青い花

読書感想とか日々思う事、飼っている柴犬と猫について。

金魚はじめました

2015-09-20 09:20:57 | 日記

睡蓮鉢のメダカが減ってきたので、買い足しに行ったら、隣のケースで泳いでいた金魚が可愛かったので、飼うことにしました。
初心者なので、まずはリュウキンと出目金から。

桜も興味津々です。

敬老の日のために、主人と私の実家とに鉢花を贈ったのですが、先週末に無事に届いたそうです。
そのお礼として、主人の母から、朝の6時過ぎに電話がかかって来たので、何事かと驚きましたよ。そんな時間だから、誰か亡くなったと思いました(苦笑)。義母は自由ですね。
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秋植え球根

2015-09-18 06:21:56 | 日記

秋植え球根を植えました。すかしゆり「ロリポップ」とアリウム「グローブマスター」、それと、かたくり「ジャポニカ」です。

今回一番の注目はこれ!
アリウム「グローブマスター」の球根は、小ぶりの玉葱ほどの大きさです。ここまで大きな球根だと、大輪の花を期待してしまいますね。
葱坊主のような球状になっている花は花径20センチほどになりますが、実は1つの花ではなく、花軸から放射状に1300~1500コくらいの小さな花が集合して丸くなって咲いています。

今回は、全部鉢植えにしました。来春にうまく咲いたら、庭に直植えするかもしれません。
かたくりの花時期は3~4月。アリウムの花時期は4~6月。すかしゆりの花時期は6~7月。花時期がずれていますので、リレーみたいに次々に花を咲かせ、我が家の庭を彩ってくれるのを楽しみにしてます。
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斜陽

2015-09-16 06:15:21 | 日記
九月のNHK『100分de名著』で取りあげられているのが、太宰治の『斜陽』である。
何故今、太宰?しかも、『斜陽』?考えてみれば、これまで『100分de名著』で取り上げられてきたのは、誰もが読んだことは無かったとしても、タイトルくらいは知っている定番中の定番ばかり。だからこそ“名著”なのであり、そう思えば、太宰の晩年の代表作である『斜陽』が取り上げられるのは、何もおかしくないのであるが…。

次々にデビューしては消えていく作家たちの中で、何故、太宰は廃れることなく愛され続けているのだろうか?中でも『人間失格』と、この『斜陽』が、いつの時代にも“今の文学”として多くの人々の心を掴んでいるのは何故だろうか?これを機に、およそ四半世紀ぶりに『斜陽』を読み直してみた。

多くの作家たちが書くことが出来なくなっていた第二次世界大戦中も太宰は精力的に執筆活動を続けていた。『斜陽』についての構想が太宰の口から語られたのは、1946年。前年の1945年8月に第二次世界大戦が終結して間もなくの、日本全土に敗戦の爪痕が深く残っていた時期である。
『斜陽』は、戦後の日本文学最初のベストセラーとなった。「斜陽族」という流行語を生み、社会現象にまでなった。
当初、太宰は、実家の津島家をモデルにして、アントン・チェーホフの晩年の戯曲『櫻の園』の日本版を書くことを構想していた。それが、太田静子の日記を受け取ったことで、内容は大きく変わっていく。太宰は、静子の日記を読み込むことで、静子になりきり、静子をモデルにかず子という人物を作り上げ、『斜陽』を書き上げた。男の立場から女を描いているのではなく、どこまでも女目線なのである。作中の女言葉が生々しい。

登場人物は、かず子、かず子の母、弟の直治、直治が心酔している作家・上原の4人。『斜陽』が他の近代文学と一線を画しているのは、男2人より、女2人の方に比重が置かれている点である。
太宰治が現れるまで、近代文学は男中心の世界ばかりを描いてきた。それは、若い息子たちが、家父長と対立し、乗り越える、或いは打ち負かされる物語で、女は登場しても、内面は無視されていた。近代文学の中で、女たちは、捨てられて死ぬ恋人だったり、夫や子に人生を捧げる母だったりでしかなかったのだ。

