まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

東慶寺の梅 老木の枝ぶり

2021-02-18 08:58:46 | お寺

 

円覚寺を拝観した後、どうしようかなとちらっと迷ったけれど、やっぱり
梅を観賞しようと東慶寺まで足を延ばした。迷うも何もないほどすぐ近くなのにね。

山門を見上げ、横の白梅を眺めるとああ来てよかったと。

境内にある東慶寺の梅の枝があまりに奇怪なので、ちと気持ち悪いななんて
罰当たりな感想を抱いているうちに、ずっと以前Eテレ美の壺「梅鑑賞の方法」があったよなと思い出してきた。
うっすら覚えていたのよ。
検索してみると行き当たった。抜粋とあって、そのまた抜粋。お借りしました。

一の壺 : 咲きはじめに見ごろあり

桜は満開を鑑賞するが、梅は違う。
梅の花の一輪一輪を楽しむためには、ちらほら咲いたようなときに鑑賞していただきたい。
可憐のなかにも力強さを秘めた咲きはじめの花、それこそが、梅の真骨頂。

 

二の壺 : 枝ぶりが作る老成の美

室町時代の絵師・狩野永徳の「四季花鳥図襖」の春の場面の主人公は梅の老木です。
のたうつようにくねる、太い幹。ピンと伸びる枝は何度も「く」の字に折れ曲がり、
複雑なシルエットを生み出しています。
老木の威厳ある姿は花のかれんさと相まって尊ばれてきました。
太い枝がまばらにある。肌がごつごつしている。幹や枝が斜めになっている。
そういう老木の姿は古来「疎痩横斜(そそうおうしゃ)」という言葉で表され、尊ばれてきた。
長寿への憧れを梅に託してきたということじゃないですかね。

三の壺 : 歩いて愛でる色模様(梅林鑑賞のことなので省略です)


(山門横の白梅)

この日の東慶寺の梅はまさに「一の壺」「二の壺」そのものだわ、
とは帰ってきてからの復習で知った知識。
そうか、あの枝ぶりは「老成の美」と捉えねばいけないのよね。はい。

でもでも横須賀線ホームから見た家の紅梅にほっとしたのも、ほんと。


 

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円覚寺の梅はこれから

2021-02-17 09:01:18 | お寺

昨日乗ったこまわりくん、空いていて後部左座席に座る。
次の停留所でおじさんが乗ってきて隣に座った。
こまわりくんが坂道のてっぺんに来て、下りながら空地の横を通ると二人して
首を横に向ける。
ははあ、おじさんも富士山確認か、と推測したわ。
そうなの、坂道から下る一瞬空き地から富士山が見えるの、富士山スポット。
二つ目かな三つ目かな、またもや左向け左。
「見えましたよ」
「ほんとだ、見えたな、久しぶりだ!」
頂上横に少し雲がかかっていたけれど、きれいな富士山が見えた。
やり取りはそこで終わり。コロナ禍じゃなければ会話はもっと続いたのに、ね。

14日日曜日の円覚寺の梅はまだまだこれから。
仏殿への道に紅梅がちらり。

その仏殿横がこの程度でこの日いちばんの開き具合

選仏場

方丈前の百観音霊場には紅梅がちょっとほころんで

でもでも見ごろはまだまだこれからね。

 

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円覚寺に行く

2021-02-16 07:49:15 | お寺

昨日の大雨が嘘のように晴れ上がった今朝の空。
昨日くらい激しく降るといっそ小気味よく、心置きなく籠るしかないの心境になって。
今日は友人が施設に入居する日だな、晴れてたらよかったのにと思いはそこへ。

横浜での勤め先で仲良くなってからの付き合いが今も続いている。
もう50年以上彼女を含めて4人、不定期ながら年に数回食事を共にしていた。
4人の年齢、2人が70代後半2人が前半。
その後半のふたりが揃いも揃って同じ病同じステージだなんて。
もちろん医師からの宣告に日にちの差はある。私が聞いた日にも差がある。
が、12月と1月相前後してのそんな報告。
報告受けてもボーっとして受け入れられない。聞いているようなそうでないような。

彼女の場合、1月後半に病名と症状と今後のことを聞いてからが早かった。
独り暮らしということからあれよあれよという間に施設入居が決まった。
彼女にとっても娘さんたちにとっても最良の選択なことは間違いない、が。
やはりなんとなく鬱々とし気持ちは晴れなくて、時には泣きたいような気分になって。

