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makoto's daily handmades

日々暮らすだけの生き方
写真の二次使用は許可しませんので悪しからず

千葉県袖ヶ浦市・ダチョウを見てきました

2020-05-31 13:52:29 | 遠出

今日の午前中に袖ヶ浦市のダチョウ王国に行ってきました。

わが家から車で1時間もかかりません。

 

ダチョウがたくさん。

 

アルパカは毛借り後だったので、シュッとしています。

 

このヤギちゃんは、ズッと角を触らせてくれました。

しかも角の間につむじがあって、そのつむじを撫でると気持ちいいらしく、ズッと大人しくしていました。

 

ヒツジも毛借り後でした。

 

千葉県は日本で初めて酪農が始まった場所のせいか、今も牧場がたくさんあります。

ここは入場料がかかる観光施設にあたりますが、写真の他にも、ガチョウ、リクガメ、ロバ、ポニー、ウシ、ひよこ、ニワトリ、クジャク、シチメンチョウ、モルモット、ウサギ、ハリスホーク、エミュー、ミニブタ、イヌ(牧羊犬)がいました。

いやー、楽しかったです。

 

でも周りを見ると、小さなお子さん連れの方ばかり。

中年夫婦だけで来ている方がほとんどいなくて、ちょっと恥ずかしかったです。

MIFさんは高校生の頃、実家で「こっこ」という名前のニワトリ(チャボ?)を飼っていたので、ひよこが大好き。

小さなお子さん達がひよこを抱いている姿を小屋の外から眺めていました。

本当は小屋に入ってひよこを触りたかっただろうに、ひよこをガマンする中年男性が私の目の前に居ました。

 

現代に生き残る恐竜と言われる鳥類のなかでも、ダチョウは恐竜感が強いです。

この施設では有料で餌やり体験ができるのですが、ダチョウは容赦なく人間の指をくわえます。

それなりに勢いが強くて、私はかなり腰が引けます。

今日の餌やり体験で、私が安心感して餌やりができたのは、ウサギとアルパカだけ。

あとは少なからずの緊張を感じるほど、餌やりは苦手かもしれません。

他人が餌やりをしている姿を見ている方が好きだと、改めて感じました。

 

それと袖ヶ浦市あたりも昨秋の台風被害が大きかったようで、田んぼ越しに見える建物の屋根がまだブルーシートを被せたままの姿も何度か見えました。

COVID-19の蔓延で思うように復旧できない状況と報道もあります。

いま、世界経済ごと傷だらけですが、早く復旧することを願うばかりです。

 

そして今日もとおくまで連れて行ってくれてMIFさんありがとうございました。

 

 

 

 

 

 


あじさい布マスクをつくる

2020-05-30 18:10:46 | 手芸

昨日、習作として作ったあじさいの刺繍をマスクに移植(!)しました。

相変わらず折り込みマスクを縫っていますが、着用時に右頬にワンポイントになるようにアップリケしました。

 

刺繍自体は昨日のブログ記事で書いたとおりです。

元々習作として作りましたが、思ったよりもうまくさせたので、習作で捨て置くのももったいないのでアップリケにしました。

今回の土台布は、ダブルガーゼです。

布マスク作りで、ダブルガーゼを裁断ミスしてしまいました。

その布を使って刺繍の習作をしようとしたのです。

思ったよりもダブルガーゼへの刺繍がうまくいったので、アップリケにしました。

 

刺した刺繍の周りを少々残してアップリケにします。

本来は先日裾上げテープ代わりに使った両面接着シートを使うと簡単にアップリケができますが、今回は使用しません。

理由は、あじさいのシーズンは梅雨の間。

夏になったら、剥がしてしまおうと思っているから、ひたすら手縫いで縫い止めました。

 

今回は、前述のとおりダブルガーゼの裁断ミスをしているので、ちょっと小さめのマスクです。

それと、手持ちの縫い糸でもう20年くらい前に購入したもの。

コンビニエンスストアやスーパーマーケットでも購入できそうな手縫いの木綿糸で、じつは使い途がほぼありません。

会社員時代の制服のボタン付けに、職場のロッカーに入れっぱなしだったようなシロモノです。

そのせいかとっても縫いにくかったです。

糸の滑りが悪くて、これまではずっと手縫い用の綿糸か絹糸で縫っていたので、イライラしました。

 

弘法は筆を選ばず、とは言いますが、それは達人レベルの方であって私のような素人にはやっぱり道具や素材によって仕上がりが左右します。

まだまだ修行が足りませぬ。

 

 


小さい刺繍を刺す

2020-05-29 20:32:32 | 手芸

小さな刺繍の習作をしました。

比較するモノがゴルフボールくらいしか見当たらなかったのですが、だいたい分かりますか?

