◎2019年12月28日(土)
大月市営グラウンド駐車場(8:05)……和田美術館(8:23)……展望地(9:04)……百蔵山(9:39~10:02)……818mカンバノ頭付近(11:02~11:10)……1109m大久保山(11:57)……扇山(12:11~12:41)……大久保山(12:51)……951m標高点付近(13:09~13:17)……下り予定尾根に復帰して休憩(14:15~14:25)……林道に出る(14:35)……グラウンド駐車場(15:22)
まずは年頭の御挨拶まで。<新年あけましておめでとうございます。皆さまの本年のご多幸とご健勝をお祈り申し上げます>。
何やかやと、家の掃除の合い間に原稿を書いていたら、去年末の山行記事のアップが年明けになってしまった。せっかくだし、ここで年頭の御挨拶とし、、昨年の最終山行記事のアップとさせていただく次第。
以下はまだ2019年にいる状況での記事だ。その点はお含みおきいただきたい。
この時期になると、富士山を間近に拝みたくなる。手っ取り早い選択は大月市選定の<秀麗富嶽十二景>の山になるが、この十二景十九山のうち、これまで登った山は八山だけで、そのうちの雁ヶ腹摺山は、長い雪の林道を歩いたわりの褒美もなく秀麗は雲に隠れたシルエットで、裾野も頭もはっきりとは見られなかった。残っているのは牛奥雁ヶ腹摺山、小金沢山、大蔵高丸、ハマイバ丸、奈良倉山、扇山、百蔵山、岩殿山、お伊勢山、九鬼山、高川山の十一山。群馬から出向くには多過ぎる。毎週二山を消化しても、最低二か月はかかる。それも好天であっての条件付き。今回片づけようとしたのは大蔵高丸・ハマイバ丸か扇山・百蔵山。そのついでに簡単に車で行けそうな岩殿山・お伊勢山の都合四山だったが、結果として選んだのは扇山と百蔵山のセット。付録の岩殿山とお伊勢山は時間的に秀麗タイムには遅過ぎる逆光富士になっていてやめた。それでも計十山になり、何とか半分は登ったことにはなるが、秀麗をしっかりと拝することがなかった雁ヶ腹摺山をナシとすれば半分にも満たないことにはなる。
扇山と百蔵山の周回は、車利用の場合、もちろんデポ車なんて便利なものがあれば別だが、大月市営グラウンドに駐車し、百蔵山から扇山を周回し、梨の木平に下り、そこから5キロ以上はありそうな車道歩きでグラウンドに戻るのが定番の歩きのようだ。この車道歩き区間を極力楽にしたく、物置から折り畳み自転車を出してはみたものの、どうも、スムーズな自転車利用は無理のようで、脚の筋力が衰えた自分の場合、半分は手押しで歩く羽目になりそうだ。自転車は荷物になるだけであきらめた。
妙案はないかと地図をじっくり見て検討すると、扇山から少し戻って1109m標高点(大久保山)から南西に下る尾根が使えそうだ。これだと2キロほどの車道歩きで済む。ネットで調べると、やはり、それらしき尾根を歩いている方がいたが、上り使用で下りではない。さらにどう登ったのかも判然としない。わかったのは「宮谷橋の林道先の尾根」がキーワードで、どこに架かる橋なのかは不明。情報は役立たずで、難なく下れそうな尾根にマーカーを引いた。降り口の林道先で沢を横切るから、もしかしてこれに架かるのが宮谷橋かも。他人様の歩きに頼ってもしょうがない。自前で歩こう。
ちなみに、雪田爺さんは梨の木平からまともに車道歩きをして、ようやくグラウンド駐車場に着いた時には、靴を脱ぐ際に痙攣が起きそうになる程に足をくたびれさせてしまったようだ。それだけは避けたい。やはりぶなじろうさんのように、例えば四方津駅から犬目までバス利用。そして周回して猿橋駅に下るのが正解だろうが、電車の便が悪いところに住んでいれば、車利用しか手はない。電車を利用したら、バスで熊谷に出て、湘南新宿ラインで新宿から中央線と乗り換えて少なく最低3時間半はかかる。その間に便意がもたげたら電車見送りになる。
(狭山のPA近くからの富士山。今日は天気が良くてラッキーな気配)
何のトラブルもなく大月市営グラウンドに2時間かからずに着いた。もちろん2/3以上は高速利用の距離だ。トラブルとは腹の具合のこと。かなりの不安があった。家での回数が一回で終わり、レギュラーの残り二回は途中でやらなきゃならない状態で出発した。これは食生活の変化に因るのが明らかで、昨日、職場でアルコールなしの納会、つまりは仕事納めの食事会というのがあり、集金やらで外出している者もいて、昼食抜きでようやく食事会が始まったのが3時半。これでは帰宅してからの夕食をまともにとれず、お腹がいっぱいでまずくなった缶チューと焼酎を飲んだだけで終わりにした。餅まで食べていればそうもなる。これが影響している。便意の大方は時と場所を選ばずに前触れなしに訪れる。おそらく山中での行動になりそうだ。そんな不安をずっと抱えながらも、結果として、山中、帰路の道中でも便圧が上がることはなかった。事前にわかっていれば、損な不安も抱くことはなかったのに、これだけは予測もつかないからどうにもならない。頭にあったのは、秀麗富嶽でハイカーも多いだろう。身を隠せる手ごろな場所があればいいが…だった。
(よくは知らない。バス停から。左が展望地で、右が百蔵山かと思われる)
(ここの歩きがかなりつらい)
(住宅地に残った雪)
駐車場には5~6台の車があった。ハイカーの姿は数人。出払っているわけでもなく、車のエンジンをかけたままの休憩。ハイカーとて、大方は百蔵山のみだろう。現に、同じく出発した空身の男女ペアは和田美術館の方には向かわず、道路を直進し、こちらが百蔵山の山頂下をぜいぜい登っている時に、涼しい顔で下って来た。扇山まで行っていたとすれば、トレランですら時間的には無理かと思う。
駐車場のすぐ上に百蔵山登山口のバス停があり、標識に従って分岐を左に行く。振り返ると秀麗がすでに見えている。青空がバック。多少気があせる。山頂に立ったら空がすでに白かったり雲に隠れていたら、期待する楽しみも一瞬にして消えて雁ヶ腹摺山になってしまう。しかし、この道路はなかなかの勾配だ。住宅街の一本道だが、上がるに連れて、よくもこんなところに家を建てるものだと、早くも息切れした状態で思う。家があるから道路も舗装される。登山靴では余計に歩きづらい。
また二股。ここは右になっている。左は下っている。左に行きたいくらいだ。そして三度目の分岐を左。右でもいいようだが、左への標識が百蔵山単記なのに対して右は扇山も併記しているところからして、百蔵山の東側に出るのだろう。左の標識には「この先、きれいなトイレが有ります」と書かれた紙が洗濯ばさみで挟んでいる。
(立ち休みで振り返って見えた富士山)
(ようやく登山口の和田美術館)
しつこいくらいに住宅地が続く。相変わらず急坂。道路傍には雪が残っている。ごく最近、降ったのだろう。ようやく人家が消えたと思ったら、まだ舗装道。やはり奥にも人家があった。そこがきれいなトイレを経営している家。しっかりと有料100円とあった。自分の家のトイレを貸しているんじゃないのかと思いたくもなる。
神社のような門構え、狛犬付きの家屋でようやく舗装は終わり、ここから先は未舗装の山道で、皮肉なもので傾斜も緩やかになった。この家屋が和田美術館。どんなとっておきのお宝があるのか知らないが、門は閉められ「当美術館は一般公開しておりません」の手書きの張り紙。立ち休み。出発からわずか18分ながらも、この坂道歩きでかなり消耗したし、気分も滅入った。ここは下りで使いたい。あとでチェックすると、駐車場からここまで標高135m上がっていた。それくらいでと笑われそうだが、舗装道、登山口、さらに足首不具合の条件ではかなりつらい。自分はその程度の歩きレベルだ。昭文社マップによれば、バス停から百蔵山までのコースタイムは1時間35分。早くて2時間はみておいた方がいいだろう。ぶなじろうさんではないが、こちらはすでに自覚もせずにGBグループの仲間入りは完了している。されど笑えない。GBの単独歩きに老いてもなおの強者が結構いる。
(薄暗い植林の中の歩き。他の写真はすべてピンボケになっていて、出せる写真はこれしかない)
備え付けの登山者カウンターを一押しして中に入る。いきなり別世界に入った。薄暗いヒノキの植林帯。植林とはいっても疎らで雑然な並び。間伐があるところからしてかろうじて植林だろうなと思うような密度だ。傾斜は緩く、かなり楽な歩きになった。道型も明瞭。沢水がパイプから流れていたので手ですくって一口飲む。住宅街の歩きでノドが渇いていた。
後ろから人の気配。振り向くと単独のオッサン。こうなるとうっとうしい。先行してもらおうと、切株に腰かけて上着を脱ぐ作業をしたが、先方も腰かけて休んでいる。仕方なく歩き出すと、また間近に迫ってくる。もう脱ぐものもないし、特にタバコを吸いたくもないので、ストックを出して長さを調整するスタイルをとった。その間にようやく先行してもらった。上に行って視界から消えたのを見届けてから、小用をする。大の方はどうしたのか圧力なしのまま。
(上が明るくなって)
(展望地に出た。松の枝が邪魔だ)
飽き飽きしたところで明るくなって展望地に出た。松が邪魔ではあるが端正な秀麗富士が見える。ここは休憩スポットなのかベンチがあって、オッサンがくつろいでいた。さっきのオッサンと思って、「ここからでも富士山、きれいに見えますね」と言ったら、オッサンは後ろから突然に声をかけられてびっくりしたようだ。返答はうろたえた感じの「こんにちは」。さっきとは別のオッサンだった。確かにジャケットの色が違う。オッサンに「今年の登り納めですか?」と聞かれたが、今年も残り3日ある。「気分次第ですね」と答えた。オッサンは帰省する途中で寄ったとのこと。百蔵山をもう登って帰るところだった。時間的には9時も過ぎているし、日の出を見たかどうかなんて聞くのはヤボなので控えた。
(地図の歩道から離れた余計な歩き。これで10分は損したろうか。自己満足すら残らなかった。この下はヤブ続きで写真を撮るにはきならしい風景になっている)
(登山道に合流。息切れしただけ)