せめて大好きな円覚寺に身を置いてみようと。
日曜日の早朝出かけた。

山門を見ただけで身が引き締まる は ちと大げさか

仏殿に手を合わせ頭を下げる

方丈でも手を合わせる

方丈裏の庭園 ここもきりっとした気分にしてくれる

一番奥の黄梅院へ

もう何でもかんでも黙って頭を下げ 無心になって手を合わせる

静寂に包まれた円覚寺

受け入れるしかないかと。

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高台公園の河津桜は七分咲き

2021-02-15 08:53:15 | 植物

昨日のおばちゃんは快調だった。
チャイム1回でお返事あり、足が悪いから待つことしばしでドアが開いて。
金曜日のディサービスが楽しかったと話す、行ってよかったよと言う。
ご自分でも体調の変化を感じているんですって、気分が違うって。よかった。

高台公園から帰って庭にいたら、散歩中のエンドウさんが手を振る。道路で立ち話。
エンドウさん、すごい。会うたびに心身ともに元の状態に戻って明晰になってくる。
こまこま動いて筋肉付けているとは聞いていたが、今はストレッチも取り入れて
がんばっているんですって。ご主人も一緒にですって。
とてもとても3年も入院して寝たきりでいた人とは思えない。
努力家の人は違うなと心底思う、ほんとうに感心する。
「私、主人に助けてもらわないと生きられないから。
主人、耳が遠いでしょ。耳が遠い人は長生きするってケアマネさんが言ってたわ」
えっなんで?どうして?どうしてよ。
「悪口が聞こえないからなんだって」と言うから笑ったのなんの。

 

高台公園。先回から2週間経っているからそろそろね、見て来ようと。
昨日はスマホ計測800歩しか歩いていないから、もうちょっと稼がないとと。

まずは深呼吸して眺め渡して、さて、河津桜はいかがか。

 

 

 

 

 

ほんのり優しいピンク色に癒されて。
まだまだ固い蕾の木があるから、あと2、3回は楽しめそうだ。

蛇足ですが、よろしかったらこちらもどうぞ。高台公園の河津桜

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何の木?

2021-02-14 08:56:51 | 植物

昨夜布団に入った途端、ゆらゆらと小さく揺れて。
あっ地震だと感じる間もなく、揺れはどんどん大きくなり長く続いて。
いつおさまるのかと不安が膨らんだころようやくしずまった。
すぐにテレビをつけて震源地を確認。
津波の心配がないことを知り安堵するも、被害の大きさに心が痛む。
コロナ禍の最中でもあり、被害にあわれた方たちの心労はいかばかりか。
健康に留意しての跡片付け、1日も早い元の日常が取り戻せることを祈るばかりだ。

昨日は円覚寺に行って、あちこちそこここで手を合わせてきたところ、
帰りの車中で早くも効果が、なんて。
おばちゃんの娘さんからメールが入った。
ディサービスに行ってお風呂に入り、昼食もおいしく食べたことを、
おばちゃんが自分から電話して来て、ひと安心したって。
なかなか電話に出ないおばちゃんだったものね。一人暮らしだから、
離れて暮らしている娘さんはどんなにやきもきしたことか。
よかった、ほんとによかった。
週に一度訪問看護師さんに来てもらえる手配も済ませて、これで週に2回は誰かが
確実におばちゃんを見守ることになる。

舞岡公園、この大きな木。
南門から入ってちょっと左に折れた丘にでんと立っている。私初めて。

あなたのお名前は と恐る恐る訊くも 返事がない

こちらは *ハンノキ かしら 分からん

東門からの小径に咲く*ウグイスカグラ

*フユノハナワラビ

ばらの丸の丘

すこし色を足して*サルトリイバラ 
舞岡公園とは違う場所 だいぶ前の写真なのでもうあせていると思うわ。

これから買い物途中におばちゃん家に寄ってみる。

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男性は村上さん?『一人称単数』 村上春樹著

2021-02-13 07:40:14 | 

村上春樹さん、本当に久しぶりに読んだ。
長編は『ノルウェイの森』『海辺のカフカ』『1Q84』しか読んだことはない。
短編やエッセイはちょこちょこ。なかなか手に取る気にはならないの。
独断と偏見は十分承知で。
洋服の趣味とか飲んでるお酒とか音楽は何を聴いて、なんて書かれていると、
どうも気取ってるんじゃないかなんて。なんかいけ好かないなってな感じで。
そうは言いつつ、読み始めれば物語や文体にけっこうはまってしまう、それが困る。



そうそう。最後の短編「一人称単数」の中で、ある女性から糾弾されることになる。

私が(村上さんらしき人)「洒落たかっこうをして、一人でバーのカウンターに座って、
ギムレットを飲みながら、寡黙に読書に耽っていること」を指して、
「そんなことをしていて、なにか愉しい?」と。