そしてこれが何を刺したか分かりますか?

じつは図案の下書き無しで刺しました。

今回は小さな刺繍なので、図案を描き写す段階でグチャグチャになる可能性大。

ゆえに図案を横目で見ながら、刺繍を刺して行きました。

 

写真のゴルフボールの手前が最初に刺しました。

今思えばこれが1番形がよかったです。

だんだん横目でチラチラ見るのも面倒になってきて、どんどん手抜きです。

この大きさなら図案の書き写しをしなくても、どうにか形にはなんものなんだな、と思いました。

 

そうそう、刺繍はあじさいを刺しました。

あじさいは元々日本原産で、幕末期にシーボルトによってヨーロッパにもたらされて品種改良が進んだ植物だそうです。

日本古来の植物なのに、皇族方のお印に採用されていないのはちょっと残念でもあります。

花言葉が「浮気」や「移り気」ではムリか…。

 

でもこれから梅雨を迎えるにあたって、雨の日を彩る花として、私はそれなりに好きなんだけれどな。


ご近所散歩 20200529

2020-05-29 11:13:33 | 散歩

今日は暑くなる予報だったので午前中の早い時間に駅前で用事を済ませて来ました。

その帰りにいつものご近所ばら園に立ち寄りました。

1番花は終わっているだろうから、2番花3番花あたりなら見られるかな?と。

 

思ったりより花が少なかったです。

今年は桜の開花が早かったので、ばらも少々早めに咲いて、2番花以降も早かったみたいです。

今年はいろいろなことが特別だったからしかたがないか…。

少しですが、ばら鑑賞できただけでも儲けもの。

なにせこのばら園は、公開空地にあるので入園料はないのに、プロが手入れをしています。

ご近所に住んでいると言うだけで眼福にあずかれるので、嬉しい限りです。

 

ガクアジサイも開花し始めていました。

そうかもうすぐ6月だものね、と気がつきました。

6月1日から川崎市の小中学校が再開するそうです。

最近、ご近所の公園では、午前中に保育園の子ども達が遊ぶ姿が戻ってきました。

 

今日駅前に行ったついでに多少周囲も見てきましたが、少し人出が増えたように思います。

駅前の商業施設では、そろそろ再開が始まります。

 

駅前までの往復とご近所ばら園に行っただけなのに、日焼けしそうな陽射しと、首筋に流れる汗。

いつの間にか季節が進んでしまった気分です。


漫画「片喰と黄金」3巻を読む

2020-05-28 19:22:45 | 読書

北野詠一著。

タイトルが読みにくいですが、「片喰と黄金」で「かたばみとおうごん」と読みます。

ここ最近の漫画の中ではお気に入りの作品です。

なるべくネタバレはしないように感想を書こうと思いますが、時代設定や地名などには言及しますので、ネタバレを知りたくない方は、以下は読まないでください。

 

 

1849年のアイルランドにおけるジャガイモ飢饉が物語の発端です。

どうにもならなくなった飢饉が逃げるために、アイルランドからアメリカ合衆国に渡った女農場主(まだ少女)とその下僕の青年の旅路です。

片喰は、アイルランドの国花。

彼らがゴールドラッシュに沸くアメリカの西部開拓地(フロンティア)を目指します。

 

今回はボルチモアに到着します。

私が住む川崎市は、ボルチモア市と姉妹都市の関係にありまして、場所や地名は知っていましたが、私はその風土や歴史となるとからっきし興味を持っていませんでした。

 

でも知らないからこその楽しみ方もありまして、例えば鉄道が出てきます。

19世紀の鉄道ですから、先日私が山北鉄道公園で見てきたD52形機関車とは全然違います。

もっと旧式で日本初の機関車よりももっと小さいです。

私は鉄道史には疎いので、ネット検索で調べるとアイルランドは鉄道の導入が遅かった??らしいです。

イギリスの植民地支配時代があり、ダブリン(アイルランドの港町)からの陸運で当然当時最先端のイギリスの鉄道技術を輸入していたと思っていました。

ところがそう言った記述が見つかりません。

あれ?アイルランドは19世紀に鉄道が無かった?

