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マリヤンカ mariyanka

日常のつれづれ、身の回りの自然や風景写真。音楽や映画や読書日記。手づくり作品の展示など。

「山神さま」と梅そして小池

2024-02-14 | Weblog

梅の季節です。

村の中には、もう満開になった木もあって、

風の中に、ふと梅の香りを感じる時があります。

春の香りです。

ゴミステーション脇の小さな梅林は、5分咲というところです。

ガクが赤い白梅と、ガクが緑色の白梅がありました。

梅の木の傍の山神さま。

新しい注連縄になって、周りもきれいになった山神さまです。

ここでは、農業用の、トンネル支柱に注連縄が!いいアイデアです。

この小さな村に、山神さまが、8カ所くらいで祀られています。

↓ ここは小池の傍、

道を挟んで、両側に山神さまが祀られています。

北側は生きている木で、南側は電柱のようになった枯れ木に注連縄を巻き付けています。

奥の竹林の前に少し見えているのが、埋めても埋めても水が湧いてくるので、

そのままになっている小池です。

いつもたくさん鴨が休んでいます。たぶん100羽くらい!

そっと近づくと、バタバタと大騒ぎをして、一群れ飛び立ちますが、

知らんぷりしている鴨もおおく、

もっと近づくと、またバタバタと飛び立ちます、

でも、まだ、そのまま、池でじっとしている群れもあって、面白いな。

 

 

 

 

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だいだい色・・・茶色・・・

2024-01-30 | Weblog

先日隣町の、物産館へ行った時に、

2個の段ボール箱にダイダイが山盛りに置いてあって、

何個でもご自由にお持ち帰りくださいと書いてあったので、

さっそく2個、有難くいただいてきました。

1個は輪切りにして搾ってポン酢に、残りはお風呂に入れて

夏ミカンや柚子とも違う、ダイダイ独特の良い香りを楽しみました。

もう1個はどうしようかな?

我が家の夏ミカン(甘夏)も、寒くなって甘みが増して美味しくなってきました。

肉料理には、夏ミカンのサラダがよく合って美味しい!

ハッサクは夏ミカンより、剥きやすい。味も違うけれど、見た目はそっくり。

夏ミカンの方が、肌が少しぼこぼこしている、またハッサクの方が球に近い・・・かな。

左から、檸檬(レモン)、代々(ダイダイ)、八朔(ハッサク)、甘夏(アマナツ)

昔の子どものクレヨンや絵の具には、みかん色、だいだい色、レモン色、と言うのがありました。

やまぶき色というのもありました。

写真のクレパスは三十数年前のもの。

右から「あか」「しゅいろ」「だいだいいろ」です。

また、「はだいろ」とか「ももいろ」とか「みずいろ」とか「はいいろ」など、

今は言はないのではないでしょうか。

水彩絵の具の方はもう少し新しいものです。

ビリジアンという文字が見えます。

今では、黄色は、レモンイエローとか、クロームイエローとか、

オレンジイエローとか呼ぶかもしれません。

思い出せば、絵の具やクレパスは白が早く無くなり、

続いて黄色が無くなり、茶色ばかりが残って、

なんとか茶色だけ使って描こうとしたこともあったなー

そこで疑問が湧きました、「茶色」だけど、なぜ茶色はあの色なのだろう?

*ウキペディアによれば「お茶の葉で染めた布の色」なのだそうです!

知らなかった!!!

 

 

 

 

 

 

 

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古民家

2024-01-26 | Weblog

東京一極集中は止まらない一方、

古民家ブームのようです。

このブームの未来はどうなるのでしょう?

 

そんなブームなど関係なく、

普通に、親たちが暮らしてきた家を、

少しずつ住みやすいように直しながら、

工夫して暮らしている人たちも大勢いて、

そんな家が都会から見れば「古民家」なのですが、

スクラップ&ビルドから逃れたそのような家が、

この地方には比較的多く残っているように思います。

 

買い物帰りに、山側へと向かい、いつもと違う道を走っていて、

偶然、田畑に囲まれたそのような集落に入り込んで驚くことがちょくちょくあります。

↑ 煙突のある三階建て、現在は倉庫として利用されているようです(入口は反対側)。

小型のトラクターや、軽トラックや、種もみ等を保管する冷蔵庫が見えました。

昔はどのように利用されていたのでしょうか?

伊勢地方ではよく見かける倉。

白壁の上に板を張り、黒く塗っています。

窓は二重になっていて、外側の窓は銅版で緑青の色が美しい。

中には何がしまってあるのかな~?

