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makoto's daily handmades

日々暮らすだけの生き方
写真の二次使用は許可しませんので悪しからず

沖縄を旅する 番外編

2019-11-30 10:00:00 | 遠出
(当初アップした内容を加筆修正しています)
沖縄県に滞在した3日間とも毎日楽しんだのは、ビーチコーミングです。
私が住む神奈川県の海では、砂は黒めだし、貝やサンゴ、シーグラスはあまり見かけず、木片や枝、海藻、プラスチックごみと言ったところでしょう。
今回、1番楽しかった行動の1つでした。
またガンガラーの谷で、港川人の遺跡を見たことは、日本人のルーツ、沖縄県の原生林、鍾乳洞など自然環境を考えるきっかけになりました。
3日間とも天気がコロコロ変わって、常に吹き続ける風は、関東地方南部ではなかなか感じられない風土です。
この風によって島である沖縄県の海運貿易の歴史に思いを馳せました。

沖縄県に行ったら食べてみたいと思ったモノはすべて食べることができました。
ルートビアも飲みました。
楽しみにしていたものの1つに、紅茶花伝ガーデンレモンティーです。
紅茶花伝はコカ・コーラ社の紅茶飲料で、関東地方でも販売していますが、レモンティーはありません。
レモンティーがあるのは沖縄県だけなのです。
MIFさんは昔から「紅茶花伝のレモンティーが無くなったのが残念」と言っていたので、1度飲んでみたいと思っていました。
スッキリした味わいで、関東地方で販売している他社製品とはひと味違いました。

以前にテレビで見かけた「天使のはね」というお菓子です。
ホテルの売店で見かけて食べ、美味しかったのでその後の観光地では見かけず、空港でやっと手に入れました。
原料は小麦粉が多いので、あまり大量に食べられませんが、スポンジのような、不思議な食感です。
現地で食べたときは不思議な食感で美味しく感じました。
自宅に持ち帰って食べたら、なんか違う…。
現地で食べるから美味しいというお菓子なのかもしれません。

今回は本州辺りでは見かけることができないモノを見て回る、これが楽しみでした。
島を繫ぐ橋も海中道路も私には物珍しい風景です。
本州辺りでは城跡(しろあと)とか城址(じょうし)と呼びますが、沖縄県では城はグスクと言います。
まず石垣の石の質がまったく違います。
多くは沖縄石灰岩と言われるサンゴ等が堆積圧縮された岩です。
私が住む関東地方南部では、伊豆半島産の火成岩(火山性の岩)が使われることが多いので、石の素材からして全然違います。
それに同じ沖縄本島内の城でも、石積みの方法が全然違い、しかも地形を生かした山城(やまじろ)形式でありつつも、その形状は中国大陸の影響を多く受けています。
そして何よりも、城から海が見えるのがとても沖縄らしい風景に思えました。
旅行を計画してから沖縄県立博物館・美術館の特別展を知りました。

普段は展示会があっても図録を買うことがありません。
でも今回は沖縄県立博物館・美術館の展示図録(左側)を購入しました。
右側は沖縄タイムス社発行の緊急出版報道写真集「首里城」です。
今回は沖縄県の城跡を3つ巡りましたが、まだまだたくさんあります。
私がモタモタしている間に首里城の建物群が焼失してしまったことが本当に残念でなりません。
カーラジオからは毎日首里城再建の話題が流れていました。
再建されるにはまだまだ何年もかかるし、もしかしたら焼失前と同規模の再建は難しいかもしれません。
私が「いつかは首里城を見たいなぁ」とボンヤリとしていた時間が口惜しくてなりません。

首里城再建のためにも、沖縄を訪れる方々が多くいらっしゃいますように。

そして今回の旅行では、飛行機に乗りました。
飛行機でパニック障害を初めて起こしたのが15年程前。
13年ぶりに飛行機に乗ることになり、今回はハッキリとしたパニック症状は出ませんでした。
しかし酔い止め薬の副作用なのか、頭痛と強い眠気、むくみが出ました。
これでパニック障害を克服したとは思えないのですが、またいつか飛行機に乗るかもしれない、と思うようになりました。
そしていつも遠くまで連れて行ってくれるMIFさん、ありがとうございました。








沖縄県を旅する その3

2019-11-30 09:00:00 | 日記
今日(11月29日)は旅行3日目、最終日です。
今回も写真たくさん、長文なのでお暇な時にお読みください。
朝、宿泊施設の外に目を向けると虹が出ていました。