これはもう少し調べてみたいです。

 

それと今回、パーコレータが出てきます。

パーコレータはコーヒーを抽出する道具です。

私が子どもの頃、西部劇を見ていると焚き火の端に除けたヤカンからコーヒーを入れるシーンを見ました。

アメリカ人は、ヤカンに直接コーヒーを入れてコーヒーカスごと飲むのか…ガサツだなぁ、と思ったモノでした。

ところが大人になってそれがパーコレータというコーヒーメーカーの一種と知って、びっくりしました。

私が物心ついた頃には、インスタントコーヒーもあったし、焙煎したコーヒー豆を買ってくるモノで、自分で生豆を炒るのは余程コーヒー好きの人という印象でした。

でも19世紀半ばは生豆を自分で炒るのが当たり前。

 

これまでも偶然の出会いから様々なストーリー展開になって、これがまた面白い要素になっています。

主人公たちは旅人ですから、様々な人々に出会っても必ず別離があります。

次から次へと出会いと別れを繰り返すので飽きる暇がありません。

 

この漫画の時代設定からすると、ローラ・インガルス・ワイルダーさんの作品「大草原の小さな家」のローラではなく、ローラの両親が幼児~子ども時代のです。

南北戦争よりも10年以上前なので、これまで私がまったく興味のかけらも持たなかった地域の歴史を取り上げています。

今後北アメリカ大陸の中央部に向かっていきますが、どんな人々と出会って、どんな展開になっていくのか、とても楽しみです。


裾上げ

2020-05-27 20:14:37 | 手芸

MIFさんに頼まれて職場の作業着の裾上げをしました。

以前からこのブログで書いているとおり私はミシンを持っていません。

手芸全般も高校までの家庭科でほどほどの成績しか取れなかったくらいです。

でも手芸が好きなので喜んで裾上げをしました。

 

ミシンを持っていた時は、サッと縫ってサッと渡して終わりでした。

ミシンを廃棄してからは、作業着の裾上げは毎回人知れず苦労をしています。

今どきの土木工事の作業着って、クリーニング屋さんでクリーニングするのです。

信じられます?と言いたくなりますが、土木業界ではそう言うものらしいです。

プロのクリーニングだと、市販の裾上げテープの裾上げでは、時々剥がれてしまいます。

従って裾上げをまつり縫いで仕上げて、上から裾上げテープを貼ってもダメ。

手縫いで本返し縫い2本でステッチしても、手縫い糸はミシン糸より少し弱いので、擦れて縫い目が切れました。

次に「さいほう上手」という裁縫専用接着剤で貼り付けてもダメ。

結局、「さいほう上手」で貼り付けて、手縫いで本返し縫い2本で縫い止め、まつり縫いで縫い止めてその上から裾上げテープでまつり縫いを隠して貼り付けてで、裾上げテープの端をまつり縫いました。

そう、もうヤケクソ状態です。

そのヤケクソ裾上げをした作業着がお役御免になるのです。

今回は手持ちの裾上げテープが無かったので、手持ちのアイロン両面接着シートを帯状にカットして裾上げテープの代わりにしました。

そしてまつり縫いをやめて、千鳥がけで手縫いしました。

 

じつは千鳥がけはやり方は知っていても、やったことがありません。

最初はうまくできませんでしたが、どうにか千鳥がけで裾上げしました。

さて、今回はどのくらい保つかなぁ…。

 

最近の作業着はかなり進化していて、布地の丈夫さはもとより、通気性もいいし、いろいろと工夫してありました。

作業着メーカーさん、裾上げテープを初めから仕込んである作業着って作れませんかね?

