makoの喜怒哀楽

俳句は自分史・転記は禁じます

角川俳句・4月号入選句

2016-03-27 | 入選俳句39・それ以降は日記に含まれる

 角川俳句・平成俳壇・4月号入選句。

「缶蹴り、しよ~!」って近所の子が呼びにくる。

多いときは4、5人で、外遊びの代名詞のような「缶蹴り」

今の子供たちからすれば原始時代のような遊びかと。

空き缶を蹴とばすには広い庭が必要。

で、「裏のばあちゃん」と呼んでいた私のすぐ裏の家の庭を借りて遊ぶのだった。

真ん中に缶を置き、一人の子がその缶を思いっきり蹴とばすと、鬼役はそれを走って拾いに行く。

その間に皆は走って物陰に隠れるのである。

鬼役は缶を拾い、元の定位置に置いたら隠れている子を探しに行くのである。

鬼がその場を離れると物陰から隠れていた子がまたその缶を蹴とばすことも出来る。

要は、脚の早いものが隠れられる確率は多く、女子はその点ハイリスク。

特に、私のように脚の遅い者はいつまで経っても鬼役ばかり^^;

それでも誘いにくれば、鬼役と判っていても出てゆくのです。

 

ある日のこと。

初めはじゃんけんで鬼を決めるので最初は私も隠れる側になることもあった。

その日は長い間、運良く見つけられずにほっと胸を撫でおろしていた。

男の子の一人が見つかって捕まったようである。

と、物陰に隠れていた別の男の子が缶を蹴っている間に最初捕まった子が逃げた!

私はまだ見つかっていない・・。

その後、何度か缶が蹴られる音が聞こえていた。

 

晩秋の夕暮れともなれば陽が落ちるのも早い。

あたりは薄暗くなって肌寒くもなる。

・・物音がしなくなった・・

そっと覗いてみると、誰も居ない。

隠れている子を探しに行ったのか鬼役の子の姿さえ見えない。

缶はそのまま定位置にあるのが観てとれた。

暫くすると、「裏のばあちゃん」が私を見つけてこう言った。

「makoちゃん、何しとるん?」

「もう、みんな帰って行ったに」

「・・・」

わたしには「解散」の声がかからなかったのだ。

 

2、3日経ってのこと、また声がかかった。

ノコノコと出かけて行った私。

その日も鬼の難を逃れた。

鬼役が缶を蹴られたりするのを傍観していた。

一人の子が捕まったので、思い切って私が缶を蹴りに行こうかとも思ったが止めておいた^^;

捕まっていた子は脚が速い女子。

私がのこのこ出て行って万が一缶を蹴ったとしても、今度は私が逃げ遅れることは明白だ。

そんなこんなでまたもや私は物陰に身を潜めることにしていた。

・・・物音がしなくなった・・・

 

そして「裏のばあちゃん」が再び私を見つけてこう言った。

 

「makoちゃん、何しとるん?」

 

「もう、みんな帰って行ったに」

 

「・・・」

「makoちゃん、もうあの子らとは遊ばんときな」

「あんた、意地悪されてるんやに、判らんの?」

「・・・」

「さっきな、○○ちゃんが、makoちゃん放ったらかして帰ったろ、って言うとるの聞こえてたんやわ」

「そやで今度誘われても、もう遊ばんときな・・」

「・・・」

 

家に戻ってポロポロ涙がこぼれたのだった。

仕事から帰ってきた父には無論言えなかった。

父子家庭の父には言えないこと。

もしこのことが父に知れたら大問題になるだろうことは子供ながらに予想はついていた。

それに第一、どうやって説明していいのか判らないこと。

「姉ちゃんが泣いとったこと、言わんといて」と弟に口止めだけするのが精一杯だった。

 

思い起こせば、ぼーっとしていた子供時代だったような気がする。

何しろ人に言われて初めて意地悪されていることに気が付くのだから^^;

それは大人になってからもその名残がある。

意地悪されていることには流石に気が付くのだが

気が付いていない「ふり」をする術を学んでしまった。

そうすることで、後々の人間関係を円滑にするのではないかと気が付いたからだ。

まして、「仕返し」強いては「3倍返し」などの術など、

私に在るハズもないことである。

 

     「かくれんぼ見つけてくれぬ寒さかな    まこ」  島田 麻紀選