『斜陽』の物語は、終戦の翌年の春から始まる。語り手・かず子は、29歳。没落に瀕している華族の長女。周りからお膳立てされた愛の無い結婚生活を送り、6年前、死産を機に実家に戻された。
かず子の母は、息子の直治をして「おれたちの一族でも、ほんものの貴族は、まあ、ママくらいのものだろう。あれは、ほんものだよ。かなわねえところがある」と言わしめる優雅で可憐な“最後の貴婦人”。マナーを無視した匙使いをしても、奥庭で放尿しても、その破調が却って彼女の無垢な美しさを際立たせるのだ。
かず子は、母に心酔している。そして、自分は絶対に母のようにはなれないとも思っている。だから、母と諍いになると「私は、お母さまのお女中さん」などと卑屈なことを言って泣き出したりする。この母子の諍いは、娘の方が多弁であるにも関わらず、娘の連敗状態、娘の母に対する永遠の片思いという様相なのだ。これは、父と息子、或いは、母と息子の関係では許されない構図である。

叔父からの援助が無くなり、かず子たちの生活は徐々に困窮していった。東京の家を売り払って、伊豆の別荘地で新生活を始めてすぐに、ボヤ騒ぎを起こしたかず子は、しっかりせねばと、畑仕事に精を出すようになる。
伊豆の生活に慣れた頃、かず子は、叔父から直治が戦地から帰還しているということを知らされる。直治はアヘン中毒にかかっていた。直治は家のお金を持ち出して、東京の上原という作家の元へ行き、酒に溺れる荒んだ日々を過ごすようになっていた。
更に不幸は続き、預金封鎖や財産税が課されたことで、かず子の家は、殆どの財産を失ってしまった。

かず子は、再婚するか皇族の屋敷で女中奉公するかの選択を迫られる。そんな生活の中、かず子の母は、結核を患い、病死する。
畑仕事を通じて、能動的な思考を得たかず子は、六年前に一度会ったきりの上原に一方的に手紙を書き送り、母の死後、東京まで会いに行き、彼の子供を身籠った。この時、かず子は直治に「私には、行くところがあるの」「縁談でもないの。私ね、革命家になるの」と告げている。
私生児を身籠るという “女大学”的には、アウトな生き方。しかも、かず子は上原に騙された被害者ではない。自らの意志で上原に手紙を出し、彼の子供を産むという道を選んだのである。女が欲望を表明することがはしたないとされた時代に、自ら選んだ男の子供を産み、シングルマザーとして生きる。それが、かず子の道徳革命だ。これが29歳という若さを失いつつある歳の、徒手空拳の女による社会が求める“女らしさ”への反抗なのだ。かず子は「人間は、恋と革命のために生れて来たのだ」と確信する。

一方で、直治と上原、二人の男たちの革命とは、堕落し、頽廃した生活を“正しい男たち”に見せつけることで、男社会の欺瞞を暴くことだったのだろう。しかし、その方法では、世間からの懲罰には耐えられない。

「僕は下品になりたかった。強く、いや狂暴になりたかった」
「僕は、遊んでも少しも楽しくなかったのです」

この二つの文は、ともに直治の遺書からの抜書きである。他人の目を人一倍気にする男が、他人の批判を受けるのが当たり前の生活を送るのは、殆ど苦行であっただろう。義務のように放蕩を重ねているので、楽しく等あるはずがないのである。
直治の遺書には、「人間には生きる権利があると同様に、死ぬる権利もある筈です」といも綴られている。しかし、その裏には、本当は生きていたかったという気持ちが隠されていると思うのだ。恥の多い人生を送って来た人間の、今度こそ一からやり直したい、恥ずかしくない人間に生まれ変わりたい、と願う心。しかし、七転八倒してみてもその術が見つからなかったという絶望。それは、社会への敗北宣言である。

登場人物4人のうち、3人が滅びていく『斜陽』の世界観は決して明るくない。しかし、残されたかず子に、太宰は再生への願いを託している。同じ時間の中にいて、上原が「黄昏だ」と見たものを、かず子は「朝ですわ」と感じたのだ。
太宰は、男中心の社会を男の手で内側から変えるのは難しいと考えたのだろう。男中心の社会で、しんどい思いをしているのは、実は女よりも男の方だ。女という外の存在からの革命が男中心の社会を変える…それが男も女も救われる道につながる…太宰は、そう期待したのではないだろうか?

