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マリヤンカ mariyanka

日常のつれづれ、身の回りの自然や風景写真。音楽や映画や読書日記。手づくり作品の展示など。

海辺へ

2021-12-25 | 
先日買った「イワシせんべい」が美味しかったので、
その、袋の裏のシールに表記されている場所に、行って見ようということになって、
宮川の河口、同時に五十鈴川の河口でもある、伊勢湾に面する町まで、行ってきました。
「大湊」という地名のそこは、小さな島で、1本の小さな橋でつながっています。
「大湊」はかつては、伊勢と東国とを結ぶ重要な港で、
海運、商業の拠点だったそうです。
九鬼水軍の造船所があったところでもあり、鉄工所では釘や錠なども作られていたそうです。
1498年(明応7年)に明応地震による津波で1000軒の家屋が破壊されて5000人もの人がなくなったそうですが、
復活して、江戸時代には「堺」に比する港町だったそうです。
けれど、河口の土砂の堆積により、少しずつ港湾機能が衰えていったそうです。
知らなかったなー。
そして、今は寂れて、ではなくて!
古い家と、新しい家がくっついて建ち、狭い道を軽自動車が走り、
造船所?のクレーンがそびえ、鉄工所も、現役で稼働しているようです。
もちろん往時の様子とは比べるべくもないと思いますが。

また、別の日にゆっくり探索したいと思います。
小さな1本の橋の朝晩はどんな様子なのでしょう?
(地図で確かめたら、2本橋がありました。)


防波堤が高いので、
周りはすべて海なのに、
防波堤の上にのぼらなければ海を観ることが出来ません。
早くも夕暮れが迫る海は、
何とも言えない色で、粘りがあるような柔らかいような感じがしました。
海は見る度に違うなー

この辺りは海苔がいっぱい打ち上げられています。


手前の白いのはすべて貝殻です。

スーパーに寄って、鶏の骨付きモモと安いワインを買って帰りました。
鶏肉に塩コショウを擦りこみ、オリーブオイルをたっぷり塗って、
ニンニクのスライスを載せて、天火に入れて、約1時間後、
クリスマスイブの食事です。
考えてみれば、信心の無い私ですが、
食べ物だけは、年越しそばとか、雑煮とか、七草粥とか、お雛様のお寿司とか・・・
食いしん坊ということかな。





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東紀州・その2

2021-09-04 | 
「九鬼漁港」の海側に突き出た山に「九木神社」があります。
九鬼一族を祀ってあるのではなく、
祭神は菅原道真、牛の像がありました。神仏習合の社です。

謎の石の群れがあって「竜宮の使者」と立札に書いてあります。
元々は海の神様を祭っていたのかもしれません。

こちらは、横に大黒天と書いてあります。

港から、神社へ、まっすぐ階段が伸びています。
うっかり何かを落としたら、海の中へ飛び込むと思います。

久木神社を過ぎて、
そこから岬の突端まで山道を歩いて行けば
前も右も左も海という絶景だそうですが、
トレッキング用の服や靴の準備が必要な道のようです。

九鬼一族はここから出て、紀州の海を制し、
1569年に志摩城を築城。以後志摩が九鬼水軍の本拠地となっていました。
船団は圧倒的な戦力を誇り、
信長そして秀吉の下で、各地の海に出かけて闘い続けますが、
内輪の争いから、家康の時代に鳥羽をはじめ紀伊の海の支配権力を奪われ、
表舞台から消えていきました。
志摩城は大手門が海側に突出して作られるという珍しい形をしており、「大手波戸水門」が出入り口となっていました。
今はわずかに石垣を残すだけです。
戦国時代を象徴するような一族だったと思います。

帰りに、道路沿いにある、
「おとと」という名の海産物を扱う大きな店に入ったところ、
珍しいものがいろいろあって驚きました。
いろいろな魚の、生や干物や冷凍や加工品などがあって、
こんなのもありました。



夕暮れ時で、ちょうどお寿司類が半額になったところで、
マグロ好きの夫は、本マグロの大トロと中トロの「にぎり寿司」を手に入れて大満足。
私はいろいろな魚のにぎり「盛り合わせ」を買いました。帰ってから、何も夕食の準備をしなくていいので嬉しい。
ご飯が小さくて魚の切り身が特大でした。

尾鷲市は、海の際まで山が迫っています。
平地はわずかしかありません。
でも今も本当に海産物が豊かで、
貰ってきたパンフレットを見たら、町の中に魚屋さんがいっぱい!




