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ノーベル物理学賞 日本人と米国人の3氏に(授賞理由は”人類の生活向上に貢献した”こと)

2014-10-07 | Weblog

ノーベル物理学賞に決まった米加州大教授の中村修二氏は7日の記者会見で、米国を研究拠点に選んだ理由を問われると、「米国では研究者に多くの自由が与えられ、一生懸命やれば、みんなにチャンスがある。日本では性別や年齢などの差別により、全員にチャンスがあるわけではない」と批判している。

また日本の企業についても、「日本では発明は多いが、企業はグローバリゼーションが苦手。携帯電話など最初は良い製品を作っても敗北している」と指摘している。かってサラリーマンだった中村氏、いかにも実務者らしい発言だ。名古屋大で研究に没頭していた赤崎と天野の師弟両氏とは毛色が異なっている。

実際、中村氏は徳島県阿南市の蛍光材料メーカー「日亜化学工業」の技術社員だった。青色LEDの開発に孤軍奮闘したがその報いが評価されずに怒りのなかで退職。その後、発明の対価をめぐって日亜化学と裁判で闘っている。その間も鋭い言葉で日本の研究環境や企業を批判し続けていた。

こうした指摘や批判は中村氏ばかりではない。2008年度ノーベル物理学賞受賞者南部陽一郎氏(1970年に日本をスピンアウトし日本国籍をすて米国人として帰化移住)、それに1987年度ノーベル生理学・医学賞受賞者利根川 進氏(国籍は日本において米国居住権を維持している)らも会見で同じことを言っている。

彼らにとっては、日本がこうした指摘や批判には無頓着で、日本に都合がよいときだけ日本人呼ばわりされて、”日本人”が受賞と騒ぎ立てられるのは迷惑な話であろう。

各国のメディアは、「American and 2 Japanese Physicists Share Nobel for Work on LED Lights」と報道している。すなわち中村氏は米国人なのである。だから米国に帰化した中村氏にとっては、今回の受賞は、日本というアジアの国からやってきたよそ者にも平等に研究の機会を与えてくれた寛容な米国に感謝をこめて"米国人としての誉れ"なのである。管理人 

ノーベル賞:物理学賞に、赤崎、天野、中村の3氏

毎日2014/10/7

スウェーデン王立科学アカデミーは7日、2014年のノーベル物理学賞を名城大(名古屋市)の赤崎勇終身教授(85)、名古屋大の天野浩教授(54)、米カリフォルニア大サンタバーバラ校の中村修二教授(60)=米国籍=の3氏に贈ると発表した。

赤崎氏と天野氏は、長年不可能だった青色発光ダイオード(LED)の開発に成功。中村氏はその量産技術を開発し、世界で初めて製品化した。青色LEDの実現で、既に開発されていた赤、緑と共に「光の三原色」をLEDで作り出すことが可能になり、白色の照明や屋外のフルカラー大型ディスプレーなどの実用化につながった。長寿命で消費電力の少ないLEDは、世界で爆発的に普及が進んだ。

授賞理由は「明るく省エネ型の白色光源を可能にした効率的な青色LEDの発明」。日本の受賞は12年の山中伸弥・京都大教授に続く快挙で、物理学賞は08年に南部陽一郎、小林誠、益川敏英の3氏が受賞して以来。日本の受賞者数は、米国籍の中村氏と南部氏を含め22人(医学生理学賞2、物理学賞10、化学賞7、文学賞2、平和賞1)となる。授賞式は12月10日にストックホルムで開かれ、賞金計800万スウェーデン(約1億2000万円)が3氏に均等配分される。

LEDは電気をかけると発光する半導体の結晶。従来の白熱電球がフィラメントを加熱し熱から光に変えるのに対し、LEDは電気を直接光に変えるためエネルギーの変換効率が高く、熱による劣化も少ない利点がある。赤と緑のLEDは1960年代までに実現していたが、青色は材料となる窒化ガリウムの半導体結晶を作る技術が困難を極めた。世界の研究者が開発を目指したが、多くが断念した。

赤崎氏と教え子の天野氏は名古屋大時代、窒化ガリウムのきれいな結晶を作ることに成功。89年に世界で初めて明るい青色に光らせ、青色LEDが製造可能だと証明した。

中村氏は、徳島県阿南市の蛍光材料メーカー「日亜化学工業」の技術者として、赤崎氏らの研究も踏まえ、窒化ガリウムを使った青色LEDの製品化に着手。結晶をサファイアの基板に均一に薄く成長させる技術を編み出し、青色LEDを実用化した。

一方、04年1月には、青色LED製法特許の譲渡に対する対価を日亜化学に求めた裁判で「200億円判決」(05年1月、東京高裁で約8億4000万円で和解)を勝ち取り、「技術者の反乱」と話題を呼んだ。