そうなのよ全くその通り、と尻馬に乗りたくなるわけ。
それにしても村上さん、ご自分を俯瞰してそんな自己分析をしているのかしら。
それはそれでちょっとえっ?と思ってしまう。

この本は短編集だというだけで読んでやるか、の上から目線。
収録作は「石のまくらに」「クリーム」
「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」
「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」「『ヤクルト・スワローズ詩集』」
「謝肉祭(Carnaval)」「品川猿の告白」「一人称単数」の八編。

どの物語にも村上さんらしき男性が登場して、
現実に起きたことのような、そんなことありえないよな、のような話が。
「品川猿の告白」
旅先の旅館で、猿が言葉をしゃべり村上さんらしき人とビールを飲み、
人間の女性に恋をしその人の名前を抜き取るなんて、ありえないでしょ。
それが読んでいくうちに、もしかしてあるのか、と思うから不思議。

そんな小説の中で『ヤクルト・スワローズ詩集』だけは、
これはほんとに村上さんご自身の話だなと思うの。
2013年にヤクルトファンクラブ入りして名誉会員になっているぐらいなんだから。
そしてこんなにも好きなものがあること、無条件に愛していることに、
なぜかちょっと胸が熱くなって。
読みながら「村上さん、お幸せだ」と思ってしまったわ。

以下、いかにヤクルトスワローズが好きかの文章抜粋、ちょっと長いけれど。

僕は野球が好きだ。それも実際に野球場に足を運び、
目の前で展開されるナマの試合を見るのが好きだ。


チームがまだサンケイ・アトムズと呼ばれていた時代から、頻繁に神宮球場に通っていた。

そのために球場の近くに住んでいたことだってある。
少年のころから甲子園球場に足を運んでいて、野球を見ることと球場に足を運ぶことは、
疑問をさしはさむ隙間もなく、ぴったりと一体化されていった。

大学に通うために東京に出てきたとき、僕はほとんど当然のこととして、神宮球場で
サンケイ・アトムズを応援することに決めた。

住んでいる場所から最短距離にある球場で、そのホームチームを応援する―それが
僕にとっての野球観戦の、どこまでも正しいあり方だった。

暇があれば、神宮球場に足を運び勝つよりははるかに負けることが多かったけれど、
僕もまだ若かったし、外野の芝生に寝転んで、ビールを飲みながら野球を観戦し、
ときどきあてもなく空を見上げていれば、それでまずまず幸福だった。
たまにチームが勝っているときはゲームを楽しみ、負けているときは
「まあ人生、負けることに慣れておくのも大事だから」と考えるようにしていた。

試合を観戦しながら詩を書く。外野手のお尻の詩を書く。

世界中のすべての野球場の中で、僕は神宮球場にいるのがいちばん好きだ。
一塁側内野席か、あるいは右翼外野席。
そこでいろんな音を聞き、いろんな匂いを嗅ぎ、空を見上げるのが好きだ。
吹く風を肌で感じ、冷えたビールを飲み、まあわりの人々を眺めるのが好きだ。
チームが勝っていても、負けていても、僕はそこで過ごす時間をこよなく愛する。

まず最初に黒ビールを飲むのが好きだ。

そこまで好きになれるものがあるってほんとにいい、羨ましい。
そんな無邪気な村上さんは、かっこいいし素敵だ。
あれ?どっちなんだろう、私。村上さん好きかそれとも。

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ホウレンソウをいただく

2021-02-12 08:53:06 | くらし

昨日の昼過ぎ、庭に出ていたらモリタサンがピンポンて。
ん、なになに具合でも悪いのか、とこのところ不調の人ばかりなのでついつい。
布団を干していたら私の姿が見えたんですって。
「ホウレンソウ、食べてもらえる?」って。
そりゃあ喜んでいただきます。いそいそと。

「いつも柿をいただいているでしょ。何か買ってお返しするのもわざとらしいし」
ああ、人生の先輩らしい含蓄のあるお言葉。
「家で作っているホウレンソウだから無農薬だし新鮮だからいいと思って。
ちょっと大きくなりすぎたんだけど」って。
いいいい、そんなこと気にしない。と、のこのこモリタサンについて行った。

と、ちょうどそこへシンチャンママが買い物に行く格好で出て来た。モリタサン、
「大きくなりすぎたけど、小松菜食べる?」と声をかける。
そりゃあ、シンチャンママも、何よりよねと大喜び。シンチャンママはとてもほめ上手。
二人して世間話しながら、モリタサンが摘んでくるのを待った。


(どう?このみずみずしさ。とてもプランター栽培とは思えない。お上手だ)