とっても画期的だと思うのですが。


西湘さんぽ あじさいからSLまで 番外編

2020-05-26 16:49:49 | 散歩

一昨日の散歩が楽しかったので今も余韻に浸っています。

今回は興味が赴くままに写真を撮ったけれど割愛した分をご紹介します。

 

まずは私が大好きな狛犬ちゃんです。

南足柄市の福沢神社の狛犬ちゃん。

平成21年から24年にかけて境内の改修があったそうで、この狛犬ちゃんも新調したようです。

デザインは昭和後半から見られるタイプです。

 

次に山北町の八幡神社で見かけた狛犬ちゃん。

この神社は崖を登るような階段が参道になっていて、階段脇の高低差を利用して、狛犬ちゃん(阿吽)2体、阿像の下に1匹の子ども狛犬ちゃん、吽像の下に2匹の子ども狛犬ちゃんがいて、全体で5体の狛犬ちゃんで構成されています。

 

1月に巡った松田町の寒田神社は、平地にありますが狛犬ちゃんの構成が似ているので同じ石工さんかと思いました。

しかしながら急な崖に設置されているので石工さんの名前や年代は確認できませんでした。

でも石の風化や勇ましい表情から戦前(昭和10年代)かな?とも思いました。

ただし阿吽像の身体にある巻き毛表現がつむじ状の線彫りなのでかなり凝っている表現です。

かなり腕のいい石工さんだと思いました。

 

次に山北町の室生神社の狛犬ちゃん。

これまで見てきた狛犬ちゃんの中でもかなり小さくて、神社の建物が立派な分、とても小さく見えました。

なんとなく沖縄県のシーサーを思わせる感覚になりました。

でもよく見ると、前足の足回り、腕毛、顔のパーツとか何しろ凝った彫り方になっていました。

ついうっかり、石工さんの名前や奉納時期を見てくるのを忘れてしまいました。

形から戦前(昭和一桁)だとは思うのですが、台座に「奉納」と彫られていないのでこの時代に「奉納」と彫らないのも違和感があって分かりません。

 

さて次になんだかよく分からない石碑です。

開成町のあじさいの里の近くにあった「内藤家発祥の地」という石碑です。

じつはこの石碑の左に内藤家の墓地があります。

「内藤」という姓は、江戸時代の旗本や御家人に多く、その「内藤」姓をさすのか、それとも地元の旧家に内藤家があるのか、そもそも全国の内藤家の代表なのか、説明文がなくさっぱり分かりません。

江戸時代はここは小田原藩領内で親藩だからこそ迷いに迷うよく分からない石碑だと感じました。

 

石碑のすぐ近くで有害鳥獣駆除実施中の幟旗を見かけました。

ハンターの方がいるのかな?と見回しましたが姿は分かりませんでした。

その直後、私はヘビを踏みそうになり「ヒーッ」と叫んでしまいました。

ヘビは駆除の対象ではないのでしょうけれど、とても心臓に悪かったです。

その後2匹もヘビを見かけました。

ああ、私は老後に田舎暮らしはできないだろうな、としみじみ感じた一瞬です。

 

開成町では水道施設をたくさん見かけました。

足柄平野では酒匂川の伏流水を上水道に使っているそうですから、これもその施設なのかな?

私が見学したことがある上水道施設は、35年くらい前に川崎市内の施設を見たことがあるだけなので、規模の違いに驚きました。

人口の違いもありますが、さすが丹沢山地の麓。

取水施設から各家庭までの距離の近さを感じました。

それと神奈川県温泉地学研究所のホームページを拝見すると、1923(大正12)年の関東大震災で足柄平野全体で飲料用井戸が涸れてしまったこともあって、水道組合が整備された記念碑があるそうです。

残念ながら今回は記念碑を見つけられませんでした。

 

次に発電施設も印象深かったです。

福沢神社のすぐ隣にあった水力発電施設。

ここまでに至る道筋に小さな鉄塔があり「福沢線」のプレートがありました。

私は鉄塔にも少し興味があるのですが、これは

銀林みのるさんの「鉄塔武蔵野線」という小説の影響です。

私も子どもの頃、自宅窓から見えた鉄塔がどこから始まってどこで終わるのだろうか、とボンヤリ眺めることがあったからです。

 

これは山北町の国道246号線の脇で見かけた石碑です。

大きな石碑には「清和」と書いてあると思うのですが、「清」の字は自信がありません。

国道沿いですから道祖神や馬頭観音はありそうですが、これは何だろう?と疑問に思うばかりでした。

西湘地区は関東大震災関連の石碑が多い地域なのですが、それともちょっと違いそうなので、首を傾げてばかりでした。

 

さて昨日書いた「その2」では、サラッとご紹介したSLですが、ホントはものすごく興奮して見てきました。

山北鉄道公園の敷地に入る前から、独特の機械油のような石炭のようなにおいか漂っていました。

 

運転席には入れないのですが、見ているだけで楽しかったです。

私が物心ついたときには、SLは観光用に運用しているだけで、公園に鎮座している車体という印象でした。

ここのSLは公園に鎮座しているのに、油臭くて、ホントに不思議な感覚になりました。

 

普段私の生活圏では見ることが殆どないモノがたくさん見られた西湘さんぽ。

今後も年数回は続けていきたいのですが、私はヘビやトカゲが苦手。

次回はもう少し人家がある場所を歩く方がいいかな?

