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makoto's daily handmades

日々暮らすだけの生き方
写真の二次使用は許可しませんので悪しからず

お手伝い 4月12回目 防鳥網展張&摘果

2025-04-23 06:37:34 | 労働

この日は、直売自販機用の計量とパッケージから始まり、まずはイチジク畑へ。

イチジクが芽吹いてきたので、まずは防鳥網展張です。

兄がイチジクアレルギーなので、芽吹いて来るとイチジク畑に入ることすら難しいのです。

そのためアレルギーの発症をしないこの時期に長袖シャツを着て作業です。

母は今のところ大丈夫、私はイチジクアレルギーは△印で、昨年は服に絡んだイチジクの繊維で相当痒かったです。

食べても全然アレルギーを発症しないのに、接触性アレルギーとはなんと不便なアレルギーなのでしょう。

1時間ほどかけて、丘の中腹から丘の下にかけての傾斜地のイチジク畑に防鳥網を展張しました。

 

結果、私はコセンダングサの種の餌食になりまして、右腕から背中半面の服にビッシリと種がひっつき、なおかつ服を貫通して肌に激しい痒みが…。

仕方ありません。諦めました。

 

その後はひたすらメイン農産物の摘果です。

途中、休憩時間に兄から相続のことで話がありました。

兄の計画では、今後メイン農産物の果樹園を1つ丸々潰すとのこと。

その果樹園は一部無くなるけれど、全部を潰すとは思っていなかった私。

少々の「マジで?!なんで?!」の困惑はあるものの、私は農地を相続しません。

兄が決めたことが全て正しい、を実行させるのが私の役目です。

また遺産分割協議書に実印を押してきました。

だがしかし私が前職で何度か見たことがある遺産分割協議書って、もっと朱肉で真っ赤っかなもの…という印象でした。

おかしいなぁ、と思いつつ、なにせ離職から10年近く経過しています。

その間に法制度が変わったせい?でも法改正で簡素化されるようなことなのか?

ま、何かあったら兄が連絡くれるはず。

すると実家から帰宅後に兄から「ごめーん、割印と捨印を押してもらわなきゃダメみたい」とのこと。

ああ、そっか、やっぱり朱肉で真っ赤っかコースだったか、と思い直しました。

父が亡くなって4か月。

父との思い出がまたひとつ遠くなっていくな、と思うのです。

そして「お父さん、死んでも元気でね」と果樹園でつぶやいてみるのでした。

 

次回も楽しくお手伝いしたいです。

☆おまけ☆

実家の庭先の花が晩春の風景を演出しています。

ボタン、シャクナゲと咲いていき、シダレモミジが赤い葉を展開し始めていました。

私が誕生する10年前に亡くなった曾祖母は、ボタンを大切に育てていた名残だそうで、かれこれ70年モノの苗らしいです。

元は植木の苗木(主に花木)生産もしていたので、庭木も花木が多いです。

いずれなくなるでしょうから、花の美しい季節の風景を写真に撮りためておこうと思います。


お手伝い 4月11回目 摘果

2025-04-22 07:37:56 | 労働

この日は父の月命日なのでお墓参りから。

兄と母と私の3人で墓地へ。

基本的に仏花の交換、父の好物のお供え、線香を供えて、墓石に水をかけて、手を合わせるだけです。

母と兄が言うには、檀家の掃除当番が除草剤を使っていないようだ、とのこと。

春から秋は月1度の掃除当番が除草剤を使うことになっていて、檀家墓地は各檀家の墓地の敷地も除草することになっている(そのための報酬もある)そうです。

ひとしきり文句をグチグチ言う母の相手をして果樹園へ。

 

ひたすら摘果です。

脚立に乗って、芽切はさみで、ひたすら手元の実を切り取る作業です。

今年は比較的順調に育っているそうで、昨年見かけた病害は見られません。

その代わりにシャクトリムシを何匹か見かけました。

シャクトリムシは確かにカワイイ見た目なのですが、果実を確実に食害するので見つけ次第捕殺です。

それとナナホシテントウもたくさん見かけました。

ナナホシテントウは肉食ですから、見かけたということはダニ類発生中ということ。

このダニ類は、布団のダニ類とは違って、植物に食害するタイプなので草食系です。

 

