まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

横浜友がまだ若かったとき イタリア旅行

2024-07-18 09:08:38 | 旅行

 昨夕 

Luccaルッカで呼び覚まされたイタリア旅行の思い出。

横浜友3人が50代後半、年下友は前半か。
うまい具合に3人が3人とも行かれる条件が揃って、ここがチャンスと初めての3人海外旅行へと
ツアーに乗った。場所は迷わずイタリア。そりゃあ楽しかったわ。
ルッカの冷や汗があったりしたけれど、あとは概ね順調にね、イタリアの思い出。
いやローマのホテルの夜、その日の清算をしているとき私がごねたことはあったわ。私だけ
多く出して損しているって。2対1、これでいいの!合ってるのとふたりに押し切られて。
3人はこういう時いいわね。それにしても自分でもなんでごねたのか謎。ケチじゃないはずなのに。

行程はすっかり忘れているから、写真のなすまま。

いきます、そのローマ

バチカンのスイス衛兵 衣裳が何ともステキで見惚れる

トレビの泉

フォロ・ロマーノ ここに咲いていたアカンサスに一目惚れしたわけ

 コロッセオ

 

カンポ・デ・フィオーリ広場の市 ナヴォーナ広場が近い

次にヴェネツィア

カナルグランデ(大運河)

船着き場

なんたって高いところがあれば上るから サン・マルコ広場の塔からの景色

丸いドームの建物はサンタマリアデッラサルーテ聖堂  中にも入った気がする

マッジョーレ島

ヴェローナ あんまり寄りたい場所じゃないね、なんて生意気言ったけれど素敵な街でした

ツアー客はいずこの国も同じ ガイドさんに連れられて並んで並んで

その我らのツアコンさん

 

ロミオとジュリエットの舞台になった街ね ジュリエットの家とバルコニー 

アッシジ すごく行きたかったところ

サン フランチェスコ聖堂 「小鳥に説教する聖フランチェスコ」などジョットの壁画が

 

と、ここまでUSBから画像を引っ張り出して選んで貼り付けたはいいが、肝心のフィレンツェの
写真がひとつもないのよ、いくら探しもないの。変、おかしい、どこに消えたのだろう。
もうしょうがないな、まあいいや頭の中には残っているからね。
で、ネットから拝借の1枚。

我ら3人してこの大聖堂のてっぺんに上ったの。大聖堂の中の狭い階段を息切らしながら
必死で上ったわけ。尻込みする年上友を叱咤激励して「ここまで来てドーモのてっぺんに
上らないでどうする!」と脅迫して。

写真にも白い狭いてっぺんに人々が見えますでよ、あの中の一員になったの。
狭い通路に恐怖を感じて1周して、今思い出しても足がすくんでぞがぞがするわ。

それにしても70代後半の今つくづく思うわけ。「行けるときが行くとき」
私の口癖だった「今年が最後」は母が倒れて本当になったもの。
あの時行っておいてよかったな。二人には感謝だ、よくぞ付き合ってくれたもんだ。

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舞岡公園 谷戸の田んぼ道を歩く

2024-07-17 08:35:28 | 自然・風景

涼しいのもどうやら今日で終わりのようね。
どんより曇り空はいやだけれど、気温の低さはありがたいのよ。

 今朝開いた朝顔

昨年の秋冬には血圧が140台で時に150にも行くことがあり、いよいよ医者通いに
なるのかとぐずぐずしていた。さすがに150くらいになると、変だなと自覚がある
けれど140なんてへっちゃらだ。むしろ元気が出るくらいで、そのうちにと
ほっておいたら。
いやいやこの春ぐらいから120台に落ち着いてきて、最近では110台だ、たまに110を
切ることもある。そりゃあ気温が高いというのもあるだろうが、なんだろうねこの落差。
いいのかしら、そっちの方が気になる。血圧が110台だとやる気が出ないね、さらに出ないね、
洗濯物干すのも
めんどくさいわ、ってそりゃあ別の病気か。ま、そんなこんな。