 


西湘さんぽ あじさいからSLまで その2

2020-05-25 06:38:43 | 散歩

「その1」の続きです。

その2は、文命堤西堤の先から山北駅~松田駅に向かいます。

今回も写真が多いのでお暇なときにご覧ください。

 

気がついたら足柄平野を通り抜け、ここから先は西丹沢の入口辺りをウロウロします。

事前に見ていた地図では地蔵堂の先に古墳群があるらしいと知っていました。

川の近くの古墳群といえば、多摩川も古墳群があるのでそのイメージで向かいました。

案内板はありましたが、ほとんどは消失しているとのことでした。残念。

私は普段平地で暮らしているので山北町に入ってからずっと坂道で汗が止まりません。

この看板がある場所も、登り坂の途中にあってすでに汗だくでした。

やっと坂上の平らな道に…と思ったら、意外と商店が多くて、道の様子から何らかの街道の役割を担った道だと感じました。

山北町から南足柄市の道了尊の参詣道?それとも箱根外輪山東側の麓を通って小田原市に至る通商上の脇街道?

なにしろこの雰囲気は脇街道そのものです。

 

ただし平らな道で安心と思っていたら再び登り坂でした。

八幡神社がありました。

ちょっと寄り道して参拝しました。

 

八幡神社の少し先に切り通しがありました。

私の生活圏には切り通しはあまり見られないので、これもちょっと珍しい風景です。

 

切り通しがあった場所から今度は下り坂になり、ふと横の脇道を見るとやたらと真っ直ぐな道を見かけました。

写真では分かりにくいですが、道幅に似合わない立派なガードレールがあり、ちょっと不思議に思いこの道を進むことにしました。

室生神社です。

あの立派なガードレールがある道の途中に神社があり、これは参道だったのか、と1人納得していたらそうでは無かった…。

神馬です。

神社の規模にしては…と言っては失礼ですが、旧郷社格では初めて見ました。

境内の端には奉納金の記念碑がたくさんありました。

 

かながわの名木50選の案内板。

私1人で来ることはないと思っていた場所にいることを思い出しました。

ここは流鏑馬神事がある神社だと思い出したのです。

参道だとばかり思っていた立派なガードレールがある真っ直ぐな道は、流鏑馬神事の馬が駆け抜ける馬道でした。

境内の端に三十七八年戦役紀念碑がありました。

日露戦争関連碑で、金具が巻き付いています。

これは西湘地区独特の姿です。

震源が西湘地区だったと伝わる関東大震災は大正12(1923)年で、日露戦争関連碑は倒壊して割れていることが多いのです。

室生神社の少し先に石碑群がありましたが、イマイチよく分かりません。

1番手前の石碑に「秋葉山之神」と書いてあるのかな?と思いつつよく分かりません。

 

さらにその先に民家の軒先にあった「水屋」です。

地域の水道組合の記念に残っているそうです。

水道組合があるのはそれなりに昔から集落があったことを意味するので、やはりこの地域は古くから脇街道があったのだろうと再確認しました。

 

ちょっと方向が分からなくなりつつありましたが、運良く国道246号線に出会いました。

左が国道、右がこれまで歩いてきた住宅街の中の生活道路。

 

