町作り研究会(容子の部屋-別室)

町作り関連。地方新聞トピックス等

多選禁止で勝利・・・

2007-04-25 03:21:08 | 地方新聞

 

最近の選挙でこの多選問題が争点になったようです。勿論いまも長期にその職にととまっている、地方の首長もおりますが、全体の流れとしては、3選までがいいところだと私も思います。

ここ神奈川県でも「多選という問題について、市民が感じてくれるところがあった」といってます。大和市長選で初当選を果たした大木哲氏(58)は当選翌日の23日、勝因の1つとして、多選の問題を挙げ、 4選を目指す現職の土屋侯保氏(61)との一騎打ちとなった市長選でもあります。

大木氏は争点を「多選」と位置づけ、「4期16年は長すぎる」と多選の弊害を訴え続けたそうですが、 県内の首長選挙では、「多選阻止」の流れが加速しているといってます・

最近の例でも、1月の厚木市長選で、多選阻止を旗印に掲げた小林常良氏(57)が4選を目指した現職候補を破って当選しています。

県議会では昨年12月、知事の松沢成文氏(49)が、知事の任期を3期12年までとする「多選禁止条例案」を提案し否決はされましたが・・・、その後の知事選で松沢氏は、多選禁止条例の制定を盛り込んだマニフェストを掲げて圧倒的な得票差で再選を果たしたそうです・・・

松沢知事は「どんな人でも4期、5期やったら大変危険な状況に陥る。そういう観点でこの選挙をとらえていただきたい」。松沢氏の言葉通り、「多選」は市長選の争点となりつつあります。最近の地方自冶体での汚職問題は、長期にその職にあるところに発生しているように思います・・・

大和市選出の2県議の応援を受けたとはいえ、大木氏はもともと、横浜市青葉区選出の県議。「多選」というワンフレーズを繰り返すことで、選挙の争点を明確にしなければ、現職である土屋氏の壁を崩すことは困難だったと思われます。

 当選から一夜明けた23日、大木氏は多選を制限する条例の制定について、「必ずやります」と言い切り、相次いで現職候補が敗れることになった「多選」への有権者のアレルギー反応は、県内政界の地図を塗り替える力を持ちはじめてきているそうでいい傾向だと思います。

それと、この間、凶弾に倒れた長崎市の場合のように、3日前の事件とはいえ、その遺志をついで選挙に出る事に同情票が集まったようですが・・、ここでは無効票が多く出たそうですが・・・

それでも、ここでも前時代的な選挙を否定されました・・・正々堂々と戦いに挑み勝利者だけがその職に付くべきだと思います。

今後は出来るだけ、2世3世と政治がまるで家業のように代を継ぐ事は決していいとはいえないと思います。志があり、その道の勉強をし、同志と共にその目指す政治の方向を掲げて戦う選挙戦であって欲しいものです・・・ 

 


争点は国際結婚 ・・・・

2007-04-22 23:28:29 | 地方新聞

 

 

                  20.jpg

ここ秋田県上小阿仁村もまた、過疎化が深刻で高齢化率県内一位で、24年ぶり高齢化率県内1位のこの村では、少子高齢化対策が選挙の大きな争点になっているとのことです。

特にこの村では、3氏のうち2氏が主張するのが・・・行政による国際結婚の推進だとの記事を読んで、この村の現状から言ってそうかも知れないと思いますた・・・人口の衰退を食い止め、良縁は真剣な問題だと思います。

この上小阿仁村役場には3年前まで、国外や県外からのお嫁さん候補と村の男との出合いの場を作る「結婚相談員制度」があったそうです・・・

現在この旧鷹巣町(北秋田市)のフィリピン人妻が、フィリピンから上小阿仁村に嫁いできたのをきっかけに、日本語教室の開催や村へのスキーツアーの開催など、フィリピン人妻の生活のサポートや村の内外の若者の交流などを進めてきたそうです。

 この村がいかに適齢期の男性が女性との出会いが難しいかを感じさせます・・

この村では、現在は国内外一律で5万円になっている結婚祝い金も、当時は国際結婚カップルには30万円と奮発してきたそうです。

結果、昭和62年から平成16年までで21組の国際結婚カップルが誕生したそうです。そのうち19組は現在も村で生活しているとの事で・・・ここの村ではいずれもフィリピン人妻とのカップルだとの事です・・・

