町作り研究会(容子の部屋-別室)

町作り関連。地方新聞トピックス等

狛江市はごみ袋の紙帯に広告・・・

2007-01-31 19:10:32 | 地方新聞

 

 東京都の狛江市のゴミ袋に広告を載せていると言う記事を見て、とてもいい方法だと思います。

それははごみ袋の紙帯に広告 広告料50万円 だそうで、10月中旬から市指定の有料ごみ袋の紙帯に広告を掲載すると言う方法のようです・・・

勿論このような広告が載るのは全国初という事なそうで、 可燃ごみや不燃ごみを入れる有料ごみ袋計12種類50万セットに印刷され、10月中旬以降、市内のスーパーなどで販売される予定との事です・・・

今回は大手清掃サービス会社「ダスキン」のハウスクリーニングの広告が載るそうで
これなどもいいと思います。

 狛江市の 矢野裕市長は「歳出削減はもちろんだが、歳入確保の努力も必要・・・と言っておりますが、私は大賛成です。

しかも、広告なら何でもいいとは思っておらず、公にふさわしい企業を選びたい」と話しているあたりも配慮がされていていいと思いました。このほか、同市では今年度中にホームページにバナー広告を載せるなどして、約335万円の収入を見込んでいるそうで、この様なみんなが見落としがちな所を見つけたあたりも評価したいです・・・

 (産径新聞)


銚子電鉄、車内でジャズや吹奏楽・・・

2007-01-30 19:23:36 | 地方新聞

 

 

                      

経営難に苦しむ銚子電鉄(千葉県銚子市)をもり立てようと、今春開かれる音楽祭のPRを兼ねて、銚子音楽祭実行委員会が主催した。今春開かれる音楽祭のPRを兼ねて、銚子音楽祭実行委員会が主催した。今春開かれる音楽祭のPRを兼ねて、銚子音楽祭実行委員会が主催した。

 音楽祭出場予定のジャズバンドや地元高校の吹奏楽部など4団体が参加。銚子―外川間6・4キロを1往復する間、それぞれが腕前を披露した。

(読売新聞)

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千葉県銚子市も市の財政が年々苦しくなり、そのしわ寄せは銚子電鉄も同じ・・・そこで今春開かれる音楽祭のPRを兼ねて、銚子音楽祭実行委員会が主催して、この音楽祭に出場するジャズバンドや地元高校の吹奏楽部など4団体が参加し銚子から外川間6・4キロを1往復する間演奏が行なわれ、きっと楽しいひと時を乗客は堪能した事でしょうね・・・


 この日ばかりは、キャベツ畑の間をトコトコ走る車内は、通勤電車なみの混雑ぶりで、実行委員会では「こんなに多くの人が集まってくれるとは思っていなかった。今後も開催していきたい」と話して痛そうですが、私もこの催の企画はとてもいいと思います。

幸い、実行委員会はこれに気を良くしたのか今後もこのような楽しい電車の活用を考えているようで・・・す。

  

            

私はこの電車が通る線路の郊外を、箱根から強羅までのようにつつじ、桜、アジサイなんでのいいから市民が企画しみんなで花電車ロードを作ったらどうでしょうか?

そしてら四季それぞれにこの電車を使っての催しも一層楽しくなり、観光としてもいいと思います。市民が作る楽しい電車の旅を企画したら如何でしょうか・・・

 

 

早咲き梅、ほのかな香り 綱敷天満宮

2007-01-29 07:49:42 | 地方新聞

 

          
 

 学問の神様、菅原道真公をまつる神戸市須磨区天神町二の綱敷天満宮で梅の花が咲き始め、合格祈願に訪れる参拝者らの心を和ませている。

 境内には、二十種約百本の梅の木が植えられている。二、三日前から、早咲きの「紅冬至(こうとうじ)」のつぼみがほころび、薄桃色の花を見せ始めた。例年よりはです約十日遅い開花というが、ほのかな香りを漂わせている。

(神戸新聞)

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今年は異常現象のせいか季節感が例年より早くここ綱島天満宮では早くも梅の花が咲きはじめたそうです・・

 神戸海洋気象台によると、十日の神戸の最高気温は一一・二度と三月上旬並みを記録し、今後、濃い桃色の花をつける「八重唐梅(やえとうばい)」なども咲き始めるそうでもう早春の雰囲気を漂い始めているようです・・・

 「梅を見て、受験生らが少しでもリラックスしてくれれば」と久野木啓太宮司入ってますが、梅の見ごろは来月下旬ごろとの事です・・・

       

    

賢治絵本⑦・・・山男の4月・・・

2007-01-26 10:37:37 | その他

 

 