この道をずっと東京都まで進むと、都内では青山通りと称する道路になります。

三角屋根が2つ並んだ建物がとても立派なので、町役場とか公共施設だろうと感じました。

三角屋根の少し上にある橋は、東名高速道路です。

JR御殿場線の沿線沿いに水路がありました。

御殿場線は元々東海道本線だったので、石積みもちょっと古くて歴史を感じました。

山北駅近くの道に出会いました。

山間の道なのに真っ直ぐな道で不思議に感じました。

山北駅に向かって歩いてもやはり真っ直ぐな道。

これは少なくとも江戸時代からの脇街道の宿場町の構造だと驚きが隠せません。

こんなにしっかり脇街道の面影を残す道があったのか、と。

私は来たことが無かったから知らなかったとしかいえません。

山北駅とレトロ風バス。

駅前の様子。初めて来ました。

昭和時代の建物がたくさんあって、少しタイムスリップしたような雰囲気です。

このような町並みが駅前に広がるのは、県内でこんなにしっかりと残っているのは山北町だけのように思いました。

江戸時代の東海道の正規ルートは箱根を通りますが、箱根の険しい道を避ける裏街道がこんなに整備されているとは思っていませんでした。

百聞は一見にしかず、やはり実際に歩くと資料を読むだけでは分からないと実感しました。

 

さて「その1」から続くあじさい農道から山北駅前に至るまで、歩いている人とは1人もすれ違うことがありませんでした。

ヘビが道を横切っている姿を3度も見かけたのに。

西湘地区は車の普及率が高く、車無しには生活が成り立ちにくいのでしょう。

それにしてもここに至るまでの山北町の道、地形、町並みは、足柄平野で見てきた風景とはちょっと違い、私には興味が尽きませんでした。

 

ここから山北鉄道公園を目指します。

近くの跨線橋(人道橋)を渡りました。山北駅方面を望みました。

同じ跨線橋から谷蛾駅(やがえき)方面を望みました。

ここは御殿場線沿線でも難所の始まりだったそうです。

 

今日はこのSLを見に来ました。

数年前にテレビニュースで、このSLを半世紀ぶりに動かしたことを知りました。

元国鉄時代の機関士さん達が協力したそうです。

しかしその中心人物がイベント直後にお亡くなりになって、再度動かすイベントは開催されていないそうです。

枕木で作られた公園の表示も面白いな、と思いました。

 

御殿場線は1時間に1本くらいしか電車が来ません。

山北駅周辺の商店は軒並みお休みでした。

唯一小さなコンビニが営業していましたが、駅周辺には20人くらいがウロウロしていました。

地元住民よりは私のように観光客が多く、その半分はロードバイク(自転車)で訪れた感じです。

私のように隣町から山越えして歩いてきたという風体の人もなく、登山者っぽい人もいなかったので、本当に「YOUは何しにヤマキタへ?」という感じの方が見受けられました。

もっとも私が「何しに?」と尋ねられたら、あじさいと用水路を見ながら、SLを見に来ました、と答えるだろうし、地元の人からは車で来ればいいのにと言われそうです。

 

さて国府津駅(こうづえき)行きの御殿場線に乗車して、松田駅に向かいました。

山北駅→東山北駅→松田駅なのですぐに到着しました。

しかし、西丹沢の入口にある山北駅から、一気に視界が広がる東山北駅までの車窓には、劇的な変化があってずっと外を眺めていました。

東山北駅からは、県立山北高校が見えました。

作家の夢枕獏さんの母校で、「聖楽堂醉夢譚(せいらくどうすいむたん)」という夢枕さんの小説(自叙伝のような創作)に出てきます。

ああ、ここなのかぁ…と思っていたのですが、そういえば山北高校は移転して現在地にある…とどこかで聞いたような…かなり曖昧な記憶をボンヤリと思い出しつつ気がついたら、もう松田駅に到着しました。

私が御殿場線自体、平成の初め頃に乗ったのが最初で最後。

思っていたよりも遥かに大人数が乗車していた電車から降りて、これまた思っていたよりも多い人の流れに身を任せて付いて行ったら、思わず乗り換え口に行こうとしていました。

乗り換え口からは、小田急線の新松田駅に向かってしまうのですが、今日は北口に向かいました。

松田駅の駅舎。

きれいに改修されていますが、山北駅みたいな雰囲気にはちょっと乏しいです。

この駅前の構造も似ているけれど山北駅のような昭和感はなく、なんとなく平成という雰囲気です。

だいたいここまでで、8.5キロ歩きました。

このあとおまけで1キロちょっと歩き回りました。

 

