町作り研究会(容子の部屋-別室)

町作り関連。地方新聞トピックス等

空き家再生 横浜市『アーツコミッション』

2008-09-30 18:43:06 | 地方新聞

 

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横浜市にも放置されたままの空き家があるそうで、横浜市と同市芸術文化振興財団これらの空き家を有効利用して芸術家らの活動を支援するために設置した「アーツコミッション・ヨコハマ」があるそうです。

この築五十年の空き家が借りたがないまま放置されていたのを改修して、アトリエなどとして貸し出す事を行っているようです。横浜の中心部にもこのような空き家があった事が不思議ですが・・

この「アーツコミッション」は2007年度から活動を始めているようです。芸術家らから、港に近く情緒がある横浜中心部への移転についての相談が54件もあったそうで、今までに古いビルや倉庫を改修して、芸術家のアトリエや事務所として活用しているケースに横浜倉庫街が今では横浜の人気アート街として再生しています。

ただ、この空き家のように約二十年間放置されていた様な物件はめったに出ないそうですが・・家主がたまたま画廊経営者だった事がこの家に対しての思い入れがありために、今回の取り組みが実現したのだそうです。

 改修の設計、監修は、アーツコミッションが仲介した建築家や建築を学ぶ関東学院大学大学院生達が係わったようで、入居のための初期費用も横浜市の助成を活用できたとの事です。二年限定の契約で家賃も相場より安く設定しているとか・・このような活動を見ると横浜市の持つ異国的雰囲気に引かれて多くの芸術家を志す人が集まってくるのだと思います。

 事業を担当するアーツコミッションの杉崎栄介さん(33)は「今回のケースが成功すれば、横浜のほかの空き家でも延命が図られ、環境に配慮したまちづくりもできる」と話してます。ここから「世界に向かって発信していく意欲のある人に、入居してもらいたい」言ってますが・・同感です。


バイオエタノール生産でも官庁が壁・・

2008-09-21 22:03:14 | 地方新聞

 

           宮古島のサトウキビ畑。バイオエタノールの原料として、地元工場に供給されている


沖縄県宮古島市を小泉元首相が訪れて事がきっかけでこの地元産の砂糖キビから、エタノールを産出する事を奨励したのだそうです。小泉元首相が宮古島を訪れた時・・宮古島を走るすべての車のガソリンを、地元産サトウキビを原料にしたバイオエタノールで使う事を宮古島で実施する「バイオエタノール・アイランド構想」を奨励したとの事です。

小泉元首相はその折・・「私が支援するのは当然として、各省が連携してやらないといけない」・・と地元のエネルギー会社「りゅうせき」が運営するバイオエタノール製造施設を視察した時小泉元首相はこの事を力強く話したとの事ですが・・

ところが政権が変わり、このガソリンとエタノールをそのまま混ぜる直接混合方式は、宮古島では3%のエタノールを混ぜるため、「E3」と呼ばれていますがこれが売り上げが伸び悩んでいるとの事です

その原因は、環境省や経済産業省などでは、石油連盟の言い分を聞きいて、宮古島とは異なる方式・・・ETBE方式と言って、エタノールをETBEと呼ばれる添加物に合成してからガソリンに混ぜる方式ヲ採用したのです。

ここにも中央官庁は産業界の言い分に押されて、地域の産業の育成という観点を置き去りにしているようです。その結果・・大きな期待をもって地域産業を育てようとしていた宮古島方式は大企業には採用されず、石油元売り会社などで組織する石連ではあくまでもETBE方式の言い分を聞いている企業の製品を採用しようとしてます。これでは地域産業は育たないと感じます。

石油業界も環境問題を意識してこのETBE方式バイオガソリンとして昨年4月から首都圏で試験販売を始めています。現在は、その販売店は100店位だそうですが、ゆくゆくは傘下のガソリンスタンド(GS)すべてでバイオガソリンを販売する計画との事です。

従って、E3を販売するGSが広範に販売出来ない現実が感じられます。当然宮古島の事業も影響を受けているそうです・・しかし世界には、この宮古島のように、ガソリンとエタノールをそのまま混ぜる「E3」方式も採用されている国が在り、米国やブラジル、タイでは直接混合方式を採用しているとの事です。日本だってさまざまな方式があってもいいと思うのですが・・・

しかもよ・・バイオエタノール混合比率は日本より高く、85%がバイオエタノールという「E85」まで普及しているっていうのです。にもかかわらず、日本ではE3を販売するGSの確保さえ難しいとの事で・・・悲しい・・