そしてこの日は父の相続に関して遺産分割協議書が出来上がりました。

近々押印するので、私も印鑑証明書が必要になりました。

帰宅してからちょっと調べてみると、この春から近くのコンビニのコピー機から取得できることが判明。

しかも役所窓口よりも割安な1通200円。

初めてマイナカードを利用する機会となりましたが、書類を1枚も書かずに発行できるのか、と驚きました。

人口減少局面に向かって、行政サービスの簡素化が進んでいく…「人類は衰退しました」という小説はそういう世界観で書かれていました。

そんな世界もちょっと想像するものの、私が生きている間は恐らく米中関係に翻弄される日本の姿しか見られないでしょえねぇ。

 

次回も楽しくお手伝いしたいです。

☆おまけ☆

兄が「ブドウの芽が出ない」とクヨクヨしていましたが、ちゃんと芽吹いてきました。

先端のカリフラワーみたいな部分が花芽。

これから開花して、ブドウの房になる部分です。

品種は藤稔(ふじみのり)という、神奈川県藤沢市で作出された品種です。


お手伝い 4月10回目 摘果

2025-04-20 06:08:21 | 労働

最初にタケノコやラディッシュなどを計量したら、自販機にセットして販売準備は終了。

この日はずっと摘果作業。

脚立に登っての作業なので、日差しを遮るモノがありません。

日焼け対策をしても、日焼けまっしぐらですね(悲鳴)

何度も書いていますが、実家の手伝いをすると決めた時から日焼けによる肌への影響はすべて諦めました。

 

私の亡き父は、とても肌が白く秋田県等の東北地方出身と言っても通用するくらいでした。

ただ長年の農作業による日焼けで顔や腕は色白とは分からず、お腹や足をみると異様に白い、という感じ。

私は色黒の母を持っているので、ちょっと肌が白いという程度ですが、父の遺伝子強めの兄はやっぱり色白。

その兄も一見して色白とは分からないのですが、半袖を着始めたこの日は、異様に二の腕が白くてビックリします。

思わず「お兄ちゃん、腕曲げてみて」というと、手首の真っ黒さと二の腕の色白さの違いがくっきり。

 

思わず「焦げパンとお餅だね」と言い、ゲラゲラ笑ってしまいました。

 

私もすでに長袖クールシャツ着用していますが、日焼けは時間の問題です。

私の場合はさすがに焦げパンにはならないでしょうけれど、油揚げくらいにはなりそうです。

 

次回も楽しくお手伝いしたいです。


お手伝い 4月9回目 種まき&摘果

2025-04-19 07:41:56 | 労働

早朝実家へ行ったら、兄の車はあっても姿なし。

タケノコ掘りだけして帰宅して日帰りドライブに行ったそうな。

ゆえに私と母の2人で作業しました。

まずはこの畑でエダマメの種まき。

1度種まきしたのですが、芽が出てこないので2度目の種まき。

なにせ実家は果樹農家。

 

母と兄は農業を継いだときから果樹農家なので、野菜生産は不得手。

亡き祖父と父がいた頃とは訳が違う、素人による野菜づくり、家庭菜園レベルというわけです。

今年いっぱいで、写真の農地は無くなりますから、今年最後の農産物生産となります。

実家の野菜畑は半分以上無くなる予定です。

 

このあとはひたすら摘果です。

母は仕事は早いけれどちょっと雑です。

そういう性格だから仕方がないのですが、私は正確性重視なので、やっぱり時間が少々かかるンです。

これも性格だから仕方がありません。

ケンカせずに住み分けをすればいいだけのことです。

この日は午後3時まで手伝いました。

 

そして無人直売コーナー(自販機ではない部分)で、持ち去り事案発生。

時間を決めて対面販売にすればいいものを、ただやみくもに地域に犯罪者を増やす方向になるから、私は無人直売は反対なんですけれどね。

 

次回も楽しくお手伝いしたいです。

 


お手伝い 4月8回目 摘果&人工授粉

2025-04-15 07:29:43 | 労働

この日は未明まで降雨だったので、足元がグチャグチャのぬかるみでした。

まずはタケノコ掘りの手伝いなのですが、ひと掘りするたびにシャベル(足掛け付きの掘削道具)に粘土質の土が絡みつきます。

そのたびに長靴の底でドロを掻き落として、タケノコを掘っているのだか、ドロを掻き落とすためにシャベルを突き立てているのか分からないくらい。

で、これまたタケノコの周りに竹の根がとぐろを巻いていました。

途中でギブアップして、あとは兄に任せました。

それでもほかに4本程掘り上げ。

雨後のタケノコですから、兄と合わせて全部で12本くらい掘り上げました。

 

実家の竹藪の規模なら、このくらい収穫できれば上出来です。

計量とパッケージを済ませて、自販機にセットして終了。

 