登山道は尾根を巻いている。お仕着せ道を歩くのに変化を付けたく、無理に尾根に上がってみた。たかが20分くらいのものだったが、これは大失敗。枝ヤブで倒木あり。さらに急斜面。その間に振り返れば富士山ではあったが余計な歩きをしたようだ。尾根から抜け出すと、あっさりとお仕着せ道に出た。ここでも体力を消耗した。
立ち休みをしていると、下ってくるハイカーがばらばらに5人ほど。犬連れもいるし、出発時の空身の男女ペアもいた。単独もいる。地元の方には、百蔵山も金山、吾妻山みたいな里山的な存在なのだろう。
(あそこが百蔵山らしい)
(やはり)
登山道は次第に凍てつき、ところどころに霜柱。雪もチラホラと出てくる。今のところ歩行に支障はない。やがて上に平らなところが見える。おそらく百蔵山の山頂だろう。
雪田爺さん風に表現すれば、ここで百蔵山からの富嶽見はコンプリートということになる。澄みきった青空をバックにした霊峰は神々しいお姿だ。しばし眺めていたが、山頂ベンチでは植林で抜いていただいたオッサンがラーメンを食べている。富士山を眺めてのインスタントラーメンもさぞ格別だろうが、時間的にあれは朝食なのかおやつ代わりなのか余計なことを考えてしまう。このオッサンに先行したら、またストレスになる。おそらくは扇山までの周回かと思う。オッサンが食べ終わって、片づけを済んで出発するまではここで待機することにしよう。こちらも秀麗を眺めながら菓子パンを食べ、風下で一服する。
(百蔵山から1)
(百蔵山から2)
(百蔵山から3。コンプリート)
(少しアップで。左に鹿留山、手前の右寄りが倉見山か。手前のピークが九鬼山らしい)
秀麗をあちこちから眺めて写真に収める。富士山のすぐ手前に見えている稜線ピークは道志の鹿留山と杓子山で左が御正体山か(写真では写っていない)。いずれも10年ほど前に登ったが、杓子山からは富士山が見え過ぎで、これはこれで風情がなかった。手前に視界を妨げないほどの山並みが欲しい。まだ御正体山と石割山からの眺めは三ツ峠山が邪魔をしてそれなりに良かった。ただ、三ツ峠山の電波塔だけは無粋だ。その手前にある、ここからでは見下ろす形にはなるが、稜線の高い山が秀麗富嶽でも未踏の九鬼山のようだ。十二景コンプリートなら、いずれは行くことになる。だが、おそらく、ここからの景色と同じ展望の富嶽だとしたら、あまり意味はないかも。
ダラダラと時間をつぶしている間にようやく件のオッサンが扇山方面に下って行った。それを見届けてこちらもチェーンスパイクを付けて出発する。チェーンスパイクは必要もなさそうだが、寒くなってから左足の上げ下げが不安定で、家の中でもつまずいてよろけることが多くなっている。狭いところでこけたらとんでもない転落になりかねないから用心した。今日は積雪も考慮して軽アイゼンも持参している。その間、オバチャン単独が自分と同じ方向から登って来た。以降、会うことはなかった。
(百蔵山山頂からおさらば。これから扇山に向かう)
(なかなかの急下り。凍結している)
(扇山)
向かい側にここよりも高い山が見えている。あれが扇山かと思う。百蔵山は1003m。扇山は1137mとマップにはある。出発点の市営グラウンドは430m。手書きの標識には<コタラ山20分 扇山2時間>とあった。コタラ山とは849m標高点らしい。昭文社マップでは扇山まで2時間25分。ここは昭文社タイム+GBグループ基準で3時間と想定するが、3時間歩きは長過ぎる。扇山到着は1時になり、その先の不可解な尾根を下ることを考えると、少しの不安が出てくる。
いきなりの急下りだった。こんなものだろうと思っていたから、慌てることはない。まして、チェーンスパイクは正解だった。ただ、どこまで下るのかといった不安がつきまとう。ここを反対から登るのはかなりきつい。鳥沢駅への分岐が鞍部かと思い、ほっとはしたが、その先は少しだけ登りになり、平坦になってはまた下る。これでは下りはまだ続きそうだ。扇山の標高は1137m。自分には、登り返し300mが限界だ。地図を出して、最低鞍部の標高がどれくらいなのか確認するのが恐い。トレランの二人連れにあっさりと道を譲る。ネエチャンの剥き出しの脚は見るからに筋肉質。助平ジジイの目でしばらく脚を見つめていた。これもまた秀麗富嶽かも。こちらの方が秀麗かも。
(果てしない感じの下り)
(宮谷分岐。結局、最後はここから下って出る林道を歩くことになる)
高度計を見ながらの歩き。845m、805mとまだ下る。この時点で最低330mの登り返しとなる。扇山1時到着は無理だな。こうなると長い車道歩きを覚悟せねばなるまい。標識を見ては、よほどに扇山はやめようかといった気分も出てくる。
宮谷への分岐で770m。左に尾根が見えている。つまり巻き道歩き。尾根に上がる元気はすでにない。そういえば、20分で着くはずのコタラ山はどうしたのか。気づかなかったがこれは巻いていたのか。
(左に見えている尾根が気になったが、依然として巻き道を下っている。無理に尾根に上がることもなかろう)
(鳥沢駅分岐。ここが最低鞍部かと思ったが)
(まだ下っている)
(カンバノ頭近くでザックを放り出して休憩)
750mを確認して登りになった。この先に下りはもうないようだ。ほっとすると同時にうんざりする。頭の中で引き算をする。1137-750=387m。明らかに限界超え。少し登って横倒しの倒木に腰をかける。この先は見るからに急な登りになっている。扇山から3人、4人と下って来る。オバチャンがスマホを出して、連れ合いに「カンバノ頭だって」と言うのが聞こえた。そうか、ここがカンバノ頭か。昭文社マップを広げる。「長い登り。1時間30分」とあった。先を考える思考は失せていて何も感じない。カンバノ頭そのものはすでに巻いているようだ。
(急な登りになる)
(登りの目標にした百蔵山)
青年が後ろからやって来た。ここからの登りにうんざりしているのか、見上げてはため息をついている。50mほど離れたのを確認して重くなった腰を上げた。
さっそくの息切れ。何度も立ち休み。高度計はもう見ない。先行の青年との距離は縮まらない。彼もオレと同じようなものだ。立ち休みを繰り返している。こういう急登のメリットはそれなりにある。緩やかだとちっとも標高は上がらないが、急登だとかなりバテはするが標高は稼げる。右後ろに見える百蔵山1003mの高さがよい目標だ。今の位置はまだそれよりも下だが、休み都度に同じ高さに近くなり、やがてはこちらが勝る位置にいることに素直に喜びを感じる。
青年に先を譲ってから、だれにも追い越されない。むしろ、下り手のハイカーが多い。単独もいれば複数のグループもいる。単独もネエチャンだったりオバチャンだったり妙齢だったりだ。オジサンに声をかけられた。チェーンスパイクのことだ。「この先、雪が多いの?」。「凍結していたから用心して」と答えたが、健常体で歩ける方がうらやましい。
(左手のあれが扇山かと思う)
(大久保山。もう陽は真南になりつつある)
(下り予定尾根を確認)
左からの尾根が合流し、その先には扇山らしきピークが見え、幾分緩やかになったかと思ったところで大久保山1109mに着いた。相変わらず50m先に青年の後姿が見えた。ここでやる事がある。下り予定尾根の確認。尾根型明瞭。地図の等高線通りに緩やかだ。ほっとする。これなら安心だ。
扇山に向かいかけると、下から正午の時報オルゴールが聞こえた。そういえば、今日は出発時点から発砲音が断続的に聞こえている。かなりのハンターが入っているようだ。この辺はイノシシだろうか。亥年の暮れに獲物にされているイノシシもまた気の毒なものだ。
(扇山へ)
(ここにも鳥沢駅方面分岐)
(山頂らしい、もう少しで本日の登り作業は終わりだ)
ユルユルとどこにでもありそうな典型的で冬枯れした尾根道を気持ちよく行く。途中に鳥沢駅に向かう標識。扇山に着いた。タイムを確認。何だ、えらく苦労したつもりのわりには休憩時間を差し引けば、百蔵山からちょうど2時間で来られたじゃないか。足に不備がなければもっと早く着く。あの青年、若いのに遅いんじゃないのか。現金なものだ。
扇山からの秀麗富嶽。ここもまたコンプリートということにしておこう。しかたがない。百蔵山からの秀麗は真っ青な空がバックだったが、こちらはもう陽も富嶽に近づいていてバックの青味が薄くなりかけている。
(扇山山頂から)
(扇山から富嶽)
(アップで)
(左に御正体山)
(2019年の見納めになった)
山頂には先行の青年とオッサン。オッサンは百蔵山のオッサンではない。ここまで来たのなら、もう下っていても不思議ではない。2時間コースを2時間で歩いたとしてもオレを待っていてくれているわけでもない。すでに長い車道コースを歩いているか、その前に百蔵山だけで終わっているのかもしれない。
肝心なここからの秀麗の景色だが、百蔵山からの眺望とさして変わりはない。位置がずれたといったところだ。せいぜい、御正体山が正面近くになったといった具合だが、繰り返しになるが、時間的な陽射しのせいでバックの青空が白っぽくなっているのが残念だ。そして、雲も出てきている。百蔵山から見た二時間前なら、こちらが抜群の秀麗富嶽だったかもしれない。
青年とオッサンが下り、山頂にはだれもいなくなった。ここはあちこちに木のベンチがあって、さっきまでオッサンが腰かけていたベスト展望のベンチに座って、コンビニおにぎりを食べて一服をつけた。贅沢な気分だが、惜しむらくは相変わらずの余計な発砲音だ。この発砲音だが、下りでハンターの集結地を知ることになる。
だれも来ない。無風で陽射しの日向ぼっこ。二本目のタバコを出す。青年が東側から登って来て、ここの山頂にも立ち寄らず、まして富士山を見ることもなく西に下って行った。不思議だなと思ったが、後で考えれば、彼は青年ではなく、さっきまでいたオッサンだった。下り道を間違えたのか、途中から予定変更したのかはわからない。
(大久保山に戻る)
長居した。自撮りして、ここからは帰路になる。まずは大久保山に戻る。
