町作り研究会(容子の部屋-別室)

町作り関連。地方新聞トピックス等

家屋の高さや色規制・・・・

2006-10-30 11:28:28 | 地方新聞


       東川町の公社 町と景観協定結び宅地分譲 


住民参加で地域の景観を守ろうと、上川管内東川町の町土地開発公社が、宅地購入者、町との三者間で建築緑化協定を締結した上で宅地を分譲している。

協定書には住宅の色や形のほか、造成地区内の公園を住民が共同管理することも盛り込まれている。

宅地分譲に際しこれほど詳細な協定を結ぶ例は道内で珍しいという。  宅地は「グリーンヴィレッジ東川」(南町四)。同公社が今春、三十三区画を造成し、すでに二十二区画を分譲した。一区画の広さは三百四十五平方メートルから四百六十六平方メートルで、分譲価格は三百十三万円から五百三十六万円。

 協定書は、住宅の高さや屋根の傾斜角度、外壁や屋根の色などを規制する内容。外壁材には、れんが調の模倣建材などを使えず、灯油タンクを設置する時は木製の囲いで隠す。

個人の敷地内で緑地帯を設けることや、植える木の数、樹種の指定など、景観を守るための決まりを詳細に定めている。

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私は予てから日本の民家はよく言えばこ損の独創性を尊重しているようですが、こらは街の景観から見ると、個々がばらばらで高さ、色、規制がないため町全体としての統一感がなく、一見しただけで無秩序な感じを抱きます。

それが、ここ北海道の上川管内東川町の町土地開発公社がが中心となって、新しい街作りに乗り出したというこの記事を読み、私は賛成です。

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 また、緑地帯や町が分譲地内に設けた公園の樹木の手入れ、落ち葉の掃除は住民が担うとし、景観の保全に住民が参画する仕組みもプラン化しているようで、このような街が各地に出来たらうれしいんだけど・・・

 この東川町は2005年、道内の町村で初めて、景観法に基づき強制力を持った景観保護策を行うことができる景観行政団体に指定されたと聞きました。  大雪山系の山々と調和する「東川風住宅」の設計指針をつくるなど、独自の施策を展開しているとの事です・・・

ここは出来上がったら是非行ってみたいところです。 


FBC秋花壇審査で東海ラジオ賞

2006-10-29 10:32:02 | 地方新聞

 

 学校花壇の出来栄えを競う「フラワー・ブラボー
・コンクール」(県、県教委、中日新聞社共催)の秋花壇審査で、郡上市明宝の
小川小学校が東海ラジオ賞に選ばれた。

1972(昭和47)年の初入賞以来花壇づくりに力を入れており、大賞受賞経験
もある常連校。

全児童14人が、夏の長雨に悩みつつも丁寧に花を育て上げた。  今回のテー
マは「太陽と希望の光」。

中央に赤いサルビアを丸く配置し、太陽をかたどった。周囲に黄のマリーゴー
ルド、青のサルビア、白のアゲラタムを植え、光を表現。
「厳しい冬を乗り越え、小川地区に春が訪れた」-といった喜びの気持ちを込
めた。  今年は7月に長雨に見舞われた。

マリーゴールドの成長がやや遅れ、審査と満開時が合わなかった。児童会長
の6年生平愛歌さん(12)は「ちょっと悔しいけど、その後はデザイン通り咲い
てくれました」と満足そう。

5年生の末武花恋さん(10)、二村明里さん(11)も「咲きそろった時はうれし
かった」などと話した。

同校は毎年、花壇づくりと並行して育てた鉢植えの花を、地域のお年寄りに贈
っている。今年も、80歳以上の約30人にメッセージを添えてプレゼントした。
地区内では、住民による花壇づくりも熱心に進められており、学校も含め、地
域全体に花を通じた交流が広がっている。


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小学生にしては見事な花壇を作りあげ、県、県教委、中日新聞社共催)の秋
花壇審査で、郡上市明宝の小川小学校が東海ラジオ賞に選ばれたそうです
・・・・

これだけの腕前があるのなら、地域社会と共同で、例えばその郡上市をつう
っている線路の両側に花のトンネルを作ったどうでしょう?