このE3方式で廃木材を原料にした大阪府堺市でのバイオエタノール製造事業もこの方式のようで・・これらを販売する8カ所のGSすべてが、元売り系列以外だと言う事だとは・・折角のこれらの事業体が頑張っているのに・・・大阪府からも「元売り系列のGSでは事実上E3を販売できない」と言われて苦しんでいます。

このような点からも私などは中央政府が決めた製品以外は弾かれてしまう現在の制度に疑問を感じます・・・

 石連は特産品を利用して、宮古島などの地方がバイオエタノール生産に乗り出すことを否定しているわけではない・・・といいますが・・ただ・・自分達の方式に従う事を求めているようです。

そして業界関係者は「抵抗勢力のようにいわれるのは心外」と迷惑顔でいっている事が地域の産業を育成しようという意識は少しも感じられません・・・

このように日本では、E3を販売するGSの確保さえ難しい所に追い込まれています。並立する2つの規格が在ってそれぞれがいい製品を作る為の競争があって良いと思うのですが・・・この事がバイオエタノールの本格的な普及を前に、重い足かせとなっていると聞きました。廃材であれ科学的にバイオエタノールが作れるなら・・門戸を閉じず、工夫する機会を与えて、それぞれの地域産業を育成する事に知恵を働かせて欲しいものです・・・


 


宮崎、宮城両県知事・・アンテナショップ提携

2008-09-20 22:34:26 | 地方新聞

 

           


現在ではすっかり有名になった宮崎県知事東国原英夫知事と宮城県の村井嘉浩知事が県名が似ているところから、今後お互いのと特産品ショップが提携して、お互いのアンテナショップで相手の県産品を売り出す事になったそうです。

このような連携が持ち上がったのは、仙台市で4月に開かれた宮崎県産の食材販売促進キャンペーンをきっかけに、東国原知事が「名前が似た県同士で手を組みませんか」と提案してみたところ・・宮城県・村井知事が賛成してこのような両県の特産品が両県のアンテナショップで買える事になったそうです。

 両知事は17日、全国の名物料理を集めたイベント会場でも双方の県のブースを訪問して、東国原知事は、宮城県産の「ひとめぼれ」で作った特大おにぎりをほおばって、「さすがは米どころ。これこそ日本の食文化」と絶賛したとの事です

同じように・・村井知事も宮崎牛のすき焼きを食べ、「とても柔らかい。宮城の米と一緒に食卓に並べたい」と素晴らしいPRをして、今回出来上がったこの“宮宮コンビ”をアピールしたそうです

この両県は、お互い豊富な食材生産地であり、気候風土が違うだけに、両県にとってメリットがあると思います・・特に宮崎県にとっては、東北地区にあまり馴染みが無いだけに、この東北の王国との提携は有益だと感じます。

 


恵比寿の由来・・

2008-09-19 20:53:53 | 地方新聞

 

         創業当時のヱビスビールの看板=麦酒記念館(鈴木健児撮影)

東京人にとっておしゃれな街の一つが恵比寿だと言う事は多くの人に知られています。この恵比寿は、明治20年に、この地で創業した日本麦酒醸造会社(現在のサッポロビール)の「恵比寿麦酒」に由来している事は案外知られていないのかもしれません。

 「恵比寿麦酒記念館」を訪ねると、6代目館長を務めたサッポロビールCSR部長の端田晶氏(52)が説明した所によると、 当時、恵比寿は荏原郡三田村という地名で、現在の山手線の前身となる日本鉄道品川線が工場脇を通っていたそうです。

明治39年頃には日本にもビールが少しづつ普及し、この品川線にビール出荷専用の貨物駅が新設されて「恵比寿停車場」と名付けられたのだそうです。それから5年後には渋谷寄りの地点に旅客駅「恵比寿駅」も誕生したようです。私の友人がこの恵比寿に死んでいたのですが・・当時の恵比寿は渋谷と品川に挟まれた街でした・・・

          ビールをグビッ。満面の笑顔を浮かべる端田晶さん=東京・恵比寿(鈴木健児撮影)

 一方、同じころに発売された「札幌ビール」(サッポロビール)は北海道の札幌で生まれたために付いた名前だとの事です。当時の社名が付いている伝統的なビールブランドで地名がついているのはサッポロとヱビスくらいだと言います。

