goo blog サービス終了のお知らせ 

マリヤンカ mariyanka

日常のつれづれ、身の回りの自然や風景写真。音楽や映画や読書日記。手づくり作品の展示など。

縄文の遺物

2024-08-22 | Weblog

町の図書館の2階は郷土資料館になっています。

また自習室があり、その自習室を区切って、時々小さな展示会などが行われています。

今は、町で発掘された縄文時代の石器や土器が展示されているというので見てきました。

遺跡の出土した場所は縄文時代は川沿いの微高地で、安定した場所だったようです。

 

↓ この土器は縄文時代の中期~晩期のもので、完全体で出土したものだそうです。

どうやって作ったのでしょう?

縄文時代は弥生時代になるまで、1万数千年も続き

日本の各地にその遺跡が点在しています。

遺跡に残る生活の痕跡や小さな遺物から、縄文の人々の生活の様子が少しづつ分かってきたようですが

今も謎だらけです。

↑ この土偶(縄文草創期のもの、最も古い)は今回は見られませんでした(三重文化財センター蔵)

(上記などが発掘されたところは、すぐ近所ですが、今は団地になり、跡形もありません・・・

せめて、標、立て札のようなものでも作ったらいいのに・・・)

 

石は、皮をなめす、ものを削る、切る、槍の先に付ける、

すりつぶすなど食料の加工用、石器を作るための土台として・・・など

まさに縄文時代は石器時代の続きだな思います。

そして、その石の一部はこの辺りでは産出しない石で作られているのです。

サヌカイトや黒曜石の産地と交流があったのか、

それとも、黒曜石などを携えた人が移動して来たのでしょうか、

現在の日本の各県のすべてで縄文遺跡が見つかっています。

山の奥の方まで「塩」が届けられています。

縄文の人々がどんなことを考えてどんな風に暮らしていたのか、

想像もできない一方で、

今の私につながるものもあるに違いないと思います。

石器や土器を見るとそんなことを感じます。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

線路わきの道

2024-08-10 | Weblog

風の具合で、時々電車が走る音や踏切りの「かんかん~~」という音が聞こえてきます。

家から線路までの距離は、JRと近鉄(近畿日本鉄道)とどちらも同じくらいです。

 

先日、車で田んぼの中を走っていたのですが、

ふと気が付けば、JR多気駅の裏を走っているのでした。

↑ 紀勢本線はここ多気駅で、新宮(和歌山)へ向かう本線と、

鳥羽(伊勢)へ向かう参宮線(単線)に別れています。

↓ 参宮線(終点の鳥羽まで約30キロ)

「わだち」が、車も通れることを教えてくれました。

ところで、東京まで、飛行機かまたは電車で、乗り継ぎ無しに行くことが出来ない「県」は、

三重県と奈良県だけ!だそうです。

知らなかった!

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原民喜の詩碑

2024-08-06 | Weblog

原民喜

1905年、広島市幟町に生まれる

1945年、被曝

1951年、鉄道自殺

小説集「夏の花」などの他、多数の詩を書いた。

****************************

(碑は、最初陶板で作られ、広島城址に置かれていましたが、

文字が読めない程破壊されたために、平和公園の原爆ドーム近くに新しく作られました。

私が広島にいた当時、母と城跡の碑を訪ねましたが、すでにぼろぼろでした。)

****************************

 2024年初頭現在、9カ国が約1万2100発の核弾頭を保有しているそうです。

現在の核兵器はアメリカがヒロシマ・ナガサキに落とした核兵器の何百倍何千倍もの威力があるそうです。

もし1発でも世界のどこかに落ちたら、あるいは日本のどこかに落ちたら、

そして核戦争が始まったら・・・と思うと怖ろし過ぎます。

そのことを想像しない政治家や武器産業の企業家たちの頭の中はどうなっているのでしょう?

