makoto's daily handmades

暮らし、散歩、読書、映画、時々ハンドメイド
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マー姐さんとアッキーに会う

2018-05-22 18:03:08 | 忘れ得ぬ人々
かれこれ10年来の知り合いになりつつあるマー姐さんとそのご子息アッキーに会って来ました。
マー姐さんは私と同い年、アッキーは1歳です。

いつも通り、約束の時間に30分遅れてきたマー姐さん。
いつものことなので気にしません。
何しろ以前なら、約束の時間を過ぎてからのドタキャン常習犯でしたから、今日は気合入れて来たな、と思えるくらいです。

マー姐さん、以前会ったのは昨年7月なので10か月振りです。
あ、私が一番痩せていた頃だわ〜、今回会って「makotoのヤツ、太ったな」と思われたことでしょう。

さてマー姐さんの目的は、子連れ向けショッピングモールでのお買い物です。
私の自宅近くにあるその施設に行きたい、と。
じつは私の住まいの近くはそれなりにニューファミリーが住みやすい施設がたくさんあるのですが、子どもがいない私。
その恩恵に預かることなく生活しています。
ベビーカーでお買い物をするのも、授乳室やおむつ替え室、エレベーターや各通路も、子連れ仕様なのだとか。

私からしたら、いつもベビーカーだらけで歩きにくいと感じるので全然利用していません。

マー姐さんは、妊婦時代に一度来たことがあるそうですが、ベビーカーで来たら全然印象が違うんだって。
しかも、食べ物屋さんもベビーカーで入れるし、サイコー!だとか。
私には、いまだに何がどうサイコー!なのかは不明です。
アッキーが奇声を上げようが、誰も気にしていないこともサイコー!なんだって。

私自身、この施設は子どもだらけなので奇声は当たり前、ベビーカーも当たり前と認識しているので、限られたお店くらいしか来たことがありません。
マー姐さんに「〇〇は何階?」とか「〇〇は行ったことある?」と聞かれても、全然分からず、フロアガイドを手にして「あー、ここかぁ、行ったことないね〜」とか「ここはいつもママさん達で激混みだわ〜」と答えるだけでした。
たぶん、マー姐さんは「近くに住んでいるのに本当に来たことないんだ〜、もったいなーい」と言い始めるし…。

まぁ、私が行きたい店は、基本的に空いている店だし…。

アッキーは、途中で寝たり起きたりしながら、とってもいい子でした。
ビックリしたのは、1歳2ヶ月の子どもって、こんなに食欲あるの?ということ。
そして今どきのベビーフードの進化した様子です。
子どもがいない私には、ベビーフード自体あまり見たことがありません。
しかも同い年くらいの方の子どもと言えば、高校生〜小学生くらい。
もう幼児のママさんなんて殆どいません。
ベビーフードの進化は、幼児を持つ友人たちと会うたびに、驚きをもたらします。
そして、私が乳幼児の頃はベビーフードはあまり普及していなかったのか、それとも母が面倒だったのか、私は離乳食を食べなかったそうです。
そのためか年下のいとこたちから始まって、ベビーフードにはちょっと興味があります。

インパクトがあったのは、10歳年下の従妹のベビーフード。
瓶詰めの鶏レバーを味見させてもらったときの「うへぇッ」と吐き出したくなるくらいの不味さが忘れられません。
叔母に「赤ちゃんってこんなに不味いもの食べてるの?」と尋ねたら、叔母は「赤ちゃんはこういう食べ物でないと食べちゃだめなのよ」と言いました。
あのときほど、赤ちゃんかわいそう…と思ったことはありませんでした。

今では、パッケージの蓋をめくれば、そのまま食べることができる1回分の小分けになったベビーフードが一般的なのだそうです。
瓶詰めもあるけれど、一般的とは言い難いのだとか。
何もかもが私にとっては「へえー、そ~なのー!?」という状態でした。

そして乳幼児向けのお店もめったに行かないので、いろいろと見て回りました。
驚いたのは、こんなにいろいろな物資が充実しているのに、いまだガーゼハンカチが普通にベビー用品として売っていることです。
様々な繊維が開発されているのに、ガーゼを超える便利な織物がないということなのでしょう。

めったにない経験もしたので、買い物も楽しくなりました。
最後はアッキーが、私に抱っこしたまま、マー姐さんを手で押しのけたことには驚きました。
思わず「おばちゃんちの子になるかい?」と話しかけてもニコニコするアッキー。
まぁ、私が連れて帰ったところでおむつ替えの1つもできませんけれどね。
久しぶりに会ったマー姐さんが、もとすごくママさんになっていたことにも驚くとともに、アッキーが人見知りしなかったことにも感謝です。
また、会いたい友達との時間でした。
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五平餅の思い出