大久保山から、尾根型は明瞭だが、一応、コンパスを取り出して951m標高点にセットして下る。地形図を見る限り、間違いそうな尾根分岐が2か所ある。最初は951m先の900mから西ではなく南西尾根。さらに750mから、ここもまた西ではなく南西だ。南西、南西で下ればいいだけのことだが、微妙に主尾根らしき尾根から外れるので要注意。間違って下っても目的の林道には出られるはずだが、できれば、林道が屈曲したところにドンピシャで出たい。結局、苦労してルーファンしながら林道に出はしたが、この林道は百蔵山からうんざりしながら下った宮谷分岐から南下して続いている林道で、その間の苦労を考慮すれば、素直に百蔵山方面に戻って分岐から下った方がベターだったのかもしれない。これはあくまでも後の祭り話。
(951mまではまったく問題なしの下り尾根。途中から倒木が出て来るが。簡単に跨ぎ越せる)
(こんなベンチも見かけた)
歩きやすい尾根が続く。周囲はまばらな広葉樹。倒木が目立つ。倒木は腐りかけているのが多く、かなり以前の倒木だ。今のところ、歩行の邪魔にはならない。急でもない。これは地形図の等高線通りだ。やはり物好きに歩いている方がいるようで、ピンクのテープが続いている。こんな明瞭な尾根にテープを付けて何の意味があるのか、自分には理解しがたい。必要なのはあやふやなところや尾根の分岐ではないのか。
(951m標高点付近。ここからの下りが手ごわかった)
難なく下り、少し登って951m標高点。ここまで問題はまったくなく下った。それどころか、一時は登山道でもあったのか、朽ちかけたベンチが置かれていたりした。道型はというと、それはない。尾根筋だから、シカやらイノシシも歩いた跡はあった。ここで一服。どうもふくらはぎの痙攣の気配があり、ここで芍薬甘草湯エキスを水で飲み込んだ。そしてザックに鈴も取り付けた。発砲音が真下に聞こえている。嫌なものだ。もしかして、そのハンターエリアに突っ込む形になるのだろうか。濃い緑色のフリースでは人間だと見わけもつくまい。
(倒木が邪魔になってくる)
(トラバースで予定尾根に)
(尾根に復帰。トラバースは短いものだった)
(何だかよくわからない)
主尾根はそのまま西に下る。一応、コンパスは改めて南西にセットしたが、下りかけてしばらくしてコンパスを見ると、矢印とは離れて主尾根伝いに下って真西に向かっている。テープもあったので、疑問もなく下っていた。これでは林道に出てもかなり北側に降り立つ。戻るのも何だし、そのまま南にトラバース。顕著な尾根ではなかったから見過ごしていた。
急な斜面ではないからトラバースに苦労することもなかったが、斜面の倒木は多い。短区間の復帰に時間をとられた。予定尾根に復帰すると、今度は垂れたピンクテープが樹に巻き付けた赤に変わっていた。いろんな立場の人たちが付けた目印だろうが、さっきの尾根分岐に目立つ目印が欲しかった。さすれば余計なトラバースをすることもなかった。あれば安心するし、なければないでルーファンするが、半端な付け方はやめてもらいたいもの。
トタン張りの神社らしき押しつぶされた人工物を見つけた。石祠でもあるのかと屋根を持ち上げると、ただのコンクリか石の台座があるだけ。そろそろ二つ目のポイント750m付近になる。たまに見かけるだけになったテープはもはや無視している。周囲の広葉樹はまだ続いている。
(予定方向は無理。尾根型はないに等しい急斜面。かなりきつそうで引き返す)
さっきのミスがあったから、750mでは慎重にと思っているが、南西方向を窺うと、ただの倒木だらけの急斜面になっていて、尾根型はないに等しい。これは無理だと、尾根に合わせて下ると、避けるべき真西に下っていて、コンパスの矢印はどんどん左向きになる。真西に下って林道に出るには出るが、ここまで来て、方針を変えるのでは情けなくはないか? 適当なところからトラバースして予定尾根に復帰しよう。
(うっすらとした作業道が残っている)
(尾根が見えた)
(ようやく予定尾根に復帰。左に下る作業道)
(作業道を無視して尾根筋を下る)
このまま下ってもいいかという思いもあったが、左手斜面は倒木続きであることを理由にして手ごろなトラバースルートも目につかず100mはそのまま下ってしまった。すでに雑木の林からヒノキの植林になっている。このまま下ってもいいだろう気分は2/3はあった。だが、こことて、倒木が続いていた。どうせならと、トラバースしかけると、途切れ途切れな作業道があちこちにある。
明瞭な作業道を利用して南に移動すると予定尾根にぶつかった。もちろん、倒木を越えてのこと。ほっとしたはいいが、ここから先を悩む。休んで一服。思案する。かなり古そうな作業道が尾根の上方向から下っていて、ここからカーブして南に向かっている。行きたいのは尾根通しの西方面。そちらには作業道もテープもない。おそらく、南向きの作業道を辿れば、やがては林道に出られそうだが、何せ古そうだし、途中でうやむやになりそうだ。予定通りに尾根を下ろう。ここでふと気づいた。ドンパチの音は消えている。どうも2時を期限に一斉に打ち止めにしたようだ。
(どんどん下る)
(これを利用して)
(林道に出た。左先に大勢の人の気配)
平凡な尾根を下る。ヒノキの植林に入り込み、倒木に悩まされることはなくなった。見かけるテープは何かの標石の上に枝を立てて巻いたテープだけで、これは下りの目印ではあるまい。目の前を右往左往する作業道がどうも気に入らない。無視してはいるが、そのうちに犬が吠えているのが聞こえてきた。おそらく、オレの鈴の音に反応してのことだろう。鈴を外す。
このまま下ってはもろに沢に出てしまいそうな感じでいると、右下に、よく見ると林道が見え、目の前に作業道が横切っている。さっきから視界の障害になっていた作業道の延長らしい。ここで作業道を使ってすんなりと林道に出た。
林道にペタリと座り込んで一服する。思案多き尾根下りだったが、何とか予定通りに下って林道に出た。しかも着地はドンピシャ位置。林道先はカーブになっていて橋がある。おそらく、あれが宮谷橋かと思う。ここで座り込んだのにはわけがあり、先の橋の手前のカーブに家屋があり、そこに複数の人の姿があったからだ。ストックはすでに扇山で収めたが、チェーンスパイクはそのままだ。ここでようやく外す。林道の先には百蔵山への標識が見えた。ここで、この林道が宮谷分岐からの道であることを知る。
(鳥獣供養塔)
(宮谷橋)
(ここでこれから忘年会でもやるのか)
広い敷地の家屋にはざっと10人くらいの人が動き回っていた。何の施設か知らないが、林道の傍らに「鳥獣供養塔」が置かれているのを見て納得した。2時に狩猟を終えて、ハンターがここに集まってシシ鍋でも食べながらの忘年会でもやるのだろう。解体しているところは見えないが、薪で湯でも沸かしている状況だ。煙が立っている。そういえば、百蔵山の登山口最奥付近でアルコールが漂う匂いがした。秩父の川俣でも同じような匂いがしていたが、おそらく、薪の種類が違うのではないのか。
いずれにせよこの先は林道歩き。下り一辺倒と思ったのは大間違い。グラウンドまでは登りになっていた。先に架かる橋はやはり宮谷橋だった。
(何気なく左の林道を歩いたが、結局、戻ってここを登ると)
(縄文の館があった。ここは寺の敷地だろう。後ろとこの前にに墓地がある)
すぐに上に「白山遺跡 この上→」という標識を見かけ、これは無視して林道を歩いたが、その先に地図にある右に分岐する道はない。もしかして、あの白山遺跡の歩道を歩くべきだったのかと戻って登る。出たところには、墓地の敷地内の一角(正覚寺)で、そこには大月市指定文化財の解説板と藁ぶきの住居が一軒。遺跡というのもどうかなと思ったが、いろいろと講評する立場にもない。なるほどねで終わり。ここから秀麗が見えていた。すでに逆光で、雪すら見えず、鮮明なのは手前の高畑山から九鬼山にかけての稜線。帰りがけに軽く岩殿山とお伊勢山のプランはやめにした。黒ずんだ富嶽を眺めてカウントに入れるのもどうだろう。百名山と違って。決して数稼ぎの山歩きをしているわけでもなくなっている。
(富嶽もこうなってしまっては、山梨側のどこから見ても同じだろう)
(それでいて道志の山々は明瞭。だが、この辺りの山は富士山あっての存在ということもあるしなぁ)
(諏訪春日神社)
(扇山か? それにしても長い登りの車道。シュートカットしたわりには疲れてる)
(ラスト)
地道にきつい登り車道だった。車が少ないだけでもありがたい。変化をつけようと諏訪春日神社に寄りはしたが、地元の方には失礼だが、何も感じない神社だった。次のスポットに考えていた460.7m三角点は会社の敷地内にあって、さすがに入れない。ようやく下り道になって、出がけの車道に出てゴールイン。舗装道でかなり疲れた。この倍以上の定番歩きをしていたら、タクシーを呼んだろう。
駐車場には他に2台。中に人はいない。ご苦労にも車道を延々と歩いてでもいるのかも。二度とここを歩くことはないだろう。帰宅してからGPS軌跡をカシミールに取り込んでみると、累積標高差プラスは1230mになっていた。ここのところ適当に近場の山歩きで茶を濁していたが、今回はバリルートを2か所加えてもきつかった。それでいて、次回は大蔵高丸・ハマイバ丸のバリルートだなと思ったりしている。
(本日の軌跡)
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
【雑記】
山の話ではない。健康面の話題になる。
どうも、自分のブログは、山歩きの記事よりも、大腸内視鏡検査や、骨折事故、抜釘手術といった記事に人気があるようで、山の記事はいつまで経っても加波山歩きが上位になっていて、これはこれで正直のところ情けなくもなる。
それほどに健康を気にかける人が多いという証でもある。それに便乗するわけでもないが、ごく最近の、自分にとっては深刻な出来事を敢えて記す。こんなこともあるのかと、少しでも参考になってもらえればいい。
