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麻生のナチス発言 内外から批判続々’撤回だけでは済まされない

2013-08-02 | Weblog

記事ブログ:撤回だけでは済まされない。日本国憲法改正にかかわる麻生氏「ナチス」発言

麻生太郎副総理兼財務大臣は、7月29日の国家基本問題研究所月例研究会で発言した、ファシズム肯定発言には本当に驚いた。

報道がなされていたけれど、まさか本当にこのような発言を日本の政治家がするとは信じがたい思いがした。

しかし、朝日新聞その他で、発言詳細が紹介されて、正確な発言内容がわかった。

http://www.asahi.com/politics/update/0801/TKY201307310772.html

麻生氏は、

日本における憲法改正に関連して、ナチス・ドイツについて言及し、

民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。ヒトラーはいかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違いますよ。」

などど述べ、

だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。」

と言ったというのだ。

8月1日、麻生氏は、発言を撤回した。いわく

私のナチス政権に関する発言が、私の真意と異なり誤解を招いたことは遺憾である。私は、憲法改正については、落ち着いて議論することが極めて重要であると考えている。この点を強調する趣旨で、同研究会においては、喧騒にまぎれて十分な国民的理解及び議論のないまま進んでしまった悪しき例として、ナチス政権下のワイマール憲法に係る経緯をあげたところである。私がナチス及びワイマール憲法に係る経緯について、極めて否定的にとらえていることは、私の発言全体から明らかである。ただし、この例示が、誤解を招く結果となったので、ナチス政権を例示としてあげたことは撤回したい。

出典:http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130801/stt13080114060009-n1.htm

しかし、どうだろう? 発言の撤回は当然であるが、7月29日の発言は、「あの手口学んだらどうか」としてナチスに言及しているのであり、どうみても、「悪しき例」として取り上げた趣旨でないことは明らかで、自分の発言をねじ曲げているものと言わざるを得ない。

麻生氏お得意の「失言」と擁護する人もいるようで驚くが、会合の性格からして、これは、ぽろりと発言したものではない。心にもないことを言った、とも思えない。

第二次世界大戦で最悪の惨禍をもたらしたナチスのファシズム政権は、ユダヤ人迫害と強制収容所収容、大量虐殺、表現の自由の弾圧、反対派の弾圧、数々の戦争犯罪など、人類史上最悪の人権侵害をもたらした。この反省に立ち、人権侵害を生み出し、民主主義を否定するファシズムを二度と繰り返さないことは第二次世界大戦後の国際社会の最も基本的なコンセンサスである。

ファシズムの到来のプロセスについて、肯定的な評価をし、「手口学んだらどうか」等と示唆することは到底許しがたいことである。

ナチスを肯定する発言は、民主主義国家の主要閣僚として到底あるまじき言動・姿勢であり許し難い。世界が抗議するのは当然である。

麻生副総理・財務大臣は、ファシズムの犠牲となったすべての人々に謝罪すると共に、直ちに辞任してほしい。

問題は、「手口学んだら」だけではない。

麻生副総理・財務大臣は、「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった」いう。

現実にはナチス憲法は存在せず、ドイツのワイマール憲法および立憲主義そのものがファシズムの到来と「全権委任法」によって停止に追い込まれたものであるが、その過程は静かなものではなく、こうした動きに反対した人々が苛烈な人権弾圧を受け、表現の自由や抵抗する自由を容赦なく剥奪された歴史がある。

こうした、人類史上最悪の人権侵害が完成した過程に対する著しい無理解のうえにたって、日本の憲法改正を議論し、推進しようする動きは重大である。

憲法は、人権尊重・立憲主義・民主主義を定めた国の最高法規であり、国民の十分な議論を尽くさないまま「だれも気づかないで変わった」等ということは到底あってはらない。麻生発言は、民主主義・立憲主義についても著しい無理解と言わざるを得ない。

安倍首相は、ファシズム到来のプロセスを肯定し、立憲主義・民主主義に対する理解に著しく欠ける、言語道断の麻生氏の発言について、公式に強く非難するとともに、内閣としての基本姿勢を内外に示す必要があるだろう。