ハッキリとは写っていませんが、虹を見たのは久しぶりです。
旅行中ずっと目まぐるしく変わる天気でしたから、当地では虹は当たり前の風景かもしれません。

まずは海中道路(かいちゅうどうろ)に向かいました。
この道路は本島と島の間を埋め立てて道路にしています。



道路の途中に休憩施設がありました。

海中道路より先の島には、「ぬちまーす」という塩工場があります。
工場敷地から海を望みましたが、強烈な風で寒いくらいでした。


沖縄旅行、どこでもみられたタコノキ。
実は熟す黄色くなり、うっすらとパイナップルのような匂いがしますが、マズくて食べられないそうです。

このあと勝連城跡(かつれんじょうあと)を見てきました。
ジオラマの奥に勝連城があります。





昨日行った今帰仁城とは違い石組みがキッチリとしています。



城郭の頂上から。
とても陽射しが強くて、風もビュービュー吹き抜けます。
台風が来ているときはどうなってしまうのだろうか?と思うくらいです。
でも眺めは最高に良かった!

勝連城跡近くにまるで恐竜の首ようなモノがありました。(写真中央)
これは木に草などが絡みついただけのようですが面白かったです。
ここから首里城に向かいました。

守礼門です。

本来はこの門から首里城の正殿に向かうそうですが、門は閉ざされたままです。
先月30日の火災で、首里城の建物群が焼失してからこの旅行を決めました。
だから首里城の建物群を見られないことは十分承知をしています。

私が「飛行機に乗れないから」とか「遠いから」とか「いつか行けたらいいな」とか、そんな気持ちでモタモタしているうちに、火災で焼失してしまいました。
文化は言葉だけは説明ができない風習や習慣のこと。
火災や災害で簡単に失われるモノと、今回本当に実感しました。
首里城は再建されると思います。
でも私が好きだったドラマ「テンペスト」の撮影で写っていた首里城はもう見ることができません。
それが残念でなりません。

トップ写真は首里城独特の石垣の角の形。





つい先日までこの通りも封鎖されていたそうです。

逆光ですが、焼け落ちた建物群が見えました。
首里城は城壁の周りしか見えなくても多くの観光客が訪れていました。

中央あたりが火災現場。

売店の方にインタビューするテレビ朝日の撮影クルー。
火災から1か月なので観光客や売り上げの減少のインタビューを試みているみたいです。


情報センターの首里城のジオラマ。

ここから、沖縄県立博物館・美術館
に行きました。

野外展示の高倉。
高倉と言えば、教科書でみる高床式倉庫くらいしか知らなかったので、このタイプははじめて観ました。

天井がとても素敵でした。


屋外展示のシーサー。
海洋博の会場で飾られていたそうです。
これまでみたシーサーとは比べられないくらい独特な形です。

博物館の外壁は遠目からみると沖縄県独特の城(グスク)のようですが、近づくと、ワッフルのような凹凸があります。
沖縄本島の家々は装飾があるコンクリートブロックがあって物珍しかったのですが、それを彷彿させる造形です。


今日はワンデーパスで入館し、特別展「グスク・ぐすく・城」展を見てきました。
これは、琉球王国のグスク及び関連遺産群世界遺産登録20周年を記念した展示です。
首里城の建物群が焼失したから企画されたのではなく、一層の世界遺産機運を盛り上げる企画だったハズです。

焼失した正殿の模型だけでも見られて良かったと思う一方で、やはり再建された姿も見たいと思いました。

このあと博物館の情報コーナーで、一昨
日見た港川人関連の遺跡や展示資料を見てきました。

帰りは少し早めに那覇空港に向かいました。
予定の便は25分遅れで出発し、羽田空港には予定より30分遅れで到着。
23時40分くらいに帰宅しました。

今回は初めて沖縄県を旅行(とは行っても本島の半分くらい)をしました。
見たことがない風景が多くて、とくにお墓が独特で大きくて道路端にたくさんある風景、アップダウンが多い地形、サトウキビ畑が多くて田んぼがない風景、何もかも珍しかったです。
私は日本史好きですが、いかに自分の視野が狭かったのかを思い知りました。
沖縄県は琉球王国だったことで、ずっと中国の影響下にあったので、漢文文化だと思っていました。
でも平仮名を使った文章もあり、文化の伝播は一方向に向かうモノではないことを改めて知りました。