郡郡上市といえば郡上八幡をすぐ思い出すくらい水のきれいな穏やかな街を
思い出します。そこに線路の両側を花を飾り花のトンネルを潜り抜ける楽しさ
を演出したら道でしょうか?四季それじれに咲く花々を見ることは旅人の心を癒
し、夜はライトアッし、花のうつくしい季節には、臨時列車を出しても良いので
はないかしら・・・・・ 

市民みんなでわが街を作り上げていく楽しさと共の、郡上八幡には色々な伝
統文化が眠っていると思うので、それらの展示を効果的にする工夫も仏よう
でしょうね。

頑張ってみんなが行きたくなる街を作ってください・・・
                                                                  、、、、、、、、、、、、、、、、、、


小学生特許・・・

2006-10-26 17:20:16 | 地方新聞

 

富山の小6が特許、全国初 傘の置き忘れ警告装置で  

 富山市の市立奥田北小学校の6年生、山本良太君(12)が傘の置き忘れをしないよう警告する装置を発明、特許を取得していたことが24日分かった。特許庁によると、小学生の特許取得は初めてという。

 防止装置は電動式で、高さ約70センチ。装置の前を人が通り過ぎるとセンサーが感知し、握りを下にした備え付けのビニール傘をモーターの力で開閉させて、自分の傘を置き忘れしないよう注意を促す仕組み。建物の出入り口に設置されることを想定しているという。

 山本君は小学3年の時に特許を出願。特許庁が審査していたが、6日に独創的で有用であるとして特許に登録された。

「とてもうれしい。発明家に向かって一歩前進した。将来、みんなが笑顔になれる物を作りたい」と喜びを語った。

 特許出願に協力した富山市の宮田特許事務所の宮田信道所長(59)は「自分で工夫して完成させたのが素晴らしい。この喜びを忘れずに、素晴らしい発明家になってほしい」と話した。 
(富山新聞より)
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富山市の市立奥田北小学校の6年生、山本良太君が傘の置き忘れ防止装置の発明で正式の特許庁から特許取得の許可が出たそうです・・・

これなど私にとってはうれしいニュースです。日本のように資源は人材のみの国にとって、このような事に関心を持った子供がもっと増える事を期待したいものです・・・最近はテレビの影響か音楽・芸能・お笑いを望む子供が多いと聴きます。

しかし、それを否定はしませんがもっと、日本の誇れる人材になるための発想、工夫を大事にし、その芽を育てるような周囲の励ましと楽しさを教える大人がいたら子供はこの子のようにまでは行かずとも、その子供の本来持っている素質が開花できることだってありますもの・・・
そのために一つの提案をします・・・00606tokusyu.jpg

それはミニ寺子屋的教室を多く作る事です。子供は、周囲に熱心な大人がいて、その面白さを教えてくれれば、その子供の中に眠っている才能が目覚めてきます。

大人は方向性とか参考資料の読み方を教えたり・・つまり完全に興味を持つまで見守ってさえあげれば、子供自身が勝手に一人で歩いていくと思います。

何も発明だけでなくとも、お商売屋さんでも何でも良いのです。大人はその知識を何十年かかって蓄えたものはみな尊い財産です・・それを毎週一日に内何時間かを、自分の得意な分野を子供の年齢にあわせて教える事もきっと楽しい事だと思います。

子供にとっても学校とは違った社会があり、自分を認めてくれる大人がいる・・・子供もいずれ大人になった時必要な要素がそこには多く含まれていると思うからです。  p3.jpg

学校でイジメにあって家に引きこもるのではなく、町内にいろんなミニ寺子屋で大人がボランタアでそれぞれの体験でえた知識を、そのような子供に教える事で、引きこもりを防ぐ事も出来、学校では得られなかった、別の学びを見つければ、あるいは隠れた才能をその子供に発見出来かも知れません。