光の三原色がそろったことで、白色の照明や大型ディスプレーなどが実現。省エネにつながるLEDの普及は、地球温暖化対策に貢献し、とりわけ国内では東京電力福島第1原発事故を受けて一気に広まった。青色LEDなどを利用した多剤耐性菌を殺菌する治療法の研究も進んでいる。

また、青色LEDを発展させた青色半導体レーザーの開発で、従来より大量の情報が記録できる次世代光ディスク「ブルーレイ」の読み取りが可能になるなど、現代社会を支える多くの製品に活用されている。

◇赤崎勇氏(あかさき・いさむ)

1929年鹿児島県知覧町(現南九州市)生まれ。52年京都大理学部化学科卒業、神戸工業(現富士通テン)入社。名古屋大工学部電子工学科助教授などを経て、81年に名古屋大工学部教授、92年名城大理工学部教授。2010年から名城大終身教授。02年に中村氏らとともに武田賞、09年には京都賞を受賞した。

◇天野浩氏(あまの・ひろし)

1960年浜松市生まれ。83年名古屋大工学部電子工学科卒業。学生時代は赤崎勇氏の研究室に所属。92年名城大理工学部講師、98年同大助教授、2002年同大教授。10年4月から名古屋大教授。専門は電子・電気材料工学。94年オプトエレクトロニクス会議特別賞、02年武田賞を赤崎、中村両氏と共同受賞。

◇中村修二氏(なかむら・しゅうじ)

1954年愛媛県瀬戸町(現伊方町)生まれ。77年徳島大工学部電子工学科卒業。79年同大大学院修士課程修了、徳島県の日亜化学工業入社。99年末に日亜化学退社、2000年から米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授。カリフォルニア州在住。96年仁科記念賞、02年に米国のフランクリンメダルを受けた。

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米国に帰化:

青色発光ダイオード(LED)の開発で、ノーベル物理学賞受賞が決まった米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授の中村修二さんは7日、同大構内で、「やっときたかと思った。とてもうれしい」と、ほっとした様子で喜びを語った。

現地時間午前2時すぎ、サンタバーバラの自宅で寝ていたところ、スウェーデンの王立科学アカデミーからの受賞の連絡の電話で起こされた。すぐに大学の同僚に伝えた。研究所に行き、大学関係者から手渡されたアップルサイダーで乾杯したという。お祝いのメールがたくさん来ているが、見られないと気にしていた。

「私に最初に投資してくれた日亜化学工業の創業者、小川信雄氏(故人)に感謝したい。私の研究の成果が認められたことはうれしい。若い人に研究の成果をつなげていってほしい」

授賞理由の一つは、人類の生活向上に貢献したことだった。電気が通らない村でも、LED技術を使えば太陽光や手動で明るい光源ができ、省エネ、地球温暖化防止に貢献できる。

常々アメリカンドリームを口にし、「ジャパニーズドリームは存在しない」と言いきっていた。2000年から研究の場を米国に移し、米国籍を取った。

「私は四国の田舎育ち。田舎の若い人に希望を与えられたのではないかと思う」と語り、「チャンスは自分で切り開ける」と強調した。

発明の対価訴訟:

2014年のノーベル物理学賞に決まった米カリフォルニア大サンタバーバラ校の中村修二教授(60)=米国籍=。中村さんが提訴した2001年ごろは、技術者が勤務先の企業に「発明の対価」を求める訴訟が数多く起こされていた。中でも発明自体の持つ価値と、200億円という群を抜いた請求額から、中村さんは同種訴訟の象徴的存在だった。

「20世紀中は無理」と言われていた高輝度の青色LEDを発明したが受け取った報酬は2万円。待遇の悪さから海外の研究者仲間から「スレイブ(奴隷)中村」と呼ばれた。

東京地裁は04年1月、日亜化学工業に請求全額の支払いを命じた。判決は「産業界待望の世界的発明を独力で成し遂げた」とし、総利益約1200億円余の半分を中村さんの貢献と認め「発明の対価」を約604億円と算定。ただ請求額が200億円だったため、言い渡された支払い命令額は200億円だった。それでも当時、民事訴訟で個人への支払額として認められた最高額とされ、中村さんは判決後の記者会見で「低い金額だと日本中の技術者にショックを与える。ほっとした」と語った。

日亜化学が控訴し、訴訟の舞台は東京高裁へ。8億4391万円を支払うことで05年1月に和解が成立し、訴訟が終結した。

訴訟で代理人を務めた升永英俊弁護士は7日、取材に対し「一言で言って彼は天才。青色LEDは消費電力を抑え温暖化を防ぐ点で、人類史の中で比類ない貢献をしており、必ず受賞すると思っていた。彼のことを尊敬している」と喜んだ。


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