下は無料の立派なパンフレットです。



マンボウやウツボも食べるみたいです。
どんな味かな?















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東紀州・九鬼(くき)、その1「港の魚たち」

2021-09-03 | 
昨日は町民健診の予約日でした。
近くのかかりつけ医のところで、血液採取や、尿検査、レントゲン、血圧や、心電図、簡単な診察も、
お昼前にササっと終わったので、
行って見たかった尾鷲(おわせ・三重県)方面へ車で向かいました。
今にも雨が降りそうな空模様でしたが、
まずは尾鷲にある「熊野古道センター」へ。
高速道路で行く方法もありますが、
道沿いの風景を楽しみたいので、国道を使います。
快適な道ですが、遠い!!!
山の中を分け入って、ぐるぐる道はうねり、
登ったり降りたり。
海の近くなはずなのにどう見ても周りは山だらけ。
そして辿り着いた立派な「熊野古道センター(熊野に関連する資料館)」はなんとコロナのために休館・・・
で、もう少し南へ下がって、次の目的地、九鬼漁港へ。


中世戦国時代に活躍した「九鬼水軍」の発祥地です。
九鬼水軍は鉄板を使った船も建造したそうです。




九鬼漁港は、山に囲まれた奥深い入り江にあります。


岸壁(道路の端)に近寄って海の中を見て驚きました。
水が澄んで、とても綺麗。港の深い底まで見えるのです。
魚がいっぱい泳いでいます。







小さいのや大きいのや、赤っぽいのや、縞々の魚が見えるのです。
特に青い小さい魚が気になります。
赤っぽく見える魚はとても大きくて、タイだと思うのですが、他は分かりません。
こんな水を湛えた港は初めて見ました。

小さな船も皆よく手入れされています。
人の姿もちらほら見えます。
海産物の小さな加工所兼販売所も営業していました。
けれど、道路と海の間に柵も何もないので、
私は嬉しいのですが、小さな子どもたちや、酔っ払いや、
運転の下手な人は落っこちないかと心配です。

家からなんと往復約219キロ!走ったようです。
(ちょっと迷って、戻ったり、遠回りしました・・・)
私は助手席から、山や川を眺め、鎮守の森を眺め、
製材所や、牧場の案内の看板を眺め、猿の親子を眺め、
小さな中学校や、食堂を眺め、家々を眺め、家々の庭を眺め、
田んぼや畑を眺め、道路の標識を眺め、工事中の人たちを眺め、
木や草を眺めているだけですが、疲れました、
でも、また行きたい。
今度はいいお天気の日に、
九鬼の海がきらきら輝くのを見たい。

*途中「八鬼」への案内看板を見ました。
へえー、九鬼だけでなく、八鬼という所もあるんだと思いましたが、
かつて「八鬼山」はオオカミや山賊が出て、
「八鬼峠」は熊野古道伊勢路、最大の難所だったそうです。
九鬼も、自動車道路が出来るまでは、ほとんど船でしか行き来できなかったのではないかと想像します。










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寄り道ドライブ2

2021-06-20 | 
二見の「民話の駅 蘇民」の隣りに、
松下社(まつしたのやしろ・松下地区の氏神様)がありました。





常緑の大きな木々に覆われています。
中でも下の写真の大きなクスノキの存在が圧倒的でした。



根元はすっかり洞になっていて、
上部もかなり失われていますが、
新しく伸びた枝が、青々とした葉を茂らせています。



根元の洞には、大人が3~4人入れそうです。

珍しい茅葺の絵馬堂がありました。





中には大きな絵馬がかかっていますが、すっかり、色あせて何が描いてあるのかほとんどわかりません。
境内のそこらじゅうに、山の神様とか、氏神様とか、八幡様とか、小さな鳥居を置いて神様が祭ってあります。





そこら中、どこにでも神様がいたのかもと思います。
考えてみれば、京都でも、かつては、井戸や、かまど(おくどさん)などにお神酒が置かれていたり、
注連縄が張られていたり、家の中にもあちこちに神様がいました。