そして先生役の人も違った人生の喜びを見つけることだってあると思います・・・もしかしてまたも発明家だって生まれるかもよ・・・

日本のように少子化時代に一人でも大切な人材に育てる事は大人社会の義務だと思います。イジメなどで苦しんでいるのは、子供自身の世界が狭いからそこでいきずまると、もう出口のない闇しか想像できないから、幼い命が失われ・・・ていきます。

 



 

 

 


焼酎とワインに長州ファイブ

2006-10-25 07:41:39 | 市町村実践編

 

最近の日本全国で起きてる町興しの一環として山口県内の酒造会社3社が焼酎とワインを発売したそうです。

ただ、私の目を引いたのは、ラベルに幕末に英国へ留学し明治新政府で活躍した長州藩出身の5人の写真を入れて「長州ファイブ」と名付けで売り出した事です。    

幕末に英国へ留学し明治新政府で活躍した長州藩出身の5人「長州ファイブ」にちなみ、山口県内の酒造会社3社が焼酎とワインを発売したとのことです。

同名の映画が28日から山口、福岡県で公開されるのを機に両県内で販売し、商品名も「長州ファイブ」で売り出しました・・・

井上馨、伊藤博文、井上勝、遠藤謹助、山尾庸三氏の各氏だそうです。この5人以外のも多くの偉人が輩出されています。この5人の写真をラベルに張ったそうでこれなども良いアイデアだと思います。

長州藩からは幕末から明治期にかけ上記のような偉人が活躍しました。それ以降も総理大臣が3人も出でいます・・現安倍総理大臣もこの血を受け継ぎ、日本の再生に先輩の偉業に近づけるよう平成の夜明けを見たいものです・・・・



   


旭川動物園

2006-10-24 10:56:34 | 地方新聞


  
動物本来の生態を見せる「行動展示」で全国的な人気を集めた旭川市旭山動物園が二十二日、今年の夏期開園を終了した。

四月二十九日からの入園者数は、昨年の夏期開園より約六十三万人多い二百三十万九千五百二十一人を記録したが、十月の入園者数は上野動物園に及ばず、五カ月連続日本一はならなかった。

 本年度は新施設「チンパンジーの森」が八月にオープンしたことや、テレビドラマ化などで注目度がさらに高まり、今月三日に年間入園者の過去最高を達成。
六-九月の月別入園者数は上野動物園を抑えて連続で日本一となっていた。  二十二日は、動物たちとのしばしの別れを惜しむ家族連れら約一万四千人が詰め掛け、入場待ちの人も多かった。

(北海道新聞より)

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 この旭川動物園は、以前は他の動物園と同じように入園者も少なく閉鎖の危機にあったと聞きます・・・この土壇場で旭川動物園は改革に立ち上がり、この園職員からのアイデアがいまのような人気動物園に変貌したとは??

今では、入場者数が上野動物園には及ばなかったものの・・・2309、500人もの人が入園したとは驚きです・・・

最近は北海道の明るいニュースといえば、この旭川動物園と、北海道ファイターズの大活躍この2つが飛び抜けてビックニュースです・・・

もし。ロシアとの関係が良かったらこの北海道経済も刺激されて復活できる所が多いのですが、残念ながら、ロシアは日本より中国との関係金道かを計ってますが、私にはいつか後悔する時が来るように思います。

それはさておき、地勢的に日本の好調な経済が北海道経済にも波及し、上向きになる事を願ってます。
私は出来るだけ地方誌の中で地域を刺激しているニュースを取り上げてスポットを当てたいと思います。

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良いニュースあったら教えてね・・・

 

  


図書館は宝の宝庫。・・・

2006-10-22 06:51:24 | 地方新聞

 

11月で開館100年を迎える福山市松永町の市松永図書館で、松永地域に関する古書などを展示した「松永~今、むかし」が、11月9日まで開かれている。江戸初期、松永に塩田を開いた本庄重政に関する古書、戦後の松永湾周辺の航空写真など約100点を展示。中国新聞が1981年9月から100回にわたって連載した企画「まつなが」をまとめた書籍も。同館は1906年、松永尋常小学校内に図書閲覧所として開設した。  