脳ドッグ検査のことだ。会社の定期健康診断のオプションで脳ドッグ検査を受けた。これは自腹だから費用も高くつく。賢い人は「ずっと頭痛が続いて」と偽りで保険適用での検査を受けるようだが、自分にはそれができない。前回は三年ほど前に受けて異常なし。その時に受けたきっかけは、職場の同僚の女性がクモ膜下出血であっという間に亡くなってしまったことからだが、この女性とは年も近く、彼女はタバコも吸い、血圧も高かった。そして青森出身だったこと。ここまではほぼ自分に似通っている。違いは、彼女が飲酒しなかったことだ。酒は飲めずに宴会ではいつもウーロン茶を飲んでいた。人付き合いは良かった。
そんなことで、久しぶりに今回の脳ドッグ検査。つまりは「頭部MRI・MRA検査」を受けたのだが、その結果が、普通は勤務先に届くものが、自宅に届いた。嫌な予感がして開いてみると、「右中大脳動脈に動脈瘤疑い」とあり、「要精密検査」とあった。ここでうろたえるのは当たり前。頭は混乱し、目の前が真っ暗になった。
ネットでいろいろと調べる。動脈瘤が破裂すればクモ膜下出血で死ぬ確率も高い。どんどん悲嘆になってくる。山の中で突然、クモ膜下ではなぁとも想像する。
精密検査は健診を受けたI病院ではなく、かかりつけのY医院にした。医師は何でも診てくれるところだが、専門は脳外科。市内大手のO病院にいたこともある。最新の機器もある。予約を入れて改めてのMR。I病院発行の通知を持っての精密検査だから保険適用になった。
頭を異音に囲まれてのドッグ入り。終わって間もなく医師に呼ばれた。「結果通知を見て、私も気になりましたが、何も異常はありませんよ。I病院の検査機の精度が悪いんじゃないですか」と、カメラで写した立体画像を示して具体的に説明してくれた。「おそらく、ここがI病院で動脈瘤ではないかと診断したところかと思いますが、ここは血管が細くなる部分で、ここにも、あそこにもどこにもありますよ」と、つまりそういうもので正常だと。
I病院からの通知が届いたのは18日(水)。翌日にY医院での精密検査の予約を入れて、受けたのは21日(土)。その間、自分のこれまでの人生を振り返り、今年、中学の同窓会に出席して良かった。思い残すこともない。あといつまで生きられるのだろうかと、為すこともなくボーっとした日が続いていた。本を読んでも新聞を見ても何も頭に残らない。
深刻だったのは目先のこと。10月の中学の同窓会の第二弾のきりたんぽ会(忘年会)の開催が22日(日)に東京であり、参加する気分はとうに失せていた。飲んだ帰り道、寒い中で高崎線か太田に向かうバスの中で死ぬかもなんて想像し、参加辞退の口実をもっともらしくいろいろと考えた。風邪では弱いから、母親の入院か危篤にでもしようかと。
急転直下の精密検査の結果だった。おそらく本能的なものだろう。結果を聞いてやったことは、医院からの帰りでコンビニに寄ってタバコを買ったことだ。動脈瘤疑いの結果を見て、死期を早めるだけだと、タバコを吸う気にもなれず、手持ちの少ないタバコはすべて捨てていた。これですっぱりと辞めればよかったのだろうが、いきなり俗気の誘惑にかられた。
天気はすぐれなかったが、晴れ晴れした気分で、きりたんぽ会に参加した。秋田での同窓会に台風で来られなかったのも何人かいた。飲み過ぎて、久しぶりに東京から家に帰るのがつらかった。寝てしまったらアウトだ。現役の頃、各停で高崎やら前橋まで乗り過ごすのはしょっちゅうで、上り電車がなければ何万円もかかるタクシーで帰った。運よく熊谷から終バスに乗り、その間に寝込んでしまい、車庫まで運ばれたこともあった。運転手さんにバスの清掃が終わるまで外で待たされ、気づかなかった自分にも責任があると、家まで送ってもらったこともあった。
今回はそんな失敗はなかったが、クモ膜下から一旦は解放されて楽しく飲み過ぎたのは反動だった。翌日は二日酔いの出勤だった。
何を言いたいかといったことになると、こんなことがあったということでしかない。ただ、健康診断やらオプション検査で一喜一憂しているのもまた年のせいだ。後で妻に笑われた。足のこと以外に、頭痛とか言語不明瞭といった前触れもないのに「要精密検査」というのはおかしいと思っていた。それどころか、頭のことが気になったら、頭痛で検査という形にすればよかったじゃないのとたしなめられた。それをしたくないから保険適用外で受診した。
そんな経緯はともかく、「要精密検査」という一言が、本人にとっては、明日にでも、もしくは今晩にでも人生それきりになってしまうのではとおののいていたことは確かだ。こんな経験はしたくないものだ。
以前、こんなことがあった。首の痛みが続き、近くの医院に行くと、設備のあるH病院で頸部のMRを受けて、その結果を持ってきてくれと言われてそうした。画像を入れたCDを医院に持って行くと、医師は「何、これ。全然、使い物にならないじゃないの」と一言。つまり、H病院の技師はヘボだったわけだ。単に痛み止めの注射で改善はしたが、そんなこともあるというのもまた現実だ。
※本記事につきましては、【雑記】記事へのコメントはご遠慮ください。年明け早々でもあるし、だれにでもそんな経験はあるものですから。自分では、これを記したことで気分的には解消しています。
大月市営グラウンド駐車場(8:05)……和田美術館(8:23)……展望地(9:04)……百蔵山(9:39~10:02)……818mカンバノ頭付近(11:02~11:10)……1109m大久保山(11:57)……扇山(12:11~12:41)……大久保山(12:51)……951m標高点付近(13:09~13:17)……下り予定尾根に復帰して休憩(14:15~14:25)……林道に出る(14:35)……グラウンド駐車場(15:22)
まずは年頭の御挨拶まで。<新年あけましておめでとうございます。皆さまの本年のご多幸とご健勝をお祈り申し上げます>。
何やかやと、家の掃除の合い間に原稿を書いていたら、去年末の山行記事のアップが年明けになってしまった。せっかくだし、ここで年頭の御挨拶とし、、昨年の最終山行記事のアップとさせていただく次第。
以下はまだ2019年にいる状況での記事だ。その点はお含みおきいただきたい。
この時期になると、富士山を間近に拝みたくなる。手っ取り早い選択は大月市選定の<秀麗富嶽十二景>の山になるが、この十二景十九山のうち、これまで登った山は八山だけで、そのうちの雁ヶ腹摺山は、長い雪の林道を歩いたわりの褒美もなく秀麗は雲に隠れたシルエットで、裾野も頭もはっきりとは見られなかった。残っているのは牛奥雁ヶ腹摺山、小金沢山、大蔵高丸、ハマイバ丸、奈良倉山、扇山、百蔵山、岩殿山、お伊勢山、九鬼山、高川山の十一山。群馬から出向くには多過ぎる。毎週二山を消化しても、最低二か月はかかる。それも好天であっての条件付き。今回片づけようとしたのは大蔵高丸・ハマイバ丸か扇山・百蔵山。そのついでに簡単に車で行けそうな岩殿山・お伊勢山の都合四山だったが、結果として選んだのは扇山と百蔵山のセット。付録の岩殿山とお伊勢山は時間的に秀麗タイムには遅過ぎる逆光富士になっていてやめた。それでも計十山になり、何とか半分は登ったことにはなるが、秀麗をしっかりと拝することがなかった雁ヶ腹摺山をナシとすれば半分にも満たないことにはなる。
扇山と百蔵山の周回は、車利用の場合、もちろんデポ車なんて便利なものがあれば別だが、大月市営グラウンドに駐車し、百蔵山から扇山を周回し、梨の木平に下り、そこから5キロ以上はありそうな車道歩きでグラウンドに戻るのが定番の歩きのようだ。この車道歩き区間を極力楽にしたく、物置から折り畳み自転車を出してはみたものの、どうも、スムーズな自転車利用は無理のようで、脚の筋力が衰えた自分の場合、半分は手押しで歩く羽目になりそうだ。自転車は荷物になるだけであきらめた。
妙案はないかと地図をじっくり見て検討すると、扇山から少し戻って1109m標高点(大久保山)から南西に下る尾根が使えそうだ。これだと2キロほどの車道歩きで済む。ネットで調べると、やはり、それらしき尾根を歩いている方がいたが、上り使用で下りではない。さらにどう登ったのかも判然としない。わかったのは「宮谷橋の林道先の尾根」がキーワードで、どこに架かる橋なのかは不明。情報は役立たずで、難なく下れそうな尾根にマーカーを引いた。降り口の林道先で沢を横切るから、もしかしてこれに架かるのが宮谷橋かも。他人様の歩きに頼ってもしょうがない。自前で歩こう。
ちなみに、雪田爺さんは梨の木平からまともに車道歩きをして、ようやくグラウンド駐車場に着いた時には、靴を脱ぐ際に痙攣が起きそうになる程に足をくたびれさせてしまったようだ。それだけは避けたい。やはりぶなじろうさんのように、例えば四方津駅から犬目までバス利用。そして周回して猿橋駅に下るのが正解だろうが、電車の便が悪いところに住んでいれば、車利用しか手はない。電車を利用したら、バスで熊谷に出て、湘南新宿ラインで新宿から中央線と乗り換えて少なく最低3時間半はかかる。その間に便意がもたげたら電車見送りになる。
(狭山のPA近くからの富士山。今日は天気が良くてラッキーな気配)
何のトラブルもなく大月市営グラウンドに2時間かからずに着いた。もちろん2/3以上は高速利用の距離だ。トラブルとは腹の具合のこと。かなりの不安があった。家での回数が一回で終わり、レギュラーの残り二回は途中でやらなきゃならない状態で出発した。これは食生活の変化に因るのが明らかで、昨日、職場でアルコールなしの納会、つまりは仕事納めの食事会というのがあり、集金やらで外出している者もいて、昼食抜きでようやく食事会が始まったのが3時半。これでは帰宅してからの夕食をまともにとれず、お腹がいっぱいでまずくなった缶チューと焼酎を飲んだだけで終わりにした。餅まで食べていればそうもなる。これが影響している。便意の大方は時と場所を選ばずに前触れなしに訪れる。おそらく山中での行動になりそうだ。そんな不安をずっと抱えながらも、結果として、山中、帰路の道中でも便圧が上がることはなかった。事前にわかっていれば、損な不安も抱くことはなかったのに、これだけは予測もつかないからどうにもならない。頭にあったのは、秀麗富嶽でハイカーも多いだろう。身を隠せる手ごろな場所があればいいが…だった。