13日、ヤマユリご挨拶に行った舞岡公園。


林を抜け谷戸の耕作田んぼに下りた途端 暑さがむうーんと押し寄せてきてすぐに汗が浮かんだわ

両側を林や崖に囲まれた谷戸は暑い 拭っても拭っても汗が出てくる

園路のキキョウ見ても暑い

小谷戸の里のヤマユリ開き具合をチラ見して

古民家裏のヤブマオ拝見して もうさっさと帰り道へ

暑い 汗が流れる 
ネムノキは終わりだ そういえばリョウブの花もオカトラノオも終わりだったな

苗は順調に成長しているようだ

 

 

 

カメラに収める収穫はあったかな

 

帰りのバスを逃してしまった。乗る予定のバスはちょい向こうで信号待ち。
1本待つ間そこら辺ぶらぶら、谷戸の田んぼの中よりずっと涼しかったのよ。
私のことだ、こんなことなら20分もう少しゆっくり歩けばよかったなと後悔したことは
言うまでもない。ま、いっか。

 

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バス待ちの空

2024-07-16 08:51:36 | 街・風景

涼しかった。
しっかりタオルケット巻き付けて寝た夜。少しだけ開けておいた窓も閉めようか
と思ったくらい。それなのに23時に寝て2回も目覚めて3時からはもう眠れない、ま、なにする
でもないからいいけれど、今朝は室温26℃だから思いのほか体はシャキッとよ。ほんとよ。

 今朝の朝顔

今年に入ってからというもの、今までの私の人生になく自己肯定感が出てきて、
まあいいわこれでいいわ、私は私、と気持ちは高値(よりは低い)安定だったのに。
どうでもいいのの開き直りともいう。それが。
このところちょっといかん、なにがあったわけでもないのに、ちょっと低空飛行に突入。
困ったもんだ、仕方ないわねそうなんだから。ま、そのうちまた上昇するだろうと
取り敢えず買い物途中の道で空を見上げる。

昨日は市バス利用で隣駅のスーパーへ いつものスーパーは飽きた

百日紅がきれいだ この程度の大きさがいいな

 

階段を下りて

バス停で前の団地を眺める
一緒にバス待ちしていた老女が「ひとつ前のバスに置いて行かれちゃった」って 
ふたりして老女置いてけぼり率の高さを嘆き合う 運転手からは見えているはずなのにと
走っているつもりでも 歩いている程度のスピードじゃ仕方がないわね はははなんて
ちょっと前に並んでいればいいことよ と当たり前のことを確認しあう

買い物終えて、こまわりくんに乗り換えのバス待ちの間も空を見る。
青空は久しぶりな気がするわ。
四角い団地の建物と青空、雲。

 

 

 

 

 

7月も半分まで来た。
嫌いな夏はあと1ヶ月半もある。

 

 

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シンチャンママのがんばり

2024-07-15 08:36:54 | くらし

今朝も梅雨そのものの空。蒸し暑いなあ、気持ちが悪い。
床もどこもべたべたして、やり過ごすしかない。

 (写真は今朝の朝顔)

シンチャンママの家に回覧板を持って行ったら「おかわかめ食べる?」と聞かれた。
なにそれ、って。
おいしいのよ、さっと湯がいてお醤油たらして食べてみて、と庭のフェンスにぐじゃぐじゃ
絡まっているその葉を摘んでくれた。私はそっちよりシソの葉の方に目が行って。
そう、両方もらって夕飯に。私の献立は貰い物でできている。
おかわかめ、美味しいようなそうでもないような。微妙。湯がきすぎたかな。

それにしてもシンチャンママ、よくここまで回復したね頑張ったね、って。
シンチャンママは去年のゴールデンウイーク前に股関節の手術をした。
特に日常生活は困っていたわけではないけど、今だって決めたんだって。
「手術の後はバラ色の世界だって言われているのよ」と何の不安も見せずに言ってたの。
手術は大変らしかったそうだけれど、その後の生活が想像以上で。

シンチャンママは長年整骨院にお世話になっていて、その先生の進言で手術にも踏み切って。
当然のように手術をした病院の医師は、術後は歩いてリハビリしなさいと言う。
ところがその整骨院の先生は、術後の身体が落ち着くまでは歩いてはならないと言う。
トイレにだって歩いて行ってほしくないと言われたそう。迷うよね。
シンチャンママは、長年診てもらって治療してもらっていた整骨院の先生の助言に従った。
なるべく歩かない生活。それがいつまで続くか分からない生活、信頼するしかないわけ。

