所要所に道の駅もあって、便利です。
後白河法皇は34回も熊野詣をしたそうですが、
一体どんな旅だったのでしょう?
「蟻の熊野詣」と言われた頃の庶民の旅は、想像もできません。
でも、とにかく、死ぬかもしれないと思っても、行く。
「信仰」あるいは「流行」だけでは説明しきれないものがあって、
「旅」には身体の奥深くから、突き動かされるものがあるのかもしれません。
社殿がなく、巨大な石や丸い石が、ご神体となっている神社や祠が日本の各地にあります。
そのなかでも、最も古いとされているのが、
熊野灘に向かってそそり立つ巨岩「花の窟神社・はなのいわや」です。
ここが、日本書紀でイザナギノミコトの葬所と記された地ではないかといわれているそうです。
首を90度曲げて上を見れば・・・
でも、写真では残念ながら、その大きさ(高さ45m)を伝えることが出来ません。
人が入れそうな大きな穴や、小さな穴が、ぽつぽつと開いていて、
手の届くあたりの穴には、
七里ガ浜の、丸い白い石が詰め込まれています。
年2回の祭りで、注連縄が張り替えられるそうですが、
先日の台風で、ちぎれてしまったそうで、残念ながら見られませんでした。
↑ 写真の左上と、下の3枚の写真が、大勢で注連縄を引っ張っている所、
↑ 苔むした岩、
↓ こんな丸い石もありました。
ある時、ある特定の場所の、特定の岩を、
誰が決めたのか、
神様が宿る、あるいは神が座す岩になることがあります。
巨石の場合もあれば、道端の石のこともあり、
信仰が始まり、神話が生まれ・・・
それとも逆かな、
神話があって、信仰があり、
特定の石が、その拠り所となっていったのかもしれません。
かつて、人は、石で木を倒し、木の実を砕き、粉を挽き、
石で獣を倒し、皮を剥いだ、
あるいは、石垣を築いて田畑を作り、家を作り、水路を作った、
漬物石から、翡翠のアクセサリーまで、
昔の人は「石の力」を身を以て知っていた・・・
と、思ったのでした。
「熊野」が舞台の小説や、或いはノンフィクションや、
或いは歴史の本などをいくらか読んで、
いつか行ってみたいと思いながら、そして近くまでは何度か行ったことがありますが、
地図上の「熊野地方」に足を踏み入れたのは初めてで、ちょっと感動!
ここは「七里ガ浜」。
波が浜に砕ける音を聞き、また返っていく音を聞き、
水煙りにかすむ浜の景色を、ぼーっとしばらく眺めてきました。
足下の石はすべて!角が取れて丸くて、色あいも様々、見飽きません。
貝は全く見当たらない。
打ち上げられたウキのフジツボの殻だけ、
海藻もない。
釣り人を見かけたけれど、
何か釣れるのかな?
少しだけ石を拾ってきました。
黒い石はホントに真っ黒で艶やか、那智黒?
奥の大きい2個は軽石です。
真ん中はフジツボの殻
シソが大きくなって、根元の方は、木のように固くなっています。
種を蒔いて育てたシソも、
草むらの中で勝手に育ったシソも、穂を伸ばして沢山実を付けています。
草むらを揺らすと、すっとするいい香りを放ちます。
ハーブ類の多くがシソ科です。
シソ科は、指先で、茎を触るとクッキリ四角なので、分かりやすい。
穂を摘み取って、佃煮をつくりました。
茎の断面が三角なのが、カヤツリグサの仲間です。
この茎を両側から裂くと、真ん中に四角が出来る、のでカヤツリグサと名付けられたそうです。
昔の子どもたちが、そうやってよく遊んだそうですが、
ちぎれてしまわないように、二人で呼吸を合わせ、
中央に四角が出来るようにイメージしながら引っ張ります。
見えにくいけれど、上の写真中央部に、四角が出来ています。
うまく作るのにはちょっと技術がいるところが、面白かった・・・
のではないかと思います。
昔の子どもの草花遊びは、例えば笹舟を作ったり、
草笛なども、手先の器用さと、練習が必要でした。
でも、どんなに失敗しても問題ない、何回でも挑戦できる、というところが素晴らしいな!