(よくは知らない。バス停から。左が展望地で、右が百蔵山かと思われる)
(ここの歩きがかなりつらい)
(住宅地に残った雪)
駐車場には5~6台の車があった。ハイカーの姿は数人。出払っているわけでもなく、車のエンジンをかけたままの休憩。ハイカーとて、大方は百蔵山のみだろう。現に、同じく出発した空身の男女ペアは和田美術館の方には向かわず、道路を直進し、こちらが百蔵山の山頂下をぜいぜい登っている時に、涼しい顔で下って来た。扇山まで行っていたとすれば、トレランですら時間的には無理かと思う。
駐車場のすぐ上に百蔵山登山口のバス停があり、標識に従って分岐を左に行く。振り返ると秀麗がすでに見えている。青空がバック。多少気があせる。山頂に立ったら空がすでに白かったり雲に隠れていたら、期待する楽しみも一瞬にして消えて雁ヶ腹摺山になってしまう。しかし、この道路はなかなかの勾配だ。住宅街の一本道だが、上がるに連れて、よくもこんなところに家を建てるものだと、早くも息切れした状態で思う。家があるから道路も舗装される。登山靴では余計に歩きづらい。
また二股。ここは右になっている。左は下っている。左に行きたいくらいだ。そして三度目の分岐を左。右でもいいようだが、左への標識が百蔵山単記なのに対して右は扇山も併記しているところからして、百蔵山の東側に出るのだろう。左の標識には「この先、きれいなトイレが有ります」と書かれた紙が洗濯ばさみで挟んでいる。
(立ち休みで振り返って見えた富士山)
(ようやく登山口の和田美術館)
しつこいくらいに住宅地が続く。相変わらず急坂。道路傍には雪が残っている。ごく最近、降ったのだろう。ようやく人家が消えたと思ったら、まだ舗装道。やはり奥にも人家があった。そこがきれいなトイレを経営している家。しっかりと有料100円とあった。自分の家のトイレを貸しているんじゃないのかと思いたくもなる。
神社のような門構え、狛犬付きの家屋でようやく舗装は終わり、ここから先は未舗装の山道で、皮肉なもので傾斜も緩やかになった。この家屋が和田美術館。どんなとっておきのお宝があるのか知らないが、門は閉められ「当美術館は一般公開しておりません」の手書きの張り紙。立ち休み。出発からわずか18分ながらも、この坂道歩きでかなり消耗したし、気分も滅入った。ここは下りで使いたい。あとでチェックすると、駐車場からここまで標高135m上がっていた。それくらいでと笑われそうだが、舗装道、登山口、さらに足首不具合の条件ではかなりつらい。自分はその程度の歩きレベルだ。昭文社マップによれば、バス停から百蔵山までのコースタイムは1時間35分。早くて2時間はみておいた方がいいだろう。ぶなじろうさんではないが、こちらはすでに自覚もせずにGBグループの仲間入りは完了している。されど笑えない。GBの単独歩きに老いてもなおの強者が結構いる。
(薄暗い植林の中の歩き。他の写真はすべてピンボケになっていて、出せる写真はこれしかない)
備え付けの登山者カウンターを一押しして中に入る。いきなり別世界に入った。薄暗いヒノキの植林帯。植林とはいっても疎らで雑然な並び。間伐があるところからしてかろうじて植林だろうなと思うような密度だ。傾斜は緩く、かなり楽な歩きになった。道型も明瞭。沢水がパイプから流れていたので手ですくって一口飲む。住宅街の歩きでノドが渇いていた。
後ろから人の気配。振り向くと単独のオッサン。こうなるとうっとうしい。先行してもらおうと、切株に腰かけて上着を脱ぐ作業をしたが、先方も腰かけて休んでいる。仕方なく歩き出すと、また間近に迫ってくる。もう脱ぐものもないし、特にタバコを吸いたくもないので、ストックを出して長さを調整するスタイルをとった。その間にようやく先行してもらった。上に行って視界から消えたのを見届けてから、小用をする。大の方はどうしたのか圧力なしのまま。
(上が明るくなって)
(展望地に出た。松の枝が邪魔だ)
飽き飽きしたところで明るくなって展望地に出た。松が邪魔ではあるが端正な秀麗富士が見える。ここは休憩スポットなのかベンチがあって、オッサンがくつろいでいた。さっきのオッサンと思って、「ここからでも富士山、きれいに見えますね」と言ったら、オッサンは後ろから突然に声をかけられてびっくりしたようだ。返答はうろたえた感じの「こんにちは」。さっきとは別のオッサンだった。確かにジャケットの色が違う。オッサンに「今年の登り納めですか?」と聞かれたが、今年も残り3日ある。「気分次第ですね」と答えた。オッサンは帰省する途中で寄ったとのこと。百蔵山をもう登って帰るところだった。時間的には9時も過ぎているし、日の出を見たかどうかなんて聞くのはヤボなので控えた。
(地図の歩道から離れた余計な歩き。これで10分は損したろうか。自己満足すら残らなかった。この下はヤブ続きで写真を撮るにはきならしい風景になっている)
(登山道に合流。息切れしただけ)
登山道は尾根を巻いている。お仕着せ道を歩くのに変化を付けたく、無理に尾根に上がってみた。たかが20分くらいのものだったが、これは大失敗。枝ヤブで倒木あり。さらに急斜面。その間に振り返れば富士山ではあったが余計な歩きをしたようだ。尾根から抜け出すと、あっさりとお仕着せ道に出た。ここでも体力を消耗した。
立ち休みをしていると、下ってくるハイカーがばらばらに5人ほど。犬連れもいるし、出発時の空身の男女ペアもいた。単独もいる。地元の方には、百蔵山も金山、吾妻山みたいな里山的な存在なのだろう。
(あそこが百蔵山らしい)
(やはり)
登山道は次第に凍てつき、ところどころに霜柱。雪もチラホラと出てくる。今のところ歩行に支障はない。やがて上に平らなところが見える。おそらく百蔵山の山頂だろう。
雪田爺さん風に表現すれば、ここで百蔵山からの富嶽見はコンプリートということになる。澄みきった青空をバックにした霊峰は神々しいお姿だ。しばし眺めていたが、山頂ベンチでは植林で抜いていただいたオッサンがラーメンを食べている。富士山を眺めてのインスタントラーメンもさぞ格別だろうが、時間的にあれは朝食なのかおやつ代わりなのか余計なことを考えてしまう。このオッサンに先行したら、またストレスになる。おそらくは扇山までの周回かと思う。オッサンが食べ終わって、片づけを済んで出発するまではここで待機することにしよう。こちらも秀麗を眺めながら菓子パンを食べ、風下で一服する。
(百蔵山から1)
(百蔵山から2)
(百蔵山から3。コンプリート)
(少しアップで。左に鹿留山、手前の右寄りが倉見山か。手前のピークが九鬼山らしい)
秀麗をあちこちから眺めて写真に収める。富士山のすぐ手前に見えている稜線ピークは道志の鹿留山と杓子山で左が御正体山か(写真では写っていない)。いずれも10年ほど前に登ったが、杓子山からは富士山が見え過ぎで、これはこれで風情がなかった。手前に視界を妨げないほどの山並みが欲しい。まだ御正体山と石割山からの眺めは三ツ峠山が邪魔をしてそれなりに良かった。ただ、三ツ峠山の電波塔だけは無粋だ。その手前にある、ここからでは見下ろす形にはなるが、稜線の高い山が秀麗富嶽でも未踏の九鬼山のようだ。十二景コンプリートなら、いずれは行くことになる。だが、おそらく、ここからの景色と同じ展望の富嶽だとしたら、あまり意味はないかも。
ダラダラと時間をつぶしている間にようやく件のオッサンが扇山方面に下って行った。それを見届けてこちらもチェーンスパイクを付けて出発する。チェーンスパイクは必要もなさそうだが、寒くなってから左足の上げ下げが不安定で、家の中でもつまずいてよろけることが多くなっている。狭いところでこけたらとんでもない転落になりかねないから用心した。今日は積雪も考慮して軽アイゼンも持参している。その間、オバチャン単独が自分と同じ方向から登って来た。以降、会うことはなかった。
(百蔵山山頂からおさらば。これから扇山に向かう)
(なかなかの急下り。凍結している)
(扇山)
向かい側にここよりも高い山が見えている。あれが扇山かと思う。百蔵山は1003m。扇山は1137mとマップにはある。出発点の市営グラウンドは430m。手書きの標識には<コタラ山20分 扇山2時間>とあった。コタラ山とは849m標高点らしい。昭文社マップでは扇山まで2時間25分。ここは昭文社タイム+GBグループ基準で3時間と想定するが、3時間歩きは長過ぎる。扇山到着は1時になり、その先の不可解な尾根を下ることを考えると、少しの不安が出てくる。
いきなりの急下りだった。こんなものだろうと思っていたから、慌てることはない。まして、チェーンスパイクは正解だった。ただ、どこまで下るのかといった不安がつきまとう。ここを反対から登るのはかなりきつい。鳥沢駅への分岐が鞍部かと思い、ほっとはしたが、その先は少しだけ登りになり、平坦になってはまた下る。これでは下りはまだ続きそうだ。扇山の標高は1137m。自分には、登り返し300mが限界だ。地図を出して、最低鞍部の標高がどれくらいなのか確認するのが恐い。トレランの二人連れにあっさりと道を譲る。ネエチャンの剥き出しの脚は見るからに筋肉質。助平ジジイの目でしばらく脚を見つめていた。これもまた秀麗富嶽かも。こちらの方が秀麗かも。
(果てしない感じの下り)
(宮谷分岐。結局、最後はここから下って出る林道を歩くことになる)
高度計を見ながらの歩き。845m、805mとまだ下る。この時点で最低330mの登り返しとなる。扇山1時到着は無理だな。こうなると長い車道歩きを覚悟せねばなるまい。標識を見ては、よほどに扇山はやめようかといった気分も出てくる。
宮谷への分岐で770m。左に尾根が見えている。つまり巻き道歩き。尾根に上がる元気はすでにない。そういえば、20分で着くはずのコタラ山はどうしたのか。気づかなかったがこれは巻いていたのか。