今回の旅行もMIFさんの後押しがなければ、沖縄県に行こうとも思わなかったですし、一生飛行機に乗らなかったと思います。
本当にありがとうございました。



沖縄県を旅する その2

2019-11-30 08:30:00 | 遠出
旅行2日目(11月28日)、「その1」の続きです。
今回も写真多め、長文なので、お暇な時にご覧ください。

私の従弟は沖縄県在住で海洋生物の研究者です。
私の方が一回り近く年上で、飛行機に乗れない私のままでは、もう一生彼とは会わないだろうと思っている間柄です。
ちょうどトップ写真を撮影中に叔母(従弟の母親)から電話がありました。
叔母は「会いに行ったら?」と言ってくれましたが、従弟も私も接点がほぼないので従弟も突然私が尋ねていっても困るだろう…との思いから会わずにやり過ごしました。
結局、彼と今後会うとすれば誰かのお葬式くらいでしょう。

今回はトップ写真にある美ら海水族館には行ってみました。

悠々と泳ぐジンベイザメ。
今年は大阪市の海遊館でもジンベイザメを見たなぁ、と思い出しました。


美ら海水族館の大水槽の上網の向こうにダイバーさんが1人見えますが、ちょうどお掃除に向かう姿です。


大水槽のお掃除ダイバーさん達。


マナティーが愛くるしかったです。


ウミガメ達の餌争奪戦がなんとも可愛かったです。


イルカショーを見ている間中、ここは沖縄なのか?と思うくらい寒かったです。
半袖+長袖シャツ+ウィンドブレーカーを重ね着していても震える程寒かった…。
ホットコーヒーを飲んでも鼻水が止まらなくなってきました。
※私は寒暖差が大きいと鼻炎が酷くなります。


美ら海水族館は、ネットでは知っていても、まるで要塞のような造りだと思いました。
現地のテレビニュース番組で、観光客自体は増えているけれど、韓国からの観光客が激減していると取り上げていました。
確かにハングルの言葉を耳にしなかったのですが、中国や英語は時々耳にしたし、多くは日本語でした。
韓国からの観光客が減っても、日本人でカバーできているように思えたのですが、それではダメなのでしょうか?
日本人よりも韓国人に観光してもらいたいのかな?と思うような報道で少し違和感がありました。


今帰仁城(なきじんじょう)に行きました。
私が学生の頃、日本史を専攻している友達の間で、田村由美さんの「BASARA(ばさら)」という漫画が流行ったことがありました。
その登場人物の1人が「今帰仁(なきじん)」という色黒の男性でした。
漫画「BASARA」自体は日本史とファンタジーと恋愛と運命モノをいろいろ織り交ぜた物語なので、純粋な日本史ではないのです。
でも登場人物の今帰仁は、物悲しい背景を背負っている人物であり、石頭キャラだったので印象に残りました。















石垣好きでもある私には、本州ではなかなか見かけないタイプの石垣で物珍しい風景でした。
野面積みとも少々違い、どちらかというと西洋の城郭のような部分を感じる一方で、中国の影響も感じられました。
何よりも石垣の石は薄くはいだような形を積んでいるので、節理にそうなったのか、興味深いところです。
残念なのは、一部が崩壊していることです。
城郭の保存の難しさを感じました。

こちらは無料エリアの発掘調査地点。
3人の方が発掘をしていました。

今帰仁城の隣にある今帰仁村歴史文化センターに立ち寄りました。

先日ブログでご紹介した足踏み脱穀機。
左側の文明式も普及型の足踏み脱穀機ですが、こちらは鹿児島県に本社があります(現在も実在する会社です)。
左側のミノル式は、神奈川県川崎市に本社があり、すでに廃業した細王舎(さいおうしゃ)の製品ですが、各地の資料館で見かけます。

戦後、兵器を改造して作ったボート。

去年古宇利島に流れ着いた、岩手県の震災被災船。
ニュース番組で知っていたのですが、ここに展示されているとは知りませんでした。
岩手県からどうやったら沖縄まで流れ着いたのだろうか?と太平洋黒潮の不思議を思いました。
歴史文化センターは、小規模な文化施設ですが、歴史文化を知るにはとても分かりやすい展示でした。
ただ、やはり琉球王朝時代以前の歴史の年表がなく、どんな時代だったのか分かりづらいことが残念です。
これは中国の影響が強かった割に中国の正史には登場しなかったのかとも思います。
沖縄は東南アジア諸国や中国と貿易はしていたハズですが、書物に残らないとその歴史はなかなか解明できないことでもあります。
その点からも文字文化は、劇的な文化革命だったのだとしみじみと感じました。