 しかし「村が結婚に介入するのはどうか」「紹介してもうまくいかない場合は」などの意見が出て、その後、この制度は廃止になったそうです。

しかし、立候補者の一人・小林俊悦氏(62)は、この結婚相談員制度の復活を訴えたとの事です・・・「200人結婚すれば200人村民が増える。1人ずつ子どもを産めばさらに200人増える」といってます。

また、小林宏晨氏(69)も「中国、韓国、ブラジルなど国際結婚カップルを調査してきたが、フィリピン人妻がもっともうまくいっている」として特にフィリピン人女性との良縁推進を訴えるそうです・・・

 昭和63年、村に最初に嫁いだフィリピン人妻の1人、上小阿仁村小沢田の主婦、小林チーコさん(37)は良い結婚生活の秘訣(ひけつ)に、妻子を養っていける「仕事」を挙げております・・・

 「言葉もわからないし、食べ物もなまものや漬物が食べられなかったとの事です。それと、フィリピン人は、中国の人と違って漢字も読めないから一から頑張らないと生活していけない」と当時を振り返って語っております。

 しかし、今の生活は嫁いでくる前の想像より苦しいというそうでここでも村の再生を真剣に考えて外国人とのカップルが安定した生活を営めるよう願っております・・・

新しい村長には働ける場の確保と、国籍取得や婚姻届の受付を村役場でできるようにしてほしいと話してます・・・「東京のフィリピン大使館に行くのは金銭的にも大変・・役場で代行してほしい」といってます。私などもこの案には賛成です・・・

 「選挙公約で国際結婚の推進を掲げるのは、全国でも珍しい」 と思いますが、この村の現状から言って当然だと思います。         

この事について、安全、安心な国際結婚を支援している「NPO法人国際結婚協会」(東京都渋谷区)の三木健理事は、行政による国際結婚の推進策に驚きの表情を浮べていたそうですが・・・実情をしっかりと調査し出来るだけこノ国際結婚が定着するよう側面からの手助けをして欲しいものです・・・

 「ただ上小阿仁村にはすでにフィリピン人妻のコミュニティーもできているのでうまくいく可能性がある」と指摘しております・・

現在、厚生労働省の統計でも、フィリピン人妻は平成16年度から17年度にかけて、1800人以上増加の1万242人となり、最も多い中国人妻の1万1644人に迫って居るそうです。

フィリピン人が人気があるのは、その優しさだと思います。

例えば・・ 「温泉に行ったとき、知らない人だったけど、自分で髪が洗えないおばあさんの髪を洗ってあげたの。フィリピンではお年寄りを大事する。親の面倒も最期まで見るのが当たり前」とあるフィリピン妻が言ってました。 過疎化が進む村が、彼女たちの優しさに期待するものは大きいようです。

上小阿仁村は人口減少が深刻で、平成元年度は3987人だったが、18年度は3082人・・・19年度には3000人を切る可能性もあると指摘されております。
おそらくこのような公約を掲げて戦う村は初めてと思いますが、日本の女性でこのような過疎地で、しかも財政的にも厳しければ、・・・避けてしまうのが一般的です。

そのため、この村で頑張っている青年の良縁を探すためあえてこのような政策を掲げて戦っているんだと思います。私など頑張れ・・・と言いたいです。



         


見直そう和服のよさを生かして・・

2007-04-20 15:16:48 | 地方新聞

 

        

最近の和服に対する関心も高くなってきているようで、、「春から浴衣」という言葉が流行しているそうです・・・つまりは、夏を待たずに着物感覚で浴衣を楽しむ、という事らしいのですが・・・しかも個性的に工夫するとその面白さが盛り、福岡市天神の九州・福岡の岩田屋本店・新館5階には、早くも浴衣売り場が登場したそうです・・・

この岩田屋では約200種類の中でも、人気の柄は花や草など定番の古典柄だそうです・・・でも最近では、襟元や袖口にレースをのぞかせたり、洋花のコサージュを帯につけたりと、小物で個性を引き出す着こなしも広く見受けられ、これなど面白い着方ね・・・
        ジャポニズム展にての光景