「生きている事。生きている事。ああ、それは、何というやりきれない息もたえだえの大事業であろうか」……『斜陽』

この言葉が実感を失わないうちは、太宰が古びることはない。そして、人間が生きてある限り、この言葉から実感が失われることは、多分無い。それでも、かず子が感じたような僅かな光を信じて、より良く生きたいと願うのが人間なのだ。太宰がいつも我々の少し先を歩いているのは、それを知っているからであろう。

※NHK『100分de名著』は、毎週水曜午後10時から。今週は、『斜陽』の第3回目です。
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秋刀魚で蕁麻疹

2015-09-14 07:01:01 | 日記
土曜の晩御飯に、秋刀魚の刺身を食べたら蕁麻疹になりました。レスタミンコーワ糖衣錠を飲んだら、灼熱感と痛痒い感じは3時間ほどで治まりましたが、胃のムカムカは、日曜日の一日中続きましたよ。熱も38℃前後出ました。もう秋刀魚は口にすることが出来ませんねぇ…。火を通せば大丈夫かもしれませんが、挑戦する気になれません。秋刀魚に限らず、青魚全般が怖くなりました。私は魚好きなのですけどねぇ。しかし、蕁麻疹になる恐怖を押してまでは食べたくないので…。青魚は健康に良いので、家族には今後も食べてもらいます。
主人から、蕁麻疹は掻いてはいけないと言われましたので、アイスノンや保冷剤を当てて痒みに耐えておりました。私の手が届かないところは、娘八歳が当ててくれましたよ。「大丈夫、大丈夫」と、背中をさすってくれたり、水を持ってきてくれたりしました。まるで、小さなお母さんです。頼れる~!!
ここ一カ月ほど、37~38℃の微熱が続いており、時折、吐き気や腹痛にもおそわれる状態。更にこの度は蕁麻疹にもなりまして、加速的にポンコツ化が進んでおります。家族にも迷惑をかけているので、何とか体質改善を図りたいところです。
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台風の爪痕

2015-09-11 06:36:00 | 日記
今回の台風の通過に伴い、水曜から関東地方と東北地方の各地で大雨・洪水・土砂崩れなどの警報が発令されておりますが、皆様のお住まいの地域は大丈夫でしょうか?高齢者のみのご家庭、要介護者を抱えているご家庭、乳幼児を抱えているご家庭などは殊に不安な思いをされていると思います。「数十年に一度の大規模な災害が懸念される」との報道があった地域もありますね。茨城県常総市では鬼怒川の堤防が決壊したため、市内で多数の住民が孤立し、行方不明者が12人も出ていると報道されています。被災された方の速やかな救出と心身の回復を祈念しております。
湘南エリアは、水曜日が一番酷かったようで、我々の住む藤沢市でも一部の地域に避難勧告が出されていました。藤沢は災害の少ない地域という認識でしたが、この前の竜巻といい、今回といい、これまでの認識を改めなければいけないと思う強烈な災害が続いておりますね。この度は、滅多に電話をかけてこない実父が安否確認の電話をかけてきましたよ。地震や年々酷くなる自然災害の連続で、この国はどうなってしまうのだろうと不安になります。
こんな天候でしたけど、娘の通う小学校は、水曜も木曜も平常通りの登校が指示されました。早朝の連絡メールに「今朝の天候を見て、平常通りに授業を行うと判断しました」と綴られておりましたが、6時現在の空模様のみからの判断なのだろうか?それともこの先天候が悪化していく懸念も織り込み済みなのだろうか?とか、通学路には川もあるのになぁ…とか、いろいろ心配になりましたよ。実際、水曜は午後からバケツをひっくり返したような土砂降りになりましたしね。二日ともNHKの災害情報をつけっぱなしにして、普段はあまり触らないスマホを傍に置き、いつでも学校に迎えに行けるようにスタンバイしておりましたよ。娘が無事に帰宅してくれてホッとしました。今朝の藤沢は、天候がだいぶ回復しているようなので、安心して送り出せそうです。
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