makoto's daily handmades

父の入院 経過説明

今回は長文の家族関係についての記述があります。

たぶん多くの方は驚愕とともに不快を抱く内容と思われます。

お読みにならないことをオススメします。

 

昨日夕方、農園の仕事が終わってから、父の病状について主治医から経過説明を受けました。

これからの治療方針など。

それと思いがけずこの日も父と10分だけ面会できました。

私は名残惜しく病室を出ましたが、母と兄はサッサと退室。

あー、やっぱりなー。

 

時間は8時間ほど戻ります。

じつはこの日、母と兄には「私はもう余計なことを言いません」と宣言しました。

脳内フリーズ中の母と兄になにを言ってもダメなので、とりあえず引いてみました。

 

結果、母と兄の表情が明るくなりました。

あ、やっぱり私が原因か…。

そして母に「お父さんが退院したら、老健に行く段取りでしょ?その次は自宅に戻すのかな?」と尋ねると返事をしません。

あー、やっぱり。

口では立派なことを言っていても、母が他人のケアをできるはずないものね。

だから前日のお見舞いで私が父に「おばあちゃんから『家で待ってる』って言付けだよ」と言った瞬間、母の顔が曇ったのか…。

 

私が「それなら今回の老健の次の老健を探すのが始まるわけか、それならその件もケアマネさんに相談しないとね」と言うと、またパッと明るくなりました。

兄は「次の施設って自分たちで探すのか?どうするんだ?」と。

あーあ、この人も介護なんて面倒くさくて仕方がないンだな。

私が「まずはケアマネさんに相談するし、提案を

受けるはずだよ」と答えました。

 

ここまで読んで違和感を抱いた方、あなたは介護に関わったことがありますね?

 

昨春、祖母がデイサービスに行ってみたいというので、母が介護認定の手配をして要支援1の判定でした。

その通知が届いた頃、祖母の気が変わって1度もデイサービスに行くことなく介護認定の失効まで放置。

そして父の介護認定の申請は今年3月、要支援2の判定が4月。

で…。

母が父のケアプランをつくる手続きを怠って、それが発覚したのが7月1日。

意味わかります?

祖母の介護保険の申請をやった、今回2回目だから父の介護保険関連の事務は自分でできると言う母に任せたら、ただ介護認定を受けただけで放置していたのです。

なにせ6月29日まで、母は地域包括支援センターの名称と存在すら知らなかったンです。

母は「誰も私に教えてくれなかった」の一点張りの逆ギレ。

少なくとも私は一連の流れを知っていたし、昨春は「あの母がよく祖母のために駆けずり回ったじゃあないか、えらい、えらい」と思っていたのに…。

 

当然、私は激おこ。

 

今やれ、すぐやれ、もっとやれ!

初めてで分からなければ、頭を下げて教えてくださいって、どうして言えないの!

そんなに他人に頭を下げるのが勿体無いのか、惜しいのか!

 

ま、この勢いで諸手続きの手配をしたら、7月2日に誤嚥性肺炎と脱水で父が緊急入院。

 

介護の急性期は、全部いっぺんに押し寄せて来ますから、萎れている暇なんてないンです。

 

だがしかし、進行性の病気を持つ兄は、感受性が強いので母が萎れている姿を見て限界が来ました。

7月3日の兄の言葉。

makotoの言葉がキツすぎる。

 

あーあ、ニイチャン、フリーズしちゃった…。

こりゃムリだわー。

子供の頃から不変の兄の性格です。

子供の頃と違って暴力に訴えなかっただけ成長したなー。

言葉で言えたんだ、えらい、えらい。

母と兄の共依存が強力に発動した今、今度は私の覚悟です。

 

私は父をより良い医療や介護に繋げることが、最後の親孝行だと思っていました。

でも今は違う。

父の寿命が短くなっても、お豆腐メンタルの兄が長男としてきちんと父の死に向かい合えるようにすること、そして将来、母も見送る立場になることを自覚してもらわないと。

それとも兄が持病に対する恐怖心を増すだけだろうか?

 

ともかく、父は今生の最大の悔いを冥土の土産にすることになってしまいそうです。

 

母が不安定になると兄はもっと不安定。

母が安定するには、父の寿命が短くなっても、母が「口だけ介護」「口だけ絆」「口だけ愛情」で済むようにしてやらなければ。

共依存の母と兄、その一角を担ってしまった父、そしてこの三つ巴共依存の外側にいる私ができることをやらなければ。

 

それは父を一般的に思うより良い医療や介護に繋げることを諦めること。

昔からあるというだけの紹介状さえも書き惜しむ医療機関を利用し続け、近所というだけの理由の介護施設に入所させる介護がいまここで始まろうとしています。

私は忸怩たる思いを抱えてしまうけれど、三つ巴の共依存には勝てません。

両親と兄が納得しているのなら、もう私が入ることはできませんので。

50年以上の関係性を崩せる術は私にはないのです。

 

さて、ここで困ったことがただ一点。

将来の祖母の医療や介護についてです。

私が父の医療や介護について悪い前例を作ることになります。

祖母の子供は、私の母、S叔母、F叔母の3人。

今回の父のことで、祖母の介護や医療について、揉める火種を作ることになります。

2人の叔母達にはあらかじめ事情を説明して、私が火種を作ったことを謝罪しました。

それにあらゆる思いつく限りの予防策も。

それくらいしか私にはできなくて、力不足を実感しています。

 

だがしかし、私はこれを受け入れます。

いびつな家族関係に気づいたのは、私が高校生の時。

精一杯の抵抗をした私は、両親にとって育てにくい子、兄にとってはワガママな妹。

そのレッテルを貼られました。

それが私の生育歴ですから、両親や兄に疎まれるのは慣れてます。

ま、もうなにも言いませんから、好きにしてください。

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