それまですぐそばのシンチャン一家は、何かとおばあちゃん家に出入りしていた。
それがほぼ行かなくなって、ソウチャンもメイチャンの声も聞かなくなった。
シンチャンママの家から生活の気配が何もしなくなった。ご主人が出入りする音だけ。
私、たまに回覧板持って行き、出なくていいからと言うけど「ちょっと待ってて」と
ゆっくり玄関まで出てくる。少し話す。
その間も立っていられず、座るねと段差に座って話す。誰にも会わないのだから
少しは声を出したいよね。
「大丈夫よ、エアコンとEテレとBSで楽しんでいるわ」って。
「主人や妹なら耐えられないだろうけど、私、もともと家の中でのんびりしているのが
好きだから」って。
私も絶対耐えられない。だってね、オクガワサンに〇さんの奥さん見かけないけど
どうしたのかしら、と聞かれるくらい徹底して外に出なかったんだから。すごい忍耐力。

それが、半年以上経ってお正月が過ぎて、玄関先からシンチャンたちとの声が聞こえ始めた。
シンチャンママが車運転する姿を見かけ始めた。
宅配便の人と話す声が聞こえ始めた。
「ようやく歩いてもよくなったの15分くらいね、まだ坂はだめだから平らな道ね。
だからスーパーまで車で行って中をぐるぐる歩いているのよ」なんて。
それにしても辛抱強いシンチャンママ。
1年を経過した今はすっかり元の生活に戻っている、いや歩く姿は以前よりすっきりしている。
「やっぱり大変だった、折れそうになったわ」と今にして。そうね、そうよね。
ほんとよかった。1年はかかったけれど乗り越えた先に、願ってたバラ色の世界があったわけね。

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舞岡公園 ヤマユリ

2024-07-14 09:06:14 | 植物

ここ数日、少し蒸すけれど涼しくて何より。
私はそんなこと言っていられるけれど、天が好き放題大暴れしている地域もあって、
いい加減にしてくれと怒鳴りつけている。

わが家のユリが終わって、そろそろヤマユリの花の時期だなと。保存してある写真は
毎年17日前後の開花。来週あたりだな、なんて考えていたの。それが。
昨日舞岡公園のHP確認したら、12日のブログに今が見頃です、って。
えっ!?それは大変だ、今年はどの植物も早めだからなこちらも早まったのか、行かねばと。
来週のどの日に行こうか天気予報見て考えていたけれど、2日も予定があるから躊躇
していたのよ。それが見ごろとあれば今日行くっきゃない、慌てて出かけたわ、昨日。
空も晴れていたしね。

 

終点でバスを降りて カーブミラー先の林の中を入る
入ったその時からもう汗がにじみ出してきて 
東門から耕作田んぼに来たらすでに背中はびっしょり
途中の林の中のヤマユリは ぽつりぽつりの開花 うーん残念

赤とんぼを撮ったつもり いない

園路のヤマユリは蕾 何本もあるヤマユリ 見事にまだ蕾

かわいい鳥が先導してくれるのがせめてもの慰め

小谷戸の里 門前で1輪出迎えてくれる

辛うじて1本咲いてくれている

古民家のお庭崖に

 

 

 

がっくり落胆 早まったか、もろもろで感激がない。ヤマユリご対面の感激がなかなかわかない。
林の中、園路、小谷戸の里、どこもかしこも見事に咲き誇っていた去年の姿が印象に残っている
からね、それがじゃまするの。うん、いけないね。

そうよ、今年も見られただけでよかったじゃないの、とむりやり気持ちを切り替えたわ。

 

 

 