(左に見えている尾根が気になったが、依然として巻き道を下っている。無理に尾根に上がることもなかろう)
(鳥沢駅分岐。ここが最低鞍部かと思ったが)
(まだ下っている)
(カンバノ頭近くでザックを放り出して休憩)
750mを確認して登りになった。この先に下りはもうないようだ。ほっとすると同時にうんざりする。頭の中で引き算をする。1137-750=387m。明らかに限界超え。少し登って横倒しの倒木に腰をかける。この先は見るからに急な登りになっている。扇山から3人、4人と下って来る。オバチャンがスマホを出して、連れ合いに「カンバノ頭だって」と言うのが聞こえた。そうか、ここがカンバノ頭か。昭文社マップを広げる。「長い登り。1時間30分」とあった。先を考える思考は失せていて何も感じない。カンバノ頭そのものはすでに巻いているようだ。
(急な登りになる)
(登りの目標にした百蔵山)
青年が後ろからやって来た。ここからの登りにうんざりしているのか、見上げてはため息をついている。50mほど離れたのを確認して重くなった腰を上げた。
さっそくの息切れ。何度も立ち休み。高度計はもう見ない。先行の青年との距離は縮まらない。彼もオレと同じようなものだ。立ち休みを繰り返している。こういう急登のメリットはそれなりにある。緩やかだとちっとも標高は上がらないが、急登だとかなりバテはするが標高は稼げる。右後ろに見える百蔵山1003mの高さがよい目標だ。今の位置はまだそれよりも下だが、休み都度に同じ高さに近くなり、やがてはこちらが勝る位置にいることに素直に喜びを感じる。
青年に先を譲ってから、だれにも追い越されない。むしろ、下り手のハイカーが多い。単独もいれば複数のグループもいる。単独もネエチャンだったりオバチャンだったり妙齢だったりだ。オジサンに声をかけられた。チェーンスパイクのことだ。「この先、雪が多いの?」。「凍結していたから用心して」と答えたが、健常体で歩ける方がうらやましい。
(左手のあれが扇山かと思う)
(大久保山。もう陽は真南になりつつある)
(下り予定尾根を確認)
左からの尾根が合流し、その先には扇山らしきピークが見え、幾分緩やかになったかと思ったところで大久保山1109mに着いた。相変わらず50m先に青年の後姿が見えた。ここでやる事がある。下り予定尾根の確認。尾根型明瞭。地図の等高線通りに緩やかだ。ほっとする。これなら安心だ。
扇山に向かいかけると、下から正午の時報オルゴールが聞こえた。そういえば、今日は出発時点から発砲音が断続的に聞こえている。かなりのハンターが入っているようだ。この辺はイノシシだろうか。亥年の暮れに獲物にされているイノシシもまた気の毒なものだ。
(扇山へ)
(ここにも鳥沢駅方面分岐)
(山頂らしい、もう少しで本日の登り作業は終わりだ)
ユルユルとどこにでもありそうな典型的で冬枯れした尾根道を気持ちよく行く。途中に鳥沢駅に向かう標識。扇山に着いた。タイムを確認。何だ、えらく苦労したつもりのわりには休憩時間を差し引けば、百蔵山からちょうど2時間で来られたじゃないか。足に不備がなければもっと早く着く。あの青年、若いのに遅いんじゃないのか。現金なものだ。
扇山からの秀麗富嶽。ここもまたコンプリートということにしておこう。しかたがない。百蔵山からの秀麗は真っ青な空がバックだったが、こちらはもう陽も富嶽に近づいていてバックの青味が薄くなりかけている。
(扇山山頂から)
(扇山から富嶽)
(アップで)
(左に御正体山)
(2019年の見納めになった)
山頂には先行の青年とオッサン。オッサンは百蔵山のオッサンではない。ここまで来たのなら、もう下っていても不思議ではない。2時間コースを2時間で歩いたとしてもオレを待っていてくれているわけでもない。すでに長い車道コースを歩いているか、その前に百蔵山だけで終わっているのかもしれない。
肝心なここからの秀麗の景色だが、百蔵山からの眺望とさして変わりはない。位置がずれたといったところだ。せいぜい、御正体山が正面近くになったといった具合だが、繰り返しになるが、時間的な陽射しのせいでバックの青空が白っぽくなっているのが残念だ。そして、雲も出てきている。百蔵山から見た二時間前なら、こちらが抜群の秀麗富嶽だったかもしれない。
青年とオッサンが下り、山頂にはだれもいなくなった。ここはあちこちに木のベンチがあって、さっきまでオッサンが腰かけていたベスト展望のベンチに座って、コンビニおにぎりを食べて一服をつけた。贅沢な気分だが、惜しむらくは相変わらずの余計な発砲音だ。この発砲音だが、下りでハンターの集結地を知ることになる。
だれも来ない。無風で陽射しの日向ぼっこ。二本目のタバコを出す。青年が東側から登って来て、ここの山頂にも立ち寄らず、まして富士山を見ることもなく西に下って行った。不思議だなと思ったが、後で考えれば、彼は青年ではなく、さっきまでいたオッサンだった。下り道を間違えたのか、途中から予定変更したのかはわからない。
(大久保山に戻る)
長居した。自撮りして、ここからは帰路になる。まずは大久保山に戻る。
大久保山から、尾根型は明瞭だが、一応、コンパスを取り出して951m標高点にセットして下る。地形図を見る限り、間違いそうな尾根分岐が2か所ある。最初は951m先の900mから西ではなく南西尾根。さらに750mから、ここもまた西ではなく南西だ。南西、南西で下ればいいだけのことだが、微妙に主尾根らしき尾根から外れるので要注意。間違って下っても目的の林道には出られるはずだが、できれば、林道が屈曲したところにドンピシャで出たい。結局、苦労してルーファンしながら林道に出はしたが、この林道は百蔵山からうんざりしながら下った宮谷分岐から南下して続いている林道で、その間の苦労を考慮すれば、素直に百蔵山方面に戻って分岐から下った方がベターだったのかもしれない。これはあくまでも後の祭り話。
(951mまではまったく問題なしの下り尾根。途中から倒木が出て来るが。簡単に跨ぎ越せる)
(こんなベンチも見かけた)
歩きやすい尾根が続く。周囲はまばらな広葉樹。倒木が目立つ。倒木は腐りかけているのが多く、かなり以前の倒木だ。今のところ、歩行の邪魔にはならない。急でもない。これは地形図の等高線通りだ。やはり物好きに歩いている方がいるようで、ピンクのテープが続いている。こんな明瞭な尾根にテープを付けて何の意味があるのか、自分には理解しがたい。必要なのはあやふやなところや尾根の分岐ではないのか。
(951m標高点付近。ここからの下りが手ごわかった)
難なく下り、少し登って951m標高点。ここまで問題はまったくなく下った。それどころか、一時は登山道でもあったのか、朽ちかけたベンチが置かれていたりした。道型はというと、それはない。尾根筋だから、シカやらイノシシも歩いた跡はあった。ここで一服。どうもふくらはぎの痙攣の気配があり、ここで芍薬甘草湯エキスを水で飲み込んだ。そしてザックに鈴も取り付けた。発砲音が真下に聞こえている。嫌なものだ。もしかして、そのハンターエリアに突っ込む形になるのだろうか。濃い緑色のフリースでは人間だと見わけもつくまい。
(倒木が邪魔になってくる)
(トラバースで予定尾根に)
(尾根に復帰。トラバースは短いものだった)
(何だかよくわからない)
主尾根はそのまま西に下る。一応、コンパスは改めて南西にセットしたが、下りかけてしばらくしてコンパスを見ると、矢印とは離れて主尾根伝いに下って真西に向かっている。テープもあったので、疑問もなく下っていた。これでは林道に出てもかなり北側に降り立つ。戻るのも何だし、そのまま南にトラバース。顕著な尾根ではなかったから見過ごしていた。
急な斜面ではないからトラバースに苦労することもなかったが、斜面の倒木は多い。短区間の復帰に時間をとられた。予定尾根に復帰すると、今度は垂れたピンクテープが樹に巻き付けた赤に変わっていた。いろんな立場の人たちが付けた目印だろうが、さっきの尾根分岐に目立つ目印が欲しかった。さすれば余計なトラバースをすることもなかった。あれば安心するし、なければないでルーファンするが、半端な付け方はやめてもらいたいもの。
トタン張りの神社らしき押しつぶされた人工物を見つけた。石祠でもあるのかと屋根を持ち上げると、ただのコンクリか石の台座があるだけ。そろそろ二つ目のポイント750m付近になる。たまに見かけるだけになったテープはもはや無視している。周囲の広葉樹はまだ続いている。
(予定方向は無理。尾根型はないに等しい急斜面。かなりきつそうで引き返す)
さっきのミスがあったから、750mでは慎重にと思っているが、南西方向を窺うと、ただの倒木だらけの急斜面になっていて、尾根型はないに等しい。これは無理だと、尾根に合わせて下ると、避けるべき真西に下っていて、コンパスの矢印はどんどん左向きになる。真西に下って林道に出るには出るが、ここまで来て、方針を変えるのでは情けなくはないか? 適当なところからトラバースして予定尾根に復帰しよう。
(うっすらとした作業道が残っている)
(尾根が見えた)
(ようやく予定尾根に復帰。左に下る作業道)
(作業道を無視して尾根筋を下る)
このまま下ってもいいかという思いもあったが、左手斜面は倒木続きであることを理由にして手ごろなトラバースルートも目につかず100mはそのまま下ってしまった。すでに雑木の林からヒノキの植林になっている。このまま下ってもいいだろう気分は2/3はあった。だが、こことて、倒木が続いていた。どうせならと、トラバースしかけると、途切れ途切れな作業道があちこちにある。
明瞭な作業道を利用して南に移動すると予定尾根にぶつかった。もちろん、倒木を越えてのこと。ほっとしたはいいが、ここから先を悩む。休んで一服。思案する。かなり古そうな作業道が尾根の上方向から下っていて、ここからカーブして南に向かっている。行きたいのは尾根通しの西方面。そちらには作業道もテープもない。おそらく、南向きの作業道を辿れば、やがては林道に出られそうだが、何せ古そうだし、途中でうやむやになりそうだ。予定通りに尾根を下ろう。ここでふと気づいた。ドンパチの音は消えている。どうも2時を期限に一斉に打ち止めにしたようだ。