ここから古宇利大橋に向かいました。
前方に橋が見えました。

橋の手前の浜でビーチコーミングを楽しみました。
ここでは、シーグラスが多く拾えて楽しかったです。
でも前日にもまして、プラスチックごみが多いことには驚きました。

やはり橋は下から見上げるのが楽しいです。
海に架かる橋は規模が大きいので、圧倒的な大きさに感心してしまいます。

橋の上から、対岸の古宇利島を望みました。
島に到着したら、古宇利タワーに行ってみました。
貝の博物館が併設されているので、こちらも見たことがないような形の貝があって、ついつい見入ってしまいました。





古宇利タワーから見た風景。
最上階は吹きさらしで腰が抜けるくらい怖かったです。
ここから万座毛(まんざもう)に向かいました。











夕陽をみたいと思いましたが、曇っていてまったく見られなかったです。
でもダイナミックな海食崖を見られ、面白かったです。

2日目の今日は、曇り時々小雨で終始どこへ行っても北からの強風でした。
この時期の那覇市の気温は20度は超えているのですが、強烈な風で体感温度は低めです。
半袖+長袖でも寒く、一方で日が射すと暑いという感じで、衣類選びは少々難しく感じました。

さて旅の最終日は、「その3」に続きます。

沖縄県を旅する その1

2019-11-30 08:00:00 | 遠出
以前からこのブログでは書いていますが、私は以前乗り物でパニック障害を起こしたことがあります。
だから飛行機には一生乗らないだろうと思っていました。
この旅行の予約をしているときも、PCの予約画面を見ているだけで呼吸が荒くなるくらい、ストレスがありました。

でも一生乗らずに済むとも思えず、多少は克服したいという気持ちも持っているのも事実でした。
ゆえに思い切って、1度は行ってみたいと思っていた沖縄県に行ってみました。
同行者はMIFさんです。

今回は写真多め、長文ですからお暇な時にご覧ください。
なお、今回の旅行では戦跡と基地関係は一切出てきません。

1日目(11月27日)
羽田空港から6時20分発の飛行機で那覇空港に向かいました。
9時40分にはレンタカーを借りて、一路玉泉洞(ぎょくせんどう)に向かいました。

ここは鍾乳洞です。

この後、ガンガラーの谷のガイドツアーに参加しました。
この施設は事前予約が必要です。

ビニールシートがかかっているところ(写真下部)は、現在発掘調査中の場所。


この竹は台湾原産の竹で、太さ30センチくらいあります。
MIFさんが好きな声優、今井麻美さんのブログでも紹介されていた竹です。
※今井さんは2016年頃にガンガラーの谷でコンサートを開催しました。


トップ写真のガシュマルを見たり、この川沿いに歩き進んだりします。

こんなランタンを手に持って洞窟探検もします。

地層の露頭を見たり、思ったよりもネイチャーな感じで期待以上でした。

カワイイ赤い実。

緑色のタニシ。

ここは港川人(みなとかわじん)1号(男性)と呼ばれる旧石器時代の人物の石の棺だった発掘現場。
人骨は沖縄県立博物館・美術館にありますが、約4,000年前の棺そのものは本物です。
地表からだいたい15センチくらい下から発掘されたそうです。

先日の「遺跡を見てきました」記事の写真は、焚き火の跡です。
ここでイノシシを焼いて食べたそうです。
港川人はカニ好きだったそうで大量のカニ爪が見つかっていたり、釣り針も見つかっています。
なによりも、東南アジア諸国との共通点がある人骨だそうです。
ツアーガイドの方の静かだけれどなかなか面白いお話を聞けてとてもよかったです。
何よりも以前テレビ番組で見たグレートジャーニー(人類の拡大、移動)に思いを馳せました。
人類学の授業は、人類の拡大よりも人類によって姿を変えた植物(トウモロコシとか)に興味を持ってしまいました。
あの時、もうちょっと人類に興味を持てばよかった…と思う瞬間でした。

この時はとても暑かったのです。
思わずツアー後にアイスを食べました。
ブルーシールアイスです。
以前は首都高速道路大黒PA(横浜市鶴見区)に出店していたブルーシールですが、いまは閉店したので、もう2度と食べることはないと思っていました。