担当者は「ワンポイントとして小物を付け、さりげないかわいらしさを演出するのがトレンドです」と言ってますよ・・価格もお手ごろの3万円台が中心で、小物もほぼ1万円以内なそうです。

洋服にはない和装の奥深さと、自分感覚で工夫してみれば面白いと思います・・

(毎日新聞記事引用)


              

 


飛騨古川の夜祭だよ・・・

2007-04-19 21:19:51 | 地方新聞

 



          

私の大好きな飛騨古川町のニュースが載っていたのでこれは書かねばと思いました。私は祭会館で映像で見たのですが・・・この飛騨古川の祭りはそれは見大人物だと感心したせいか今でもはっきりと思い出せるほど、きちんと祭の作法があるようです。

ここの祭は、勇壮な起し太鼓で知られる古川祭は十九、二十日に開かれるそうです。十八日には、祭りの細則を確認する調印式や、会場となる町中心部の道路整備など直前の準備作業があり、町には祭りを控えた緊張感が漂うそうです・・・

 同町壱之町の御旅所であった調印式には、各組総代や氏子総代長ら約三十人が出席し、いずれも紋付きはかまの正装で、祭り屋台の順路などを定めた細則が記された冊子に署名、調印した・・・とあります。

ここの祭は夜祭で・・・参加する若者たちの勇壮で激しい祭のためその準備は入念に行なわれるのでしょう・・、縄を使って組の紋が入った小太鼓を木の棒に縛り上げる「付け太鼓縛り」をし、本番に向けて士気を高めているとの事です・・・

私がこの町がダイスキなのは、普段は高山のような賑わいはないのですが、さすがヒノキ材の本場だけに民家は今でも外形は昔の形をそのまま残し、よく手入れされていて、朝などその家の主婦は桟を丁寧に拭いていました。蔵も白壁が美しい姿を保存されてなんて決め細やかな生活なんだろうと感心した記憶がいまも鮮明に覚えてます。

       夏 古川の瀬戸川      古い町並みの渡辺酒造店あたり   

その祭の朝は、各家では家の前に盛り塩をし、祭り提灯を下げた朝をキット祭の関係者らしき人が装束をつけて点検していた映像を見て・・・本来祭りは神様をお迎えして日頃の感謝を共に祝う行事なんだと・・・思い出させるような形をいまに残している一つだと思います。私は今年も行けないけど・・・是非本物をじっくり見たいものです・・・

(中日新聞記事参考)


初の英和辞書の草稿発見・・・・・ 

2007-04-15 00:09:07 | 地方新聞

 

           

 このニュースも気に成りました。何しろ 1862(文久2)年に幕府の命令でで編さんされた日本初の本格的な英和辞書「英和対訳袖珍(しゅうちん)辞書」の草稿や校正原稿が、古書市で発見されたことが15日、解ったそうです。


当時の日本は鎖国状態であったため、海外からの書物・・・特に本格的辞書とも成れば、当時の知識人にとってはどんなに大切なものだったか・・・何しろ現在のような印刷技術もない時代は、手書きで写してりたと聞きました・・・

それが古本屋で発見されたとの事・・・これはこれまで存在が知られておらず、幕末のペリー来航時に通詞(通訳)を務めた堀達之助や英学者らによって日本の英和辞書が成立する過程を解明する貴重な資料となるとの事です・・・

この辞書は偶然にも・・・ 群馬県高崎市の古書店「名雲書店」の名雲純一さんが今年に入って古書市で売りに出されていたのを見つけられたそうです・・・

堀の子孫で日本英学史学会の堀孝彦・名古屋学院大名誉教授らが内容などから本物と確認した。 そうで、 手書き原稿約20枚は、和紙の左側に横書きの英語、その右側に意味が対応する日本語が縦書きで書かれていた。朱で校正され、「森」など担当者とみられる名前が記されている・・とのことです。

偶然とはいえ・・・幕末のペリー来航時に通詞(通訳)を務めた堀達之助の子孫・・・堀名誉教授によって、それが本物と立証された事は・・・英語の「Cassock」の訳は草稿段階では「僧ノ上着ノ名」だったが、初版では「ケサ(袈裟)」となっており、訳語を検討した過程が初めて本物を解り、その時代を超えて、何か因縁のようなものを感じます・・・


(北海道新聞より引用)