 

 

 

  (中国新聞より)

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この図書館の活動はなかなかいいと思います。私は比較的図書館を利用する方ですが、この福山市の松永図書館のようにこれからは郷土が生んだ偉人だけではなく、優れた業績を残した人を通してその当時の福山市の状態を話してくれる人がいると、もっといいと思います。

世界の偉人もいいけど、まずは郷土の為に多くの困難に逢いながらも目的を達した人はたとえ無名でも、その業績が優れていたら子供に話しすべく人材だと思います。幸いこの地には塩田開発を成し遂げた実在の人物・本庄重政を語る事こそ、生きた教材だと思います・・・こうして郷土に対する誇り・愛着を教える事も図書館の役割かもしれません・・・こんな役割は、土地には歴史好きな方がいるものです。

最近はボランテァ活動も盛んですしこのような方々に声をかけてみてそんな会を立ち上げて、主に郷土史からやってくるると身近な人なだけに子供達も興味を持つと思います。
図書館はもっと活動できる資料が豊富あるんですもの・・・もっと民間人を巻き込んで活動したら、もっと多岐に亘る活動が出来るように思うのですが・・・

高杉晋作②伊藤俊輔(博文)③山縣狂介(有朋)④桂小五郎(木戸孝允)⑤村田蔵六(大村益次郎)


庄原市の町並みギャラリー・・

2006-10-21 11:03:33 | 地方新聞

 

庄原市東城町の中心街で28日から11月5日まで開かれる2回目の「まちなみぶらり散歩ギャラリー」が魅力アップする。手作りの工芸品や特産品を店先などに並べる会場は、昨年の2倍を超える46に増加。約500メートルの古い町並みを、丸ごとギャラリーにみたてる。広島市からの日帰りバスツアーも組んで、城下町・東城をアピールする。
(中国新聞地域ニュース)

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  この庄原市もまた、かって出雲街道の宿場として栄えていたとのことですが、いまは、人口が減り静かな地方都市の一つです。

でも、この古い町並みのよさを生かした、手作りの工芸品や特産品を店先などに並べる「散歩ギャラリー」を開催し結構な賑わいを見せているようです。
この写真を見ただけでもこの家並みが500メートルも続いている所にこのような作品を展示する方法は、各々の良さが引き立ちそうで素晴らしい通りになっているらろうなぁ・・・と想像されます。

この庄原市は素晴らしい自然景観にも恵まれ、名勝帝釈峡は、帝釈川南に広がるカルスト台地が侵食されてできた、美しい渓谷だとのことです。 国の天然記念物 雄橋、伯雲洞、遺跡など、見所も多く、東城町の代表的な観光地です。これらは国指定文化財にもなっているそうです。    円通寺帝釈峡

 

 

 

      円通寺                             帝釈峡   
こうして見るとこの庄原市は魅力にとんだ、しっとりした雰囲気が感じられ、またこのような企画が生まれるような人々が生活している地方色豊かなそして、手作り作品もセンスがいい風土とマッチした作品だと感じました・・・






地震から復興して

2006-10-20 07:08:32 | 地方新聞

    

                寅さん長田に帰る

       
「寅さん長田に帰る」と題して阪神・淡路大震災の資料を展示してきた神戸学院大の学生らが、展示最終日の十日、「男はつらいよ」シリーズの映画監督山田洋次さんを神戸市の長田区役所に招き、「山田洋次監督を囲む会」を開いた。

山田さんは学生らの質問に答え、映画の秘話や長田への思いを語った。  昨秋から学生らが、長田区役所にある「人・街・ながた震災資料室」の資料整理を協力。震災後の長田でロケをしたシリーズ最終作「寅次郎紅の花」ゆかりの人や場所も取材した。山田監督にも手紙を送り、囲む会が実現した。