ここから橋を見に行きました。

ニライカナイ橋です。
このグネグネした橋は、1度は見てみたいと思っていたのですが、思いのほか風も陽射しも強くて、南国に来たんだな、と改めて思い出しました。

ここから私がネットで調べた限り、最大のシーサーを見に行きました。

宜野湾市のシーサー児童公園のシーサー滑り台です。
シーサーの左前足が滑り台になっていて、赤いTシャツを着た男の子がいます。
滑り台は後方にも1つありまして、身体の下から階段で上がります。
もう子ども達の下校時間を過ぎていたみたいで、子ども達が遊んでいました。
公園とは言えども、私は写真を撮る不審者のような存在。
子ども達が居なければ、シーサー滑り台を滑りたかったのですが諦めました。

シーサーは私が大好きな狛犬ちゃんとDNAは一緒と言われています。
沖縄県の家々にはシーサーが飾られていると聞いてはいましたが、本当にこれでもかと言うくらいシーサーが個人宅にも集合住宅にもお店にもいました。
全部写真に収められないくらいなので、沖縄ではシーサーがとても身近なのだとただ驚くばかりです。

砂浜に来ました。
沖縄に来たらやってみたかったビーチコーミングをしました。
驚いたのは、きれいな砂浜なのによく見るとプラスチックごみが大小ありました。
普段海から離れた内陸で暮らしていて、砂浜には滅多に行かないので、マイクロプラスチックが世界的な問題になっているとは知っていても実感がありませんでした。

宿泊施設には、福井県からの修学旅行生が宿泊していました。
今どきは修学旅行で沖縄は多いと聞いていましたが、本当なんだな、と感じました。
私には子どもがいないので、この辺りのトレンドは分かりません。

今日は飛行機に搭乗にあたり酔い止め薬を飲んだのですが、これが良かったのか悪かったのか、サッパリ分かりませんでした。
終日頭痛と強烈な眠気がしました。
また搭乗によって気圧が変わったせいか、左足首の痛みと痺れが酷くなり、足下が悪い洞窟探検やビーチコーミングによる浜辺散策をしたので疲れました。
搭乗前に息切れにはなりましたが、胃がキューッと感じるほどではありませんでした。
とりあえず、パニック障害よりは、気圧変化による神経障害性疼痛の方が酷かったと感じました。
久しぶりに杖を使って歩きたいと思ったくらいです。

まぁ、どうにか日程は過ごせるでしょう、たぶん。

2日目の日程は「その2」でご紹介します。

今日も石垣を見てきました

2019-11-29 19:01:34 | 遠出
昨日に引き続き、お休みのMIFさんと石垣を見てきました。
詳細は後日ブログ記事にします。
昨日とは材質も組み方も違う石垣です。
神奈川県に住んでいると、身近な石垣は江戸城や小田原城になります。
それらはだいたい伊豆半島で産出される火山性の石が使われていますが、今回の石垣はまったく別の性質の石なので、普段はなかなか目にしない石です。
それゆえに石垣としての役割、そしてその存在意義にも興味を持ち、今日も博物館に立ち寄りました。

やはり郷土の特性を知るには博物館や資料館はとても重要な施設だと改めて感じた次第です。

石垣を見てきました

2019-11-28 20:10:11 | 遠出
詳細は後日書きます。
今日もお休みのMIFさんと石垣を見てきました。
石垣好きの方からしたら、ひと目見て場所が分かるため、トップ写真はその近くにある資料館で見かけた足踏み脱穀機にしました。

右側の足踏み脱穀機、ミノル式足踏み脱穀機といいまして、私が住む川崎市が誇る全国津々浦々まで普及した脱穀機です。
ちなみに細王舎(さいおうしゃ)の製品で、すでに細王舎は昭和の終わり頃には小松製作所に吸収合併されました。
創業者が細山村、創業者の奥様が王禅寺村出身だったことから命名された社名です(ともに現在の川崎市麻生区の旧村名)。
工場跡地には記念碑があります(麻生区高石の小田急線線路のすぐ脇)。


これまでにも私は、各地の民俗資料館、郷土資料館で見かけてきました。
ぜひみなさまのお近くの文化施設にある足踏み脱穀機を見てください。
その多くは「ミノル式足踏み脱穀機」と表記があることでしょう。
それくらい売れに売れた脱穀機で、なんとその中古品はアジア各地に寄付されています。

理由は、構造が簡単で電気を使わないからです。
壊れても直しやすい、電気が普及していない地域でも導入しやすい等の理由で海外で活動するボランティア団体が活用しているそうです。

