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まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

会津若松 御薬園

2023-10-29 08:25:01 | 旅行

先ほど虹が出た。あらまあ、見るときは見るのね。

もうすでに消えている。

ちんたら綴ってきた旅行といえば旅行、でも大仕事もあったからそうともいえないか。
これで終わりね。

会津若松に着いて宿に入るまで3、4時間ある。ヨーコチャンとそれぞれ第一希望を
出し合ってそこを訪ねることにした。ヨーコチャンは武家屋敷、私は御薬園。
ってその前に。東京駅に行く電車車内のこと。
最寄駅から車両に乗り込んだら若者が座席二つ分を占めて寝込んでいるの。
白いパーカーを着た高校生くらいの若者よ。
足は膝を折り曲げて、腕は片腕をだらんと床に落として。もうぐっすり寝込んでいるの。
スマホ一つが床に落ちていて。荷物らしきものは何もなし。
時々腕をを胸に引き寄せるも一度も目を開けない。ぐっすり。
あとから乗り込んでくる乗客は、ちらっと見るも誰も何もしない。私も見ているだけ。
日曜の空いている車内だからいいかなと。(ほんとはいけないかもしれないけれど)
東京駅についてもまだ目を覚まさないから1時間以上その姿勢だ。スマホもそのままだ。
そんなに眠りこけてしまう若者事情っていったい何だろう。そんなこんながあって。

会津若松駅前。日曜のお昼というのに閑散としている、あれま。
私たちは30分に1本というバスに乗る。

車内はグループ8人の方たちとで満員。

由緒ある建物を車内から見て

御薬園前で下車

御薬園の説明(HPをお借りする)

1670年(寛文10年)二代藩主正経(まさつね)は、貧しい領民を疫病から救い、病気の
予防や治療などを施したいとの願いから、園内に薬草園を設け、各種の薬草栽培を試みました。
三代正容(まさかた)の貞享年間(1684~1687年)から次第に薬園が整備拡充され、
朝鮮人参(オタネニンジン)を試植し、これを広く民間に奨励したことから、領民からお殿様の薬園、
御薬園(おやくえん)と呼ばれるようになりました。

薬草標本園に

 綿

イヌサフラン

ズミ

 

私、歴史はちんぷんかんぷんだから、庭園の由来もHPをお借りする。

現在の庭園は三代正容(まさかた)の時代、1696年(元禄9年)小堀遠州(こぼりえんしゅう)の流れを
汲む園匠目黒浄定(めぐろじょうてい)と普請奉行辰野源左衛門(たつのげんざえもん)の手に
成るもので、規模を拡大し借景を取り入れた池泉回遊式の大名庭に大補修を加えたものです。
周囲約540メートルの長方形で面積は1.7ヘクタール(約5100坪)あり、
北に千古の雪を頂く飯豊の霊峰や、東には磐梯の秀峰と背あぶり山・東山の連山が望まれた
借景のすばらしい庭園として造られました。

じゃあ、なんで「薬草園」に行きたかったのかって、ただただ日本庭園を見て歩きたかったの。
写真を見て「アッここだ」と思い、小ぶりなのがまたよくて「さざえ堂」からこちらに乗り換え。
その庭園。

松の見事なこと

心字の池

曇り空は曇り空で しっとりと趣があってよかったわ
ブロガーさんの中に ここを我がお庭のように遊んだ方がいらしたけれど なんと贅沢な

案内図を貼り付けます。

次にヨーコチャン希望の武家屋敷に行ったら「私ここに来たことあるからいいわ」だって。あちゃ~。
さざえ堂、行きたかったな。ま、でもせっかくだから見学したけれど。心ここにあらずの態。

 

 

 

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郡山から新潟まで 普通電車旅

2023-10-28 08:40:01 | 旅行

4時半ころトイレに立ったら、オレンジ色に近い月が林に沈むところ。
いやあ、きれいだった。白っぽい月は何度もお目にかかっているが、
久しぶりに見る濃い黄色の月、ほんの少し欠けていたわ。
トイレに立つのも悪くない。

 

ではでは遡って。21日から22日の電車旅の行程を記録。

21日土曜日、東北新幹線で郡山まで。

 

