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マリヤンカ mariyanka

日常のつれづれ、身の回りの自然や風景写真。音楽や映画や読書日記。手づくり作品の展示など。

京人形

2015-10-07 | 
自転車の時も、バスに乗って出掛けた時も、
なるべく通ったことが無い道を選びます。
若い時からそのような歩き方をしてきましたが、
京都の町なかの碁盤の目の細い通りは、
通ったことのない道、知らないところが、
無数に、まだまだいくらでもあります。

ここは、暖簾が掛っているのですが、
どこにも何も書いてありません。
でもちょうど表に出て来た年配の女性が人形屋です、と教えてくれました。
この大原女は先代が、三人官女の頭部を使って大原女に仕立てたものなんです、
と教えてくれました。

何とも優雅な大原女、美しい京人形です。
出窓の下の小さな空間に配置されている石や貝も地味に人形を引き立てています。




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五条坂 その2

2015-08-14 | 
五条坂では、17世紀以来、
ずっと磁器の生産が続けられて来ました。
大正時代には、五条坂周辺に、
登り窯が20基あったそうです。
(現在は、この写真の窯を含め5基残すのみ、だそうですが、
ビルの立ち並ぶ町の真ん中に、5基も残っているのは驚きです。)

陶工たちがそれぞれに持ち寄ったものを、
窯を焚く専門の職人が焼いたのだそうです。
登り窯を中心に、
仲間意識、共同体意識が育ち、
京焼きの伝統が育まれていったと考えられます。

昭和の半ば頃、
登り窯で火を焚いて煙を上げることが出来なくなります。
(この窯では、窯を小さく築き直した直後に公害防止条例が発令され、使えなくなったそうです。1971年)
以前から併用していたそうですが、
その後は電気窯、ガス窯だけを使ったそうです。
あちこちに大小の電気窯、ガス窯が置いてあります。




絵付けの作業場、


釉薬をかけたり、絵の具を調合したりした場所でしょうか。




轆轤を回しているのは今回の調査の大学の関係者たちだそうです。


窯の周囲の棚には、
沢山の作業半ばの陶器が、そのままの姿で埃をかぶっています…
(ように見えましたが、実は今回の公開のために大掃除をしたそうです。)

時は不思議です。
過ぎてしまえばあっという間のこと。

この窯で造られたものを、
どこかで誰かが、
大切に使ったり、
飾ったりしているに違いないのです。







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六道さんから五条坂へ、その1

2015-08-12 | 
亡くなった祖母が、かかさず行っていた夏の行事、
六道まいりに行ってきました。

鴨川に掛かる松原橋を東に向いて渡り、
しばらく坂道を登っていくと六道さん(珍皇寺)があります。

そこで、祖先の霊を迎えるための鐘をついて、
塔婆に槇の枝で水をかけ、
線香に火をつける、というありふれたお盆の行事ですが、
なにしろそこは、小野篁が「あの世とこの世を行き来した井戸」がある場所なのです。
残念ながらお盆の間はその井戸のそばに近寄ることが出来ません。
また、閻魔さんらの像の写真を撮ることも禁止されていてちょっとがっかり。
小さな素朴な寺ですが、
寺に続く道に独特の雰囲気が残っています。
昔は大勢の人が行き来する道だったのでしょう。

「幽霊子育飴」の店

染料屋さん?

もやし屋さん?

六道さんから
そのまま今度は五条坂まで歩き
開催中の陶器市へ、

個人で陶器を焼いている人たちの露店がとても増えて、
まるで陶器の展覧会の様でもあり、
でもやっぱり「市・いち」の楽しさがいっぱいです。

そして今年は偶然、調査中の登り窯の公開に行き当ったので見てきました。

車がビュンビュン走る幹線道路五条通りの脇の階段を数メートル下りた所、
カメラを持った人が居る所の左側です。そこに登り窯があります。
昭和50年代まで実際に使われていて、その後まま放置されていたようです。



作業途中で誰も居なくなって、
埃をかぶった道具や陶器もそのまま…
そんな時間が止まった場所に、
その日は、調査のための研究者や学生やカメラマンが数人、
そして私のような通りがかりの者が数人入っていました。

この辺りはかつてはたくさんの窯が立ち並び、
大勢の陶工が働いていたところですが、
全部炭山に引っ越して、
窯などはすっかり撤去されたと思っていました。
こんな登り窯がそのまま残されているとは思ってもみませんでした。









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思わず立ち止まる

2015-07-19 | 

思わず自転車を止めて、
近付いて
よく見ると、


数字は何だろう?
16…、カレンダーだ!