(どんどん下る)
(これを利用して)
(林道に出た。左先に大勢の人の気配)
平凡な尾根を下る。ヒノキの植林に入り込み、倒木に悩まされることはなくなった。見かけるテープは何かの標石の上に枝を立てて巻いたテープだけで、これは下りの目印ではあるまい。目の前を右往左往する作業道がどうも気に入らない。無視してはいるが、そのうちに犬が吠えているのが聞こえてきた。おそらく、オレの鈴の音に反応してのことだろう。鈴を外す。
このまま下ってはもろに沢に出てしまいそうな感じでいると、右下に、よく見ると林道が見え、目の前に作業道が横切っている。さっきから視界の障害になっていた作業道の延長らしい。ここで作業道を使ってすんなりと林道に出た。
林道にペタリと座り込んで一服する。思案多き尾根下りだったが、何とか予定通りに下って林道に出た。しかも着地はドンピシャ位置。林道先はカーブになっていて橋がある。おそらく、あれが宮谷橋かと思う。ここで座り込んだのにはわけがあり、先の橋の手前のカーブに家屋があり、そこに複数の人の姿があったからだ。ストックはすでに扇山で収めたが、チェーンスパイクはそのままだ。ここでようやく外す。林道の先には百蔵山への標識が見えた。ここで、この林道が宮谷分岐からの道であることを知る。
(鳥獣供養塔)
(宮谷橋)
(ここでこれから忘年会でもやるのか)
広い敷地の家屋にはざっと10人くらいの人が動き回っていた。何の施設か知らないが、林道の傍らに「鳥獣供養塔」が置かれているのを見て納得した。2時に狩猟を終えて、ハンターがここに集まってシシ鍋でも食べながらの忘年会でもやるのだろう。解体しているところは見えないが、薪で湯でも沸かしている状況だ。煙が立っている。そういえば、百蔵山の登山口最奥付近でアルコールが漂う匂いがした。秩父の川俣でも同じような匂いがしていたが、おそらく、薪の種類が違うのではないのか。
いずれにせよこの先は林道歩き。下り一辺倒と思ったのは大間違い。グラウンドまでは登りになっていた。先に架かる橋はやはり宮谷橋だった。
(何気なく左の林道を歩いたが、結局、戻ってここを登ると)
(縄文の館があった。ここは寺の敷地だろう。後ろとこの前にに墓地がある)
すぐに上に「白山遺跡 この上→」という標識を見かけ、これは無視して林道を歩いたが、その先に地図にある右に分岐する道はない。もしかして、あの白山遺跡の歩道を歩くべきだったのかと戻って登る。出たところには、墓地の敷地内の一角(正覚寺)で、そこには大月市指定文化財の解説板と藁ぶきの住居が一軒。遺跡というのもどうかなと思ったが、いろいろと講評する立場にもない。なるほどねで終わり。ここから秀麗が見えていた。すでに逆光で、雪すら見えず、鮮明なのは手前の高畑山から九鬼山にかけての稜線。帰りがけに軽く岩殿山とお伊勢山のプランはやめにした。黒ずんだ富嶽を眺めてカウントに入れるのもどうだろう。百名山と違って。決して数稼ぎの山歩きをしているわけでもなくなっている。
(富嶽もこうなってしまっては、山梨側のどこから見ても同じだろう)
(それでいて道志の山々は明瞭。だが、この辺りの山は富士山あっての存在ということもあるしなぁ)
(諏訪春日神社)
(扇山か? それにしても長い登りの車道。シュートカットしたわりには疲れてる)
(ラスト)
地道にきつい登り車道だった。車が少ないだけでもありがたい。変化をつけようと諏訪春日神社に寄りはしたが、地元の方には失礼だが、何も感じない神社だった。次のスポットに考えていた460.7m三角点は会社の敷地内にあって、さすがに入れない。ようやく下り道になって、出がけの車道に出てゴールイン。舗装道でかなり疲れた。この倍以上の定番歩きをしていたら、タクシーを呼んだろう。
駐車場には他に2台。中に人はいない。ご苦労にも車道を延々と歩いてでもいるのかも。二度とここを歩くことはないだろう。帰宅してからGPS軌跡をカシミールに取り込んでみると、累積標高差プラスは1230mになっていた。ここのところ適当に近場の山歩きで茶を濁していたが、今回はバリルートを2か所加えてもきつかった。それでいて、次回は大蔵高丸・ハマイバ丸のバリルートだなと思ったりしている。
(本日の軌跡)
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
【雑記】
山の話ではない。健康面の話題になる。
どうも、自分のブログは、山歩きの記事よりも、大腸内視鏡検査や、骨折事故、抜釘手術といった記事に人気があるようで、山の記事はいつまで経っても加波山歩きが上位になっていて、これはこれで正直のところ情けなくもなる。
それほどに健康を気にかける人が多いという証でもある。それに便乗するわけでもないが、ごく最近の、自分にとっては深刻な出来事を敢えて記す。こんなこともあるのかと、少しでも参考になってもらえればいい。
脳ドッグ検査のことだ。会社の定期健康診断のオプションで脳ドッグ検査を受けた。これは自腹だから費用も高くつく。賢い人は「ずっと頭痛が続いて」と偽りで保険適用での検査を受けるようだが、自分にはそれができない。前回は三年ほど前に受けて異常なし。その時に受けたきっかけは、職場の同僚の女性がクモ膜下出血であっという間に亡くなってしまったことからだが、この女性とは年も近く、彼女はタバコも吸い、血圧も高かった。そして青森出身だったこと。ここまではほぼ自分に似通っている。違いは、彼女が飲酒しなかったことだ。酒は飲めずに宴会ではいつもウーロン茶を飲んでいた。人付き合いは良かった。
そんなことで、久しぶりに今回の脳ドッグ検査。つまりは「頭部MRI・MRA検査」を受けたのだが、その結果が、普通は勤務先に届くものが、自宅に届いた。嫌な予感がして開いてみると、「右中大脳動脈に動脈瘤疑い」とあり、「要精密検査」とあった。ここでうろたえるのは当たり前。頭は混乱し、目の前が真っ暗になった。
ネットでいろいろと調べる。動脈瘤が破裂すればクモ膜下出血で死ぬ確率も高い。どんどん悲嘆になってくる。山の中で突然、クモ膜下ではなぁとも想像する。
精密検査は健診を受けたI病院ではなく、かかりつけのY医院にした。医師は何でも診てくれるところだが、専門は脳外科。市内大手のO病院にいたこともある。最新の機器もある。予約を入れて改めてのMR。I病院発行の通知を持っての精密検査だから保険適用になった。
頭を異音に囲まれてのドッグ入り。終わって間もなく医師に呼ばれた。「結果通知を見て、私も気になりましたが、何も異常はありませんよ。I病院の検査機の精度が悪いんじゃないですか」と、カメラで写した立体画像を示して具体的に説明してくれた。「おそらく、ここがI病院で動脈瘤ではないかと診断したところかと思いますが、ここは血管が細くなる部分で、ここにも、あそこにもどこにもありますよ」と、つまりそういうもので正常だと。
I病院からの通知が届いたのは18日(水)。翌日にY医院での精密検査の予約を入れて、受けたのは21日(土)。その間、自分のこれまでの人生を振り返り、今年、中学の同窓会に出席して良かった。思い残すこともない。あといつまで生きられるのだろうかと、為すこともなくボーっとした日が続いていた。本を読んでも新聞を見ても何も頭に残らない。
深刻だったのは目先のこと。10月の中学の同窓会の第二弾のきりたんぽ会(忘年会)の開催が22日(日)に東京であり、参加する気分はとうに失せていた。飲んだ帰り道、寒い中で高崎線か太田に向かうバスの中で死ぬかもなんて想像し、参加辞退の口実をもっともらしくいろいろと考えた。風邪では弱いから、母親の入院か危篤にでもしようかと。
急転直下の精密検査の結果だった。おそらく本能的なものだろう。結果を聞いてやったことは、医院からの帰りでコンビニに寄ってタバコを買ったことだ。動脈瘤疑いの結果を見て、死期を早めるだけだと、タバコを吸う気にもなれず、手持ちの少ないタバコはすべて捨てていた。これですっぱりと辞めればよかったのだろうが、いきなり俗気の誘惑にかられた。
天気はすぐれなかったが、晴れ晴れした気分で、きりたんぽ会に参加した。秋田での同窓会に台風で来られなかったのも何人かいた。飲み過ぎて、久しぶりに東京から家に帰るのがつらかった。寝てしまったらアウトだ。現役の頃、各停で高崎やら前橋まで乗り過ごすのはしょっちゅうで、上り電車がなければ何万円もかかるタクシーで帰った。運よく熊谷から終バスに乗り、その間に寝込んでしまい、車庫まで運ばれたこともあった。運転手さんにバスの清掃が終わるまで外で待たされ、気づかなかった自分にも責任があると、家まで送ってもらったこともあった。
今回はそんな失敗はなかったが、クモ膜下から一旦は解放されて楽しく飲み過ぎたのは反動だった。翌日は二日酔いの出勤だった。
何を言いたいかといったことになると、こんなことがあったということでしかない。ただ、健康診断やらオプション検査で一喜一憂しているのもまた年のせいだ。後で妻に笑われた。足のこと以外に、頭痛とか言語不明瞭といった前触れもないのに「要精密検査」というのはおかしいと思っていた。それどころか、頭のことが気になったら、頭痛で検査という形にすればよかったじゃないのとたしなめられた。それをしたくないから保険適用外で受診した。
そんな経緯はともかく、「要精密検査」という一言が、本人にとっては、明日にでも、もしくは今晩にでも人生それきりになってしまうのではとおののいていたことは確かだ。こんな経験はしたくないものだ。
以前、こんなことがあった。首の痛みが続き、近くの医院に行くと、設備のあるH病院で頸部のMRを受けて、その結果を持ってきてくれと言われてそうした。画像を入れたCDを医院に持って行くと、医師は「何、これ。全然、使い物にならないじゃないの」と一言。つまり、H病院の技師はヘボだったわけだ。単に痛み止めの注射で改善はしたが、そんなこともあるというのもまた現実だ。