東京駅 やまびこ53号は指定席は満員だが自由席は空席多し 大宮から乗車するヨーコチャン

1時間強で郡山着 磐越西線乗り換えで会津若松まで ようやく空席を見つける

磐梯山 頂上は雲をかぶって うーん残念

東山温泉お泊りして 翌22日10時出発の快速乗車 もたもたしていたら空席はひとつ
よかったわ ヨーコチャンは指定車両(2両)へ

 自由席車両は1両だけ

途中駅からの乗客 かろうじてきれいな写りの沿線風景
絶景ポイントに来ると車内アナウンスガイド そして電車はゆっくり走ってくれる

 

実は 愚痴っていたら横の撮り鉄男子が ここなら比較的きれいに撮れると教えてくれたのよ
それが乗降口ドアのガラス窓てっぺん付近 雰囲気でまあ沿線風景が分かることにする

12時17分只見駅到着 小出行は約1時間後 駅周辺を散策

乗ってきた電車の折り返し会津若松行き 
私のお隣の席だったご婦人たちはそのまま乗車していた うーん羨ましい

保育園児たちがお見送り シャボン玉飛ばしてのお見送り ちと寒そう

そうこうするうちに小出行電車入線 乗降口の印がないからどこに並んでいいかさっぱり
分からないの 1番に並んでいたのにね 

車内からの沿線風景 青っぽくなっているのはそのため

只見駅13時27分発 小出駅14時40分着 約1時間20分の普通電車旅

小出駅からは越後三山の一つ 雪の駒ケ岳を見ることができた

ここでヨーコチャンは東京方面へ
私は上越線で長岡 信越線乗り換えで新潟まで普通電車に揺られた

新潟駅着 5時近い。
10時から17時まで(途中下車約1時間)およそ6時間、電車に乗っているのは苦じゃないから
それなりに楽しんだわ。

 

 

 

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2023/10/22 会津若松から只見まで

2023-10-22 11:54:00 | 旅行
目まぐるしく変わる空模様。
10時出発の臨時只見線、車窓からの写真です、窓ガラスが水滴の後で汚れていて写真も汚れていて、おまけに紅葉も今ひとつ、と言い訳たらたらです。
























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東山温泉

2023-10-22 09:19:00 | 旅行
昨日、郡山から猪苗代駅までは秋空で気持ちが良かったのに、会津若松に降りたら雨。あらあら。
雨の中を御薬園散策。



仕方ない、そうそうにお宿へ。
のんびりゆっくり休んでお風呂入って食べて。
今朝も曇り空。只見線乗り鉄旅にでかけます。
宿からの朝。









朝ごはんです。お餅がでて珍しいので。



ただ今会津若松駅で電車待ちです。
それではまた。





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ぐるっと回って新潟まで

2023-10-21 08:51:00 | 旅行

仏壇回向、墓じまい終えてほっとする間もなく、佐渡での私の大仕事が
あと一つ残っている。否が応でもやらねばならない。
自分の齢を考えてもあと1,2年しかシャンシャンと動けない。
身体の動きだけじゃなくて、頭のピーマン化が進んでいることを自覚しているから余計だ。
さ、行こう。話を進めてくるわ。その前に。

ずっと以前から、ヨーコチャンといつか只見線に乗ろうと話していたのよ。
今回がそのチャンス!佐渡行きは只見線回り。
みどりの窓口で切符購入。用紙に記入してグダグダ説明したら、1枚で新潟まで
乗車できる切符を作ってくれた。それがこれ

経由:東海・東京・新幹線・郡山・磐西・只見線・上越・信越

私、わけが分からないから四の五のいったけど、これで大丈夫と説得されて。
そういうわけで、今日は郡山まで新幹線、合図若松まで磐越西線に乗って。
東山温泉宿泊。
翌22日日曜日、只見線乗車で小出まで。小出から上越線信越線、乗り継ぎ
乗り継ぎの普通電車。
新潟には夕方到着して、カーフェリー乗船。夜の10時佐渡に、それから実家。
ハードな旅程で大丈夫かしら自分、大事な案件を控えているというのに。
ま、バッグは肌身離さず持って。行ってきます。