↑ モダンな壁絵、塗装屋さんのようです。

古い家の前に色とりどりの花が咲いた植木鉢が並んでいたり、

手入れの行き届いた生垣や庭木も美しく、

気候に恵まれ、平地が広く、よほど豊かな農村地帯なのかな~と思ったりもしますが、

一方で、これらの建物は、土地を手放したり、離れたりすることなく、協力しあって、

田畑を守り続けてきた村の証しなのだな、と思います。

山間部の小さな集落では、いったん誰かが土地を売って(あるいは捨てて)出て行き始めると、

管理者のいなくなった石垣は崩れ、田畑は荒れ、野生動物が棲みつき、

家はたちまち傷んで、村の共同作業も成り立たなくなる、

そして次第に人が減って・・・誰もいなくなる・・・

そんな廃村が今や日本中に沢山あって、

YouTubeなどで見るのですが、本当についこの間まで人が暮らしていた村が

まるで大昔の遺跡のように、藪の中に崩れた石垣だけが残っていたりするのです。

災害などがきっかけになることも多いかもしれません。

 

大きな岩を一つずつ取り除いて、石垣を築き、水を引いて、

木を伐り、田畑を作り作物を育て、田の神、山の神をまつり

そこで長い間暮らした人々の記憶も消えてしまうのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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空き家の庭のサザンカ

2024-01-05 | Weblog

お隣の空き屋の裏に、なん本かサザンカの木があって、

今まさに満開。

道からは見えにくく、毎年、草むらをかき分け、周りこんで、見に行きます。

2011年からちっとも進歩していない避難所の様子に愕然とします。

オンボロオスプレイ(経費込みで1台211億円×17機?)を買うお金があれば、

災害対応重機はもちろん、

避難所の、非常時の冷暖房や、水の確保等、様々な設備を整えることができるでしょう。

また、船を使って、簡易トイレや風呂なども直ぐに災害地に運べるのではないでしょうか。

災害派遣用の「船の病院」のようなものも作れるかもしれません。

日本人は「天災だから仕方ない」と我慢しすぎだと思います。

2日も経って、皺ひとつないピカピカのおそろいの作業着を着て、

直ちにとか最大限にとか、平気で口にする首相たち!

酷すぎる!

 

 

 

 

 

 

 

 

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もう3日になってしまった!

2024-01-03 | Weblog

一月三日になってしまいました。

暮れから何もせず、

ずっとソファにごろごろしたままですが、

ネットに流れてくるニュースから、

眼を離すことが出来ません。

私のほんの僅かの知識と経験と、

地図を見ながら、能登半島の事を思っています。

 

複数の活断層が連動して動いたのかもしれない、そうです。

どんなにコンクリートで固めても、

地面の奥深くには関係なく、地球は活きている、と

地震は伝えているように思います。

 

そして珠洲の漁民や住民が、原発の建設反対を貫いてくれたことに、

今更ながら感謝の思いや、いろいろな気持ちが混ざって胸がいっぱいになります。

まさに珠洲が震源地、もし原発が出来ていたら、

福島の事故が再現されていたかもしれません。

日本中が大変なことになっていた可能性があります。

 

能登半島の西、震度7を記録した志賀の原発は、点検休止中でしたが、

変圧器の配管損傷、油洩れ、冷却プールの溢水、

40分の冷却停止などがあったそうですが、それを

異常ナシ、と言うそうです。

 

花芽が膨らみ始めている梅の枝を切ってきて、

3色の餅花をつけて、

今朝玄関に飾りました。

お餅は冷蔵庫に残っていた、切り餅の、1個には水を、

1個は食紅を溶いた水、

1個はクチナシの実を潰した黄色い水を入れ、

レンジで柔らかくして、梅の枝に付けました(私がやったのはここだけ)。

本年もどうぞよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

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思い出の味

2023-12-29 | Weblog

体調をくずして、

何も食べたくなくて、ずっと布団の中にいた四日間、

本も読めなくて

頭の中は取り留めもない妄想ばかり。

やっと、少しづつ食べられるようになりました、

もうすぐお正月だなー

すると、思い出されるのは、

手ぬぐいを被り、土間の暗い台所で、

1日中働いていた祖母の姿です。

棒ダラ、タタキゴホウ、絶品だったな。

ピカピカの甘い粒あん、粒の揃った丸餅。

そして葵祭の鯖寿司!

残念ながら、どれも継承出来なかったな~

タタキゴホウだけでも再現したいな。

よし、元気になったら、

ゴホウを買いに行こう!

 

 

 

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松阪港

2023-11-25 | Weblog

用があって、松阪(地元の人は「まっさか」と呼ぶ)まで行ったので、松阪の港までドライブ。

幾つかの川が流れ込む松阪の海辺には、

大小の漁港と大型船が停泊する港があります。

この日は、漁港ではなく、倉庫やタンクやクレーンやベルトコンベアなどが立ち並ぶ港の方へ行ってみました。

車や自転車を止めて、釣りをする人の姿もちらほら。

↑ こちらは立ち入り禁止区域。赤や黄色のボラード(船を止める杭)が良い感じ。

↑ 明るい色が塗ってありますが、近づくと、鉄の硬さや重量感を感じます。

↓ 甲板はパイプやバルブがぎっしり。「液体化学薬品」の文字が見えます。

タイヤをいっぱいつけたこの船は、

船から船へ、船から港へと走り回るタグボートかな?