※本記事につきましては、【雑記】記事へのコメントはご遠慮ください。年明け早々でもあるし、だれにでもそんな経験はあるものですから。自分では、これを記したことで気分的には解消しています。
百蔵山と扇山の周回、お疲れさまでいた。
自分は一般道反対廻りの歩きでしたが、扇山の下りの大きさにおののき、案の定百蔵山の登りで完全にバテました。たそがれさん廻りにしなくて本当によかったと思いました。中央線の車窓からは百蔵山と扇山のタワミが大きく見えて、まるで単独峰が並んでいるように見えました。
あらためて、2.5万図を見ると、確かに750m下は悩みそうな地形ですね。自分なら、現地で予定変更で、西進していたでしょうね。こだわり歩きのたそがれさんらしい選択だと思いました。
秀麗も午前中なんですね。同日の鶴ヶ鳥屋山からは、到着が遅れたのか、空の青さが薄れていました。
改めて、おめでとうございます。本年もぶなじろうさんの記事を楽しみにしております。
さて、おっゃるように、ぶなじろうさんは反対側からの周回でしたが、私は車の都合上、百蔵山から扇山を目指しました。内心では、これは、扇山先行が正解かと思っています。百蔵山からの下りも相当なものでしたが、扇山への登り返しはそれに劣らずの状態でした。この区間の立ち休みは少なくとも20回はあったかと思います。
750mからの下りは、おそらく、ちょっと下れば尾根型になっていたかと思いますが、あの急斜面ではおそらく南寄りに下ってしまい、わざわざ避けた長い車道歩きになるような気がしてやめました。明瞭な西に向かっても、大して車道歩きが増えたわけでもないとは思いますが、こだわりというか、地図にマーカーを引いてしまったので、無理にトラバースしたようなものです。
明日も秀麗の予定でいるのですが、箱根駅伝を見ていると、芦ノ湖からの富士山は中腹に雲が漂っていました。ちょっと悩んでいます。やはり、北側からの富嶽見物は、晴天の条件下でも午前中が妥当でしょうね。
年末に太平洋側の天気が良いと皆考えることが同じですかね。私も同日富士見でした(笑)。
出かけたのはぶなじろうさんと同じ稜線から高川山への縦走でしたが、百蔵山・扇山方面の案もありました。権現山から縦走する計画を立てたものの久々の登山で歩ききれる自信がないのでやめたのですが。たそがれさんの疲労度合と"かなりのハンターが入っているようだ"の情報を見るにやめといて正解だったかなと。狩猟期が明けて日の長い時期になったら行こうと思います。
ぶなじろうさんへのコメントで"北側からの富嶽見物は、晴天の条件下でも午前中が妥当でしょうね"とありますがその通りですね。本日笹子駅から河口湖駅まで縦走してきたのですが午前の本社ヶ丸・清八山では綺麗に見えたのに午後三ツ峠に着くころには雲に隠れてしまいました。
決まりきった言葉で恐縮ですが、本年もまたよろしくお願い申し上げます。
ブログの表紙の写真を拝見しました。三ツ峠山が正面にありますね。残念ながらあれがどうも定番になってしまうんですよね。残念としたのは、自分には、三ツ峠山の電波塔がどうしても富士山の景色を邪魔しちゃうんですよ。
その点、本記事の百蔵山と扇山からの富嶽は邪魔者ものが見えずに、自分にはお気に入りです。昨日も富嶽見物に行きましたが、三ツ峠山がど~んと構えていましたね(笑)。
しかし、タイトルから拝見する限り、笹子駅から河口湖ですか…。相変わらず、お元気ですね。今、いろいろと寒さで足の具合がどうこうと体の良い理由を記していますが、半分は気力の問題でしょう。
高川山も秀麗富嶽のカウントから漏れていますが、昨日行った時点で、そろそろ牛奥と小金沢山くらいを見てお終いにしてもいいかななんて思っています。
秀麗富嶽見学を目的に歩くのであれば百藏山からではないかと思います.そこからの景色は素晴らしいです.おっしゃる様にアンテナも手前の雑木もなく、裾が緩く弧を描き延びて、みとれてしまいます(私だけかも知れないけど・・・笑) 又、富嶽だけの目的なら割り切って車移動となるでしょうね.実際、そういう富士山ファンの人達も多くいるようですから.山歩きをする人達は、やはり どっちかからの縦走になるでしょうね.
実は、今回のたそがれさんの下山ルートは検討していましたが、扇山から戻る際立派な道を見てついこっちでいいか・・に あの車道歩きは靴が冬靴で靴底が固いのが歩きにくさの足枷になった様です.辛かったなあ(笑) 百藏山のズームUPした富嶽の風景見事ですね~.
本年も宜しくお願いします。
すっきりとした富士山ですね。
大月市選定の<秀麗富嶽十二景>なるものがあるのですね。
依然どこかで見聞きした事があるような。
自分達もテーマを絞ってやるかな。
動機付けが必要となる様では困ったものですが。
今年も体力維持もかねて細々とでも歩きましょう。
機会がありましたら宜しくお願いいたします。
本年もよろしくお願いいたします。
秀麗富嶽十二景は廻ってみたいと思いつつ車でのアクセスが少し不便かなと思い込みもあり、なかなか実現できませんが、たそがれさんのお歩きを参考にしつつ、機会があれば歩いてみたいと思います。
それにしもて富士山の展望は素晴らしいですね。こちらも富士山の展望を期待して、正月は毎年恒例の伊豆の山を歩きましたが、山梨から見る富士山のほうが、言葉通り秀麗といった趣がありますね。
それにしても,足が本調子では無いというのに,年末までしっかりと歩かれましたネ。
自分なんて,インフルエンザに加えて,右足のアキレス健炎もあって,結局,14日で山は打ち止めと,例年になく情けない年末で終わりましたヨ。
それにしても,「秀麗富嶽十二景」,今回は雁ヶ腹摺山の二の舞にならず,富士山をコンプリートできたようで,何よりでしたネ。
ただ,割と人気のコースだというのに,近くでドンパチというのは,少しばかり怖い気がします。
明けましておめでとうございます。本年もまたよろしくお願いいたします。
いやいや、私にもやはり今回の百蔵山からの富嶽が最高のロケーションでした。年明けに行った大蔵高丸とハマイバ丸からの富嶽は、やはりアンテナ山が正面に控えていて、その分、俗っぽい感じになってしまうのはどうも否めません。扇山からはといえば、山頂のヤブがうるさいところですね。きれいな富嶽なんですけどね。
そうですか。車移動での富嶽見物ですか。それはそれで結果は同じですからいいですが、どうもねぇ。やはり、その先のことはともかくとして、百蔵山と扇山はつなげて歩きたいところです。感動もまた違うような気がします。
車道歩きに関しては、私は短時間で済みはしましたが、冬靴ではないにせよ、雪道も可能な靴でしたから、足が痛くなりました。まして、舗装道も平坦ではない。まっとうに歩いたら、途中でタクシーを呼ぶ羽目になったかもしれません。雪田爺さんの記事を拝見して、よくやるわと思ったものですが、苦肉の策の尾根下りもまた倒木が多くて。どうせなら南西にこだわらずに、途中から尾根明瞭な西に下った方が良かったかもしれません。
もしかして、ハイトスさんは秀麗富嶽十二景の存在はしかとはご存知なかったようですが、富士山見物をするなら、手っ取り早い山選びリストですから、お薦めします。年明けに二山をプラスして、ようやく半分にはなりました。
今回の百蔵山と扇山は一緒に登るとなると、帰路の車道歩きがどうしてもネックになります。雪田爺さんではないですが、それぞれに車移動で登った方が良いのではと思います。はっきり言って、長い車道歩きはムダの一言です。一日で登るのも無理ではないでしょう。コースを工夫すれば、ダブって歩くところもないと思います。
富士山もあまりに近いと風情はないし、北関東からでは小さ過ぎる。せいぜい奥秩父以南からですね。
私は、足のケガ以来、どうも山歩きの調子が出ません。年明けの富嶽見物でそれが決定的になりました。確かに、体力維持をかねて細々と、そして小まめにといったスタイルで歩きたいもので、実際、それしかできない。これからはそんな歩き方が良いのではというのが今の思いですよ。
HIDEJIさんのところからでしたら、大月へ出るにも私以上にアクセスは近いのではないでしょうか。圏央道にすぐに乗れるでしょうし。ただ、今回の百蔵山、扇山ともにどうしても車道歩きが長くなってしまいます。百蔵山に至っては、私のルートで歩くと、住宅地から離れるまでがかなりつらかった。まして舗装道の坂歩きです。その辺の工夫をした方がよろしいのではと思います。
伊豆からの富士見ですか。私の個人的な趣味としては、やはり、北側からの富士山ですね。どこが違うかというと、南から見る富士山の右手のコブがどうも気になってしまう。これが北側からは隠れて秀麗に見える。それと、南側からだとどうも大き過ぎる。私は甲武信から眺める富士山が好きなのですが、あれに雲海が加われば最高でしょう。まだ見たことはないですが。
瀑泉さんの山記事が更新されないままになっているので、年末で何かと忙しく、更新も遅れているのかなと思っていましたが、そんな事情でお歩きも中断でしたか。お気の毒に。アキレス腱炎で無理に歩いてとんでもないことになったのではねぇ。お見舞い申し上げますよ。
でも、恒例の筑波山詣でがあったのではと拝察いたしますが。
富嶽のコンプリートは、わざわざ山梨まで行くわけですから、しっかりと天気予報と雲量を直前まで確認してから出かけます。これから、残りの富嶽歩きがあったとしても、そういう段取りで歩きますから、すべてコンプリートになるかと思います。見られなかったら、天気予報にだまされたということになります。
山梨はイノシシが多いところなのでしょう。だからハンターも多く入る。帰りがけに見た建屋では少なくとも10人のハンターはいましたから、結果として戦争の打ち合いをしているように間断なく銃声が続いていました。本当に嫌なものですね。
これはお笑いですが、町の中を歩いていたらまた銃声。あれはただの休憩タイムだったのかと思っていたら、鉄工所の脇を歩いていました。鉄板を叩いていたのでしょう。こんな音にもびくつく銃声続きでしたね。