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理佐と律とネネと『水車小屋のネネ』津村記久子著

2024-07-13 08:02:25 | 

いい話だった、本当にただただその想いしか浮かばない。
読んでいる最中も読み終わった後も、しみじみといい話だなあと。
最近読んだ本の中ではいちばんだわ。

かなり重いテーマを含み複雑な問題を孕んでいると思うのに、それが少しも表に出てこない。
淡々と描かれていて、姉妹はそこから逃げず戦わず気負わず乗り越えていく。
それはきっと、作者の津村さんがいうところの二人の姉妹の性格、
「理佐は生活の細々したことは考えつつも、考え込むことがなく、思い切ったことが
できるプリミティブな感じの人です。律のほうが慎重で考え込む感じですね」
が大きく作用していると思う。

小説は第1話の1981年から始まって、10年刻みで91年、2001年、11年と進み、エピローグは21年。
そこで終わる。

身勝手な母とその婚約者から逃れ、山間の町にやってきた理佐18歳、律8歳の姉妹。
理佐が見つけた就職先は小さな町のそば屋。この店はそば粉を水車小屋の石臼で挽いていて、
ヨウムのネネがその監視をしている。理佐の仕事はそば屋の接客とそば粉挽き、
そしてネネの相手をするというものだ。このネネの賢さが物語を彩り豊かなものにして。

裁縫が好きな理佐と、本好きの律。
二人が出会うのは老齢の画家・杉子さん、律の担任の藤沢先生や同級生の寛実ちゃん、
寛実ちゃんを男手ひとつで育てる榊原さん、浪子さんに誘われて理佐が参加した婦人会の女性たち……。
「必要に応じて登場人物を書いていったら、こんな感じになりました」と作者の津村さん。

ー「この程度のことなら自分にもできる」という範囲の親切にしたかったんですよね。
強烈に肩入れして助けてくれる人がいて人生が変わった、という話は拒否したいんです。ー
この津村さんのスタンスがとてもいい。

代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子さんは
ー人間同士の関係が、「対ネネ」と変わらないのである。べたべた甘えず、寄りかからず、
踏み込まずに、信頼し支え合う。このフラットな感じはとてもやすらかーという。
そう、物語はそのフラットな感じが貫かれていてすごく共感でき、気持ちよく読み進めていくことが
できる。暑苦しい熱意や好意は読み手も暑苦しくなるだけ。

 

大学に行くためのいろいろを教えてくれた藤沢先生の言葉。
「誰かに親切にしなきゃ、人生は長くて退屈なものですよ」

陽が落ちる直前の渓谷を眺めながら、律は地元の駅へと帰っていった。
恵まれた人生だと思った。
自分を家から連れ出す決断をした姉には感謝してもしきれないし、
周囲の人たちも自分たちをちゃんと見守ってくれた。義兄も浪子さんも守さんも杉子さんも
藤沢先生も榊原さんも、それぞれの局面で善意をもって接してくれた。

自分はおそらく姉やあの人たちや、これまでに出会ったあらゆる人々の良心で
できあがっている。

しばらくの間、自分という人間がおらず、何もしなくていいように感じることを
気分よく思いながら、律は去って行った守さんや杉子さんや、この場にいない
藤沢先生のことを思い出していた。彼らもその場にいるような気がした。

誰かが誰かの心に生きているというありふれた物言いを実感した。むしろ彼らや、

ここにいる人たちの良心の集合こそが自分なのだという気がした。

深い深い凄い言葉だなあと思う。多くの人に助けられてきた律がたどりついた自分自身の今。
いい物語だ。余韻が残る小説だ。


物語をさらに生き生きとさせているのが北澤平祐さん描くイラストの挿絵。
挿絵だけでもじっと見ていられる、想像力をかきたてられる。
単行本にはめずらしく挿絵が多く入っていて、大人のちょっとした絵本ふうだ。

(すべてネット拝借)


2024年本屋大賞2位。私的には読んでいない1位を上回っての1位。

 

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地味な花が地味に咲く

2024-07-12 08:38:52 | 

 