いつもの二宮金次郎像。

昨日ご紹介した田中丘隅につづき、こちらも地方功者(じかたこうしゃ)です。

田中丘隅が整備に関わった文命堤も、酒匂川下流に住んでいた二宮金次郎の子ども時代にはその効果が現れず、二宮金次郎は一家離散にまで追い込まれていました。

でもその後の二宮金次郎は報徳仕法を広めたり、修身の教科書にも載ったし、お札の肖像画にもなったことを思うと知名度は抜群です。

田中丘隅ももう少し知られて欲しいです。

ここでMIFさんを待っていたのですが、約束の時間よりちょっと早かったので、ご近所をフラフラ散歩していました。

商店のシャッターには「営業自主中です」とか「配達いたします」などの張り紙がありました。

また一方で

この町には県立足柄上病院があります。

町のあちこちに「足柄上病院がんばれ」のポスターがありました。

この病院は、横浜港に停泊していたダイヤモンドプリンセス号に乗船していたCOVID-19感染者をいち早く受け入れた病院でもあります。

そしてこの西湘地区の中核病院でもあります。

この地区出身のMIFさんによると、だいたい誰もが1度くらいはお世話になったり、自分がかかったことがなくても身内のお見舞い等で行ったことはあるような病院だそうです。

新規感染者は日々減りつつありますが、病院は最後の1人が退院するまでが感染予防が必要なので、足柄上病院のみなさまが気持ちよく業務ができるような環境であってほしいです。

 

1人で足柄平野各地を歩き回る楽しみを始めて今回が5回目。

だいたい5キロ~10キロくらいの散歩ですが、これまでほとんど車でしか通過したことがないところを歩いていろいろ見て回る楽しさがあります。

地元出身のMIFさんによれば「子どもの頃に近所の友達と自転車で行ったことはあるけれど、歩いて楽しいか?」とか「車で行くようなところだよ」らしいです。

私は骨折の影響でもう元通りには歩けないけれど、散歩で知らない土地を10キロ近く歩けるのなら、それはそれでいいと思っています。

最近は外出自粛であまり散歩にも行けませんでしたが、これだけ歩ければベンチマークはまずまずだと感じました。

この先、足柄平野のどこを巡るかは決めていませんが、これからも時々訪れたい場所です。

 

 

 

 


西湘さんぽ あじさいからSLまで その1

2020-05-24 18:01:07 | 散歩

まだ緊急事態宣言は解除前ですが、MIFさんが所用で西湘地区に行くので私もその近くを散歩することにしました。

西湘地区とは湘南の西側という意味で、「せいしょう」と読みます。

小田原市、南足柄市、足柄上郡、足柄下郡(開成町、大井町、中井町、松田町、山北町、箱根町、湯河原町、真鶴町)の2市8町を指します。

今回は開成町、南足柄市、山北町のだいたい8.5キロを歩きました。

写真が多いので、お暇なときにご覧ください。

 

今回のスタートは、開成町にあるフレッシュセンターあしがらという農産物直売所からです。

 

このすぐ先に田んぼが広がっています。

田んぼのはずが、茶畑もところどころにあって、あれ?茶畑だったかな?と驚きました。

神奈川県産のお茶は関東大震災の復興事業で広がったので、あともう少しで足柄茶100年だと思い出しました。

この写真の奥の山の中腹にある白い建物は、この地区を歩く時の目印、松田山ハーブガーデンの建物です。

 

開成町といえば、田んぼの農道沿いに植えられたあじさいが有名です。

今年の開成あじさいまつりは中止だそうです。

まだ色づきもほぼしていません。

見学者は私以外にはいませんでした。

私が見たあじさいの中で、この株が1番色づいていました。

他はまだ緑色でした。色が付いていると分かるのはせいぜい4株くらいでした。

 

私が足柄平野の地図をみているといつも気になるのは、酒匂川右岸の地名です。

「〇〇島」という地名が多いのです。

私は縄文海進の際に島状の場所ができていたのかと思っていたのですが、その割には高低差がなだらかで、典型的な扇状地です。

なんでかなぁ、といつも思っていました。

するとMIFさんが「右岸は、酒匂川の氾濫で島状の中洲がたくさんできたからだろ?」と言うのです。

ああ、多摩川の兵庫島みたいなものか、とやっと気がつきました。

実家近くには一級河川の支流の支流しか無かったので、大きな川の流れにはどうしても私は疎いんだな、と気がつかされました。

ま、酒匂川は二級河川なのですが。

 