ヒロシマとナガサキに原爆を落としたアメリカは勝者として、今も日本に君臨していますが、

現代の核戦争に、もはや勝者は存在しません。

すべての戦争を止めよう、という声が世界中にどんどん大きく広がっていく事、

そこにしか未来はない、と思います。

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祭りの季節

2024-08-04 | Weblog

昨夜は、ずーっと打ち上げ花火の音が聞こえていました。

大淀港の「祇園祭(大王祭)」です。

この町では最も盛大な祭りです。

私は歳をとってから、人が集まる所はしり込みしてしまうようになり、この祭りもまだ見たことがありません。

傘鉾や乙姫や天狗などの行列に続いて、飾り立てた大きな山車が集落を練り歩き、

港から船に乗せられ「海上渡御」が行なわれるそうです。

港には提灯が並び、賑やかなお囃子、そして暗くなってからは盛大な花火大会です。

今年は、少し離れた広い場所に駐車場を確保して、港まで無料の送迎バスが出ているそうです。

大淀(おいず)は漁港として、またかつては酒造りの村として栄えていたそうです。

明治の初め頃には6~7軒の酒造所があったそうです(今は1軒のみ)

まだ青い田もありますが、稲穂が黄色っぽく重たそうになっている田もあります。

どこかにお酒用の稲も植えられているのかもしれません。

 

今日は早朝から地元の村の集まりです(夫が参加)

かつては「百万遍」「牛踊り」があったそうですが、

今は簡単に数珠を回しながらお経をあげるだけのようです。

 

今月は日本の各地で様々なお祭りがおこなわれる事だろうと思います。

今では、土日を選んで行われることが多いようです。

あまりの暑さのために、9月に変更した、という祭りもあるようです。

「お金」「労力」「時間」の負担が大きい祭りが、日本の各地で続けられています。

郷土愛と、祭りを続けていこうという熱意に頭が下がります。

カラスウリの花を「押し花」にしてみました。

これで昼間でも見ることが出来ます。

(黒の、いろ紙の上に乗せて、新聞紙で挟んで重しをしました

もっと乾燥すると、茶色っぽくなるかな?)

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スイカの成長

2024-08-02 | Weblog

6月の初め頃、ホームセンターに辛うじて残っていたスイカ(中玉・ラグビー型・秋成)の苗を2本買ってきて植えました。

蔓が伸び、花が咲き、小さな実が付きました。

小さくても縞模様があります。産毛でふわふわ。

日毎に大きくなり

↓ 今日はこんな感じです。

奥のスイカは長径20センチを超えました、産毛が無くなりました。

カラス除けに網を張りました。

 

スイカと言えば、今年もまた私はフリーダカーロの絵「VIVA LAVIDA(人生万歳)」を思い出すのです。

フリーダカーロのスイカの絵や、浮世絵のスイカなど(去年のブログ)

追加・フリーダカーロの伝記映画「フリーダカーロに魅せられて」・予告編

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

村の花火大会

2024-07-14 | Weblog

昨夜は隣村の「天王祭奉納煙火大会」でした。

夜8時少し前に、蚊取り線香をぶら下げて、ぶらぶら歩いて出かけました。

そして、田んぼの真ん中から打ち上げられる花火を、

最初から最後まで見てきました。

シュルシュルと火の帯が空へと延び、次の瞬間に頭上一面に広がる花火、

ドーンと体中に響き渡る音、星屑のように散る光のかけら、

音が周りの山にこだまして長い残響がなんともいい!