 8日の夕暮れ

昨日は涼しかった。
いつ雨が降るか分からないから、窓は細目にしか開けていなかった。
それでもエアコンなしで充分。

ジャングル庭はジャングルのまま、ま、少しずつ枯れた草花は抜いたり切り戻したりは
しているけど。入り乱れているのは変わりないわ。いや荒れ地になっていくか。
華やかなユリが退場したらとたんにみすぼらしくなって。
地味な花がぽつんと地味に咲いているだけで、かえって寂しくなって。
ままま、君たちもいてくれなきゃ困るんだから可愛がるけれど、ね。そんな7月の庭。
そうそう、三尺バーベナがいつまでも元気に咲いているのよ。枯れ花をつけながら。
蝶はなぜかこの三尺バーベナが大好きで、花に顔を突っ込んでいるの。
次々と飛び移ってね。で、それらの蝶は華やかな大輪のユリなんか見向きもしないわけ。
えらい!と私は蝶を褒める、わが身に置き換えて褒める。
華やかばかりが花じゃない。だから地味だって三尺バーベナは切らない。

 

 アスパラガスの白い小さな花

 

 百日草 気取ってジニア

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 思い出したように咲く
 バーベナ

 

 

 ルリタマアザミ

 

 ペルシカリア

 

 ジュズダマ

 

 長生きのコエビソウ

 

 ホウチャクソウの実

 

今朝の朝顔   

 

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鎌倉八幡宮に寄ってから

2024-07-11 08:59:41 | 街・風景

今朝も続いているけど昨夜からの強風、時折の雨。
もうなんだなんだの極端な空模様で。いい加減にしておくれよ、と言いたくなるが
涼しいからいいか。

8日月曜日は元同僚定例会。今回の幹事さんは場所を葉山に。
5人のメンバーは私を除いて京急沿線住まいで、幹事さんは車を出してくれる。
京急逗子葉山駅集合11時40分。
どうしようかなと。ふだん京急利用しないから乗って、たまには金沢八景駅で降りて
平潟湾でも眺めるか、と思ったけれどなんせ猛暑の日。やめた。
それなのに、八幡宮の七夕飾りのブログ拝見して、きれいだなあって。行かれるじゃん。
七夕まつりは7日までとあるけどいいや、ハスをみればいいや、と。決めたのよ。
猛暑の日、八幡宮まで行こうって。こっちの方がよほどに暑いのにね。

二の鳥居 この暑いのに酔狂だねえって笑われていそう

あっち見て

そこを見て

歩いたわ 段葛の桜並木の木陰を

お参りはここで済ませました はい

すぐに 源平池へと

やっぱりハスもいいなあ と そうだったわ光明寺のハスという手もあったんだわ
(HP見たら観蓮会は7月27日28日だった)

そろそろ時間だから鎌倉駅へと。
帰りはなんと鳥居前からバスに乗ったのよ、いいわいいわこの思いつき。
疲れた、暑いときは何と楽ちんなことか。横浜友にも教えてあげよう。

で、鎌倉駅からはJRに乗らず、またもやバスで逗子葉山駅まで。初めてのバス路線は
乗っていて楽しい。

定例会のお店。頼んだ天丼、てんぷらの数を見てくださいな。私は完食、二人は食べきれず。

 

 大女将さん 97歳

「いやんなっちゃうよ、いやんなっちゃうよ」「いつの間にかここまで来たよ」
と言いつつ現役バリバリです。

満面の笑みでポーズをとってくれました。

なかなかの小さな旅でした。

 

 

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Lucca(ルッカ)

2024-07-10 08:52:38 | 旅行

昨日は暑かったけれど、エアコンのお世話にならずに済んだ。
風があったからね、夜も網戸にして。やっぱり自然のままに寝られるって気持ちいい。
今日はどうだろう。

ライン返信の折に、横浜年下友から「ミュシャ」ヨーロッパで見たよね、って。
そうなのよ、私も確かに見た覚えがあり、ラミネート加工したしおりのお土産まで
記憶にあるの、探せば出てくると思うけど。でも曖昧だから書かないでいた。
が、二人して見た記憶があるというからにはやっぱり、だ。
そうなれば、二人でツアーに乗って行ったプラハしかない。プラハで見てたんだ、そっか。

どのくらい前からかは分からないけれど、坂道を下ったところに小さな店ができていた。
床屋さんのとなり。しげしげと見たわけではなくバス車内からのチラ見。毎日チラ見。
外観がとてもおしゃれ、でもおしゃれ過ぎない。狭い店内を見れば美容室だろうと分かる。
ところが美容室にありがちな、カットいくらとかの価格表がない。見事にいっさいない。
外観は「Lucca」の看板だけ。うーん、と唸った。自信あるのだろうね、きっと。