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寄り道ドライブ、1

2021-06-18 | 
伊勢市に用事があって出かけたついでに、
もう少し足を延ばして、二見まで行ってきました。
二見ヶ浦は夫婦岩で有名で、かつては観光客や修学旅行生で
いつも賑わっていたそうですが、今は閑散としています。でもそこには行かず
行き当たりばったり、気の向いた道を走ります。
山に囲まれた道を走っていると、

線路があって、
こんな看板、

「→津波避難」

近くに大きな川(五十鈴川)がありました。干潟のようになって川底が見えています。
海に近いらしい!
でも海に向かう道が見つからない・・・


しばらく行くと道の駅がありました。そこに車を止めて、
隣りの鬱蒼とした木々に囲まれた神社(寄り道ドライブ2に続く予定)を参拝。

道の駅「民話の駅・蘇民」をのぞいて見ると、
新鮮な魚や海藻や貝が並んでいます。
悩んだ結果、バイガイやビワなどを購入しました。
バイガイは二人で食べきれないほどたっぷりあって280円、驚きの安さです。


「民話の駅」の裏の山あいに、広大な菖蒲園があって、遊歩道が整備されています。そこも見学(写真は一部)。
100品種以上のショウブやカキツバタが植わっているそうです。
残念ながら花はそろそろ終わり。大きな花びらに元気がない・・・
菖蒲園の中にあずま屋(休憩所)が幾つかあったので、
そこで「民話の駅」で買ってきたおにぎりを食べて休憩して、
帰路につきました。


(伊勢地方では、注連縄を年中付けたままにしている家が多く見られます。
お正月に新しいのに架け替えるらしいです。
その注連縄には「蘇民将来」の札が付いているものが多く見られます。)

二見付近をうろうろしただけでしたが、
楽しい小旅行でした。






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八日市、その3「凧」と「天狗の山」

2018-05-03 | 
大凧会館(世界凧博物館)へも駆け足で行ってきました。
東近江は平野部が広いので、昔から凧あげが盛んに行われてきました。
四角の凧はどんどん大きくなって、
とうとう、畳240畳分もあるのを上げたことがあるそうです(明治15年)。
現在は毎年5月の大凧祭り(100畳凧)や、
成人式(20畳凧)や慶祝行事がある時に作って上げているそうです。

私も子どもの時、お正月には毎年凧あげをしましたが、
5月の空に凧を上げた記憶はありません。
子どもも大人も、「♪も~いくつ寝るとお正月…♪」のあの歌に呪縛されているのかもしれません。
初夏の晴れた真っ青い空に上げたら気持ちいいだろな。
糸が切れそうなくらい強い力で、小さな凧に引っ張られる経験を
子どもたちに体験させたいです。

展示ホールには100畳の凧が展示してありました。
ものすごーく大きいです。
大きすぎて写真に入りません。

(凧あげの様子、版画)
引き縄の太いこと!


日本各地の特徴的な形や色や図柄の凧はたくさんの展示があり、
凧を堪能しました。
(ガラス越しではなく、直に見ることができるのがとても嬉しい。)
文字や絵に様々な願いを込めて凧をつくり、
さらに、もっと大きいのを、もっと高く、
もっと長時間、もっと面白いデザインのものをと
挑戦していく気概を感じます。

朴葉の凧!

駿河や津軽や北海道や九州など、各地の凧





「タコ」ではなく「イカ」と呼ばれる倉吉のひし形の凧


世界の各地の凧もたくさんありました。

左のがギリシャ、右がオーストラリアの凧です。
日本の凧との違いが興味深いです。
下の可愛いい自転車の凧はどこの国のか分かりませんでした。


帰りの車窓から、
本当に天狗が住んでいそうな山、
太郎坊宮のある「箕作山」が見えました。
とても三角形。
かっこいい大岩がぼこぼこ。

本殿まで720数段の石段と、
山肌にうねうね続く参道を登って行くそうです。
絶景だそうです。
登ってみたい。
写真はガラス越しで、うまく撮れなくて残念。

音楽の溢れるこの日に、また東近江に行きたいと思います。

(写真は、ジャズフェスの前日、開催を待つ市役所前の舞台、ネットから拝借)
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八日市、その2

2018-05-01 | 
琵琶湖の東のこの辺りでは、
ゾウの足跡の化石などが発見されています。
また、銅鐸が大量に発見されたところです。
時代は下って、江戸時代には市が立って賑わっていました。
そんな、大昔からの歴史が重層的に刻み込まれている地域ですが、
今では、新しい駅舎や庁舎、大きなショッピングビル、
モダンな建物、広い道路などが目立ちます。
でも、うろうろ歩きまわれば、
民家のたたずまいや、道の様子から
琵琶湖の東に広く開けたこの地の、ちょっと前の姿を、
おぼろげながら、思い描くことができます。