いまやビール博士的な端田は大学時代、10人も入ればいっぱいになる小さな居酒屋でアルバイトをしていたそうで、当時を振り返り「ここに来ると、違う世界の人と腹を割って話ができました。それが楽しくてね・・酒は飲んでつぶれるのも、二日酔いになるのも、楽しく飲むのも自由・・そんなところにもひかれましたね」とこの雰囲気が好きで入社したのだそうです。

同氏は当時、日本で横浜は、ワインやブランデーについては先進地域だったらしくこの地で販売促進企画業務やった後、ビールの輸入交渉で世界中を飛び回ったとの事です。そして記念館長には平成16年から1年半務めたとの事です。

戦争中は、政府によって銘柄を剥奪されたために、昭和18年から46年まで恵比寿麦酒姿を消していたのだそうです。その後規制が解かれ・・・「最高のビールにつくれ」の号令のもとに、発売された「ヱビスビール」は軽快さよりもうまみを重視した、麦芽100%(オールモルト)のこだわりのビールだったとの事です。

                           創業当時に使われていた大釜=麦酒記念館(鈴木健児)

しかし、最初はあまり売れなかったようですが・・「自分たちが好きなビールを、自分たちのために造って飲みたい」と言う人達の熱い思いはやがてビール通をうならせる製品が出来るようになって、現在でもビール市場が縮小する現在にあっても、ヱビスの売り上げは順調だとの事です。

端田氏が言うには、1987年まで、ビールの本場ドイツではオールモルトしか製造出来ず、しかも輸入すらできなかったそうです。端田氏は 2年前、酒にまつわるエッセー「小心者の大ジョッキ」を出版したそうです。その中で・・・「アルコールは緊張を軽くほどいて、私のように日常生活に押しつぶされた小心者にも自由な気分や発想を与えてくれます」と言ってます。

同氏は最近は年に5~6回ほど講演をして入るそうですが、行く先々で残念に思うことは、飲み方に無頓着な人が多い事だといいます。「ビールのおいしさは7割はメーカーが保証します。でも、つぎ方で本当に味が変わる。自己責任が3割、ビールはこの部分が酒の中で一番大きいんです」と言います。どの酒にもその生産地の人の思いが在ります。それらお酒を造る歴史やその文化を知ったらもっと楽しいビール味わう事ができるかもよ・・・

 


大阪キタとミナミの交流を・・・

2008-09-12 09:15:48 | 地方新聞

 

         

             

この「天満天神繁盛亭」が開業して2年だとの事ですが、この寄席専属の小屋を作る為に相当苦労したようです・・・それが予想以上に繁盛しているようで上方落語協会の桂三枝会長もほっとしていると思います。

そこで、ここまでにいたる最中に多くの商店街の人たちのご協力があってこの寄席小屋が出来ただけに、恩返しをしたいとの思いがあったようです。そこで大阪の「キタ」を代表する天神橋筋商店連合会と上方落語協会は9日、落語定席の「天満天神繁昌亭」(大阪市北区)が開業2周年を迎えるのを記念して「キタ」と「ミナミ」の商店街が交流する催しを開いたとの事です。

 繁昌亭は2006年、上方落語協会と天神橋筋商店街などが民間の寄付を募り、大阪天満宮敷地内に開設しました。それ以来、30万人以上の観客が訪れる名所となっているとの事で、嬉しい事です。兎角大阪と言えば漫才が主流のようですが、この街には多くの芸能が息づいており、文楽なども本場だと感じます。

今回は、上方落語協会の桂会長をはじめ落語家と、両商店街の関係者ら約100人が4隻の観光船に乗り込み、市内を流れる道頓堀川などをキタからミナミに下って親交を深めたとの事です。大阪は今でもこれら市内を流れる川を上手に使っているようで聞いたいるだけでその賑わいが伝わってきます。

 三枝会長はここまで漕ぎ付けた今回の行事を「大阪が元気になるということは、あきんどさんが元気になるということ。盛り上げていきたい」とあいさつして、船上では、大阪市の平松邦夫市長がマイクを手に即興で市街地の水先案内を披露したとの事で、この道頓堀川もこれからも、水の都らしい催をして欲しいものです。

この船上交流会は、ミナミの繁華街の旦那衆が、道頓堀で出迎えられたそうで・・「互いの活性化のため交流し、商店街再生の端緒にする」との交流宣言を採択したそうで相当盛り上がった様子が伝わります・・・頑張れ旦那衆・・・

 (共同ニュース参考)


農村カフェ経営 ・・・

2008-09-11 06:55:15 | 地方新聞

 

