※ご先祖さまに興味がない方にはぜ~んぜん面白くない話なので、ご興味がない方は読み飛ばしてください。
さて、その1〜5まででは、過去帳、位牌、墓石簿の3つから読み解くことはできたのですが、墓石の現物をみてこれまた謎に思うことがでてきました。
そこで振り出しに戻って、一旦精査することにしました。
まず、私がやりたいことの整理から。
1、始祖さま(初代)〜12代(私の兄)までの当主の俗名の確定
2、今判明(判読)する戒名が、誰なのか(俗名不明可)、当主との関係性の類推をする
3、家系図を作る
4、現存墓石が誰を祀ったものか確定する
以上4点です。
たったこの4点でも意外な事実がすでに判明しています。
9代目にあたる私の曽祖父は、私が成人してから亡くなったのですが、ずっと長男だったと思っていたのに、実は次男だったようです。
曽祖父の弟は、自身が成人後に改名したのですが、それまでは三郎という名前でした。
だからずっと曽祖父と三郎さんの間には次男が存在するのだと私は思っていました。
でもその人は誰なのかの、三郎さん家とは親戚付き合いがあるけど、次男家とは付き合いがないなぁ、と思っていたのです。
なんてことはない、次男は曽祖父自身だったンだ、と初めて知りました。
いや、実家の誰かは知っていることかもしれないですが。
曽祖父の兄は?と思ったら、生まれてすぐに亡くなっていることが判明。
位牌はないのですが、過去帳と墓石簿と墓石でその存在を知ることができました。
墓石簿には私の祖父が手書きで加筆修正していること、性別が男と祖父の筆跡で書かれていたので、少なくとも祖父は知っていたことのようです。
曽祖父(9代)の兄弟は、戒名等で確認できるのは4人、親戚付き合いと言い伝えから4人、合計8人兄弟だったと思われます。
昭和の始めには曽祖父、三郎さん、妹、弟(分家)がありました。
弟(分家)は昭和11年に断絶、妹一家も平成半ばで断絶しました。
命を繋ぐとはかくも難しいものか、と思う一方、私は子なしですから将来は断絶することが決定しています。
閑話休題。
墓石簿は、本当に墓石簿なのか?という疑問が出てきました。
墓石簿は青焼に印刷されていたのですが、実際の墓石には何人かまとめて刻字されているものがあります。
墓石簿にはそのことが記されていませんし、整理するための枝番もありません。
ですが、実際の墓石と比較すると、同じ墓石に刻字されている戒名(俗名)が墓石簿では必ず連続で刻字されていました。
とくに4代前妻、5代傍系(道号)、6代行方不明者の3人が刻字されている1つの墓石も、この3人の繋がりは過去帳を解読しないと関係性が浮かび上がりません。
ゆえに連続して記載するのは、墓石を読んで墓石簿作らない限り判明しないのです。
ゆえに墓石簿は、墓石簿で間違いないだろう、と結論づけました。
ただ墓石簿の目的が2パターン考えられます。
1、菩提寺の帰属問題が昭和40〜50年頃に起きていましたこと
2、昭和47年8月に実家の墓地の改葬が竣工していること
もう当時を知る人が生きていないのではっきりとしたことが不明になっています。
母の記憶では、昭和38年に亡くなった9代の妻(母の祖母)は、菩提寺の住職さまは以前の系統の住職さまだったそうです。
どういう経緯か不明ですが、菩提寺の乗っ取り事件が勃発して現在の住職さまになったそうです。
たぶん、同じ檀家の家に訪ね回れば少しは判明するかもしれませんが、兄や母はそれをしてほしくない、と思っています。
帰属問題のなかで、ご先祖さまについて祖父が調べようとしたのかもしれない、という気分になったのかもしれないという説です。
もう1つは単に墓地移転に伴う墓地の確認という説では、そうなると移転する墓石の数を数えるのではなく、戒名の数を数える一覧表となっていること。
でも戒名が空欄や「不明」の文字もあるので、戒名数(ご先祖さまや縁者の数)を数えるという構成にはなっていません。
いずれにしても、墓石簿に記載はあっても墓石が現存していないパターンが発生しています。
母の記憶では墓石を廃棄したことはないので、墓地のどこかに埋設したのではないか、と推測しています。
いまさら墓地の敷地を発掘するわけにもいきませんから、それが墓地のどの辺りに埋設したかは不明です。
当初思っていたよりもずっと面倒な作業が増えています。
今のところ代々の俗名が判明したので、目的1は達成しています。
目的2はほぼ完成しましたが、現存墓石の解読で少々やり直しが生じています。
まだまだ道のりは長そうです。