約30分間、殆ど間を置かずに打ちあがっていきます。

最後の連続して打ち上げられる大きな花火は圧巻です。

隣村は、私の住む村と比べると面積も人口もずっと多い、とはいえ、

よくこんな花火大会を毎年続けているものだと感心します。

打ち上げ花火を発明した人素晴らしいなー

来年もきっと見よう!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

藁の祠(わらのほこら)

2024-07-11 | Weblog

新聞の地域欄に、

・・・津島神社(愛知県)の神札を祀る行事(天王祭)として

佐田西出地区では毎年藁で「祠」を作っている。今年も地域の住人28人で祠(ほこら)が作られた・・・"

という記事があったので、早速見に行ってきました。

「織殿神社」の近くの集落の中のT字路に立つ常夜灯の横にありました。

竹と藁で作られています。

頭部に藁を積み上げたユニークな姿に伝統を感じます。

美しい「形」です。

「ここだけやなく他の地区でも作っとったけど、

毎年、藁で造り替える作業が人手不足で続けられんようになって

石の祠に換えてしまったようやな

以前はこの藁の祠作りの作業を、短時間で完成出来たけど、

今は時間もかかって大変や

昔は頭部は、3つの山のような形に藁をもっと厚く積み上げてた・・・

というような事を近所の人が話してくれました。

中には「津島神社のお札」が供えられています。

ウィキペディアによれば

『・・・津島神社は東海地方を中心に全国に約3千社ある津島神社・天王社の総本社で、その信仰を津島信仰という。

津島神社が諸国に勢力を拡大した背景には、御札を配って祈祷を行う津島御師の活動が大きく、

織田信長は御師の布教活動を保護し、尾張藩もこの保護政策を継承して他領での布教活動に許可を与えた・・・』

とのことです。

津島神社の天王祭は水と火の壮大華麗な祭りです。

祇園祭りで有名な京都の八坂神社(祇園社)も、津島神社(津島牛頭天王社)同様、

祭神は牛頭天王でしたが、明治の神仏分離令以降、どちらも祭神は須佐之男命となっています。

 

私が住む小さなこの町に「疫病退散」「厄除け」として、

牛頭天王を祭神とするささやかな祭りが今も伝承されています。

今週の土曜日は隣村の天王祭(花火大会)です。

牛頭天王を祭った隣村の社は失われていますが、祭りは続いています。

信仰の不思議、「蘇民将来」の根強さが興味深いです!

 

明治の神仏分離令で祭神を無理矢理変えられた各地の神社の多くは

須佐之男命(スサノオノミコト)を祭神にしています。

祭神などずーっと変わらないものだと思っていましたが、

意外と多くの神社の祭神が明治以前は違ったのです。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊勢本街道

2024-06-30 | Weblog

雨が降ったり止んだりしていました。

車でスーパーに買い物に行った帰り、少し寄り道。

青い矢印は整備された広域農道(ビーフロード)です。よく利用します。

赤い線は伊勢本街道。

ビーフロードより北側の伊勢本街道は、今も美しい佇まいを残しています。

Google carも通っています。

伊勢本街道(赤い線)はビーフロードをまたいで南へとそのまま続いていますが、

Google carはそこでストップ、ストリートビューでみることはできません。

でも地図をよく見ると「七度狐の森」や「伏拝坂の切通と石灯篭」の文字があり(オレンジで囲んだところ)

車の轍も続いているので、行けるところまで行ってみようか、ということになりました。

木々の間から、田んぼが見えていました。養蜂箱が置いてあるところもありました。

何十本もネムノキの大木が生い茂る谷がありました。

いいお天気だったらさぞ素晴らしいことでしょう。

次第に、藪が深くなり、道の先に、木が倒れて通せんぼになっています。

残念ながら、引き返しました。

(「七度狐の森」や「伏拝坂の切通と石灯篭」もわかりませんでした。)

けれど、ここは伊勢本街道の難所は既にすべて越え、あと一歩でお伊勢さん、という場所。

今日中にお伊勢さんに到着できる、と人々は息を弾ませて歩いた、かもしれません。

山や川を眺め、地域の古い道を辿り、氏神や山神、お寺や墓地などに出会うと

少しづつ、今いる場所が立体的に見えてくる気がします。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月の庭で