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石川県・能登半島の山間地には棚田が広がり、美しい風景ですが、高齢化率約51%と言われる限界集落の一つと言われてます。その一角に、古民家を改装した喫茶・軽食の店「神音(かのん)カフェ」を開店した金沢市から昨年二月に移り住んだオーナーの武藤一樹さん、香織さんたちのことが話題を呼んでます。

近隣の人達はこのような所に開店した武藤さんに「富山県境に近い山の中腹に何で店を開?いたがけ?」 誰もがそんな疑問を持っても不思議ではない程の所だからです。

ところがこの「神音カフェ」には、もの珍しさからか・・石川県、富山県はもちろん、新潟県妙高市のJA職員、東京の法政大教授や学生ら全国の人が、先進地事例視察やコミュニケーションづくりに次々とやってくると言う珍現象が起きているそうです。武藤さんは「多くの人と心温まる交流ができるところを探していました。たまたま縁があって山奥に理想郷が見つかりました」と言ってます。

 武藤さんは岐阜市出身で、金沢市の金沢美術工芸大在学中に、輪島市出身で一学年下の香織さんとの出会いを通じて、住民交流を大切にする能登の生活習慣や文化を知り興味を持ったそうです。

卒業後、金沢市内のコーヒー専門店で働きながら、能登半島各地を対象に自分らしいカフェ候補地探しを開始して羽咋市のホームページで「空き農家・農地情報バンク制度」を見つけてすぐに会員登録し、住民の支援を受けて昨年三月、築約七十年の借家を改装して神音カフェをオープンさせ、農地の提供も受けたそうです。

武藤さんは「能登の人たちの住民同士のきずな、暖かさなど、ここにあるものすべてが素晴らしい」と言ってます。カフェの外観は古民家そのままで、和洋折衷の居室二部屋を利用した店内には、いろりや六人掛けのテーブルなどがあるそうで・・ごく普通の農家風カフェとの事です。そこで武藤さんが入れた香り高いコーヒーや、香織さんが焼いたパンや洋菓子でゆったりした気分が最高だといいます。

 現在家族は5人で、家事仕事も夫婦共同でこなす今風な生活スタイルのようです。「家族みんなを温かく迎えてくれる町の人に末永く恩返しをしたい。羽咋の良さを多くの人に知ってもらいたい」。限界集落のレッテルは、もう必要ない・・と・・

武藤さんは地元産の米、野菜類を販売する農産物直売所「神子(みこ)の里(さと)」の店長も務めていて、町の人との交流に役立っているそうです。このあたりは 武藤さん一家を含めて27軒の民家があり、ほとんどが60、70歳代の高齢者世帯だそうです。ここに「神音カフェ「や「神子の里」のオープンによって、交流人口が大きく増えて、この地区の活気を取り戻しつつあるそうです・・


絞り技術で巨大几帳・・

2008-09-07 22:58:32 | 地方新聞

            
         
 

 これは素晴らしい・・京都の絞り職人達の「京都絞栄会」と言う組織があるそうですが、ここの職人達が2年半かけて制作した・・五山の送り火を・・モチーフにした巨大几帳(きちょう)が完成して、中京区油小路通御池下るの京都絞り工芸館で展示されているとのことです。

この几帳は、高さ3メートル、幅6・5メートルで、大文字や妙法、船形などが月夜に鮮やかに浮かび上がる幻想的なデザインに出来上がったようで、これを実際見た人は、山の斜面とか、フジの葉や青モミジ窓が丹念に絞り込まれていて、しかも背景にチョウやセミが舞う様子なども精密に描かれているそうで、近づいて見なければわからないような凝りようで完成度の高い素晴らしい作品のようです。

 今回は特に、「辻が花」と呼ばれる技法を使って作られている送り火の部分を表現してあったり、また疋田絞りや桶(おけ)絞りなど、京鹿(か)の子絞りの様々な技がこの作品にはこれぞ京職人の技のすばらしさをふんだんに駆使されているとの事です。

京都人にとって五山の送り火は大切な行事として今も生活の中に溶け込んでいるようで「今年の送り火を見逃した人はぜひ足を運んで見てほしい」・・・と言っています。それだけでなく日本の職人の高度な技術を見るのも楽しいと思います・・・

 


米粉パンに脚光・・・

2008-09-06 10:19:19 | 地方新聞

 

                   

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やっと最近米粉を使った製品も出回るようになりましたが、その中でも米粉を使ったパンは、モチモチとした米独特の食感が人気があるそうです。まだ流通量が少ないせいで、価格も小麦粉の2倍とのことですが・・・この点をクリアすればもっと一般化できるのではないかと思います。

