makoの喜怒哀楽

俳句は自分史・転記は禁じます

母の日の母と喧嘩をしてしまふ

2016-08-26 | 入選俳句39・それ以降は日記に含まれる

女優、高畑淳子さんの記者会見を観ていたらもうこんな時間になってしまった。

女優としての高畑さんも好きだけどバラエティーなどでも笑いを取るコツをお持ちになって 

その聡明さが好きで今も変わりない。

今回の記者会見で被害者のことを気遣う言葉がいつ出てくるかと冷や冷やしていたけど

「娘と置き換えて・・・」という言葉を聞いてホッとした。

今後も好きでいられる女優さんだと。

被害に遭われた女性に今後、平安が戻ることはないことかと想像するけど

色々言われたりすると思うけど少しでも傷が癒されますようにと願います。

 

さてさて、入選句の句意について少しばかり。

私は14歳の時に養女になりました。

それを書いた入選句もあります。

「十四の夏に養女になりにけり   まこ」    季語は:「夏」

夏休みを利用して養家に入りました。

養家には私が養女になる前に幼い女の子を預かっていた時期があったのです。

時を経て、その女の子は姉や母親とまた暮らすことになって戻って行ったそうです。

訳あって離れていた父親が家に戻ってきて一緒に暮らす時が来たからでした。

まだおむつをしていた時から世話をしていたのですから情があるのは否めませんね。

 

夏休みになると必ずその預かっていた子が泊まり込みで遊びにきていました。

養母を真中に川の字で寝ていました。

妹のように可愛がっていた私。

特にひがみも何もありませんでした。

小学生になっていても可愛げのある子でした。

 

私が高校生になってからもずっと継続されていました。

で、或るとき、私が自分の勉強部屋から出ると別棟にいた

養父がこう言っているのが聞こえてきました。

「makoがどう思うかやわな・・・おら、知らんぞー・・」と。

何のことを言っているのか判らなかったのですが、

養母が土間に置いてある黒電話の受話器を取りダイヤルを回す音が聞こえていました。

で、最後に、向こうの誰かと代わったみたいでこう聞こえてきました。

「 C ちゃん、待っとるからね~♪」

「ばあちゃんとこ、来てね~♪」

 

今まで普通に親戚の子が遊びにきている感覚でいた私だったけど、

「makoがどう思うかや・・・」と言う養父の言葉がひっかかっていました。

どうも思っていなかったのでしたが。

実は、養父もまた養子であって、父の養母とは母一人子一人の暮らしだったそうです。

ですから、私の気持ちに感情移入するのも難しいことではなかったようです。

 

そして、夏休みが始まると同時にその女の子がお母さんと妹に送られてやってきました。

確かに養母は私といる時よりもその預かっていた子といる時が楽しそうでした。

散歩に出かけているときも近所の人が「あら~Cちゃん、大きくなったね~」と声をかけ、

母は嬉しそうでした。

乳飲みだった子を育てて大きくしたんですから情が移っているのは当たり前。

いまでこそ、母となり、祖母となった私だから理解できますが当時はそれがショックでした。

母の嬉しそうな顔が・・・。

私というものがありながら・・。

やっぱり私は貰われてきた子なんや・・。

ぼーっとして能天気な私でさえも気がつきました。

「おら、もうしらんぞー・・・」って言った養父の言葉の意味をそこで理解したのでした。

 

でも、私は一切その子の前ではジェラシーは出しませんでした。

或るとき、実父にそのことを何となく話すと父はこう言いました。

「お前は籍が入っとる子やぞ」

その一言で全てを悟った私でした。

 

そういうことが3、4年は続いていたので夏休み前になると憂鬱でした。

高校生になっていましたからね。

で、何だったか記憶にないけれど些細なことでがきっかけで爆発しました。

「私より、Cちゃんの方が可愛いのやろ!」

「C ちゃんに頼めば!」って言ってしまいました。

折しもそれは母の日でした。

 

母は近所の仲の良い友達に相談に行ったようです。

「makoにこんなこと言われた・・・」とかでしょうね。

そしたらその友達にこう言われたそうです。

「何を言っとるの、喜ばなあかんことやに」

「思うことが言えて、喧嘩の一つも出来るようになったんかやから」

母は納得したのだそうです。

母の方から謝ってきてくれました。

母は一人っ子でわがままだと自分で言っていました。

一方、父は私の気持ちも理解してくれていたんでしょうね。

 

私は沢山の人の思いやりの中で育ってきたんだなと思います。