このまま、このような発言をした麻生氏が罷免も辞任もされずに、日本政府のナンバーツーとして居座り続ければ、日本はこうしたナチス肯定発言をする者が政権の要職につく国家とみなされ、国際社会からは到底相手にされなくなるだろう。

閣僚・政治家等の不適切発言で最もあってはならないのは、重大な人権侵害への容認・肯定的態度である。

この流れに位置するものが久間元大臣の「原爆投下しょうがない」発言、「慰安婦は必要だった」とする橋下発言、そして「手口学んだら」という今回の発言であろう。今回は、ファシズム、ナチスという最悪の人権侵害への肯定と言う点でも、それを今の憲法改正議論にいかそうという点でも最も悪質であり、撤回だけで済まされるものではない。

海外からの強い抗議があるのは当然であり、日本はこのままでは益々国際社会から孤立するだろう。

同時に、国際社会からの孤立を仮にをさておくとしても、私たちの社会にとってこの発言の意味を深刻に問わないといけない、と思う。

こうした発言を容認してしまう日本社会の今のありように、深刻な危機感を持つ必要があるのではないだろうか。

ほかならぬ、日本の憲法改正手続にからんで、私たちの近未来にむけて、こうした発言がなされたのだから。

(文)伊藤 和子、弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ事務局長

 


参考


民主政体でなぜ独裁?「ナチス憲法」は存在したの?

-麻郎副総理兼財務相のいわゆる「ナチス憲法」発言が物議を醸している。

ドイツは第1次世界大戦(1914~18年)の敗北に伴って帝政が崩壊し、当時の欧州の中で最も進歩的な民主政体とされるワイマール共和国が成立した。

その進んだワイマール憲法下で実施された選挙で、ヒトラー率いるナチス党(国家社会主義ドイツ労働者党)が第一党の座を獲得し、独裁体制へ突き進むわけだが、麻生氏が言うような「ナチス憲法」といったものは存在しなかった。

ナチス政権の下でも、ワイマール憲法は形骸化しながらも残っていたのであって、「ナチス憲法」に取って代わられたわけではない。

-どうしてヒトラーはそんな民主的な憲法の下で、独裁体制を構築できたのだろうか。

1933年1月のヒトラー内閣成立直後の3月、国会で「全権委任法」が可決された。これは政府に立法権を委ねる法律で、ヒトラーはこれによってワイマール憲法を無視し、大統領の承認や国会の制約も受けずに国を支配することが可能になった。

当初は時限立法だったが、更新が繰り返され、ナチス独裁に正当性を与える法的根拠となった。

全権委任法は、国会議席の3分の2以上の賛成がなければ成立できない法律だったが、ヒトラーの政治工作によって圧倒的賛成多数で可決された。

-ナチスはユダヤ人迫害も法律にのっとって実行していったのか。

全権委任法成立後、ナチスはユダヤ人迫害のための法律を次々に施行した。同法成立直後の4月には、非アーリア系(ユダヤ人)の公務員らを強制的に退職させる法律も制定された。

ユダヤ人の社会権・生存権を否定する立法・政令は枚挙にいとまがないほどだ。反ユダヤ立法の最たるものは35年のニュルンベルク法で、ドイツ人との結婚を禁じるなどユダヤ人からあらゆる権利を剥奪した。

-全権委任法がヒトラーの暴走を許したわけだが、戦後のドイツはこの教訓をどう生かしているのだろうか。

ワイマール憲法は実質的に、全権委任法の成立を可能にしていたと同時に、危機に際して国家元首の権限を拡大する緊急命令発布権を認めていた。これらがナチス独裁に道を開いたワイマール憲法の大きな弱点だった。

その反省から、戦後のドイツ基本法(憲法)は為政者への全権委任を認めていない。また、改憲は連邦議会の3分の2以上の賛成で可能と規定されているが、基本的人権や三権分立の保障を定めた条文の改正は決して認められていない。


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