2018-05-11 20:07:06 | 忘れ得ぬ人々
朝ドラはそんなに観ていないのですが、「半分、青い。」でみうらじゅん氏風秋風羽織さん(ヒロインが上京するきっかけを作った漫画家)が、五平餅を美味しそうに食べていました。

あ、五平餅が食べたい…と思い、作りました。


タレが思ったような味にならず、でもこんなものか、と。

私が五平餅を初めて食べた日のことを思い出しました。
1986年4月27日です。
この日は、祖父母と電車で東京に行きました。
柴又帝釈天に連れて行ってもらったのです。
その帰りにいろいろな寄り道をして観光したのですが、最後に浅草の浅草寺の境内で五平餅の露店がありました。

祖父が「五平餅を食べよう」と言って、買ってきたのですが、私は五平餅を知りませんでした。
祖母が「ご飯を潰して、味噌ダレをかけたもの」と説明してくれましたが、私にはそれが何なのかわからず、恐る恐る食べたら、美味しくてビックリした…という思い出です。
日付をきちんと覚えているのは、この日、祖父が浅草寺の境内の露天商から文鎮を買ってくれました。
その文鎮は記念に買ってもらったので、裏に「昭和61年4月27日 浅草寺にて」と書いて使っていました。
その後その文鎮は、机から落とした弾みで割れてしまったのですが、おかげでその日の日付を深く記憶したのでした。

祖父母が揃って私とでかけたのは、そう多くない機会でしたので、一つひとつのことをよく覚えています。
たかが五平餅?
いえいえ、私にとっては思い出深い楽しかった記憶とセットになっています。

ちなみに浅草寺にはその後数回行っていますが、五平餅の露店を見たことがないし、文鎮の販売している露天商も見たことがありません。
あの日、あの時を思い出すセットの思い出です。
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Iさんからのクール便

2018-02-16 19:50:18 | 忘れ得ぬ人々
まだIさんと友達と思っていていいのかな?と思う出来事がありました。

昨夜、Iさんからクール便でチョコレートが届きました。
以前、Iさんとは職場が同じだった方で、でも年賀状をやり取りしなくなって、もう友達として「切り捨てられた」存在と思っていた私。
長い人生の中で、彼女とはだった1年程しか職場は一緒にならず、協力して仕事をしていただけ…友達なんて思うのはおこがましいな、と感じていた次第です。

今、私は非正規雇用でしかもかなり気楽に生きています。
新しい人間の中で、生きている…と感じていたところです。

Iさんからのクール便を、とても驚きながらも少し照れて、少しにやけて、少し戸惑って、いろいろな感情がこみ上げては消えていきました。
Iさんからの友チョコをありがたくいただきます。
いつかまた彼女と会うことがあるのだろうか?と思いつつ、本当にありがたいことです。
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先輩Yさんの思い出

2017-08-24 13:17:50 | 忘れ得ぬ人々
以前勤務していた職場の先輩Yさん。
私と同い年でしたが、2年先輩で30歳で退職をされた。
とてもミステリアスな雰囲気の方だったが、私が自動二輪車の免許を取得するきっかけを作ってくださった方でもありました。

じつは彼女、8年前に亡くなりました。
退職後だったのですが、たまたま当時同じ部署だった方とご親戚だったことで教えていただいたのですが、密葬だったこともあってお線香をあげることもできませんでした。
就職したての私にいろいろと親切にしていただいた方なので、当時とてもショックを受けました。
ただ、退職後は交流がなく、私の思いの押しつけでは、ご遺族の方にご迷惑をかけることになるので、寂しさとともにモヤモヤした気持ちを抱くことになりました。

今日、たまたまある広報紙で、文字は違いますが、先輩Yさんと同じ名前の方が掲載されていました。
そのため突然、彼女のことを思い出しました。
もう2度と会えない彼女ですが、ふと思い出すにことたびにお世話になった日々とその感謝の気持ちをちゃんと伝えていただろうか?という反省です。

先輩Yさんにとって私はたくさんの後輩達の中の一人でしかなかったのでしょうけれど、私には影響を与えてくださった一人でした。
ふと思い出すにつけ、周囲の方への感謝を伝えることや、その気持ちを態度に表すことをキチンと持ち続けたいと感じています。
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おーいお茶 新俳句のこと

2017-07-30 18:53:48 | 忘れ得ぬ人々
そう言えば、先週の法事の席で親戚を方が伊藤園「おーいお茶」の新俳句大賞で入選したと聞きました。
おーいお茶のパッケージにある、あの俳句のことです。

それはスゴいね!と伝えると「たくさん入賞するから、たいしたことないみたい」とのことです。
ちなみに厳密には俳句ではありません、新俳句です。

その方の作品をネットで拝見したら、季語がありません。
思わず私が「これは川柳では?」と言ってしまいました。
新俳句は季語がなく、その時の心情を言葉に込めるそうです。
そうなると、私には短歌を思い起こしますが、短歌よりも短い字数で心情を表現することになります。
短歌独特の心情の移ろい、込めた気持ちの余韻は?とますます分からなくなります。
だから、新俳句は私が知らないジャンルの文芸だと言うことです。

続けて聞いてみると「自分の作品が載ったおーいお茶をもらえる」とのことです。
その本数は1本らしいです。
また入賞者がたくさんいるので、市販のおーいお茶から自分の作品が掲載された製品を見つけるのは至難の業らしいです。
本来なら自分の作品が掲載された製品を親戚に配りたいところらしいですが、それはムリらしいとのことでした。

おーいお茶の新俳句大賞の内情を少し知って、面白いお話が聞けたなぁ、と思った次第です。
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F叔母さんとの電話

2017-07-28 21:26:00 | 忘れ得ぬ人々
先日の実家の法事ではゆっくり話ができなかったF叔母さん。
彼女は四国に住んでいるので、年1度くらいしか会えません。
電話やメールはやりとりしているが、先日から叔母とは行き違いになることが多く、やっと今夜叔母と電話で話しました。

叔母は1か月くらい前から腰痛で、やっと大学病院での診察が決まったそうです。
しかも鎮痛剤の飲み過ぎでしょっちゅう口内炎ができているので、話すのも億劫そうです。

10年前の叔母なら「うちの子たちはもう四国に帰ってこないって諦めている」と言っていました。
ところが2~3年くらい前から「娘は四国に帰ってきてほしい」と願うようになってきました。
叔母の娘、つまり私の従妹は四国に帰るつもりはなく東京で生活しています。
家族の問題なので私は口出ししませんが、従妹を四国に帰らせようと思うのはちょっとかわいそうな気になります。
なによりも実家と同じ市内に住む私には、上京や田舎に残した両親など、理解しきれないキーワードなので、叔母の話に耳を傾けるだけです。

また叔母の体調が不調なので、気持ちが弱っているのかな?とも感じられます。
そして叔母のお姑さんも、不調なので(いわゆる後期高齢者特有の気持ちの落ち込み)気持ちが塞がりがちなのだとか。

たぶん叔母にとって今は人生の中でも、体調の不調と気持ちの塞ぎ込みが重なっている時期なのでしょう。
叔母の息子が住む沖縄県で、暑い陽射しと開放的な南国の気分でも味わえば気晴らしにもなるのでしょうけれど…。

叔母宅は自営業なので、夫婦揃って出かけることができません。
ご主人は来月沖縄県に行くそうですが、叔母はお留守番。
叔母の悶々とした気持ちが、少しでも吹き飛ばされますように!
今は腰痛のため阿波踊りの音色さえも恨めしくなってしまう叔母が、早く元気になりますように!
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マー姐さんとアッキーに会う

2017-07-25 15:53:20 | 忘れ得ぬ人々
元同僚マー姐さんとそのご子息アッキーに会って来ました。
アッキーはこの世に誕生してまだ4か月。
写真では何度も拝見していても、ホンモノとは初めてのご対面です。

待ち合わせより15分ほど早く着いたので周辺を散歩してみました。

平瀬川という多摩川の支流の近くで待ち合わせです。
この川の下流は何度か歩いたことがありますが、中流域は殆ど来たことがありません。


とりあえず平瀬川と待ち合わせ場所を確認しました。
なにせ全然土地勘がないので、待ち合わせ時間までの15分で待ち合わせ場所に着く必要があります。
迷っていたらしゃれになりません。


和菓子屋の隣の路地から平瀬川に向かいます。


この辺りは桜の木があります。
幹や枝ぶりからソメイヨシノではなさそうだと判断しました。


上流に向かって歩いてみます。


平瀬川沿いには水防団があるようです。
私の自宅付近ではこういった表示板を見かけたことがないです。


嶋田人道橋の近くでネムノキの花が咲いていました。


下流方面を望みました。


平瀬川には川面に降りる階段がありました。


この風景は写真では見たことがありましたが、実際に見るとこんなに親水空間が近くに感じられるとは思ってもみなかったです。


禅寺丸柿でしょうか?私が住む地域ではなかなか見られない柿の木です。
ちなみに禅寺丸柿は、川崎市麻生区原産で日本最古の甘柿と言われています。


そういえば平瀬川の源流はどの辺りだろうか?と思っていたところ、蔵敷交差点の少し手前で二手から合流している地点を見つけました。
ああ、そうか、ここで合流なんだと一人納得しました。

ここから郵便局に立ち寄ってから、待ち合わせ場所に向かいました。

さて初めて会うアッキーは大変機嫌がよかったようです。
4か月の赤ちゃんと言えば、泣いているかミルクを飲んでいるか、だと思ってのですが、かなりニコニコしていました。
マー姐さんは、出産以降なかなかメールのやりとりもできなく、子育てが忙しいのかと思っていました。
ところが実情は、ご親族が亡くなったり、ペットのワンコが体調を崩したり、出産以降多忙すぎたようです。

久々に会えて色々お話した中で、やはりマー姐さんはママになったなぁ、と感心しきりです。
仲は良くても、やはり違う人生だな、と感じました。
マー姐さんのは、アッキーという未来にわたり責任を持って育てていく対象があり、子どもの幸せを願う家族愛を感じました。
私にはない輝きある未来を感じさせてもらいました。
それを思うと、私は未来を考えることなく、日々淡々と過ごしていると感じてしまいました。
そして久々に、赤ちゃんってカワイイな、とも。
ただし自分が親になるのはムリだなぁ、と同時に感じてもいるのですが。

アッキーの成長を楽しみにしている彼女。
折々に私もアッキーの成長を楽しみにしています。
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F夫妻

2017-07-24 19:04:46 | 忘れ得ぬ人々
昨日、実家で執り行われた法事で久しぶりにF夫妻にお会いした。
F夫妻は、私の大叔母夫婦で2人合わせて181歳。
大叔母は足が悪く、病気のために手の震える等がありますが、頭はしっかりしている。
ご主人は高齢で耳は遠いが足取りはしっかり、そしていまだ現役喫煙者。

昨日大叔母は歩くのもままならないので、法事の最中にお焼香が最後になりました。
ご主人がお焼香を終えた後、スッとお焼香台を持って大叔母の元に持って行きました。
座ったままお焼香をできるようにです。

私はご主人の優しさを実感し、そして私の至らなさを感じることとなりました。
こういったとき、大叔母にお焼香台を持っていって差しあげることを私は思いつきもしませんでした。

大叔母夫婦の家族は40年ほど前に仮住まいのために、私の実家の隣に住んでいたことがありました。
その頃私は幼稚園児くらいです。
大叔母は口うるさい親戚で、幼稚園児の私には「Fおばさんってすく怒るんだから」と思っていました。
当時ご主人はまだ会社員でした。
休日くらいしか顔を合わせませんでしたが、白い新聞をにらめっこしながらラジオを聞いて、耳に赤ペンを挟んでいた姿が懐かしいです。
そう、私が初めて競馬に夢中になる人を見かけたのは、この時です。
ご主人はいまもたまに競馬場に向かうというので、本当にお好きなんだな、と。

あの頃の姿を思い出すと、こんなにF夫妻が長生きで助け合っている姿を見せていただき、本当に美しく神々しいな、と思いました。

さてこんなに感動させていただいたのに、私は長生きに興味がありません。
F夫妻のような生き方ができるとは思っていないからでしょう。
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秋田豪雨 大丈夫だろうか

2017-07-24 18:37:01 | 忘れ得ぬ人々
先月まで働いていた職場で同僚だったSさん。
彼女は先週までの契約のアルバイト従業員でした。
契約終了の2日後に生まれ故郷の秋田市に引っ越すとおっしゃっていた。

ところが、引越直後に秋田県で豪雨が発生しています。
彼女、大丈夫だろうか?と心配しましたが、私、彼女の連絡先を知らないのです。
彼女と私の最寄り駅は二駅しか離れていなかったので、帰り道が一緒でした。
本当はこのまま都会で暮らしたかったそうですが、ご実家のご家族の健康問題でどうしても近くに住みたくなったそうです。
ご主人のご理解のもと秋田市に帰ることは楽しみな反面、都会に後ろ髪引かれる思いもあり、またいつか都会に住みたいとも。

田舎を持たない私にはその葛藤を十分に理解することは難しいです。
でも家族の健康問題となると、その心配さはやはり家族関係に起因していて、彼女の母を思う心は美しいな、と感じたモノです。

彼女は「引越の見積もりをしたら、夏休み期間直前の方がお安かったから」と、この時期の引越にしたそうです。
もう彼女とは会うことはないのだろうな、と思いつつ、その無事を祈らずには居られません。
Sさん、どうぞご無事で。

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コウジさんに思いを馳せる

2017-07-17 21:20:57 | 忘れ得ぬ人々
72年前の今日、午後11時過ぎのことです。
私の大叔父、コウジさんが亡くなりました。
私が生まれるずっと前に亡くなったので、私は会ったことがありません。
でも、コウジさんのことが忘れられないのです。
だって、コウジさんはまだ20歳で未婚でしたから、彼を供養してくれる人は数が少ないのです。
私も結婚はしていても子なしなので、コウジさんと同じ道を歩みます。
だから、せめて私だけでもコウジさんのことは忘れないようにしたいのです。

コウジさんは、茨城県日立市の軍需工場(日立製作所)で働いていました。
軍属だったそうで、戦闘機の開発に関わっていたと聞きました。
ちなみに亡くなる直前に召集令状が届いていたそうで、8月には福島県の部隊に入営する予定だったと言います。

昭和20年6月に空襲があったとき、コウジさんは防空壕に逃げ込んで助かったそうです。
72年前の今日は、日立艦砲射撃がありました。
コウジさんは防空壕に逃げ込んだら、そこに艦砲射撃が直撃したそうです。

コウジさんの墓標には「7月18日」と記載されていますが、本当は17日だったのです。

じつはこの7月17日、私の祖父(コウジさんの兄)の誕生日です。
当時祖父は徴兵でソ連と満州国の国境警備についていました。
満州にいた祖父たち兵士の間で「お狐さん」という占いが流行ったことがあったそうです。
今で言う「コックリさん」と同じようなもので、お狐さんは伏見稲荷の神使である狐を呼び込むため、油揚げを用意するとか。

そのお狐さんの結果、祖父は「家族が1人減った」と言われました。
祖父は「高齢の祖母が死んだのだろう」と思い当たったそうです。
自分を可愛がってくれた祖母が死んだかと思い落ち込んだそうですが、今のように電話なんてないし、戦況厳しく手紙が届くかもよく分からない状態なので仕方がないと思っていたそうです。

祖父は昭和20年8月、広島に新型爆弾が落ちたことをラジオで知ったそうです。
広島が一発の新型爆弾で消滅したとの報道で、最前線の兵士達は騒然としていたところへソ連侵攻の情報が飛び込みます。
祖父たちは武器を持って逃げて逃げて…。
とにかく合い言葉は「朝鮮を目指せ」。
なにせ祖父たちの世代は生まれる前から、朝鮮は日本だった訳ですから、まさか終戦で朝鮮が日本では無くなるとは考えなかったそうです。
その大混乱の逃避行で祖父は、生死を分ける戦闘も経験したそうですが結局ソ連軍に捕まり、シベリア抑留を経験することになりました。

祖父は復員するまで、一度たりとも弟が死んだとは考えてもいなかったそうです。
長男の自分がもしも死んだら、弟のコウジさんが農家を継いでくれるだろうと考えていたからです。
だから祖父は生前「コウジはオレの身代わりで死んだんだ」と言っていたそうです。

コウジさんは甘い和菓子が好きで、ぼた餅が好物だったそうです。
だからコウジさんの命日には、いつもぼた餅がお供えされていました。
祖父の兄弟たちは今も「コウジさんが兄弟の中で1番優秀だった」と言います。
若くして亡くなった兄弟なのでとくにそう言った印象なのかもしれません。

なによりも、コウジさんの遺骨はいまだよく分からないのです。
コウジさんの亡くなった後、曾祖父が日立市に向かいましたが、7月19日にも空襲があって、たくさんの死者が出ました。
だから、軍需工場で働いていた方の死体は野積みにして一度に焼いたそうです。
曾祖父が必死に探し当てたのは、地元の人が「あそこで死んだ人はここで焼いた」という証言から、その場の灰や細かな骨を持ち帰っただけなのです。
それを骨壺に詰めてお墓に納めています。

ただそれだけのこと。
私は、コウジさんに会ったこともないし、何一つ経験したことではありません。
ただ数年前、日立市の成沢霊園にある日立製作所の戦災慰霊碑を訪れる機会に恵まれ、コウジさんに思いを馳せる日として7月17日を迎えることにしているのです。
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