まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

御所野遺跡 いろいろな遺跡の土器

2023-09-19 09:07:07 | 旅行

なんだかなあ、今頃になって旅行の疲れが出てきたわ。グダグダしている。
旅行中は何の疲れも感じなかったのよ、興奮してたのかしらね。
日陰も何もない炎天下の中、よく歩いたわ、って歩数計を見るとそうでもないのが
悔しい。膝もよく頑張ってくれたから、お前はえらいとほめているの。

遺跡巡りの最後は三内丸山遺跡と同じ時代の「御所野遺跡」


平成元年度(1989年)一戸町の工業団地造成にともなう事前調査として発掘調査を開始し
たところ発見されたというから、どこも同じような経過をたどっているのね。

馬淵川沿いの段丘上に立地する拠点集落でして。
ガイドの人が「この辺でいいかと(アハハ)適当に決めたわけじゃなくて、暮らしていくのに
ふさわ
しい場所を選んでいる」と説明してくれたけれど、本当にそうだなとその場に立ってみて
実感したわ。

御所野ムラの人々は、馬淵川の支流や周辺の豊かな森で狩猟や採集、漁労を中心とした生活を
営んでいたと。
遺跡は東西に細長い台地と東側の丘陵地に住居跡や盛土遺構、配石遺構などが分布しており、
800年間という長期にわたって人々が定住した集落跡と考えられている。

4800年前ごろになると中央部に環状集落が作られるようになり、遺跡の中央北側を大きく削って
平坦にして墓と配石遺構群をつくり、出た土は南側に盛りあげて送りの場とし、その周囲を
竪穴建物が環を描くようにめぐって建てられていた。

4500年前ごろになると、中央の墓はそのままに集落が東と西にわかれていき、集落のまとまりは
だんだん小さくなり、御所野周辺の地域へと散らばっていく。
やがて御所野遺跡はまつりの場に特化した“祭祀センター”としての色合いが強くなっていったと考えらる。
(公式HPを抜粋)

その形式が先の伊勢堂岱遺跡や大湯環状列石跡に繋がっていくのかしら。
御所野遺跡は縄文社会の移り変わりを追っていくうえで重要なキーとなる遺跡だそう。

復元作業は、実験したりして本来の縄文時代の姿に近づけていくようにしているそうな。
結果、竪穴建物は茅が確認できず、焼けた木材の上に焼けた土が載っている状態で見つかったため、
屋根に土が載っていたことが分かってそのように復元しているとのこと。

配石遺構

ガイドさんは 3年間通ってようやく真ん中の柱と太陽が重なる日の写真を撮ることが
できた と話していた うーん素晴らしい 感激しただろうな

熱心に説明してくれたのでバス乗車時間が迫っており メンバーのおひとりが意を決して
「時間がありません、博物館を見学したいのですけど」と催促したのよ 勇気がある
博物館内の土器

私の当初の目的は土器土偶を見ることだったから、写真はたくさん撮った。その中から
ほんの少し。伊勢堂岱遺跡はコンテストで紹介したからおいて、他の遺跡から。

是川石器時代遺跡から

紀元前1500年ころになると漆を使っての漆器が出てきて 

三内丸山遺跡

大湯環状列石

左の五角形の土器は珍しいそうな

時代が進むとより精巧になってくる

 

どの遺跡のガイドさんも、諸説いろいろあってとか、と言われているとか、はっきりしたことは
分からないとか付け加えていたから、そこに色々な想像が働く余地があるのね。

 


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