まだ木に水滴がついていたので、この日は、摘果から。

↑摘果前

↓摘果後

まだ実止まりは分かりにくいので中晩生種から作業です。

果そう1つから花芽が10個くらい出ているので、その中から一番大きな果実1つにしてきいます。

一枝に果そうは6〜8個くらいあるので、80個の花から8個(10分の1)にする感覚です。

ただし、収穫までにはさらに摘果を重ねていきますから、最終的に一枝で1〜2個に調整しますから、40〜80個の花で1個くらいしか製品にはなりません。

なお、実家は庭先販売と言われる販売方法ですから、これでも収益性はとても高い農業をしています。

スーパーマーケット等で販売している「流通に乗っかって販売される果実」の場合とは全然違う収益システムですから、あしからず。

 

午前10時を回ったころには枝葉が乾いてきたので、人工授粉をしました。

もう早生種以外は人工授粉は終わっていまして、早生種もこの日が最後くらいです。

ここからはしばらく時間を開けて、摘果に移行します。

昨年もひたすら摘果が続いていました。

日焼け止めをたっぷり塗りたくっても日焼けが止まらない状態⋯そんな感じです。

 

この日も午前中だけのお手伝い。

1週間程前から祖母が杖を使うようになりました。

祖母には「おばあちゃんが忘れなくても、他の人が間違って持って帰っちゃうかもしれないから」という理由で、杖に名前シールを貼って、目印の小さなストラップをつけました。

名前シールは切り開くと住所と電話番号を記載してあり、切り開かないと名前しか見えない袋とじにしています。

祖母には長生きしてほしいと思いつつ、衰えが見え隠れするお年頃です。

 

次回も楽しくお手伝いしたいです。


お手伝い 4月7回目 摘蕾&人工授粉

2025-04-13 04:28:37 | 労働

この日はタケノコの計量とパッケージから。

今年のタケノコは近隣農家では不調だそうで、実家も同様に不調。

おそらくは先の冬、とくに1月〜3月半ばまで殆ど降雨がなかったせいで、竹藪の土中が水分不足になったためではないか、とのこと。

遠縁のタケノコ農家さんも例年の5分の1くらいしか生えてこないとのこと。

 

実家の小さな竹藪でも例年の4分の1程度、しかも当初から収穫終わりの頃に生えてくる形状が多い状態です。

 

ま、実家にとってタケノコはサブ農産物ですから、仕方がないと諦められますが、メインで生産される農家さんは頭も胃も痛い状態のはずです。

果樹園の中にまで生えてきたタケノコ。

去年は父が転びやすい状態だったから、果樹園の中でこんなに育った状態になる前に掘り上げました。

今年はちょっと気を抜いてしまっているのか、こんなに育ってから発見。

ちなみにこの状態では、伐採して廃棄です。

タケノコとは、地面のヒビ割れ具合を見極めて土中にあるうちに、早朝に掘り上げて初めて商品価値があるものです。

この日も摘蕾と人工授粉を午前中だけ作業して、午後はお払い箱。

春の日差しが次第に初夏めいてきていて、今年もバッチリ日焼けして、取り返しがつかないシミがたくさんできそうな予感です。

私は父に似て色白なので、シミが目立つンです。

とはいえ、父ほどの色白の遺伝子ではなく、母方の地黒系遺伝子も持ち合わせているので、日焼けするとドスンとくすんだ色合いになるンです。

実家の農業を手伝うと決めた日から、日焼けは避けられない運命ですから、それでいいとしましょう。

 

↑この果樹園は今年いっぱいで栽培を止めます。

↑こちらも今年いっぱいで伐採するプルーンの木。

青いネットの奥に野菜畑もありますが、その野菜畑も無くなります。

 

父の相続で農地が無くなるのは寂しいです。

それでも父が布石を打っていてくれたので、この程度の農地の消滅で済んでいる、とも言えます。

亡くなってもなお、父には頭が上がらないと実感しています。

 

農作業小屋に据え置いている椅子の1つは、1年前、父用に購入したもの。

椅子に腰掛けるのにちょっと手助けが必要になったので、肘掛けがついている椅子に変えたのです。

あれから1年経って振り返れば短いのに、1年前はまさか父が亡くなるだなんて、想像出来ていなかったです。

去年の私は、来年は車椅子に乗った父を丘の上の果樹園まで連れて来るにはどうしたらうまくいくかな?車椅子のタイヤにダート用なんてあるのかな?なんてボンヤリと考えていました。

 