 この日は、映画のモデルになった障害者の共働作業所「くららべーかりー」のメンバーたちやゼミ生など約百人が参加。同作業所を運営する石倉泰三さん(54)悦子さん(57)夫妻も山田監督とともに質問に答えた。

 震災の焼け跡に立った寅さん役の故渥美清さんは「べたべたと草履で踏みつけてもいいんでしょうかね」と緊張していたという。山田監督は「渥美さんは余命が告げられており、翌年でおしまいと思っていたから、被災地で何か感じたのではないか」と語った。

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「これが本当の地域の交流。残すためにどうすればいいのかを撮影しながら考えていた」と話した。

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この記事を見てうれしくなりました。日本の地震災害でも近来にない大被害をもたらし、多くの方々が死亡、怪我した人も多く、日本の大動脈はずたずたに壊され、地震にはなれていた日本人もこれにはみなショックを受けた事は記憶に鮮明に残っております。

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このとこから自衛隊が本格的に救助活動に参加し、以後このような災害時には自衛隊が参加する事が恒例になりましたが・・・最初はここ兵庫県の知事は自衛隊の参加を渋り、そのため死者が増えたとも言われています。

当時の革新市町村長のなかには革新系に人は特に、その傾向が多くまだまだ自衛隊に対するアレルギーが自衛隊のもっている能力を過小評価する傾向がありました。しかしあまりに多くの被災者を目の前にし、協力を仰いだようですが・・・・

また、当時の首相は村山首相で、政府もまた対策が相当な時間がかかり、国民を不安がらせました。

この災害で被害の多かった長田地区は多くの韓国・朝鮮人が住んでいて、ある意味特別地区のように取り上げらる事も多く、このような緊急時に日本人は素晴らしい協力しあい、人種を超えて助け合い・・・皇室からも、天皇・皇后、皇太子後夫妻とお見舞いも多く私もよくテレビを見てました。  

   今回神tunami_2004_3.jpg戸学院大の学生が長田区役所にある「人・街・ながた震災資料室」の資料整理を協力しました。震災後の長田でロケをしたシリーズ最終作「寅次郎紅の花」ゆかりの人や場所も取材したとのことです。山田監督にも手紙を送り、囲む会が実現したと聞きうれしくなります・・・

このようなことに学生が地域社会の出来事に参加してくれていること事態、大人と学生とが協力関係の中に枠を離れた人と人との輪の中でお互いを知り、助け合う精神をこれらの事を、意識せずに活動を通してする事こそ、最も理想的なのではないかしら・・・? 

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風呂敷の活用を・・・

2006-10-19 08:05:23 | 地方新聞


     風呂敷を若者に 札幌の大学生ら企画 無料情報誌に・・
     
環境に優しい日本の知恵「風呂敷」の魅力を札幌発で広げよう-。札幌市内の大学生らでつくる「札幌環境力アッププロジェクト」は、札幌市など道内主要都市で配布されている若者向けフリーマガジン「PILOT」と提携。

オリジナルデザインの風呂敷四千八百枚を二十一日から同誌に挟み込んで、同市内のファッションデパートや飲食店で無料配布する。

 同プロジェクトは札幌市の呼びかけで二○○四年度に発足し、本年度までの三年間が活動期間。昨年度は風呂敷のデザインを公募、入選作の展示会を開き注目を集めた。

本年度は市内在住の学生五人が中心になり、これまでの集大成として風呂敷の「定着」を目指し、フリーマガジンを活用したPRを企画した。

 配布する風呂敷は六十センチ四方で、唐草模様を現代風にアレンジ。市電やテレビ塔など札幌の風景などのデザインが施されている。「PILOT」でも巻頭十二ページの特集を組み、ギターやスケートボードを包むなどの斬新な使い方を提案。メンバーの一人の道都大四年の吉田大祐さんは「従来の風呂敷の印象を変えるデザイン。

