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マリヤンカ mariyanka

日常のつれづれ、身の回りの自然や風景写真。音楽や映画や読書日記。手づくり作品の展示など。

廣泰寺(渡会・わたらい)

2023-05-29 | 

雨のそぼ降る日でした。

いつも通る道を山の方へ少しそれていった所に、大きなお寺がありました。

(神照山廣泰寺、開創500余年になる曹洞宗のお寺)

ちょっと驚きました。

 

度会(わたらい)は江戸時代までの伊勢神宮領を管轄する地域で、

明治になって、天皇家の祖先神をまつる伊勢神宮が神道国教化の中核に位置付けられると、

神仏分離政策が積極的に行われ多くの寺が廃寺となり、

僧侶は失職し、建物や仏像や絵画などは壊されたり、焼かれたり、持ち去られたりしました(廃仏毀釈)。

なので、古い大きなお寺はあまり残っていないのです。

 

山門から本堂まで、モミジのトンネルの道が真っ直ぐ伸びていますが、

近寄るまで、本堂が見えません。

(立派な本堂なのに・・・本堂の写真を撮るのを忘れました。)

山門の脇に書かれた一言は「友人はもう一人の自分」。なんとアリストテレスの言葉だそうです。

七堂伽藍(衆寮、書院、大庫裏など)を回廊が繋いでいます。

宿坊?や座禅道場もあるようでした。

川や池をうまく利用し、建物と広い庭園の一体感が見事です。

鐘楼の天井に草花の絵が描かれています。こんな鐘楼初めて見ました。

 

山門の外側の、左の石垣にお地蔵さん。

「不許葷酒入山門」と石塔に掘られている文字のうち、

3番目の見慣れない文字「葷」。

調べてみたら、クンと読み、ニンニク、ニラ、ノビル、ラッキョウ、ネギなど、そして肉のことだそうです。

 

丁寧にお参りしていた男性に、声をかけたところ、

近所にお住まいの方で、月一でお参りして、心を新たにしているのだそうです。

そして・・・この寺は、もっと奥の方にあったのが、

昔、集落ごと引っ越してきた・・・と話してくださいました。

寺の周りは、今は、山になってしまった所も、昔は田や畑だった、そうです。

それがいつのことかはわからない、ようでした。

お寺の周辺のたたずまいも、良い感じでした。

山門の裏に立てかけてあった、ちょっと気になったスコップ

 

 

 

 

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駅舎(田丸・たまる駅)

2023-04-01 | 

JR参宮線(路線距離・29.1 km)の「田丸駅」の駅舎の取り壊しが、

4月!から始まる、ということを、一昨日知りました。

そもそも、田丸駅がどんな駅舎なのかも知らなかったのですが、

なんと明治26年に建てられ、大正元年に増築されたという古い駅舎なのだそうです。

田丸には、石垣が何重にも築かれた、いい雰囲気の城跡があります。

由緒あるお寺や神社もあり、幾度か散策したことがありますが、

駅前には行ったことがありませんでした。

見ておかなくちゃと、夕方ごろ出かけました。

車で行けば、道に迷わなければ、20~30分の距離です。

案の定迷いましたが、到着。

駅舎の土台はレンガ、木造建築、瓦屋根。

(所々コンクリートで補強されていて、屋根はネットで覆って保護してあります。)

手描きの看板「田丸駅」としめ飾り。無人駅です。

少し階段を上って入口はスライド式の、ぶ厚い木の扉

年季の入った木の柱、長椅子、

この駅は小津安二郎の映画「浮草」のラストシーンに登場するそうです。

プラットホームの柱も木製です。

車両は非電化、ディーゼルエンジンで、ワンマン運転です。

 

「何とか建物の保存を」という声が大きくなり、

いろいろな保存方法を検討したそうですが、

地震での崩壊を食い止めることはできない、ということで、やむなく建て替えをすることになった、そうです。

駅前のロータリーに、

「熊野古道伊勢路出立の地」の立て札と陶器製の人形があります。

かつては交通の要所で、多くの人々が行きかい、

盛り場や映画館などもあった、賑やかな所だったそうです。

 

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牛!(南伊勢町ドライブ2)

2023-02-26 | 

偶然、車窓から、2頭の親牛と1頭の子牛が見えました。

一旦通り過ぎましたが、Uターンして戻り、車を停め、

足の裏を消毒して中に入れてもらいました。

そして、牛の世話をしているたくましい若い人に会い、

少しお話を伺うことが出来ました。

数カ月前に、北海道から来られたそうです。

・・・・・・・(以下は朝日ネット新聞から、要約)・・・・・・・

南伊勢町では、移住者に牛を貸し、農業で自立できるように支援する事業が始まっています。

耕作放棄地を活用し、過疎地で「稼げる農業」を目指しています。

初年度に、2人の地域おこし協力隊員が従事したのですが、

清掃、牛の世話、放牧地へ機材とともに移動するといった生活がきつく、離脱してしまいました。

そこで昨年度から研修を充実させ、「繁殖牛放牧事業2.0」と名付けて再スタートしています。

牛1頭は1日約35キロの草を食べるとされ、地域の耕作放棄地を回ります。

「昔のように、副業で牛の飼育を始めるようになってくれればうれしい」

と町山村振興集落支援員は期待を込めて話しています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私の住む地域にも、近代的で立派な牛舎はあるものの、牛(松阪牛)の姿を外から見ることはできません。

広い原っぱで、子牛が跳ね回る様子を見るなんて本当に久しぶり、

地域の子どもたちにとっても子牛を見るのは楽しいことでしょう。

牛の大きな丸い目を見ていると、穏やかな気持ちになります。

シカやイノシシも、牛の居る所には近づかないと聞いたことがあります。

どうなんでしょうか?