2024-06-16 | Weblog

先日オケラを見つけた時、

顔や前足の写真を撮ることが出来ませんでした。

今回は夫にオケラを持ってもらって正面から、つぶらな瞳の顔をじっくり見ることが出来ました。

黒茶っぽい背も、白っぽい腹もビロードのようで泥一つついていないのに、

顔は土がついているように見えます。鋭い爪も見えます。

ピンボケ残念、カメラの液晶画面がほとんど見えなくなってきました。

ヤマ勘でシャッターを押しています。

(以前は写真に白いシミが入って買い替えるしかないと思っていたのですが、

うっかりカメラを落としたら偶然にもシミが消えたので、

良かったと思い、そのまま使っていたのですが・・・)

先日、電気屋さんへ行ったとき、カメラ売り場も覗いてみました。

デジカメ売り場はすっかり隅に追いやられ、現在私が使っているようなカメラはほとんどありません。

このカメラがいよいよ使えなくなったらどうしよう・・・

ジーパンのポケットに入れられるカメラで、ある程度の性能があって、使いやすいもの、そしてもちろん値段も手ごろなカメラ・・・

オオスカシバ

クチナシの木の中でホバリング中。透明な翅でとても早く羽ばたいているので翅はほとんど見えない!

蛾の仲間とは思えない姿ですが、スズメ蛾の仲間です。

↑ いつまでも咲き続ける矢車草。

毎朝咲き終わった花がらを摘みます。するとまた新しい蕾が伸びて花を咲かせます。

奥に見えるのはガクアジサイ、緑と紫色のハーモニーが美しい。

↑ グラジオラス、3年位前に球根ミックスというのを買って植えました。

グラジオラスは毎年1~2本咲いていましたが、今年は沢山咲きそうです。

でも、花が上まで咲き揃うまでに、倒れたり折れたりするんだろうな、と思っていたら、

案の定、今朝2本折れて倒れていました。

切って、大きな花器に挿して玄関へ。

一個の花の大きさ10センチ・・・

アンバランスすぎる・・・

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石臼が気になる

2024-06-13 | Weblog

京都の家の庭の隅っこに石臼がいくつも転がっていました。

↓ そして今の家の庭にも、使い込んだ石臼がいくつかあります。

↓ お隣りには、とても大きくて立派な石臼が庭に埋もれていて、回覧板を届ける度に気になります。

いつ頃まで使われていたのでしょう?

小さな石臼は「きな粉」や「はったい粉(麦こがし、こうせん)」を作るのに使ったのかな。

大きな石臼では米や糯米、蕎麦、古米などもひいていたかもしれません。

この回転式の石臼は、なんと紀元前500年ころギリシャで発明されたそうです。

複数の人力やロバの力を借りて回すものや、風力、水力を動力にしたものや、色々な仕組みの石臼が作られたそうです。

大量に製粉できるようになったことで、

パン(小麦粉)の文化が大きく広がったのだと思います。

日本では、回転式の石臼が一般に普及したのは江戸時代の中頃らしいです。

それまで日本では専ら臼は、搗いて使うものだったそうです。

 

回転式の石臼の刻み模様はほぼ世界中同じ!

回転方向は反時計まわり(例外もある)というのも面白いです。

確かに右利きの場合、

左回りの方が腕に無理がない気がします。

 

図書館でこんな本を見つけました。

山から岩を切り出して石臼を作る職人が現在もいるのです!

この本では23項目の伝承の技が紹介されています。

もう少し深い取材をしてほしいと感じましたが、

項目が多いので仕方ないのかなと思います。

            *

『野山の名人秘伝帳』ウナギ漁、自然薯掘りから、野鍛冶、石臼作りまで

かくまつとむ 著   農山漁村文化協会  2009年

            *

今も石臼を使って蕎麦やお茶を楽しんでいるグルメがいるようです。

石臼が、ネットで売られています!

炒り豆を石うすでひいて作ったきな粉、美味しいだろうな!

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする