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makoto's daily handmades

日々暮らすだけの生き方
写真の二次使用は許可しませんので悪しからず

疲れがでたのかな?

2024-09-30 06:05:28 | 健康

ここ最近、朝の寝起きが少々悪いです。

直売所シーズンが終わって、さすがに朝4時起きではなくなったからかなぁ?と。

でもなんとなーく倦怠感があって、肩こりがします。

とりあえず葛根湯を飲んでおくか、と思い立ちました。

結果、よく効いて、すごーく眠くなりました。

昼寝をしすぎてしまいましたが、昨夜もすごーくよく眠れました。

普段、あまり薬を飲まない&下戸なので、どんな薬でも私はよく効く方だと自覚しています。

しかも飲む薬は漢方薬が多いので、ちょっとの量で効いてしまうような気がします…全部個人的な感想なので、実際にはよく分かりませんが。

 

いつも風邪を引くというか、なんとなく体調を崩すのは、1月下旬(大寒の頃)、4月上旬(桜が散った後)、10月末とだいたい決まっています。

9月末もなんとなーく体調が崩れやすい時期ではあります。

でもここ何年もさほど大きな病気もせず、なんとなくやり過ごせているのはありがたいことです。

多少の疲れ由来の未病なら、何とかなるでしょう。


お手伝い 9月20回目 新梢切り落とし

2024-09-29 09:04:47 | 労働

この日は天候の関係で午前9時スタート。

午前中だけのお手伝いなので、正味3時間だけでした。

新梢切り落としでは、太枝切りばさみという両手で使う重いはさみを使います。

ですが、この日は途中からマキタの電動剪定ハサミを使いました。

元々は父用に購入した充電式のハサミです。

ただ、父には使い勝手があまり良くなくて、ほぼ兄が使っていたそうです。

この電動剪定ハサミは、バッテリーごと片手で持ち上げられるタイプ。

使ってみたら、そういえば去年、ブドウの剪定の時にちょっと使ったな、と思い出しました。

 

手動の太枝切りばさみと比べて、一長一短です。

太枝切りばさみの方が重いのですが、両手で扱うので力は分散できるし、刃が長いので切り損じは少ないです。

電動剪定ハサミは、扱いを間違うと自分の指を切り落とす失敗もあるし、棚と呼ばれる番線を切ってしまう(テンションがかかっているので、反動で番線が目に刺さる危険あり)ことがあります。

片手で扱うので、片腕だけだるくなりやすいです。

 

でも女性でも電動剪定ハサミは使えるので、作業効率はいいのかもしれません。

ただ、もう少し軽くコンパクトになること、安全装置の手軽さがないと、女性全体には広がらないでしょうねぇ。

女性の方がやはり男性よりは圧倒的に体力がないです。

そして果樹園作業は、圧倒的に女性は不利なんですよねぇ。

まず脚立。

脚立は男性の歩幅や身長に合わせて製造されるので、女性には不利です。

果樹はそもそも人間の身長よりも高い位置の作業もありますから、女性用に作ると、段数が増えて材料も余計にかかってしまいます。

だから果樹園は男手が必要で、なかなか女性だけで果樹園を管理するのは難しいンです。

その点、露地野菜は女性だけでやっていけることが多いみたいです。

なにせ実家近くに住む従姉のYさんはもう25年くらいほぼ1人で野菜農家をしていますからねぇ。

近年は三男くんが農業後継者の準備をしているそうだし、長男くんも土日には耕運機を使ってお手伝いしてくれているそうです。

 

さて。

この冬は私もメイン農産物の剪定をすることになりそうです。

メイン農産物は剪定がしっかりできていないと、来年の結実が見込めなくなるという緊張モノの作業です。

正直、今の私には絶対ムリと言い切れるくらい難しいンです。

で、その難しい剪定は父と兄はできるのですが、母が微妙ライン、義姉は全く理解していない状態だそうです。

私?15年程前、市の援農講座を受講した時に2時間程やったことがあるけれど…ま、それだけのことでド素人甚だしい状態です。

ゆえに足手まといに確定で冬を迎えることになります。

兄には「どこかで修行して来いというのなら、研修させてくれるところに行ってもいいよ」と話しています。

だがしかし、そんなところは無さそうです(汗)

というのも、兄は病気のことを周囲に隠していますので「妹の修行先?自分で教えればいいじゃあないの」と言われるのがイヤみたいです。

どのみちこの地域での果樹園なんてどこも先細りとは言えども、自身の妹が後継者になる例なんてほぼありません。

たいていは自身性別関係なく子どもが継ぐものですからね。

私も実家のお手伝いはしても、自身が後継者になりたい、農業経営したいなんて考えたこともありません。

ゆえに私は農業技術を身につけたいとは思っても、経営なんてやりたくないですねぇ。

農業経営はかなり孤独なんですよ、とくにこの地域では。

だって新規に就農する方は極端に少ないし、一方でおやめになる方は多いですからねぇ。

止める理由もたいていは相続か周辺住民からの苦情の多さです。

自分の努力だけてはどうにもならない理由です。

兄もそんなストレスフルな環境で経営を続けているのですから、孤独でしょう。

私は呑気な末っ子気質で生きていますから、兄の苦悩は理解不十分です。

兄に「手伝って」と言われれば手伝うし、求められなければ手伝う気はありませんけれどね。

 

次回も楽しくお手伝いしたいです。


S叔母からの電話

2024-09-28 05:50:04 | 人々

先日、S叔母から午前中に電話が来ました。

私の父のことで何度か電話をもらっていましたが、いつも夜だったので珍しい時間だな、と。

 

父の入院や状態のこと、美術展へのお誘い、そしてS叔母自身の病気について。

この日初めて教えてもらいましたが、S叔母が乳がんなのだそう。

来月末に手術を受けるそうです。

あ、だから父の入院について、転院だとかもっといい医療機関にかかれ、とか言っていたのねぇ。

 

父の入院については、もうこの先何年も生きられるとは思えない状態です。

父が安心できる医療機関が1番いいと思えばこそ、私は今の病院でいいと割り切っています。

あまり終末期にあちこち転院させて体力消耗ばかりさせるのは、1日でも長生きしてほしいと願う兄や母の考えには合わないので。

でもS叔母は、転院させろと一点張り。

叔母の意見も分かる部分があるけれど、母の性格を考えると、転院させても結局は今いる病院に再度転院させたいと言いかねませんしね。

S叔母のように自分から行動できる人が世の中にそうそう多くはないわけで。

もし母が在宅で父の介護をすると覚悟を決めれば、それなりに選択肢が増えますが、母が父を在宅介護することはありません。

 

S叔母も30年ほど前に乳がんの疑いありで3年程通院していたそうですが、スッカリ忘れた頃に乳がんになっていた、そうです。

左胸全摘出をして、放射線治療やホルモン療法等はしない方針だとか。

 

私は亡くなった父方の祖母が乳がんで片胸を全摘出していまして、その傷跡を小学1年生の時に見てしまい、大変な衝撃を受けました。

もう45年近く前のことですから、傷跡もとっても大きくて…。

私には巨大ムカデかヘビがのたうち回ったように見えちゃったンです。

それ以前にも母の帝王切開の跡がかなり醜くお腹に跡が残っていまして。

 

将来、自分もああなるのか…と幼いながらも深ーく刻まれてしまった記憶になりました。

S叔母にはまだ2歳のお孫ちゃんがいまして、そのお孫ちゃんはすでにいろいろ背負うものがあるのですが、それ以上に乳がんの傷跡が心に刻み込まれなきゃあいいな、と思っています。

S叔母は頼りにもなるけれど、ちょっと毒っけもあるので、少々距離感が難しい叔母です。

S叔母が手術には不安があろうとも予後も含めてすぐに良くなることを期待したいです。


原画展をみてきました

2024-09-27 07:15:50 | 遠出

転院して会えなくなっても父はある程度安定しているそうなので、出かけられる時に出かけようと思い立ちました。

この日は、MIFさんと「本好きの下剋上」原画展(凱旋編)に行ってきました。

写真多めの長文なのでお暇な時にどうぞ。

↑香月美夜さんの「本好きの下剋上」の原画展です。

香月さんは小説家、原画自体は椎名優さんです。

アニメ化、コミカライズ、来月は舞台化されるそうです。

場所は台東区の松坂屋上野店。

原画展は撮影可です。

躍動感あふれる原画の数々でとても見応えがありました。

↑私が1番好きなイラストです。

小鳥がたくさん描かれていて、髪や衣装がフワッと風になびく様子がとても好きです。

今はショートヘアの私ですが、アニメやイラストでは髪がフワッとなびく様子に憧れて、髪を太ももまで伸ばしたことがあります。

結果、髪が風になびく時、髪は絡まる一方でそう簡単にはアニメやイラストのようにはなびかない…というエビデンスを得ました(苦笑)

メーテルの髪は、毎回絶妙な風速で絶妙な風向きで、ナイロンのような一定の太さの髪質で、防静電気加工でもしてあるのだな、と。

 

さてここから、東京メトロ銀座線で浅草へ。

亀十(かめじゅう)という和菓子屋さんでどら焼きとカステラを購入。

MIFさんがここのどら焼きが大好きなのです。

亀十から吾妻橋まで歩き、水上バスに乗りました。

↑ここです。

東京スカイツリーとアサヒビールの建物のすぐ側から水上バスに乗船。

ここから浜離宮恩賜庭園へ。

↑庭園のベンチで亀十のどら焼きを食べながら、ゆっくりとおしゃべりしました。

※私は小麦粉をほぼ食べませんが、ここのどら焼きは小麦粉の量が少なめなので食べました。

↑樹齢300年の松の木だそうです。

私のご先祖さまが、分家して今の家を作ったのがだいたい300年くらい前だそうです。

ここから新橋駅方面に歩いて、愛媛県と香川県なアンテナショップ「せとうち旬彩館」の食堂「かおりひめ」で遅めの昼食をとりました。

私は焼豚玉子飯をいただきました。

浜離宮でどら焼きを食べたことが効いてしまって、少しMIFさんに手伝ってもらって完食。

ここから新橋駅まで行き、JR横須賀線で帰宅しました。

 

「本好きの下剋上」は、アニメとコミックで読み進めています。

小説は第5章で完結らしいのですが、原画展を見ただけでなんとなーく、結末が分ってしまいました。

私は「若紫は許さない派」(うさぎドロップや高杉さんちのお弁当も許さない派)。

ちょっとガッカリした部分はあるものの、「本好きの下剋上」はそれ以上にストーリー展開や話の裏付け、職人や技術、社会構成等に面白さがあります。

なによりも原画展に見られるような、イラストの魅力もとても高い作品です。

いまはイラストのソフトで描かれるそうです。

もしこれが手描きだったら、カラーインクで描いて欲しかったな、と思いました。

いまやイラストもデジタルです。

デジタルの良さは画材の経年劣化はないし、寸法もある程度は自在に変化することができます。

それもいいのですが、偶然の滲みから出来上がる手描きは、揺らぎというか、魅力が高い作品になるのですけれどねぇ。

将来的には、手描きのイラストレーションなんて、見られなくなるのかもしれませんね。

 

今回も遠くまで連れて行ってくれて、MIFさんありがとうございました。


お手伝い 9月19回目 新梢切り落とし&防鳥網管理

2024-09-26 08:51:29 | 労働

この日はまず果樹園の外側から防鳥網に絡まった雑草の除去から。

もうすぐ実家近くで地域のお祭りがあります。

お神輿の通行の邪魔になりそうな場所の除草、枝切りをしました。

昔ながらの村社で、元々人口が少ない地域でしたから、お神輿もそれほど大きくない…いやむしろ小さいのですが、今は人口だけは増えちゃった地域です。

小さいお神輿の移動に伴って担ぎ手だけはゾロゾロ引き連れていくようなお祭りです(苦笑)

ゆえに果樹園の周囲が荒れていると、いろいろな方の目に触れて、まぁいろいろと面倒くさいのです。

そんなところだけ田舎モン根性が見え隠れするのが、実家がある地域でして。

兄、母、私の3人で軽トラ4杯分の雑草と枝切りをしました。

それでもごくわずかな外周整備なんですけれどねぇ。

軽トラ1台分なんてほんのわずかな量しか乗せられないものだなぁ、と思った次第です。

で、これらの剪定枝や雑草はまず干場に持ち込んで水分を抜きます。

枯れ込んだら、雑草は穴を掘って埋めます。

剪定枝は粉砕機にかけてチップ状にして発酵。

バーク堆肥にして、いずれは果樹園に撒いて土に還っていきます。

その後は前回と同じく新梢切り落とし、防鳥網の内側からの除草です。

まだこの作業は今後も続くので、ケガなく作業を続けていきたいです。

次回も楽しくお手伝いしたいです。


お手伝い 9月18回目 新梢切り落とし&防鳥網管理

2024-09-25 04:31:16 | 労働

この日は新梢切り落としと防鳥網に絡みついたツルを剥がす作業でした。

 

去年は父も一緒にやっていたンだよなぁ…とちょっとセンチメンタルな気持ちになりました。

 

実家に着いて早々、兄が「草刈り機がパンクしたんだ…」と落ち込んでいました。

この夏、18年使ってきたカート型の草刈り機が故障したことで買い替えたのですが、1か月半程でパンクとは…。

私が「ジャッキアップしてタイヤ交換?というか、草刈り機のスペアタイヤなんてあるの?」と伝えると兄は、そもそも構造が自動車とは違うのでどこにジャッキを当てればいいか分からないし、スペアタイヤはないとのこと。

それなら初期不良を疑うべきかと思えば、兄はもう1か月以上前に買ったから…とモゴモゴ。

もうッと思いながら、私が「休み明けだから今日は農協さんやってるでしょ?とりあえず9時過ぎたら農協さんに電話してみなよ、初期不良の対象になるかもしれないし、そもそも交換ならタイヤを注文しなきゃならんでしょう?」と兄に伝えました。

これまでは父がちょっとした相談やら話を聞いてくれていたンだろうな、と想像できてしまいます。

父が入院してちょっとした相談ができる相手が兄にはいないのか、と。

いや、農家仲間はいるのだけれど、こういう農機の故障とかの細々したことは相談できないのだろうな…。

 

その後は前回の続きの新梢切り落とし。

私が使った枝切りハサミは4キロくらいあるそうですが、軽々使えたのでもう慣れてきているのでしょうね。

その合間に防鳥網に絡みついたツル植物を引っ張って剥がしました。

防鳥網の収納は10月の作業なので、その前にやっておきます。

たいていはヤブカラシ、カラスウリなどであとは防鳥網の隙間に入り込んで繁茂したススキを切ったりもしました。

これは年1度はやっておかないとツルが木化して来年はもっと繁茂して、ツルが硬くなってしまいます。

今年6月に五十肩が悪化していましたが、徐々に良くなってきていたので、この作業では軽々と腕を上げ下げしていました。

この作業も2年目ですから、今のところ戸惑うことなくやり遂げることができました。

それよりも、ここ最近、急激に秋めいてきたので、季節の変わり目で体調管理が難しくなりそうです。大丈夫か?私。

 

↑今年は気候が合わなかったのか、まだまだヒガンバナが芽吹きをした状態です。

実家の敷地には所々にヒガンバナが咲くのですが、今年は芽吹きが非常に遅いです。

例年なら9月18日頃には咲いている姿を見かけますが、今年は9月24日でこの状態。

1週間どころか10日くらい遅れています。

メイン農産物もサブ農産物も10日くらい収穫が遅かったので予定調和といえばその通りです。

ガチ農家のオジサンである兄に言わせれば「年々暑くなっているから、植物も土も疲弊が蓄積していっているだけ」とのこと。

じつは私が実家で生活していた四半世紀以上前は、もっとセミがたくさんいたンですけれどねぇ。

いまはほぼ見かけないし、鳴き声もあまり耳にしません。

もうセミの幼虫が住むような環境じゃあないのかな?とも思ってみたり。

そうなると生態系が変わっているはずだものね。

生態系が変われば、栽培できる農産物も変わってくる、と思うのです。

さてさて、私の実家ではあと何年先まで果樹園を維持できるのか…相続的要因以外にも心配ごとは尽きませんねぇ。

 

次回も楽しくお手伝いしたいです。


ペンパルにカードを贈る

2024-09-24 07:32:41 | 郵趣

ペンパルのTちゃんにバースデーカードを贈りました。

Tちゃんはインドネシアのジャカルタに住む女性。

発展目覚ましいインドネシア。

皆さん、かの国の首都をご存じですか?

ジャカルタです。

でも…今年8月から新首都はヌサンタラ。

首都移転したのですが、ジャカルタはジャワ島、ヌサンタラはカリマンタン島。

バブル時代に日本でも首都移転の構想があったそうですが、ぜーんぜん進まないうちに30年以上経過。

それを思うと、首都移転を決断できるかの国はトップの手腕がスゴいのか、それともジャカルタが機能不全に陥るのが目に見えているのか…と。

 

Tちゃんとはポスクロで知り合って、なんとなく手紙を交換するようになりました。

かなりのんびりな文通なので、私から年3回くらい送って、Tちゃんも年3回くらい手紙をくれます。

Tちゃんはアート系の趣味があるので、自分で描いたイラストを印刷したはがきを送ってくれます。

 

私も少しインドネシア語を学んでみたものの、いやはや難しい…なんて言ってはいけませんねぇ。

インドネシア語はマレー語、ジャワ語、オランダ語の影響を受けていて、建国79年、建国当時は人口の5%しか話者がいなかった新しい言語。

言語としての歴史が浅いので、学びやすい外国語の1つだそうです。

私には難しいですけれどね。

学生時代にすこしだけ北京官話(中国語)を学びましたが、文法は英語を学んでいるとそれほど難しくないと感じられました。

文字も簡体字とはいえ、漢字ですからなんとなく文字から想像できる部分もありました。

インドネシア語はねぇ…。やる気が相当高くないと私には習得はできそうもないです(泣)

挨拶程度ならどうにかわかるからなぁ。

 


黒いもの

2024-09-23 04:37:57 | 日記

父のお見舞いに行けなくなり、父の様子がイマイチ分からなくなりました。

私が会いに行ったからといって良くなることはありません。

最後に会った時、再び座ることも立つことも、ましてや歩くことはムリな状態でしたから。

 

母はこの1か月、事あるごとに喪服がー、黒い靴がー、黒い靴バッグがー、とお葬式のことばかり言うので辟易としています。

なぜ、お葬式の服装ばかり気になるのか、と。

それなら父の延命措置をしなければいいものを…と私は複雑な気持ちを抱えたままです。

 

私は父が8月中に亡くなるかも…とは思ったこともありましたが、どうにか今も命を繋いでいることに戸惑いも感じています。

 

一方で父がそう長くない、これから何年も生きられる訳でもなさそうだ、とも思っています。

 

先日、買い物ついでに袱紗や小さな黒い手提げ袋、黒いズボンを買いました。

どれもいつかは買っておこうと思っていたモノなのですが、なかなか父の状態を見ていると踏ん切りがつかなくて。

父の様子が分からなくなってきて、気持ちの整理ができた、というべきかもしれません。

 

秋風が吹くようになって、父もまだ命を繋げていられるのか、と驚きとともに父にとって苦しく寂しい時間ばかりが増えているのではないか、と気がきではありません。

これまで中央静脈栄養で最期を迎えた親族がいないので、この終着点はどんな状態なのかさっぱり想像ができません。

黒いモノばかり購入したけれど、私の気持ちもあまり彩度や明度は低いままです。


お手伝い 9月17回目 片付け&新梢切り落とし

2024-09-22 07:51:34 | 労働

前日に兄から電話をいただいたので実家のお手伝いに行きました。

たぶん母は兄から諭されたのでしょう。

だってすでに私が手伝わないと実家の農園はやっていけそうもないからです。

この日聞いたところによると、市内の果樹農園が1つ閉園するそうです。

そちらの農園は、昨年ご主人が亡くなり、奥様と息子さんが営農を継続していたそうですが、限界なのだとか。

農地を守るだけなら、果樹ではなく野菜に転向した方が楽ですからねぇ。

ただ、その農園はもぎとりができる観光農園でしたから、果樹のもぎとりはやめて、野菜のもぎとりに切り替えるそうです。

その方の立地ならやっていけるでしょう。

翻って実家の立地ではまずムリ。

土壌も周辺環境も違いますからね。

なによりも後継者がいないし、農地を守りたい人々の少なさも、ねぇ…。

 

さて直売所の改造も終わりに近づきました。

元の作業小屋に戻ってきて、相変わらず雑然とモノを詰め込んであります。

この日はが新梢の切り落としもしました。

新梢とは、今春以降に伸びた新しい枝のことです。

7月中旬に夏季誘引と言って、樹勢が強い新梢を斜めに倒しながら棚に寄せるように結びつけました。

夏季誘引した枝を含めて樹勢が強い新梢を切り落とします。

それによって、今後防鳥ネットを外す手間が少しは楽にすること、新梢ごとの樹勢をそこそこ均等にできること等が挙げられます。

今回切り落とした新梢は、これまで果実へ栄養を供給してきました。

これでお役御免という訳です。

 

先日、直売所シーズンに夏休みの自由研究のためのインタビューを受けました。

その後少し私も考えたのですが、生産現場の農家は所詮研究機関が開発した栽培技術を実践しているに過ぎません。

農産物が美味しくなる基礎技術は、農業関連の研究機関が品種改良をして、その品種に合った技術開発をして、それを普及して、ローカライズした技術を各農家が導入しているだけ。

消費者にその農産物が届き「美味しい」と思い、リピーターになるのは本当に遠い道のりなんだなぁ、と。

例えば私が1番美味しいと思うメイン農産物の品種は、各農家が品種導入するまでには至りましたが、普及しなかったのです。

理由は美味しいのに生産技術が難しいことと、流通に乗せて販売するには肌が弱かった、の2点です。

だから今では幻の品種と言われ、種苗生産ではすでに入手できない品種になってしまいました。

あと10年もしたら、研究機関での保存品種としてほそぼそとその品種を繋いでいくだけでしょう。

種苗としては役目を終えてお役御免と言えます。

 

いつでも何においても、お役御免は生じることですが、その終焉はヒッソリとしています。

それを消費者が知る必要がどこまであるのかな?とも思います。

なぜならどんなことでも勝者の歴史は残るけれど、敗者の歴史は残らないものですから。

 

さて今回の新梢切り落とし作業で、久々に顔に負傷しました(苦笑)

切った枝が鼻根に落ちて来たからです。

鼻根は、眼と眼の間のことです。

ちょっとズレていたら失明したかも…と恐怖体験です。

いやいや、私は普段からメガネをかけているから失明はしなかったか…。

で、これは明日には青あざが顔の真ん中に出現か?と思いました。

でも翌日は小さなホクロ大の赤い点が1つできただけ。

ラッキーとしか言いようがありません。

次回からケガには十分気をつけます。

 

次回も楽しくお手伝いしたいです。


お手伝い 9月16回目 片付け&ケンカ

2024-09-21 06:08:18 | 労働

この日は6時半から直売所の片付けを手伝っていましたが、7時半には母と兄とケンカして帰宅しました(苦笑)

 

ろくな指示もしてくれないので、掃除をしていたら母になじられました。

元々侮蔑と侮辱と暴言が多い母なのですが、この日は「何すればいい?となぜ聞かない!?」と母から言われました。

 

そもそも私は農園主の兄に「手伝って」と言われているので、私の雇用主は兄。

私がボーッとしているならまだしも、誰よりも細かく動いてマメに掃き掃除をして、ごみの分別をしているさなかでの暴言です。

さすがに私がブチ切れました(苦笑)

母と私が口喧嘩をしているのを見かねて兄が「それなら帰れ!」と言うので、帰ってきた次第です。

兄の言葉には主語がないものの、実家に来ているのは私ですから「帰る」のは私を指していることになります。

私の言い分は「手伝えというから来たのは私。それなのに指示をしないから何やっていいか分からない。兄と母が上を見ながらの作業なのだから、足元を掃除して躓かないようにするのは当たり前」という考え方。

それを一方的になじる母にはどうにも腹立たしいのです。

そしてその母を一方的に擁護する兄もね。

 

夕方になって兄から電話がありました。

兄は「オレが悪かった」と言いますが、私は「あなたが原因じゃあないのになぜ謝るの?あなたが悪いンじゃあないでしょう?」と言っても兄は謝ってきます。

彼の人生はずっとこんな感じなんでしょうねぇ。

 

兄は一生母には頭が上がらいのです。

可哀想に。

事の発端は、母の私に対する侮蔑と侮辱と暴言。

私は兄に謝ってほしいンじゃあないのです。

母も後期高齢者ですから、今後はもっと自制が効かなくなってますます暴言がひどくなることでしょう。

その自覚は母にはできないことでしょう。

今後のことを考えるにあたり、母はもう少し侮蔑と侮蔑と暴言を自重していただきたいのです。

 

これまでも私は母からの言われなき侮蔑と侮辱と暴言には悩まされた生き方でした。

もう限界かなぁ、と。

父とはもう今生では会わせてもらえそうもないし。

 

とはいえ、農園主は兄。

兄から頼まれればお手伝いは続行です。

次回も楽しくお手伝いしたいです。