入選句、「母の日の母と喧嘩をしてしまふ」
について先生からこのような嬉しい言葉が句会のトップ画面に書かれていました。
・ 作者は母の日にお母さんと口喧嘩をした後で母の日だとハッと気が付いて後悔しているのです。
季語が効いています。片山由美子氏は「一物仕立ての句は季語の意味を外したら何の意味もなくなってしまう。
季語こそが全てである」と言っています
先生は句会の成員の方の入選句を抜粋して時々入選に至ったその理由について注解してくださいます。
嬉しいこと。
喧嘩をしたのが「母の日」だったからそこにpoemが生まれたのでしょうね。
要するに、「季語の手柄」に或る訳です。
その季語の斡旋をしたのは私。
従って私の手柄でも或る訳です^^v
自信を持ちたいと思います^^;
さて、身の程知らずの恐ろしいことを考えているこの頃。
造形花火。
頭から焼き付いて離れない。
普通にバルブ撮影するには私のカメラでもシャッター速度を30″にすればOKのこと。
ま、それはそうとして、望遠を更に二倍にするにはなんちゃらかんちゃらレンズが必要。
最も、覚える気がないのでなんちゃらかんちゃら。
そして、花火が近ければ近いほどいいみたい。
でも、私の撮っている場所は対岸だから、それもねぇ・・。
ガチで撮るなら昼間から出かけて場所取りなども肝心なこと、らしい。
それはまだ技術とは何ら関係のないこと。
などなどを全て度外視した横着者のちょこっと撮り。
それでいて造形花火などと思うだけでもずうずうしいと言うもの。
で、昨夜、涼しくなって窓を閉めようとして点滅している信号機が目に留まった。
あれじゃ光が弱いので無理は承知で撮ってみたりした。
本当は踏切の点滅が良いらしいけど。
ズーミングの練習、と言っても人差し指と親指の動かし方^^;
画像は無残なもの、撃沈。
だけど練習は出来たわね、あくまでも人差し指と親指の練習^^v
こうして夜も更けていったのだった。
オーロラのやうな花火を撮りたかり 駄句まこ
花火もそうだけど、最近、夕焼けを撮っていないし、道端の花も。
元々は私、コンデジで道端の花を撮り、句に生かしたいと始めたカメラだった。
原点に戻ろうかなと思い始めている私もいるのです。