次回も楽しくお手伝いしたいです。


お手伝い 4月6回目 枝落とし&摘蕾&人工授粉

2025-04-11 07:19:27 | 労働

この日は、まずキヌサヤやスナップエンドウの収穫、計量パッケージをして農産物自販機にセット。

 

つぎにもう花摘みはしないので、花粉採取用果樹の枝落としです。

来年も花粉採取をするので、いち早く不要枝を切り落として、来年のための新梢を伸ばす準備です。

これは果実を収穫する品種では絶対にやりません。

 

つぎは摘蕾の見直し、人工授粉と進んで、午前中までのお手伝いで帰宅しました。

 

もうキヌサヤやスナップエンドウの収穫時期なんだなぁ、と。

去年の今頃の父の姿を思い出すものの、去年の自分のブログを読むと、父が転んだり、私の登山杖を父に譲った記述がありません。

当時はそれを記事に書き残すほどのことではない、と感じていたのでしょうね。

父がキヌサヤを計量して、その横で私がパッケージしたことを懐かしく思い出します。

農産物自販機の使い方も父は教えてくれるのですが、手順通りでないと分かりにくいので、私は父に言われるままに扱っても、いちいち父に指示してもらわないと分からない状態でした。

それが今ではセットも代金回収も全部できるようになっちゃったンだよなぁ、と。

 

もう少し父とは一緒に農作業ができると思っていたのが1年くらい前。

まだまだ気持ちに余裕があった、というか呑気な自分だったなぁ、とも思うのです。

そして父自身も「ジイサンが85で亡くなったから、オレも85まで頑張る」と言っていたのも1年前。

父本人も81歳で年内に亡くなるだなんて、想定していなかったことが伺えます。

 

たぶん何年経っても春になって、タケノコを掘ったり、キヌサヤを収穫する季節になれば、同じことを思い出し、ここに書き込んでいることでしょう。

私にとって春はそんな季節になるンだろうな、と。

 

次回も楽しくお手伝いしたいです。

 


お手伝い 4月5回目 摘蕾&人工授粉

2025-04-10 07:14:22 | 労働

この日はタケノコの掘り忘れを2本掘ってから、計量から。

摘蕾と人工授粉をして、午前中で作業終わり。

新学期ですね。

実家の果樹園から私が卒業した学校が見えます。

校歌の歌詞に地域の果樹のことが歌われていて、この季節に校歌を歌うのが楽しみの1つでした。

いつかは校舎のどの窓からもこの花は見られなくなるのよね⋯と思うことが今年は増えてしまいました。

この果樹園は生き残るけれど、あと10年以内に無くなると思われます。

 

こっちの果樹園は兄が生きている間は残りそうな果樹園。

奥に井戸(黒い四角に見える所)があって、私が4歳まで暮らした家の跡地を父と祖父が開墾した場所。

通称「丘の下の果樹園」。

改植を重ねているので若い木が多めです。

 

毎年この辺りから花を撮影していますが、毎年枝は違います。

長果枝剪定という技術で栽培しているので、ほぼ毎年実がなった枝は冬の剪定で切り落としてしまいます。

 

今のうちに実家の農地の風景を写真に収めておこうと思います。

というのも、父の思い出をフォトブックにした時、作業手順のメモのために写真を撮りためていたら、それが思いのほか役立ちました。

いつかは自分のために実家の農園の思い出フォトブックを作る日が来るのだろうな、と思っています。

 

この日はとても天気が良かったのですが、作業が順調すぎて午後はお払い箱になりました。

私はその方が身体の負担が少ないので私は楽できます。

実家からの帰り道の沿道には、兄の農家仲間の方の果樹園があります。

当地では同じ組合に属していても、栽培方法までは共通化はしていません。

ゆえに帰り道の沿道の農園は、同じ草生栽培でもナギナタガヤを使っています。

バイクの運転中にチラッと見かけるだけですが、同じ作物を作っていても随分栽培方法が違うなーと感じます。

そういう気持ちになるのも、実家が果樹園経営をしているからであるから見れば分かる状態なのでしょうね。

 

次回も楽しくお手伝いしたいです。


お手伝い 4月4回目 摘蕾&人工授粉

2025-04-09 06:39:54 | 労働

今朝もバイクを走らせて実家へ。

実家までのあとほんの少しの場所から、実家の農産物自販機が見える場所があります。

まだ自販機が開店していないはずなのに、のぞき込んでいる人影が⋯。

 

昨年くらいからその場所に猫餌をばらまく人がいまして、その犯人か?とも思ったのです。

猫餌は猫が食べるとは限らず、地域にネズミやハクビシン、アライグマ等の厄介な野生動物を呼び寄せるので、絶対やっちゃダメな行為です。

 

