家康は関ヶ原で死んでいた (竹書房新書) | |
島 右近 | |
竹書房 |
戦国武将として人気が高い徳川家康は、天下を収め長く平和な江戸の世を創り上げました。
しかし、もし家康がその人生の途中で不慮の死を遂げ、別の人物が家康を名乗り、天下人となっていたとしたら ?
「家康死亡説」は古くから唱えられていました。
著者は、本書で次のように書いています。
明治35年(1902)4月18日、一冊の本が書店に積まれた。
総項184項で、初版部数は五百部に過ぎない。この書は、明治35年に出版され、すぐに売り切れると、その後再び増刷されることなく書店から姿を消した。噂によると徳川家の関わる人達が買い占め、政治的な圧力をかけ増刷を阻止したともいわれる。また、この本に込めれれたメッセージが時の権力者の逆鱗に触れたともいわれている。
その本の名は、『史疑 徳川家康事蹟』。この本を手にした者は皆衝撃を受け、同時に心動かされたという。この本を手にした時、ひとつの言葉が胸によみがえってきた。それは、歴史はつねに勝者によって語られた物語に過ぎないという言葉である。……
(略)
では、奇書ともいえる『史疑 徳川家康事蹟』は東照大権現となった家康の一生に何が起こったといっているのか。簡単にいうと、「家康はある時期非業の最期を遂げ、何者かがなりすまし、その男が後の世に東照大権現に祀り上げられた」というものである。しかもその二代目の家康は、「ささら者」と呼ばれる身分の者だと筆者は断言している。……
以上