貝殻と、ふたを並べて、顔。


窓辺も
かわいい!
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下御霊神社

2015-04-29 | 
上御霊神社と比べると敷地も狭く、
建物の傷みも激しいけれど、
何ともいい雰囲気の神社です。
「しもごりょうさん」と呼びます。
寺町通りを自転車で走るとき時々寄ります。
上御霊神社は「かみごりょうさん」です。

門には龍と仙人が乗った亀(玄武)の見事な彫刻があります。

亀(玄武)に乗っている仙人は「黄安」といい、
黄安の乗っている亀は3000年に一度顔を出すのだそうです。
黄安は亀の顔を5回見て、ある時人知れず消えたということです。
昔の物語は雄大です。(列仙伝より)

透かし彫りの戸も美しい。

奥の隅の方の土蔵では鏝絵が見られます。
モダンなビル街の一角に、優雅で力強い木と土の建物と小さな傾いた祠などが異世界です。
崩れそうで心配だけど…何とかこのままの姿を保って欲しい。
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弘法さん

2015-02-21 | 
今日は21日、21日と言えば京都では弘法さんの縁日、
久し振りに行ってみることにしました。
家の傍のバス停からバスに乗り「東寺道」でバスを降りて直ぐに東寺の東側の門が見えてきます。

今日は良いお天気、おまけに土曜日、
大勢の人で賑わっていました。



広大な境内に立つ五重塔や講堂や金堂もちょうど公開中、
これらの建物の中を拝観するのは初めてです。
重文や国宝の建物の中にはこれまた重文や国宝の仏像がざくざく、
どの仏像も素晴らしくてドキドキしました。
桃山時代や江戸初期のこれらの建造物や彫刻の迫力に圧倒されます。
(弘法大師による創建時の物は落雷などによって焼失)
左の下の隅の人物と大きさを比べてみてください。



残念ながらこれらの建物の内部は撮影禁止ですが、
剥げかけた壁の絵なども眼を近付けてしっかり見ることができました。
優雅さと力強さが見事な彫刻や建築物になって体現されています。






縁日ではありとあらゆるものが売られています。

砥石やさん

帽子やさん



弘法市ではお参りと同時に、
植木をみたり、古道具を見たり、着物を物色したり、
お腹が空けば食べ物も選り取り見取り、
本当に楽しい場所です。

そろそろ帰ろうとバス停近くまで来てお腹が空いているのに気が付きました。
広い道路をわたれば大きなイオンモールがあるけど、
イオンには行きたくないので
しばらく歩いていたら「相生餅」の看板がありました。
小さなウインドウには巻き寿司とお稲荷さんが皿の上に乗せられているだけ、
どうしようかなと思って足を停めたら、
ふわりと「おうどん」のいい香り。
扉を開けて中に入れば普通に「おうどん屋さん」でした。
そこで「たぬきそば」(刻みアゲのあんかけそば、擦り生姜がたっぷりのっている)を食べてバスに乗って帰りました。
お土産は「箸」と「よもぎ麩」と手づくりの小さなアクセサリーです。


コメント (2)
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お稲荷さん

2014-11-18 | 
全国のお稲荷さんの総本山、
京都伏見の「お稲荷さん」へ久々に行ってきました。
ウズラやスズメを焼く煙が鼻の先をふわふわ漂う参道を大勢の参拝客(観光客)に混ざってしばらく歩くと
すぐに有名な鳥居のトンネルの入口にさしかかります。
稲荷山は2百数十メートルという低い山ですが、
うねうねと鳥居のトンネルが上ったり下りたり、右へ左へ曲がりながら、
3筋に分かれたりまた一緒になったりして頂上まで続きます。
段々人は減って行きます。
鳥居のトンネルだけでなく、
山には何何大神の御堂や礎石があっちにもこっちにも祭られていて
鳥居とキツネが飾ってあります。

シイやカシの濃い緑の森に数え切れない真っ赤な鳥居。
怖い顔のキツネや犬のようなキツネや猫のような狐やあちこち欠けた狐の像が無数に置かれています。
夜に訪れたならかなりこわそう。
底知れぬ池もあります。

伏見が一望出来る見晴らしのきく場所は一ケ所のみ。
日が差すその広場で多くの人が一休みしていました。
道はほぼ全部階段で、かなりの急坂もあります。
辻には上の方まで昔のまんまの一服できる「うどん屋」などが6~7軒あって、
私たちもそこできつねうどんを食べました。
だいぶ奥の方で新しい鳥居を建てているところに出遭いました。
現場で鳥居を組み立てて、柱を建ててクレーンの様に鳥居をつりさげながら慎重に設置しているようでした。