この事について北陸農政局では「耕作放棄や転作中の水田を活用し、米粉用の単価の安い米の生産を提案して、米粉の普及に努めたい」・と言っているそうです。

小松市内のパン屋「ブレッドハウス エピ」では、2年前から県産コシヒカリを使った米粉パンを販売しているとか・・・ただ現在の小麦粉の値段仕入れ値は1キロ約160円・・に対し、米粉は1キロで約500円・・この点を改善しないと・・割高な米粉パンになっている理由とのことです。この米粉パンを食べて人の感想は「モチモチ」「しっとり」となかなか好評のようです。

しかし・・小松市は市内の小中学校35校で2学期から週1回程度を、給食に県内産の米を使った米粉パンを導入することを決めたとの事です。市の教育委員間では「地産地消教育推進のためからも、子どもたちが地元の米に親しむ機会を作りたい」と言ってます。それと外国産小麦粉価格が高騰しております。そこで米粉が、小麦粉に代わる新たな選択肢として浮上するよう対策を取ってほしいものです。

 


辞任表明売り上げ3倍 “福田首相まんじゅう”

2008-09-04 06:31:42 | 雑感

 

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これは可笑しな現象です。と言うのは、国会議員会館の土産店などで販売されている店に異変が起き、首相を辞任公表後この福田首相にちなんだまんじゅう「やっくんのビンボーくじで福が来た!」の売り上げが、辞任表明後の二日、通常の約三倍になったと言うのです。

これはまるで、辞任を喜んでいるようにも取られかねない・・可笑しな事です。製造元の大藤(だいとう)(本社・荒川区)によると、まんじゅうは昨年九月、福田政権が発足後に発売したそうです。これは福田氏の「福」にかけて紅白のものも売り出されたそうですが・・ 

可愛いそうに「支持率の低迷で最近は売り場から外した店もあった」と大久保俊男社長がいってました。安倍元首相が突然辞任した際も同様に安倍氏にちなんだまんじゅうの売り上げが伸びたとの事ですからそのような駆け込み需要が在るんですね。

 一方、次期総裁有力候補の麻生太郎自民党幹事長にちなんだせんべいなど五品目は既に販売中だとの事で、2日は麻生幹事長の人気が高い秋葉原では、通常の倍近くを売り上げたとの事で、このお土産品もまさに任期に大きく左右されるんですね・・・ホホホ

 


シカ肉ハンバーグ・・

2008-09-03 14:29:18 | 地方新聞

シカ肉 ハンバーグやカツレツ試食 需要増やし被害軽減へ しかも臭みなく 地元特産目指す(西日本新聞) - goo ニュース



         

最近は元来の生息地が山である筈の動物が、人間の生活圏にどんどん侵入し、実害を与えているようです。これもその一例でしょうが・・・

宮崎県・延岡市では鹿害が多いそうで、その退治のために猟友会が活躍しているそうです。そこで考えられたのが、この鹿の肉を使った料理として、北浦町の道の駅・北浦では、シカ肉を使ったハンバーグとカツレツの試食会を開いたそうです。

この辺りには、この鹿だけでなく、猪の害もあるそうです。それはこの地区から人口の減少し、15年ほど前までは、猟友会の会員は約80人もいて年間5‐600頭のシカを捕獲していたそうです。ところがこのあたりも過疎・高齢化に伴って現在会員は約40人にとの事です。

そのために鹿の繁殖数の方が増えてシカによる農林産物への被害が多くなっているとこ事です。そこで考えられたのが、、シカ肉の需要を掘り起こすため新メニュー開発を企画したとの事です

この試食会で提供された2品は、道の駅・北浦にあるレストランの料理長が約1カ月かけて考案したもので、新鮮なもも肉が使われているそうで、会場では「シカ独特のにおいがせず、おいしい」と評価は上々だったとの事です。このような動きが延岡市でも起きているそうで・・・北浦町の飲食業小野美幸さん(54)は「子どもやお年寄りも喜ぶ味。自分でも、新しい料理を考えてみたい」と話していたとの事です。

 猟友会支部では、試食会でのアンケートを基にレシピを改良したりして、これを商品化する方針のようです。甲斐支部長は「シカ肉が商品化できれば、次はイノシシ肉のメニュー開発にも乗り出したい」と意気込んでいるとの事です。素晴らしい製品が出来ればセールストークのうまい東国原知事に大いに宣伝してもらい・・この地域の経済に貢献できればいいですね・・・

( 西日本新聞記事参考)