やまびこ53号乗車しました。それではまた。

コメント (2)
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北東北 バスは走る

2023-09-20 08:53:50 | 旅行

わずか2泊3日のツアーなのに、まるで5泊も6泊もしたようにだらだらと
綴ってきたブログですが、もうほんとにこれで今日でお終いです。
夫の喜寿の祝いにと計画した妻の心遣い、感謝してくれたから、ま、よしとして。
もうずっと行きたいと言っていながら自分では計画しないからね、私の出番だと。
それにしても北東北は初めてで、といってもところどころは点の立ち寄りで観光は
しているのよ。それでも今回のように縦横四角形で走るなんて、ん、楽しかった。

17の是川石器時代遺跡がスタート、の御所野遺跡がゴール。
岩手県八戸から青森県に入り、秋田県に下がって岩手県一戸に戻るというコースね。

是川から、その日のお宿黒石市の板留温泉までは八甲田山を走る。ガイドさんはもちろん
映画「八甲田」の話。決して高くない山々だけれど侮ってはいけない、必ず案内人をつけよとね。
私、見たかったところだから、走っているときはずっと山の景色を眺めていた。ところが。
走り始めて横殴りの雨、しばらく走っていると霧がかかって前がよく見えないくらい、そこを
脱出したらようやく曇りになってきて八甲田の山々が見えた。ガイドさんは、10回来たら1回
くらいしか風景が見えないって。で、城ヶ倉大橋でバスを止めてくれて、ちょこっと歩いて。

紅葉シーズンはそれはそれは見事ですって 大変な渋滞ですって

1日目の黒石温泉郷 板留温泉お宿あたりの風景 この風景にふさわしいお宿 
バイキングなんてないの 好きだわ この手の昭和ふうな宿

三内丸山遺跡までは近い

三内丸山遺跡から亀ヶ岡石器時代遺跡までも近い

もうひとつ森田歴史民俗資料館を見学して2日目のお宿 伊勢堂岱温泉へとバスは走る。
岩木山を見ながら津軽平野をひたすら走る。これがいいのよ、好きな風景なのよ。
岩木山のふもと、田んぼがどこまでもどこまでも広がっていて、のびのびとした田園風景で。
もちろん、ガイドさんは太宰治の話。
降りて写真を撮りたかったけれどそうはいかないわ。ひたすら眺めていたわ。満足満足。

2日目のお宿は日帰り温泉を兼ねているから地元の人たちといっしょ。駐車場前の人たちね。
(アッハッハッハ、案山子です)

で、3日目は秋田県を横切って岩手県へと。ここらあたりの風景はどちらでもなくまあまあ。

最終地 御所野遺跡

ところで最後に

遺跡のうち重要なものが史跡に指定され、そのうち
「学術上の価値が特に高く、我が国文化の象徴たるもの」が特別史跡に指定される
北海道・北東北の縄文遺跡群は二つ

「青森 三内丸山遺跡 平成12.11.24 」 「秋田 大湯環状列石 昭和31.07.19 」

 

 

 この縄文遺跡群ロゴマークの意味を

 全体を縄文土器に見立てて北海道と
 北東北のパワーを象徴するような
 渦巻の形でつないでいる。
 色は縄文時代の漆器や土器に見られる
 赤漆色に。構成資産の色を濃い目の色
 のグラデーションで表現。
 下部のJAPANには、漆の意味もあると。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長々とお付き合いくださいましてありがとうございました。
間違いが多々あるんじゃないかとひやひやしています。


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御所野遺跡 いろいろな遺跡の土器

2023-09-19 09:07:07 | 旅行

なんだかなあ、今頃になって旅行の疲れが出てきたわ。グダグダしている。
旅行中は何の疲れも感じなかったのよ、興奮してたのかしらね。
日陰も何もない炎天下の中、よく歩いたわ、って歩数計を見るとそうでもないのが
悔しい。膝もよく頑張ってくれたから、お前はえらいとほめているの。

遺跡巡りの最後は三内丸山遺跡と同じ時代の「御所野遺跡」


平成元年度(1989年)一戸町の工業団地造成にともなう事前調査として発掘調査を開始し
たところ発見されたというから、どこも同じような経過をたどっているのね。

馬淵川沿いの段丘上に立地する拠点集落でして。
ガイドの人が「この辺でいいかと(アハハ)適当に決めたわけじゃなくて、暮らしていくのに
ふさわ
しい場所を選んでいる」と説明してくれたけれど、本当にそうだなとその場に立ってみて
実感したわ。