 

みんなの努力が実り、是非とも、上手くいって欲しい!

 

 

 

 

 

 

 

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「浦」と「竃」(南伊勢町ドライブ1)

2023-02-24 | 

昨日思い立って、太平洋に面する南伊勢町へドライブに行ってきました。

(右が伊勢方向、左が熊野方向です)

上の地図の中央あたり、2本の橋で島が繋がっています。

下はその島の展望台から西南方向を向いて撮った写真です。

車で、海沿いを走ることはできません。道は山の中を登ったり下りたり、

そしていきなり海。小さな港があって、

「海苔そだ」が見られるところもありました。

海の際に倉庫や家の間を縫うように細い道がありました。

そしてまた山の中、

ぐねぐね道を、向こうから車が来ませんように、と願いながら、のろのろと走り抜けました。

大方竈、阿曽浦、道行竈、慥柄浦、贄浦、奈屋浦、

神前浦、方座浦、小方竈、栃木竈、古和浦、棚橋竈、

新桑竈、迫間浦、相賀浦、礫浦、

南伊勢町の「浦」と「竃」

「かま」と読むようですが、ご飯を炊く「おかま・釜」ではなく

「かまど」のほうの「竃」の文字になっています。

古くは製塩が盛んで、今も所々に細々と塩を作っている所がありました。

次回行ったらぜひその塩を買ってみたい。そしておかゆを焚いてその塩を入れて食べてみたい。

東北地方では「釜」が付く地名は津波由来の所が多いと聞いたことがあります。

「竃」の方は製塩由来だそうですが、

リアス式のこの地形は、津波も関係しているかもしれません。

河津桜が満開でした。

ここは20年くらい前に一人の地元のおじいさんが植えたそうです。

写真の上の方の桜が密集している辺りに、こんな立札が立っていました。

 

 

 

 

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ちょっとドライブ

2023-01-27 | 

雪もほとんど消えてしまった午後、

夫と、山の方は積もっているかもね、という話になって、

見に行ってみようということになり、

魔法瓶に熱い紅茶(砂糖入り)を詰めて、

暖かいコートを持って車に乗り込み、山の方に向かって午後4時ごろ出発しました。

(去年も一昨年もずっと普通タイヤだったのに、今年は12月の内にスタッドレスタイヤに替えていたのです!

といっても、山道は危険なので、整備された県道や国道を走るだけですが、

安全なところから、雪の山などを見よう、と思ったのです。)

けれど、20キロくらい走って、ようやく、山間にうっすらと雪を被った家々の屋根や茶畑が見えるくらいで、

山にも雪は無くて、

結局雪はほとんど見ることが出来ませんでした。

山襞がクッキリ、とても綺麗でした!

国道沿いの2カ所で、炭焼き小屋らしきものを発見。

(ここには似たような造りの小屋が大小3つありました。)

丸い石がふんだんに使われています。

 小屋の中を覗いてみると

これらの小屋がいったいどうしてここにあるのか、どのように使われているのか、

どんな炭?を焼いているのか。

周りには人の姿がなく、誰にもお聞きすることも出来ず、残念でしたが、

手づくりの味わい!が存分に発揮された興味深い建造物でした。

久しぶりに「つらら」を見ました。

 

山の間の道路はさすがに凍っていて危険!

皆のろのろ運転。

帰りついたのは6時ごろ。

およそ2時間のドライブでした。

家の前で車を降りて空を見上げると、

星が瞬き、細い月が暗い空に浮かんでいました。

 

 

 

 

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小雨の中をドライブ

2022-06-09 | 

いいお天気の日は畑でやりたいことがいろいろあるので、

出掛けるのは大抵、小雨降る中。

この日もさえないお天気でしたが、大台方面へドライブしよう、

ということになって、午後3時ごろ「おやつ」をもって出発。

下調べなしの行きあたりばったりドライブです。

道が途中で消えたり、行き止まりがあったり・・・

大台は宮川(三重県最大の川)の源流で、奈良県と接する山の中です。

かつて、運輸交通の主要手段が、川船だった時代は

材木や炭や茶などを載せた船が盛んに行き来していたそうです。

水量の多い日は、一日で伊勢まで行けたそうです。

また伊勢と熊野を結ぶ熊野街道の通る所でもあり、旅人も多く、賑わっていたそうです。

今も材木の集散地です。切りだされ、積み上げられた大きな丸太を方々で見かけました。

 