で、「Lucca」から思い出したね、50代後半横浜友とのイタリア旅行、三人の珍道中。
フィレンツェ滞在の折に1日自由行動の日があった。どうしようか。
あなたに任せると言われて張り切って。フィレンツェから行かれるシエナにしようかピサにしようか。
フィレンツェが内陸だからやっぱり明るい海洋都市ピサだな、なんて。
ここからは、以前にも書いたと思うけれど再度記憶をたどって。

私はその前に娘とピサに行っているから、欲張って城壁の街ルッカに立ち寄ってそれから
ピサだと計画する。
まずは切符を買わねばならない、フィレンツェの駅で窓口のオジサンに「ルッカ」と言って。
ルッカはフィレンツェから何個目の駅かしら、分からん。こうなったらと、指を使ってトントンと、
駅を指し示すポーズ。ワン、ツウ、スリ―・・・ルッカ?!と言って確かめる。ボディランゲージ。
いやあ無事に買うことができましたよ、ルッカまでの切符。ホーム確かめ電車に乗り込み、過ぎ行く
景色なんぞ見てたのかしら、今思えばよくぞそこがルッカ駅だと分かって下車したわね。
うん?でも私のことだから少しは予習して電車時刻調べたり計画立ててたよね、きっと、って。

 


それから街を見学、城門を通って広場に行き、グイニージの塔なんぞ上って。
なにもかも恐ろしいまでの無鉄砲な行動、やみくもに突き進んでいく。
もちろんスマホなどないから3人の知恵で、ってほんとか。ただの怖いもの知らず、無知。

 

(グイニージの塔屋上から)

で、街歩き終えランチも食べ、今度は終点ピサ行の電車に乗り込んで、とまあここまでがLucca。

ピサ駅でも真っ青になるハプニングがあったけど終わりよければすべてよし。笑い話の思い出。
でもでも何かあったらどうしてたんだろうね。冷や汗たらたら。
中年女だって後先考えずやるときはやるの。いいのか。

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茅ヶ崎美術館 『アルフォンス・ミュシャ展』ーアール・ヌーヴォーの美しきミューズー

2024-07-09 09:06:09 | 展覧会

茅ヶ崎美術館で開催中の『アルフォンス・ミュシャ展』ーアール・ヌーヴォーの美しきミューズー
期間は8月25日までだからたっぷりある。
あんまり好きじゃないな、なんて言いながら美しきミューズたちを見て回る。
ポスター、装飾パネルをはじめ、デザイン集、ポストカード、切手、紙幣、商品パッケージなどの
作品が展示されていて、ミュシャの精力的で多彩な画家生活がうかがわれる。

茅ヶ崎美術館のHP拝借

アルフォンス・ミュシャ(1860-1939)は、19世紀末から20世紀初頭、ヨーロッパで花開いた
芸術様式「アール・ヌーヴォー」を代表する画家です。
ミュシャが描いた植物文様で彩られた優雅な女性像は今日まで多くの人を魅了しています。
チェコ出身のミュシャが時代の寵児となったのは19世紀末のパリでした。彼が描いた舞台女優
サラ・ベルナールの演劇「ジスモンダ」の宣伝ポスターが大評判となり、画家のみならず、
デザイナーとしても輝かしい足跡を残したのです。 しかし、祖国チェコ、スラヴ民族への愛は
変わることはなく、50歳でチェコに帰国したのちは祖国の平和を願いスラヴ民族の誇りを
作品に表しました。

多岐にわたる多数の作品からほんの少々 タイトルは調べられた作品のみ

ポスターと装飾パネルを

 

  

                        <サラ・ベルナール>

 <椿姫>

 

 <ハムレット>

 

 

 

 

<夢想>                        <ジョブ>

 

 

 

 

 

                        <ズデンカ・チェルニー> 

ポスターはやはり目を奪うものがあり装飾パネルは華やか。                     
私は、50歳で祖国チェコに帰国してからの作品の方が落ち着きがあって好きかな。

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