古くなって下の方が傷んで来ると取り除き
その隙間にまた新しい鳥居が建てられます。
新しい鳥居の朱は一層鮮やかで
寄進者の名前もピカピカ光っています。
狐も新しい像が次々作られているみたいでした。
飛んでいるキツネや頭に玉を載せ水をだしているのとか…


「カラスがくわえて持っていって起きたと思われる山火事がたびたび有るのでろうそくは消して下さい、」
と書いてある看板があちこちにあるのに、
「ろうそく」がいろいろな所に灯されていました。
火が消えて石の上にこびりついたろうそくをはがして食べているカラスを2羽見ました。
見事な野菜やお餅が供えてある所もありました。
ここが現在進行形の信仰の山であるというのがひしひしと伝わって来ます。
信仰の無い私としては唯々すごいなー!


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日向大神宮

2014-09-27 | 
長く京都に暮らし、
両親ともに京都生まれなのに、私はこの神社のことを知りませんでした。
始めて行って「なんかいい雰囲気の神社やなー」と思って、
帰ってから調べてみて「そんな由緒ある神社やったんや」とビックリしました。

昔は「京のお伊勢さん」として名高かったそうです。
粟田口(京の七口の一つ)に一の鳥居があり
伊勢神宮への代参として、旅の安全を祈願し、
東海道を行く多くの旅人が参拝したそうです。
外宮の御門の屋根に注目

あっと驚く、屋根の反対側

最も古いといわれる神社だそうで古墳時代に日向(高千穂)の峯から神蹟を勧請したのが始まりと言われています。
応仁の乱で焼失後1614年に再建されたそうです。

今日はシダの観察が目的で、
3時間余りの散策でした。
これまた、今までどっさり羊歯を見ていたはずなのに、
知らなかったことばかり。
中でも重金属が好きな羊歯ヘビノネゴザの話は面白く、
銅葺きの屋根の建物の周りにたくさん生えているのを目の当たりに見て納得です。
鉱山にも多いそうです。
この看板の屋根にはちゃんと銅が使ってあることが、
この看板の足元にヘビノネゴザ(羊歯)が生えていることからもわかるそうです。

羊歯の話は頭の中を整理してから次回に。


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何の用事も無いけれど

2014-09-09 | 
私は何の用事も無かったけれど、
夕方、娘が大阪の桜の宮まで行くと言うので、付いて行きました。

京阪電車が好きなので時々のりたくなるのです。
久々のお日さんがまぶしい。
川面がキラキラしています。
写真は樟葉(くずは)の駅のプラットホーム。

京橋でJRに乗り換えて次の駅が桜の宮、
巨大で賑やかな京橋駅とはうって変わって、
ホームの様子もタイムスリップしたみたいなたたたずまいです。

ガード下はまるで遺跡の趣。





駅前の路地をうろついてみました。
営業しているのかいないのか分からない食堂のショウウインドウがすごかった。





誰もいません。でも、あちこちの建物の奥から人の話声や笑い声が聞こえて来ます。
そういえばその日は日曜日でした。
平日の、夜ともなれば飲屋さんに明かりがついて賑やかになるのかもしれません。








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雪国

2014-02-15 | 
京都大原の少し先「途中峠」を超えると滋賀県、
さらに「花折れ峠」を越えて比良山の西を行くと
風景は一変して雪国。

安曇川の上流、葛川沿いのこの道は、
鯖街道と呼ばれて、
京と若狭を結ぶ大切な道でした。
日本海の海産物がはこばれると同時に、
杣の道でもあり、材木で筏を組んで安曇川を下り、琵琶湖を経由して都に多くの木材を供給していました。
今でこそトンネルがいくつもできて道路も整備され車であっという間ですが、
昔の人たちの仕事は想像を絶します。
現在もこの辺りの山々の木々は見事に手入れされています。
バス停です。

この辺りは少々雪が降っても何の問題も無い、当たり前という感じで、
屋根も傾斜があって、雪はうまく滑り落ちているみたいです。
傾斜の無い屋根や家の前などは除雪されているみたいでした。
集落の中の道を小さな除雪車が動き回っていました。

どの家も薪が沢山積み上げて置いてあります。
煙も上がっていました。
人の姿は見えなくても、
暮らしている人たちの活動が感じられます。

安曇川沿いに琵琶湖まで行くともう夕暮れ、
いつの間にか道沿いの雪も無くなり、
粉雪は雨に変っていました。



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