町作り研究会(容子の部屋-別室)

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長州砲、萩に140年ぶり里帰りへ・・

2008-05-23 05:26:53 | 地方新聞

 

         写真   

         イギリス王立大砲博物館に展示されている長州砲


この長州砲は、幕末の1864(元治元)年と言えば日本の夜明けの時期で、長い鎖国政策が崩れるきっかけとなった、英・仏・オランダ・米の四国連合艦隊に長州藩が敗れた下関戦争の戦利品としてイギリスが持ち帰った長州砲1門だそうです。

その記念品とも言うべく「長州砲」が6月下旬に山口県萩市に里帰りするそうです。これは明治維新140年記念事業の一環として萩市が企画したものだそうで、1年間の貸与を受けて萩博物館に展示するとの事です。
 
            
       桂小五郎              伊藤博文 
この長州砲を所蔵するイギリス王立大砲博物館はすでに荷造りを終えて、間もなく日本に到着すると思います。

この長州砲の製作者は、長州藩の鋳物師(いもじ)の郡司喜平治が、1844年に萩・松本の郡司鋳造所で作った荻野流一貫目青銅砲(砲身長185.9センチ、口径8.8センチ、重さ1トン)の一つなのだそうです。この長州砲は、伝統的な和式大砲だそうで、当時としては最新鋭のつもりだったのでしょうが・・・一貫目玉(3.75キロ)を発射できるそうです。

これを戦争に備えて関門海峡の下関側に配置されたそうですが、この連合軍との戦いで敗戦し、根こそぎ持ち去られるか廃棄されたのだそうで現在日本には、無いだけにこの里帰りがまたれます。

この時連合軍側のフランス軍が持ち帰った砲はその後、下関市立長府博物館に長期貸与、展示されているそうですが、イギリス軍が持ち帰った砲はその後もロンドン郊外の大砲博物館で展示されていたそうですが、萩市民の間から里帰りを望む声が上がり、市が外務省を通じて交渉、今年に入って話がまとまり、144年振りに山口県萩市に返ってくるそうです。

  萩市側では「下関戦争の敗戦は明治維新史上の大きなターニングポイント担った事件であり、その大砲が地元に帰ることは全国的な話題になる」として、観光客増にも期待しているそうです。

この際、日本人も幕末当時の世界史と、日本の当時は幕藩体制が維持が崩れつつあり・・・ そこに連合軍の軍事の差を知ったことがやがて日本開国へと向わせたのだと思います・・・

(山口新聞記事引用)        

           松陰記念館