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お弁当を包むなど日常的に使ってほしい」と話している。  風呂敷は「PILOT」最新号全三万部のうち、札幌市内配布分の約二万部に四千八百枚を挟み込む。風呂敷が入っているかは“運次第”で、二十一日からステラプレイスやパルコなどで配布する。

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最近は環境問題に取り組む人々も少しづつ多くなりつつあります。このニュースもそのような活動の一環で、大学生らしいデザインと、配布の仕方が面白いと思います。

スーパー等で使われているレジ袋も、多くは石油から出来ているとの事で、これを廃止しようと掛け声はしますが、長いことサービスの一環として行われているだけに、率先して廃止の踏み切る事が客はなれになるのではないかと恐れ、実行されていません。

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しかし、石油価格の高騰や、処理の費用、また焼却するときに出る二酸化炭素等の有害物質が地球温暖化に結びついているという事は皆知っていても、いざ実行となると、総多くありません・・・

私は、この記事を見て、学生からこのような発信がなされる事に、これを全国の大学生だけでなく、高校生も、地域社会の人も参加して、展開したらと思います。

商店街の空き店舗を活用するとかして地域性のある風呂敷デザインが生まれたら面白いのではないかしら??また、このような役に立つ事で垣根を越えた交流の輪から、人と人との結ぶつきが生まれる事こそNHKの「ご近所の底力」的とも思います。
若者は現代感覚に優れたセンスをしてますし、課題を与え大人がサポート側に回って学生を社会の輪の中に取り入れる事こそ、今は大切だと思います・・・


鍋島藩

2006-10-17 08:25:00 | 地方新聞

 

    「鍋島大砲」山中で密造? 幕末の武雄領
幕末に国内で洋式大砲製造の先駆けとなった佐賀・鍋島藩写真
武雄領で、幕府に隠れて大砲を製造した“秘密工場”の跡と
みられる遺構が、佐賀県武雄市の山中で出土した。

発掘した市教委は、大砲を仕上げるための旋盤加工の動力源となった地下水
車の排水路ではないかと分析。「鍋島藩の先進性を物語る貴重な発見」として
いる。

(西日本新聞より)

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日本の幕末期は、海外から日本の鎖国を開放しろとの要求が激しくなった頃で、
当時はそのような状態でも、相当な情報量が九州地方の各藩は持っていたよ
うです。

特に、東南アジア、インド、そして中国が欧米人によって様々の形で形で侵略
されつつあり、日本の幕末期は各藩も外敵への対処と国内で徳川幕府への不
満・一方皇室を中心に新しい日本を再生しなければ、外敵に対抗できないとい
う危機感が黒船との一件以来、急速にそんな世論が起きていた頃です・・

そのため先進的藩主は武器の近代化を図ったのだと思います・・それをいち早く
着手したのがこの佐賀藩だったのかも知れません。

でもまだ、幕府の威光を恐れていた時代では、佐賀藩も幕府に隠れ、ひそかに
山中で秘密工場を作るのは、自衛策としての武器の必要性が急激にまして来た
からだと思います・・・ 

その中でも 武雄領では、1834(天保5)年ごろ、領主鍋島茂義が砲術家の
高島秋帆を招いて青銅製の大砲鋳造に取り組むなど時代を見る目に優れた
藩主が危険を犯してでも必要との思いから、国内で最も早い時期に洋式大砲
の鋳造・量産に成功したとの事です。 
 鍋島家の古文書などには、水車を利用した大砲の旋盤作業の図面があり、
古老らの言い伝えでは、火薬原料の硝石を粉末化する石臼を回す水車があ
ったと言われています。

当時は、大砲製造には徳川幕府の許可が必要だったことから「人里離れた場
所に造られた秘密工場だったのではないかと見られております・・・

こうして時代をいち早く読んで対応した藩とまだまだ因習に囚われ時代の変化
を読む力のない藩は、対応が後手に回り、やがて来た戦いにも乗り遅れ、賊
軍としての傷跡は明治以降も長いこと、それらの藩が県に変わっても残ったよ
うです・・・