万葉集の歌碑のある小さな市神神社で、
驚きの極彩色の額田王の像に出会いました。
(顔が房に隠れて残念。)

誰にも出会いませんでしたが、狭い境内で、
聖徳太子像と、大国主命像にも会いました。
この3人の中で、万葉の歌人、額田王は実在の人物です。
狩りのためにこの辺りにきたそうです。
そんな時はどんな服装だったのでしょう?
不倫の恋に悩む高貴な女性だった、と詠んだ歌から推察されているそうですが、
見方を変えれば二人の天皇をあやつった才女だったのかもしれません。
あるいは恋多き絶世の美女だったかも?

荒物屋さんに手作りの熊手がありました。
力強い作り、欲しかったなー
草鞋も本物。
(「荒物屋さん」はもはや絶滅危惧種商店…となりました。)

塔婆!!!


アーケード街を歩くのが好きです。
元気なアーケード街と、
すっかりさびれたアーケード街がありました。
ちょっとした地の利の違い?なのでしょうか。

駅前のアーケード街の中ほどにヴォリーズ設計の建物があったのにはびっくりしました。
歯科医院だったそうですが今は2階にカフェバーやアクセサリーの店など数店舗が入って営業しています。
レンガの積み方や、屋根の瓦にも工夫が凝らしてあり、
おもしろいと思ったのに写真を撮ってくるのを忘れました。

こじんまりしているけれど、しっかりした建物、という印象です。
中もシンプルで、随所に工夫があって使いやすそうな家です。
直線と曲線、白と黒の対比も美しいです。

お昼にスパイスのきいたカレーをここで食べて一休みしました。
(ヴォリーズ/1880年ー1964年、日本各地に数多くの教会や学舎や
病院やホテルや住宅を作った建築家。メンソレータムでも有名)


このレトロな駅舎(新八日市駅、八日市の一つとなりの駅)は、
ペンキもはげて、ボロボロで、びっくりしましたが、
とても雰囲気があるいい建物です。
ネットで正面の姿も見ましたが、やっぱりいい。
修理する計画が進んでいるようで嬉しいです。

耐震を施して、トイレなどの設備を一新し、ペンキを塗り替え、
近隣の人や、東近江を散策する人たちが気軽に利用できるような施設にすることができれば、
きっと東近江の名物の一つになるに違いありません。

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プチ旅「八日市」その1

2018-04-30 | 
八日市で毎年開催されている、「琵琶湖ジャズ東近江2018」へ行ってきました。
今年で10年目だそうです。
町を挙げての音楽祭で、
お年寄りも子どもも、もちろん若い人も、
存分に音楽を楽しむ2日間(4/29~30)です。
プロのミュージシャンも多数加わり、
大小28の会場で、すべて無料で、
幅広いジャンルの音楽を身近に聞くことができます。

混雑する京都を自転車と、地下鉄ですり抜け、近江八幡まで東海道線、
そこから、田園の中を走る小さな電車に乗り替えて行きます。
近江鉄道八日市線(別名・近江ガチャコン)のホームで待っていると、
真っ青な電車がびっくりするほどゆっくりと入ってきたのは感動モノでした。
しかし走る時は走る!!

頑張って走っている時の揺れは相当なもので、
しっかりつかまっていないと転びそうです。

洗濯物の干してあるお宅から、
まるで花がこぼれているみたい。

駅のところだけ、2車線です。
ワンマン運転手さんは忙しい。

線路わきの草の中に石の塔が見え隠れ。

ジャズフェスの特別列車も出ていました。

八日市に着くと、
初夏の風の中にかすかにラッパやドラムの音が混ざって聞こえてきました。
わくわく…

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大阪へ

2017-12-18 | 
一昨日の夜は大阪の「大正区」にある、ライブ・レストランへ行ってきました。
音楽と、久々の大阪を楽しんできました。
一組はキーボードとボーカルの二人、
もう一組はボーカルとギターとベースの二人、
京都の自宅まで帰り着いたのはもう日付が変わる頃でした。
近いようで遠い大阪です。