なお、売れに売れた商品…バッタもの(パクリ商品)もたくさん作られたとも聞きます。
私が知る限り、細王舎のミノル式足踏み脱穀機は、白、青、赤のプリントがある看板が貼られています。
もし見かけたら、川崎市を思い出していただくと嬉しいです。



遺跡を見てきました

2019-11-27 19:29:24 | 日記
詳細は後日書きます。
今日は仕事が休みだったMIFさんと出かけました。
トップ写真の遺跡を見に行きました。
これは日本人はどこからやって来たのか?という長い間の議論の渦中にある遺跡の1つです。

私が中学生の頃は、朝鮮半島から大陸系の渡来人が日本人のご先祖様と言われていました。
でも研究によって、日本人の多くは東南アジア諸国の方達とDNAが近いことが分かっているそうです。
また秋田美人を代表する日本海沿岸の方々の肌の色は、ロシア系DNAが含まれているそうです。
そう言う訳で、日本人がどこからやって来たのか?というテーマは本当に興味深いところです。
今日見てきた遺跡は、まだ発掘調査が継続されているそうですが、手の届くような場所にひっそりとあるので、こんな風にホンモノがあるだなんて思ってもみなかったです。



寒いです

2019-11-26 17:21:05 | 日記
用事のため隣駅近くや駅前に行ってきました。
昨日から寒くなるとは聞いていたので、数年前に購入した薄手のダウンジャケットを出しました。
いやはや、それでも寒かったですよ、本当に。
雨も降って、しかも少々風がありましたから体感気温も低かったでしょう。
手袋をはめていかなかったことを後悔したくらいです。
今年は比較的温かく、しかも昨日からは一気に10度も下がったそうです。
今年ももうダウンを引っ張り出す季節か、としみじみしました。

今日も桜の木を見上げたら、紅葉が始まったモノのまだ葉が散らないで枝についています。
いつもなら、11月始めには桜は葉が散ってしまうのに、まだ緑色のままの桜もあって驚くばかりです。
それだけ台風で傷ついて十分な光合成ができなかったのかな?と思います。
おかげで普段よりも紅葉の彩りが多いように感じてしまいます。

こんにゃくゼリーが止まらない

2019-11-25 23:44:45 | 日記
先日、MIFさんがネット通販でこんにゃくゼリーを買ってくれました。
お安かったからなのですが、私、こんにゃくゼリーがたまらなく好きなのです。
以前はマンナンライフの蒟蒻畑ばかり食べていました。
その後、かんてんぱぱの自分で作る(熱湯で溶かすだけ)タイプにもはまりましたが、最近はオリヒロのこんにゃくゼリーが好きです。

こんにゃくゼリーは、一時期、喉に詰まらせる事故があったので、最近は以前ほど噛みごたえは無くなりました。
でも、やはりこんにゃくゼリー独特の食感がたまりません。

とくにオリヒロの塩レモンこんにゃくゼリーは工夫がたくさんあって、今年は老婦人達との旅行でも大活躍しました。
高齢者は水分補給をしたがらないので、こんにゃくゼリーを食べて貰い、口直しでお茶も飲んで貰えますからね。

さてまだまだあるこんにゃくゼリー。
いつまでもつかな?と思いつつ毎日食べています。

なんでも冷凍してみる

2019-11-24 23:15:07 | 飲食
最近やり始めたことに、あまりそうな食材はなんでも冷凍してみる、という保存方法。
元々冷凍庫で保管しているのは、保冷剤、余ったご飯、アイスクリームくらいで、冷食自体はほぼ入っていません。
正確に言うとここ3年くらい冷食をほぼ食べない生活になったからです。
でも冷凍庫が空っぽ気味なのは、冷凍庫の温度が上がりやすいので、節電にはならないとも聞きます。

そこで中途半端に残りそうな野菜をせっせと冷凍庫で保管するようになりました。
最初はショウガ。
スライス、千切り、みじん切りを小分けにして冷凍保存したのを皮切りに、取れすぎた青じそ、長ネギ、キュウリ、ニンジン、大根、大根葉、里芋、キノコ類なども冷凍。
すると、ちょっと彩りが足りないとき等にも重宝するようになりました。
なんでこれまで冷凍保存をしてこなかったのだろうか?と思うくらいです。
意外だったのは、冷凍キュウリのレシピです。
キュウリに加熱するレシピはなんとなく嫌煙していたのですが、中華風に味付けしたレシピが意外と美味しかったです。
そしてこれまでの人生、あまりにもチャレンジ精神がない料理ばかり作っていたのかもしれない、と今さら気が付きました。