声掛けをすべきか瞬時迷いながらもスルー。

 

兄や母によると、その方はタケノコの購入目的で開店前から並んでいた、という方だったとか。

 

そして実家でも朝からひっくり返るほどビックリしました。

私は仕事前に仏壇に手を合わせてから果樹園にいくのですが、ろうそくの火がつけっぱなし。

祖母の部屋に行って「ばあちゃん、ろうそくに火をつけた?消えてなかったンだけど」と話すと、祖母が「あとちょっとだからつけっぱなしにした」と悪気なくいうのです。

 

それがちょっとシドロモドロだったので、たぶん祖母の消し忘れ。

あーあ、いつかは火事だな。

 

母には電池式のろうそくと線香、練り香を渡してあるし、「この先、何があっても私の家でお母さんやおばあちゃんと一緒に暮らすことはありません」と宣言済み。

父の相続では、すでに「おばあちゃんとお母さんがこの先の生涯で何があっても住む所と生活することに困らない財産分与にしてくれ」と兄に要望済み。

祖母の認知がものすごく微妙過ぎるので、認知テストを受けさせて、と、すでに3ヶ月前に母に忠告ずみ。

 

私ができることは全部やっているから、知らんぷりできるのです。

でもいざ、祖母のあまりにもな行為に唖然としてしまいました。

ろうそくの火をつけっぱなしで、言い訳しちゃうンだもんなー。

 

ま、思い出も何もかも燃えて無くなって、初めて私の言っていることが身に染みる、実家の人々だろうな。

私も20年くらいは住んでいましたが、もう2度と住むことはない家なので、割り切りは早いでしょう。

 

さて。

この日は少し花摘みをしましたが、おそらくこの日で花摘みは終わり。

最終花摘み(結実させないための摘み取り)は残っていますが、人工授粉も後半に入ってきた、という状況です。

人工授粉はハンディタイプの電動梵天(毛バタキ)を使っています。

昨年、私は五十肩の不調があったので、とても身体がキツかったのですが、今年は快調。

ハンディタイプは、片方の肩に負担がかかりやすいので、なるべく両腕を肩よりも上げて作業しています。

たいてい電動梵天を右手で使うので、左手で不要な花芽を摘み取っています。

こうすることで、少しは片方の肩ばかりに負担がかからないようにしています。

 

ところが元々腕を上げて作業するのはあまり慣れていないせいか、帰宅すると昼寝(夕寝?)してしまうのです。

それは20〜30分くらいなのですが、身体的な負担になっているンだなー、と実感してしまいます。

 

そしてやっとブドウの芽が出てきました。

枝の先、上側に丸いポッチがありますが、これが芽です。

ここにも丸いポッチの芽が出てきています。

兄がヤキモキして「ブドウの芽が出ない」と連発して心配していましたが、これで少しは気が楽になったのかもしれません。

この芽からツルが伸びて、秋の落葉までには、4〜5メートルは枝を伸ばすのです。

それが無数に伸び、花芽が出来、果実になるのですから、そりゃあ短い時間で忙しいことよ、と感心します。

今年もブドウが始動したな、と思う瞬間でもあります。

 

次回も楽しくお手伝いしたいです。


お手伝い 4月3回目 摘蕾&花摘み&人工授粉

2025-04-08 06:24:49 | 労働

この日は早めに実家へ行って、タケノコの直売準備から。

雨後のタケノコ⋯言葉通りこの日は収穫が多めでした。

とはいえ、実家の竹藪はとても小さいので、10本くらいしか収穫できません。

 

この日の天気は雨が降りそうで降らない、北風で冷気がありましたが、途中から西からの風。

早生種の花は7分咲きくらいです。

ちょうど人工授粉に向いている時期ですね。

私が子どもの頃は、ご近所の丘陵はこの花の色で白い丘になったものですが、ご近所も農地が減りまして、最盛期の半分以下です。

私が卒業した小学校の校歌には、この白い花が歌詞に登場します。

今の子どもたちは何を思って校歌を口ずさむのかなぁ?と思います。

今ではマンション村ですから、往時の姿はもう遠い遠い古人の思い出の中だろうな、と。

兄はその小学校の1期生でしたから、歌詞を我が事のように感じ入っていたそうです。

私さえもちょっと誇らしく感じたものなぁ。

 

さてこの日は午後1時半くらいから霧雨みたいな降雨があり、お手伝いは予定よりも早く終了。

お天気次第の作業はまだまだ続きます。

次回も楽しくお手伝いしたいです。