帰りは、道を間違えて、ひどく遠回りして帰ってきました。

帰ってからGoogle地図を見て、この日行ったところを確かめ、

周辺にいろいろ気になる所を見つけました。

近いうちに、もう一度行きたいと思います。

もう少し早い時間に、道を間違えないように。

 

休憩した道の駅の駐車場傍の民家の生け垣。

船?お地蔵さん?・・・

 

 

 

 

 

 

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廃屋

2022-05-30 | 

以前の住人から譲り受けた小さな耕耘機が、不調になる度に、修理に出していましたが、

また、壊れてしまいました。

毎回修理代が高くて・・・悩んだ末オークションで中古の同じ機種を落札して、

松阪まで受け取りに行ってきました。

ネットの写真ではもっときれいに見えたのですが・・・

使えれば良しとするしか仕方ありません。

壊れませんように。

車の後ろに積み込んで、ロープで固定して、

近辺をドライブしてきました。

県道をそれるとたちまち景色が変わります。

放置された田や畑は見当たりません。

勢いよく水路を流れる水の音が聞こえています。

道に沿って紫陽花が植わっていて、道も常に手入れされているようです。

麦の穂が出そろっています。

けれど、田畑の周囲には鹿よけと思われる電気柵が張り巡らされています。

そして、こんな廃屋がありました。

土蔵も崩れ落ちています。

 

周りは麦畑で、電気柵があって、この家に近づけませんでした。

かつて、2階は蚕室だったのかもしれません。 きっと周りは桑畑だったのでしょう。

住む人が居なくなると、どんなに立派な家も、ビルだって、あっという間に崩れていく・・・

 

こんなみごとな家はもう二度と作れないでしょう。

残念です・・・

 

 

 

 

 

 

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度会へ・その3・水源

2022-01-08 | 

「まむしかせ橋」を過ぎ、さらに川を遡っていきました。

その1で書いた、倭ノ姫山の登り口も過ぎ、

更に行くと、岩はどんどん大きくなって、川幅は狭くなり、水量も減り、

とうとう、水が消えました。

峠に出ました。ここで度会郡とお別れ。いくつかの山の登り口もあるようです。

四方に標識があって、赤や黄色のテープが巻いてある木もありました。

伐採して、植林が済んだ山は、鹿の食害から苗を守るために、網を張った柵が張り巡らしてあります。

こんなふうにして山が、維持され、豊富な水が川下にもたらされていることが、よくわかりました。

誰が置いたのか、岩の上に、イノシシのしゃれこうべが載っていました。

子どもの猪のようです。

面白い散歩(ドライブ)でした。

 

 

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渡会へ(その2)2つの「橋」

2022-01-07 | 

山の中を行くと、小さな橋によく出会います。

小さな橋でも、とても大切な橋です。

この橋は、珍しくもないデザインのコンクリートの橋ですが、

名は!

  

「まむしかせはし」昭和32年架橋、と刻まれています。

そして、しばらく歩くと、もう一つ「まむしかせ橋」があったのです。

崩れ落ちそうに見えますが、

意外としっかりしていて渡れます。

こちらの橋の築造年はわかりませんでした。

向う側は大岩があって行き止まりに見えますが、

実は山道が続いていました。

車の道が出来た時に、きっと新しい橋が作られたのだと思います。

それまで、細い山道を行き来して、この橋を渡っていたのでしょう。

川の水はビックリするくらい透明で、青くきらきら光っていました。

驚いたことに、崩れた橋の桟から土手の木に引っ掛け、紐を垂らしたブランコがありました。

川の上でゆらゆら、時々川の中に飛び込んで遊んだりするのかもしれません。

土手には蕾をいっぱいつけたミツマタが群生していました。

もうすぐ満開、きれいだろうな!

 

 

 

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渡会へ、その1

2022-01-06 | 

「度会」これを「わたらい」と読みます。

「渡会郡」は私の住む町の隣、野菜や果物やお茶や水産物の直売所が多く、

宅急便のセンターもあるので、よく行き来しています。

昨日は、いつも行く所をちょっと通り過ぎて、

「宮川」の支流の「一ノ瀬川」を遡ってみました。

道沿いの集落を眺めながらしばらく走り、

更に分かれた川に沿って林道を走っていきました。

冬枯れの山の美しさに見とれながら、狭まる道をさらに走って、

川が始まるところ(水が消える所)まで登り、山と空しかない場所でしばし佇み、

再び車を走らせると、新たに別の川がちょろちょろ流れ始める、そしてやがてまた川沿いに小さな集落が見えてくる。

そこを通り抜けて、県道を見つけ、標識を見つけて走る。

暗くなって、もう景色が見えなくなる頃、見覚えのある場所に出ました。

3時間余りのドライブでした。

大きな岩がとても多い所でした。

「渡会セブン・マウンテン」の一つ「倭ノ姫山」の登山口。

たぶん、昔、山仕事の人たちが利用していた小屋だと思います。

現在も伐採中で、山から、道なき道!をトラックが降りてきました。

この小屋は、裏側に回ってみると完全に朽ちていました。

スギ?の切り株

 

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