夕べも暑かった。
朝露に濡れる庭の草や、
木々の葉がクッキリとしている。
イチモンジセセリが、ツユクサの花に掴まって、近寄ってもじっとしていた。
蜜を吸っているわけではなさそう。
寝ているのかもしれない。
大きな目を開けたままで。
もう9月も半ばというのに、
毎日暑過ぎる!
草の繁茂が気になるけれど、
冬野菜のために、畑の準備をしたいけれど、
戸外の作業をやる気がしない!
朝から暑い、
夕方も暑い、
そして、蚊・・・
今頃が一番「蚊」が多くて、刺されると「かゆみ」もきつい気がします。
栗拾いには、ネットが付いた帽子をかぶっていきます。でも耳元で蚊がブンブンうなる音が聞こえておそろしい・・・
↑ 必需品です。
栗きんとんと言えば、私の中では、恵那と中津川の名菓ですが、
その「栗きんとん」に挑戦してみました。
といっても、特に技術も何もいらないのです。
材料は栗と砂糖だけ、
蒸した栗の実を潰して、弱火にかけ、砂糖と混ぜて捏ねるだけ。
出来ました。
おいしい!
口当たりも、味も、最高、ごちそうさま!
(今回は三温糖を使いましたが、次回はグラニュー糖でやってみよう。)
お皿を変えてみました。
眼玉みたい・・・
中公新書『重金属のはなし』を読みました。
昔作った、地球の年表を広げて、
この本から得た事柄を、数行書き加えました。
赤い数字は、○億年前の略です。
この年表を作ったきっかけは、恐竜に興味を持った息子でしたが、
私自身が、白亜紀とかジュラ紀とかカンブリア紀とか、もっといろいろ知りたくなって、
まずは、地球の年表を作ってみようと思い立ち、
模造紙を切って作ったものです。
1億年を30cmにしたので、長さは1380cm(13.8m)です。
↑ 人類の誕生は約500万年前として、1,5cmになりました。(右端)
以来、関連の本を読むたびに少しづつ分かったことを書き加えています。
中公新書『重金属のはなし』では、
重金属とは何か?それぞれの金属の性質や現代の社会での重金属の役割などの話から、
生命や宇宙の物語と交差しつつ、それぞれの重金属と、
人とのかかわりの歴史、そして人類と重金属の未来を展望している・・・と書くと、
難しい本のように思えますが、読みやすくて、とても面白かった!
原始の海に溶け込んでいた鉄や様々な「金属」を取り込んで進化(変化)していく生命の話が特に面白く、
光合成の始まりが、紫外線から生命を守り、地球を命の星にする転機だった、
やがて、溜った猛毒の酸素を利用して生命活動を飛躍させていく生物が生まれていった・・・という事実に感動します。
途方もない長い時間に繰り返される、大気や海や陸地の変化と、
それに伴って、絶滅したり、また新しい生物が生まれたりを繰り返し、
そして、今がある・・・
ヒトが今いるのは、人が存在できる地球環境が出来たからであり、
環境と無数の生物たちとのせめぎ合いの中の「奇蹟」です。
その人類が、地中深くから毒物を掘りだして、
海や環境中に放出することが、どんなに愚かなことか!
水俣病やイタイイタイ病、ヒ素中毒等の公害についても、発生から、認定、今日に至るまでの経過を、
ページ数は少ないながらも、要点がしっかりと書かれています。
どれも、忘れてはならないことの数々です。
しかし!福島の原発事故後の政府と企業の対応は、100年経っても同じ!
そして最後はレアメタル、人類が利用するようになってまだ歴史は浅いものの、
コンピューター、携帯電話、ジェット機など現代社会はレアメタルなしでは考えられないようになり、
レアメタルを求めての乱開発は深海にまで及んでいます。
予期せぬ大規模な汚染が起きる恐れもあり、その時、人類はどのような選択をするのでしょうか?
放射能の汚染水を海に捨てるような現状を考えると、
悲観的にならざるをえません。
図書館で借りてきた本ですが、買って手元に置いておきたいと思います。
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『重金属のはなし』鉄、水銀、レアメタル
渡邉泉 著
中公新書 2012
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