↓ 三重大学の練習船も停泊していました。

沖の方にはもっと大きな船が見えました。

帰りに、港を離れて、河口の方へ行くと、中州にたくさんの鴨が休んでいるのが見えました。

とても良いお天気の一日でした。

 

 

 

 

 

 

 

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冬眠中のトカゲ

2023-11-23 | Weblog

チガヤの根は深く、強く、適当な所で、切るしかなくて、

切っても切ってもそこからまた伸びてくる。

虚しい闘いだけど、花の苗を植え付ける場所は出来るだけチガヤを減らしたいと思い、

クワとスコップで、土を掘っていたら、

メタリックブルーのきらりと光る細長いものが!

土を返したら、トカゲの幼体でした。

トカゲ(日本蜥蜴)は成体もきれいですが、幼体の綺麗なこと!

(実物は写真よりさらに鮮やかで濃いメタリックブルーで、縞模様もクッキリしていました。

土の中に居たのに、ピカピカです。)

成体より細長くて、尾の比率が長いようです。

冬眠中だったようで、全く動きません。

何枚か写真を撮って、土の中に戻しました。

 

 

 

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「丹生」にて、

2023-11-13 | Weblog

「丹生・にう」と呼ばれる所は、西日本を中心に100ヶ所くらい、

紀伊半島には中央構造線沿いに、約50の「丹生神社」があるそうです。

「丹生」は丹生氏が勢力を持っていた地域であり、

水が豊かで、辰砂などが見つかった場所だと思われますが、

日本の古代の文書に丹生氏はほとんど登場しません。

(そもそも、日本の古代は空白の時代が多いのです。

古墳や土器に辰砂の赤い色が使われている、

ということは、丹生氏は呪術師だったのかもしれません)

丹生氏は、同じく渡来系の秦氏などに吸収されたのではないかと推測されています。

けれど、土地の名前として、各地に残り、

今も、様々な祭りごとが行なわれていることが、

なにより不思議で面白いことです。

特に、有名な奈良の東大寺の「お水取り」は、

福井(若狭)の「お水送り」を受けての祭りですが、

「お水送り」を行う場所が「遠敷☆おにゅう」であり、

儀式の前に、赤い石(ベンガラ、酸化鉄)を舐めるそうです。

とても意味深です。

遠敷川(おにゅうがわ)は、福井県の小浜市を流れる川。

 和銅5年712年までは「小丹生」と書かれていたという。

*******************************

下の写真は水銀採掘鉱跡近くの、三重県多気郡多気町の丹生神社と丹生太子です。

神様と仏さまが合体した石!

仲良く並んで建つ神社と寺

(下の写真は内側から道路側・外側を見て撮っています。

左が丹生神社、右が立派な仁王門のある丹生太子)

ここからは、奈良へ、和歌山へと街道が伸び、櫛田川を下れば、伊勢湾です。

池のスイレンと、モミジがきれい!

神社の境内にはそこ此処に様々な神様が!

昔の日本は、神様と仏様だらけだったんだな・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

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水銀鉱跡

2023-11-11 | Weblog

丹生の水銀(辰砂)鉱跡を見てきました。

道路から山裾の間の道をわずかに入っただけなのに、

空気がひんやり冷たい。

現在見る事が出来るのは、

昭和30年代の短い期間、

辰砂を掘るために作られた、2つの坑道の入り口と、

すぐそばに設置された、辰砂から水銀を取り出すための精錬装置だけですが、

かつて、この辺りの山には、

500もの坑道が掘られて、

奈良時代から、江戸時代の初めころまで、長い期間にわたって、

膨大な量の辰砂を掘り出し、水銀を精錬していたそうです。

辰砂は赤い石です。

流れる水の色が、普通の山の茶色っぽい赤土より更に赤い。

大昔、長い杖を携えた山師(修験者)たちは、赤い土や赤い水を、

水銀や金の在処を探る指標にしたかもしれません。

************************************

ネットに、現在のベネズエラ(アマゾン流域)の砂金取りのレポートと写真がありました。

一部、転載します。

『写真で見る「水銀を使って金を抽出する方法」、これが水銀汚染の実態だ!』

1)砂金を得るために、川底の砂をバケツにすくう

2)金を吸着する水銀を手にとり、バケツの中の泥水と混ぜる

3)金を吸着した水銀はバケツから取り出し、バケツの底に残った水銀はそのまま川に捨てる

(水銀は水生生物の体内で濃縮され、最終的に地域住民の食料となる)

4)バケツから取り出した金を吸着した水銀はフライパンの上で薄く広げ、たき火で熱する

5)水銀は蒸発し、金だけがフライパンに残る(フライパンを握る者はそのあいだ、水銀の蒸気にさらされ続ける)

*************************************

日本でも(佐渡などでも)同じような方法で、水銀を使って金を取り出していたのではないでしょうか。

大仏の金メッキは水銀に溶かした溶液を、銅の仏像に塗り、

蝋燭を使って、水銀を蒸発させ金を定着させる、という方法だったそうです。

魚を通して人体に取り込まれたメチル水銀 は腸管から、

金属水銀蒸気は肺から侵入し、強い毒性を発揮します(水俣病)。

 

 

 

 

 

 

 

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