御所野ムラの人々は、馬淵川の支流や周辺の豊かな森で狩猟や採集、漁労を中心とした生活を
営んでいたと。
遺跡は東西に細長い台地と東側の丘陵地に住居跡や盛土遺構、配石遺構などが分布しており、
800年間という長期にわたって人々が定住した集落跡と考えられている。

4800年前ごろになると中央部に環状集落が作られるようになり、遺跡の中央北側を大きく削って
平坦にして墓と配石遺構群をつくり、出た土は南側に盛りあげて送りの場とし、その周囲を
竪穴建物が環を描くようにめぐって建てられていた。

4500年前ごろになると、中央の墓はそのままに集落が東と西にわかれていき、集落のまとまりは
だんだん小さくなり、御所野周辺の地域へと散らばっていく。
やがて御所野遺跡はまつりの場に特化した“祭祀センター”としての色合いが強くなっていったと考えらる。
(公式HPを抜粋)

その形式が先の伊勢堂岱遺跡や大湯環状列石跡に繋がっていくのかしら。
御所野遺跡は縄文社会の移り変わりを追っていくうえで重要なキーとなる遺跡だそう。

復元作業は、実験したりして本来の縄文時代の姿に近づけていくようにしているそうな。
結果、竪穴建物は茅が確認できず、焼けた木材の上に焼けた土が載っている状態で見つかったため、
屋根に土が載っていたことが分かってそのように復元しているとのこと。

配石遺構

ガイドさんは 3年間通ってようやく真ん中の柱と太陽が重なる日の写真を撮ることが
できた と話していた うーん素晴らしい 感激しただろうな

熱心に説明してくれたのでバス乗車時間が迫っており メンバーのおひとりが意を決して
「時間がありません、博物館を見学したいのですけど」と催促したのよ 勇気がある
博物館内の土器

私の当初の目的は土器土偶を見ることだったから、写真はたくさん撮った。その中から
ほんの少し。伊勢堂岱遺跡はコンテストで紹介したからおいて、他の遺跡から。

是川石器時代遺跡から

紀元前1500年ころになると漆を使っての漆器が出てきて 

三内丸山遺跡

大湯環状列石

左の五角形の土器は珍しいそうな

時代が進むとより精巧になってくる

 

どの遺跡のガイドさんも、諸説いろいろあってとか、と言われているとか、はっきりしたことは
分からないとか付け加えていたから、そこに色々な想像が働く余地があるのね。

 

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いくつになっても

2023-09-18 08:50:08 | 旅行

この蒸し暑さはもう少し我慢すればいいのね。取り敢えずは今週末まで。

さて今回の2泊3日北東北縄文遺跡巡りのツアー、参加人数は19名。
超がつくくらい行動しやすい。集合時刻に遅れてくる人なし、それどころか
皆さん10分くらい前にバスの座席に座っているので即出発。おかげ旅館到着も早く
なったりして。目的がはっきりしているからお土産物屋に寄ることもなく。

メンバーはご夫婦が6組、女性同士が2組、お一人参加が3人。
バスの座席は2席をひとりでどうぞと言われて、お言葉に従うのは夫婦連れね。
女性同士はぴったり並んで座って。きっと積もる話があるんでしょうね。
最高齢のご夫婦、ご主人がなんと91歳というからそれはそれはと驚くわけ。
奥様もふさわしい年齢でしょうね、そのお二人が全行程、遅れることなく休むことなく
歩いて見学して好奇心旺盛。もうもう素晴らしいと感嘆してしまったわ。
たまたまお食事の時にお隣だったからそっと見ると完食、お夕飯も朝ごはんも完食。
赤ワインを注文されたりして。
お一人参加の一人の女性は、どうみても80代だと思う。
シャンシャンといの一番に歩く。竪穴住居の中を覗き込んでスマホ写真をパチリ。
坂道だって私より早く歩いて、ガイドさんの説明に耳を傾けて。
ひとりで何もかもの自分管理でツアーに参加できるその行動力に刺激を受けたわ。