大正区は大阪湾に注ぐ川が作った三角州の地に、
更に運河が作られ、あるいは埋め立てられたりしてできた地域で、
橋を渡るか、地下鉄で川の下を潜り抜けなければ行くことができない島です。
今でも何ヵ所も公営の渡し船が活躍している珍しいところです。

大阪も日本各地の都市と同様に「水の都」。
ざっと地図を見ただけで、
駅名や地名に使われている漢字が、
「島」「津」「橋」「川」「波」「浪」「湊」「堀」「岸」
「灘」「浜」「泉」「芦」「汐」「渡」「堀」「池」「舟」
水の都であることがしっかり納得できます。

(右は水上レストラン、向こう岸に大阪ドーム)
京都では見ることが出来ない風景が面白くて、
カメラをもってぶらぶら歩きました。

右に並ぶ建物の向うは川です。
川沿いの道路は防波堤替わり。
町があるのはだいぶ低いところ。
街へ抜ける坂道には頑丈な防水ゲートがありました。



小雨が降ってきたので、
慌てて遠くに見えたアーケードに飛び込んだら
昔のまんまのような細いアーケード街でした、
残念ながらシャッターの下りた店が目立ち、暗くて、
おもちゃ屋さんの前だけ明るいのがよけいに寂しい感じで、
歩くのがためらわれました。

橋を渡れば、川向うに巨大なショッピングモールがあります。
そして大阪ドームと大阪ガスのタンク、

児童公園で見かけた木に何やら実がいっぱい付いています。、
薄暗くてよく見えなかったけれど、
帰ってからパソコンで鮮明にしたら、
これはリンゴではないのでしょうか。
こんなに鈴なりのまんま、ということは美味しくないのかな~。

そう言えば2年前に行った時も、
リンゴの木を見つけました。
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大阪、大正駅付近を散策

2015-10-12 | 
木津川と尻無川に挟まれた
河口の三角洲が大正区です。
運河も巡らされています。
初めて環状線の「大正駅」に降り立ち、
勇んで大正区を散策するつもりでした。
「リトル沖縄」と言われる辺りの
雰囲気を味わいたい。
また、川には渡船場が7ヶ所もあって、
現役で活躍しているそうで、
是非ともそれを確かめてみたいと思いました。

でも、大阪は大きい!
京都の鴨川と高野川に挟まれた所に暮らしている私の想像をはるかに超えて、
道幅が広く、川幅はもっと広く、
橋は巨大です。





一ヶ所だけ川に近付けるところがありましたが、
その後は歩けども、歩けども巨大な倉庫と工場群に阻まれて
川面を見ることも出来ません。

工場や倉庫は川に面して船から直接荷の上げ降ろしが出来るようになっているようです。
道路を歩きながら想像するしかなく、もどかしい気持ちです。



運河らしきものも見つけました。

とにかく渡し船に乗るなら、駅からバスで近くまで直接行くべきでした。
今日は、夕方から、駅近くの小さな店で、
ライブを聴きに行くのが第一目的だったので、
途中で断念して引き返しましたが、
カフェどころか、腰を下ろせるところもなく、足腰がくたびれました。

工場からは金属のぶつかる重い音や鋭い音、モーターの音、
オイルや金属の匂い、
川の匂いかもしれない溝の匂いも時々漂ってきます。
土曜日だったので休業している会社もありましたが、
ここは大勢の人がヘルメットをかぶり油まみれになって働いている場所です。
のんきにぶらぶらカメラを持って歩く私は見るからに場違いです。
少し歩いた位で疲れた等と言っては、申し訳ないことです。

ビルの前に、林檎の木が植えてある会社?があって、
実が生っていました。下の方の実には袋がかぶせてあります。
辺りには緑がほとんどないので、1本の木でもオアシスです。

橋は皆、巨大で高架になっているので、歩いて渡るのはまずむりです。
それで今も渡しが活躍しているというわけです。


戻る途中に公園がありました。
小学生や中学生も楽しそうにドッジボールやバレーボールで遊んでいます。
テニスコートもにぎわっていました。

この辺りは近代紡績の発祥の地で、
東洋のマンチェスターと言われていたそうです。
(マンチェスターはイギリスの産業革命の中心地)
しかし立派な建物群は戦時中に軍需工場に転用され、
空襲で全て焼けてしまったそうです。
戦争というのはつくづく何もかもぶち壊し、
台無しにしてしまいます。

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