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バイオリニストみどりさんの社会貢献(日本のぼんくら著名人も見習ったら)

2013-06-18 | Weblog

五嶋みどりさん:夜間学級で出前演奏、交流

守口市春日町の市立第三中学校夜間学級で12日、世界的なバイオリニスト、五嶋みどりさん(41)がコンサートを行った。同学級は、今年で開設40周年。五嶋さんは、夜間学級の開設を決めた当時の木崎正隆市長のひ孫。生徒約60人が美しい音色を楽しんだ。

現在、夜間学級には約120人が在籍し、6割が中国残留孤児の家族や在日韓国人など。4割は、戦争や貧しさで義務教育を受けられなかった日本人という。

学ぶ意欲のある人らの要望を受けて木崎市長が開設を決断。「本当に勉強したい人が行ってはる」と、木崎市長は毎年卒業式に駆けつけた。

五嶋さんは11歳でニューヨーク・フィルと共演するなど国際的に活躍。社会貢献活動に熱心で、NPO法人を設立して地域の小学校などで演奏を続けている。

五嶋さんは、音楽室でビオラやチェロの演奏者とともに6曲を披露した。演奏の合間に生徒たちは夜間学級について説明し、「学びは喜びであり、生きている証し」などと思いを語った。小3から家の手伝いに追われ、学校に通えなかった門真市の熊谷久子さん(64)は「漢字が読めるようになり、人生が180度変わった。今は生きることが楽しい」とはつらつとした表情を浮かべた。

演奏後、五嶋さんは「いつまでも勉強に励む皆さんと、練習に終わりのない私たち演奏家には共通点がある」と話した。熊谷さんは「演奏は力強いのに優しくて、とても励まされた」と感動していた。


管理人コメント

五嶋みどりさん:1971年10月25日生。大阪府出身。「天才少女」と呼ばれた世界のトップバイオリニスト。国連平和大使でもあり米国を拠点に演奏や社会活動。

イオリニストの母の影響や指導もあり、2歳の時からバイオリン(1/16サイズ)にふれる。

6歳の時には、すでにステージに立ち、パガニーニの「カプリース」を演奏している。さらに、8歳の時、演奏を録音したテープを米ニューヨークにあるジュリアード音楽院のドロシー・ディレイ教授に送り、入学オーディションに招かれている。

そして小学校5年生の時にはじめて渡米。ジュリアード音楽院に入学している。この入学オーディションで演奏したのが、バッハの「シャコンヌ」。入学後、ディレイ教授の下でバイオリンを学びながら、一方で、ズービン・メータ指揮のニューヨーク・フィルハーモニックとパガニーニの「バイオリン協奏曲第1番」第1楽章で、特別ゲストとして招かれ協演している。このときまだ11歳。まさに「神童」としての米国デビューだった。

そうしたデビューもあって、15歳の時にジュリアード音楽院を中退している。ちなみに、30歳近くになって大学に再入学し心理学を専攻し、ニューヨーク大学から修士号を得ている。

世界のトップバイオリニストの一人だが、おごることなく、海外では “Midori” と親しみをもって呼ばれている。

とりわけ、管理人が彼女に魅かれたのは、社会事業活動だ。早くから社会事業に関心を持ち、非営利団体「みどり教育財団(Midori & Friends)」を米国で立ち上げ、教育環境が行き届かない都市部の公立校に通う生徒を対象に音楽の楽しさをつたえる活動をおこなっている。

また2001年にはエイヴリー・フィッシャー賞を受賞しており、その賞金をもとに「パートナーズ・イン・パフォーマンス」基金(通称PiP)を設立もしている。

その後もより地域コミュニティーに根ざした「ユニバーシティー・レジデンシー・プログラム」と「オーケストラ・レジデンシー・プログラム」を次々に立ち上げている。

「音楽に何ができるのか」という問題意識をもって活動に参加した音楽家は、途上国に行き、ゴミの山の隣で灼熱のなか冷房もない劣悪な環境に置かれた時、自分たちにできるのは音楽しかないと自覚する。演奏を始めると、ゴミの臭いも暑さも気にならなくなり、自分が音楽に救われていることに気付く。その結果、音楽に対する考え方や社会との関わり方が変わっていく。ホール以外の場所に積極的に出て行けば、色々な気持ちを経験できるのです。音楽を通じて社会に貢献できる喜びを知って20年たった。やり始めたら、やめられません。音楽の可能性を突き詰めたいという思いがますます強くなっています。(2012/2/1付日経) 

 

米国では著名人になればなるほど、社会貢献が求められており(義務ではなく自分を育ててくれたのは社会であり、その恩返しとして、の意味)、これを果たすことがプロの精神でもある。日本と大いに異なる点だ。

 “タングルウッドの奇跡” 1986年、彼女が14歳の時、事件がおこった。ボストン交響楽団と共演したタングルウッド音楽祭において、レナード・バーンスタインの指揮下、「セレナード」第5楽章を演奏中にバイオリンのE線が2度も切れるというアクシデントに見舞われた。当時彼女は3/4サイズのバイオリンを使用していたが、このトラブルによりコンサートマスターの4/4サイズのストラディヴァリウスに持ち替えて演奏を続けるも、再びE線が切れてしまった。2度目は副コンサートマスターのガダニーニを借りて、演奏を完遂した。これにはバーンスタインも彼女の前にかしずき、驚嘆と尊敬の意を表した。翌日のニューヨーク・タイムズ紙には、「14歳の少女、タングルウッドをバイオリン3挺で征服」の見出しが一面トップに躍った。また、この時の様子は、「タングルウッドの奇跡」として、米国の小学校の教科書にも掲載された。


 五嶋みどり タングルウッドの奇跡


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