 

三内丸山遺跡のボランティアガイドさんは85歳ですって。
もう長年やってらっしゃるんですって。
そのお年であの蒸し蒸しとする暑さの中を団体さんを引き連れてガイドされるなんて
すごいこと。いくら好きで張り合いになってやりがいのあるお仕事とはいえ、
並大抵のお気持ちでできることではない。ただただ尊敬して感謝するのみだったわ。
ほんとに分かりやすく簡潔に興味を引く説明だったのよ。ま、それまでには泣きたい
くらいのこともあったっておっしゃってたけれど。文句を言われるのはまだいいんですって、
一番応えるのは黙ってその場を離れていく人がいることですって。そうよね、分かる気がする。
11時ころ集合場所を通ったらいらしたので聞くと、これから2度目のガイドをしてそれで
終わりだそうな。

 

3日間、我らを楽しませてくれたバスガイドさんは75歳ですって。きれいな方。
ま、お話の内容から70歳くらいかなとは思ったけれど、まさかの後期高齢者だったとは。
私の仕事はしゃべること、という通りそりゃあそりゃあずっとしゃべっている説明している。
私、そういうガイドさんのこと、今までなら失礼ながら少しは沈黙してよと思ってた
けれど、今回のガイドさん、いやあプロよさすがのプロ。
東北出身の石川啄木から始まり、寂聴さんが青空講和をしたお寺の道が見えてくると
瀬戸内寂聴の話をし、寂聴さんの定宿一軒温泉の効能の話、金木町が近づくと太宰治の
幼少時のエピソードを披露し、立佞武多(たちねぶた)津軽三味線、と次から次へとよ。
声がうるさくなくて間がいいからついつい引き込まれてしまったわ。
「私、いつもはお客さんを休ませないけど、今日は皆さん頑張ってたから休んでもらうわね」
と場の雰囲気を読んでその対処も的確。

家にいれば、いつも同じ顔を見て同じ話を繰り返し、イラついたりむかついたり笑ったりする
が、旅に出ればいろいろな人たちからさまざまな刺激を受ける。やっぱりいいな。
って、私は夫婦旅は今回が最後と固く決心したけどね。

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ストーンサークル 【伊勢堂岱遺跡・大湯環状列石】

2023-09-17 08:26:50 | 旅行

北東北の縄文遺跡巡りのツアー記録はもう少し、いやもっとかしら続く、はい。

二日目のお宿は北秋田市の伊勢堂岱温泉、日帰り温泉もかけているので地元の人たちも
入浴。ゆっくりお湯につかって疲れをいやして、三日目の遺跡巡りに備えた。
「明日も歩きますよ」と脅かされたからね、もといアドバイスされたからね。

で、三日目最終日は『伊勢堂岱遺跡・大湯環状列石』。三内丸山遺跡よりもっと後の時代になる
紀元前2000年ころ、このころになると気候が冷涼化して集落も小さくなり、人々は分散して
すむようになったとのこと。
そうなると、それぞれの集落の結びつきを強めるために、大規模な共同祭祀場や共同墓地が
作られるようになったそうな。はああ、縄文人、すごいわ。

まずは伊勢堂岱遺跡。米代川近くの段丘上に作られている祭祀遺跡。

 

ここもね、大館能代空港へのアクセス道路建設のため発掘調査をしていたら、環状列石が確認
されて、発掘か道路を通すかすったもんだの挙句、道路を迂回させ遺跡を現地することが決っ
たんですって。左下のコンクリートが建設途中だった道路の残骸。
で、その前の盛土を舞台にしてイベントを行っているとのことでして。いい活用だわ。

湯車川 秋になるとサケが上ってくるって

環状列石は4つ見つかっていて 完全な円形は一つだけ あとは弧上になっている

直径約32mの環状列石A

出口なのか入口なのかなにか 円の切れ目から石が2列に並べられている

あとは弧状の環状列石が3つ

次に向かったのが大湯環状列石。やはり祭祀遺跡、米代川の支流である大湯川沿岸、標高約180メートル
の段丘上に立地している。川や湖は大事なのね。

 

林の中を抜ける

まずは道路を挟んで左側に「野中堂(のなかどう)環状列石」

 