家じゃ、オリーブオイルかけて食べたり、もやしといっしょにナムルにしたりして
食べるのよ、とモリタサン、レシピまで教えてくれる。
お浸ししかしない私はちと恥ずかしくなって。
「こんど若芽のときにあげるね、サラダにして食べて」と言うから期待して待つわ。
「主人がね、プランターが空くと、なんかさびしいねって催促するのよ」
ご主人は寝たり起きたりの生活だ、だからご自分ではできない。
そのぶん、ベランダから指示する声がたまに聞こえてくる。

それにしてもモリタサンだって、三大疾病を抱えてよろよろしながら日々を送っている身。
ご本人曰く「低空飛行でなんとかやってるわ」って。
ちょっと体調がいいとすぐにお庭に出てひと仕事をしている。ほんとにお好きなんだ。
そして、その庭仕事がモリタサンに張りを与えているのかもしれない。

その夜のわが家の一品、お浸しとベーコン炒め。ままま。

 

 

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1日が終わる

2021-02-11 08:54:22 | 街・風景

今朝も穏やかないい天気。
冷え込みが強かったらしく、スレート屋根が白く光っている。
明るくなる時間が早くなり、陽ざしは日に日に柔らかくなっている。
今日の1日が始まる。さてと。

昨日の午後、美容室に出かけた。
白髪頭振り乱しているのもいい加減にしようと、ね。
梅咲く公園に立ち寄って。

先日よりもさらに咲き進んで梅の香りがかすかに漂う。

ばっさり切ってスッキリしたけれど、じいさんかばあさんか分からない。まあいいか。
帰りは団地の中突っ切って。

近所のレモンの木、 ようやく実がつやつやと黄色が輝いてきた。

夕暮れの空も冬とはちょっと違う。

陽が落ちると、わが家は早々と飲み始める。
1日が無事終わることに感謝だけれど・・・

 

 

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*マンサク

2021-02-10 09:04:36 | 植物

階段掃除をしようと外に出たら、買い物帰りのイダサンとばったり。
「そんなことしなくていいわよ、きれいじゃないの」
なんて気持ちを削ぐようなこと言うから、その気になって「それもそうかしら」
と箒を手に持って立ち話。

イダサンはちょっといやもう少し上かしらの先輩。
あまり物事にこだわらず、ひょうひょうとして何もかも適当に受け流すからこちらも気楽。
「昼寝しかすることないからさ」から始まってあれこれ。
「年取るのも楽じゃないわねえ」って
「きつい方の娘が残っちゃって」と言うから、
「〇さんもこぼしてたわよ、変わり者の娘が家にいて嫌だってさ。
えてしてそういう子が親の面倒を見るのよね」と追い打ちかけたの。
「年取ってからの夫婦も大変だよ、若い時と違うんだから」とイダサンも切り返す。
せえので一緒にあちらに逝こう、と手を出すから、その時は連絡してねと口約束したわ。

早春に咲く花*マンサクひらひらへらへらが何とも言えず好き。
舞岡公園の*マンサク 道路沿いに。

古民家裏には紅い*マンサク

 

名前の由来、諸説。

他の花に先駆けて「まず咲く」ことからマンサクという説
枝いっぱいに花を付けることからマンサクとする説
花の様子が豊作を祈って踊る姿に似ているためマンサクとする説

どの説もなかなかそれらしいわ。

お掃除?ちゃんとしましたよ。外掃除しようという気になるなんてめったにないんだから。

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舞岡公園古民家周りの春探し

2021-02-09 08:57:46 | 植物

 陽が沈む場所が西へと

いやいや昨日はのんびりと、ちがうだらだらと1日。
雨戸を開けたらどんより曇り、というのがいけないのね。途端にへなへなとなるのよ。
午後は素晴らしい青空になったのに買い物もパス、ぶらぶらもパス、なんでもパス。
いっか、で1日が終わったら、それはそれでまあまあだったから終わりよければで。
晩酌のお伴、金華サバの塩焼きがヒット。久々に大ヒット。
塩加減といい焼き具合といい満足満足、やっぱり蓋して蒸し焼きにせねばいかんと。
美味かった。

で、6日の舞岡公園。
古民家の裏に*ウグイスカグラが咲いていますよ、いかがの情報にそれっと勇んで。
その古民家周りの春。

古民家に雛飾り 

ここに*ウグイスカグラが

古民家裏の散策路に*福寿草 陽を浴びて晴れ姿

ご夫婦の共同作業 ミニ反射板を持ってご主人の撮影を手助けしている奥様

春というにはまだ間があるけれど、足音だけは近づいている気がする。

 

 

 

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