現役農業用水の淵が縁石だけで区切られていて、私が住む川崎市内ではなかなか見られない風景です。

そもそも川崎市内で現役農業用水なんてそう簡単には見つかりませんからねぇ。

 

上記の写真のような風景も、じつは私にはとても物珍しいです。

私の実家は今も農家ですが、そもそも谷戸田だったそうですし、私が物心つく頃には田んぼは無く、用水路も暗渠になっていたためです。

この辺りで開成町から南足柄市に移動していました。

 

酒匂川用水と書かれている水門です。

水量がとても多くて、その水音に私はちょっとした恐怖を感じます。

ここに落ちたら、確実に溺れるな、と。

 

先ほどの水門の裏側。

ここが文命用水(ぶんめいようすい)と言われる用水路。

今日の目的の1つが文命用水と、文命堤(ぶんめいつづみ)です。

この堤や用水路は、田中丘隅(たなかきゅうぐ)という300年前に活躍した地方功者(じかたこうしゃ)です。

川崎市内の二ケ領用水(にかりょうようすい)の中興の祖と言われる人物で、その功績によって文命堤を築堤しました。

 

私がここまでで見てきたのは、文命堤東堤(通称:大口土手)でした。

 

すぐ近くの福沢神社です。

 

境内にいくつもあった文命堤関連の石碑を1か所にまとめたそうです。

新大口橋のすぐ近くにあった案内板。

多分2年以内に周りの植物に覆い尽くされそうな場所にありました。

 

新大口橋は下部アーチ橋でした。カッコイイ。

 

新大口橋の上から見た千貫岩。

ん?岩?私には普通の地層の露頭に思えるのですが、岩なのかな?と思いつつよく分かりません。

ここは南足柄市のジオサイトです。

この川は酒匂川で、新大口橋を渡ると山北町になります。

これまで何度も山北町には来ていますが、歩いて町境を踏破するのは初めてです。

岩流瀬(がらせ)と読みます。

川崎市の水道水は酒匂川水系の水なので、わが家の水道水は、この町が水源です。

岩流瀬橋です。

岩流瀬橋のモニュメント。

私には「柿の種」にしか見えなくて、暫く考えてから、鮎?と思い当たりました。

岩流瀬橋の少し上流に、地蔵堂があって文命堤西堤の記念碑がありました。

南足柄市の東堤とは違い、山北町の西堤は場所がイマイチ分かりませんでした。

地蔵堂の先にある堤らしき場所ですが、ここは入っていいのかよく分かりません。

理由は工事現場があるからです。

この刻印も本物を初めて見ました。

几号水準点(きごうすいじゅんてん)といい、一の下に↑があり、「不」のような形をしています。

西堤の記念碑に彫られていました。

明治時代の短期間に、今の三角点のような役割を持つ測量点だったそうです。

現存する几号水準点は少数らしいので、ちょっと嬉しかったです。

 

さてここから先は、見慣れた足柄平野を離れて、西丹沢の入口辺りをウロウロします。

続きは明日以降の「その2」でご紹介します。

 


不調の日

2020-05-23 21:35:50 | 健康

今日は午前中からちょいと胃腸(とくに胃)がモヤモヤと不快感とも言えない違和感がありました。

 

昼食もなんとなく食べるけれど微妙。

やたらと時間が経つのが遅く感じるので、不調なんだなと思いつつ、コーヒーを飲みました。

これがまた不調なのにインスタントコーヒーを少し濃いめにして飲んでいました。

 

夕方、とうとう完全な不調になりました。

胃がムカムカするほどではありませんが、食べ物を見たくないという感じです。

 

少しお腹が空いていましたが、結局水分以外は絶食しました。

これまでの経験上、こういう時はやたらと何かを食べたくなるのですが、これは絶不調になだれ込みます。

ゆえに絶食したほうがいいことも経験済み。

 

ま、今日は夜勤明けのMIFさんのために朝から豚の角煮を作って食べたのも悪かったのでしょうね。

夜勤明けの場合、MIFさんにとっては朝に夕食のようなメニューになります。

普段、私の朝食小食で済ませるのに、今日はついウッカリ朝食を食べすぎたのだろうな。

 

カロリーだけは朝からバッチリ摂取しているので、このくらいでは痩せません。

ま、いまさらダイエットなんてしませんけれどね。