二重の円環になっている 右の人の前にある日時計状組石

道路の向こう側が「万座」

栗林 
下の掘立て柱建物 屋根はあったかどうか不明とのこと
ここでは、土偶や土版、動物形土製品、鐸形土製品、石棒、石刀などの祭祀・儀礼の道具は
発見されているが 人骨や人々が住んだ形跡はないとの説明だった

大きな環状に並べられた石 右側部分

真ん中部分

左側部分

日時計状組石
万座環状列石(最大径52メートル)と野中堂環状列石(最大径44メートル)の二つの環状列石
のそれぞれの中心の石と日時計状組石は一直線に並ぶような配置となっていることから、両者を
関連づけて構築した可能性は高いと考えられ、また、この直線上は夏至の日没方向ともほぼ一致する
(HPより)


(web拝借)
というから、またもや驚くばかり。

 

石はすべて発掘したときのまま。
時代の変化に巧みに対応して、さらに進化させていった縄文人。うなるばかりよ。

ストーンサークル館の「土版」
刺突により、口(1つ)目(2つ)など人の体を1から6の数で表している。

 

おまけ「伊勢堂岱遺跡」の縄文館では、ただいま北秋田から出土した土偶の
総選挙真っ最中。何番を選びますか?(全部を撮影できなかった 残念)

板状土偶

15番の向こう 腰に手を当てが可愛く気に入ったわ

 

長くなってしまい申し訳ありません、読みにくくお疲れになったことでしょう、と言いつつ
明日も続きます。

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三内丸山遺跡 ムラの風景 大型掘立柱建物跡

2023-09-16 09:06:14 | 旅行

1日目が新幹線、是川縄文館見学、お宿とほぼ移動に終わって、黒石温泉につかって。
ま、疲れを取って。さて。

ツアー二日目は、先ず今回いちばん訪れたかった「三内丸山遺跡」見学から。
2時間以上とたっぷり時間が設定されていたので、ゆったりと遺跡を見学できたのよ。
おまけにちょうどボランティアガイドさんの案内時間に間に合って、ツアー一行の皆さんは
しっかりと説明を聞きながらの見学ができたわけ。
ほんと遺跡見学はガイドさん絶対に必要ね、すぐに忘れてもその時は熱心に耳を傾けたわ。

もとは調査終了後には県営野球場を建設する予定だったというが、当時の知事さんの英断で
中止になったことから、その後この貴重な遺跡が保存されてるわけだ。トップの決断は大事。
ちなみに1塁側の建設中止の建物が残っているわ。

三内丸山遺跡は調査で、縄文時代前期~中期(紀元前約3,900~2,200年 現在から約5,900~4,200年前)
の遺跡で、規模は全体で約42ヘクタールあり、 これは東京ドーム約9個分くらいの広さがあるという。

八甲田山から続く緩やかな丘陵の先端にあって、当時は現在より少し暖かく、年間の平均気温が
2度から3度くらい高かったと考えられたので海が現在よりも内陸に入り込んでおり、標高5メートル
前後が海岸線と考えられているそうな。だから、魚貝を獲ることができたということだ。

 

縄文人が定住生活を送っていたという根拠の一つになった『大型掘立柱建物跡』

直径2メートル、深さ2メートルの6つの柱穴。4.2メートル間隔で3本×2列に整然と並ぶのは、
測量技術が存在した証拠である。こちら↓

復元された大型掘立柱建物跡

この柱の太さ クリの木だそうだ

縄文人は死者を大切に扱い丁寧に弔っていたという 子どもが弔われたと思われるところ

埋葬に使用された土器 石がある

 

次の見学場所は三内丸山遺跡の時代よりもっと前、紀元前5000年ころの田小屋野貝塚。
やはり台地の上に立地し、当時は温暖化に伴って海面上昇の結果、比較的容易に海や
湖沼が広がっていて容易に食料を手に入れることができたそう。

ここに貝塚があるなんて ただの野っぱらそのものだわ

 

このあともう一つ見学して。
この日のお宿「伊勢堂岱温泉」へと。
でも不思議、1万歩以上歩いたのに膝が痛くならなかった。そういうことね。

この後も、もうしばらくお付き合いくださいませ。

 

 

 

 

 

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