               クリックすると新しいウィンドウで開きます
              宮沢賢治記念館

 岩手日報を見ていたら偶然見つけた、宮沢賢治の童話を見つけその中に一話です・・以下がそのお話しです・・・

 何ともやさしい山男である。賢治は人里離れた山中で、ひとりで暮らす山男になりたい願望があったと思う。でも山男もたまには下界に降りてきて、娑婆(しゃば)の風に当たりたくなるときもある。そしたらどうなるのか。1922年の4月に創作した話である。

「ガラス絵の宮沢賢治7 山男の四月」より

 山男は木こりに化けて町へ出かけ、陳という「中国人」にだまされ六神丸の箱にされてしまう。

それでも陳に同情して「おれのからだなどは中国人が60銭まうけて宿屋に行って鰯(いわし)の頭や菜っ葉汁をたべるかはりにくれてやらう」などと思ったりする。

入れられた暗いこうりの中には山男と同じく陳にだまされて六神丸の箱になった人々が泣いている。「おれはとうとう牢(ろう)に入った。それでもやっぱりお日さまは外で照つてゐる」

 山男の隣の箱は中国人でこのような最悪の状態の中でも「いま鱸(すずき)が1匹いくらするか」などと山男に聞いてくる。

そして陳のようないやしい中国人もいるが「ほんたうの中国人なら、いくらでもえらいりつぱな人がある。

われわれはみな孔子聖人の末なのだ」というのだ。その人の教えてくれた丸薬を飲んで山男は元通りの体に戻る。

陳はびっくりして大きくなる薬だけ飲み山男よりもっと大きくなって追いかけ、つかみかかられたところで目が覚める。

 

         kenji_kenji.jpg       ポランの広場
                    花壇設計にも力を注いだ賢治の作品


 この話は生前出版された唯一の童話集「注文の多い料理店」に入っているそうです・・初期形は六神丸の箱でなく中国反物だったそうですが、反物だったらたたまれているから、絵にするのが困難だったろうという事でこの六神丸の箱に変えたようです・・

 この本の広告文で賢治は「4月のかれ草の中にねころんだ山男の夢です。烏(からす)の北斗七星といつしょに一つの小さなこゝろの種を有ちます」と書いているようです・・・

 こころの種って何だろう、またなぜ4月なのだろうと原画を描いている間中考えていたとの事です。

 冬でもなく桜咲く春でもなく、北国の4月は冷雨や雪もぱらつき、まだ緑もない。枯れ草の中から、やっとカタクリが花をもつ季節です・・・

しかし太陽が出れば、目に痛いほどのまぶしい光にあふれ、灰色の雪雲でないぽっかりした白い雲が漂うんだと思った事でしょう・・・

シカや猫や小鳥が鳴きだし、天地が動き始め、何か新しいことが起こりそうな4月だから山男が浮き雲のように下界に歩みだしたのだ・・・・と思います。

 嘆いている六神丸の箱の人たちを描いていて、山男と隣の中国人の並はずれた楽天性と思いやりに気付をさらりと教えているのかも・・・これこそがどんな困難なときも可能性を開くこころの種なのではないか・・・といっているようです。



   

              0001.jpg            jg_news06_2004_pho05.jpg

   

   

 


東山植物園70周年祝い・・・

2007-01-25 15:18:29 | 雑感

 

 


開園した1937年当時の東山植物園温室の写真

 3月から始まる東山動植物園開園70周年記念事業にちなみ、名古屋市・東山植物園は、古い時代の植物園温室の写真を募集しているそうです。

今では温室植物園も多くなりましたが、ここに写したある植物園は、 現存する植物園温室としては日本最古の東山植物園温室で、昨年12月、国重要文化財の指定を受けたそうです・・


1937年の開園時から公開されたとの事ですが、かつて「東洋一の水晶宮」と称賛されたのはうなずけます・・・今はゴミの焼却場からの熱を利用して各地に出来て、今は珍しい事ではなくなりました。

この写真を見ただけで、当時の日本では本当に珍しい施設だったんでしょうね・・・

 


富士山を世界遺産候補に・・・

2007-01-24 13:19:23 | 地方新聞

 

 


 政府が世界文化遺産の登録を目指す国内の新たな候補として、富士山など四件で決まった。同庁は国内の正式候補の目録「暫定リスト」に四件を追加登載し、国連教育科学文化機関(ユネスコ)に二月一日までに提出する。

 

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政府は世界遺産として日本が誇る『富士山』を選定したそうです。その他に
◎群馬県富岡市などの「富岡製糸場と絹産業遺産群」
◎奈良県明日香村などの「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」
◎長崎市などの「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」-の四件。だそうです・・・

 文化庁は今回の選考にあたり、初めて公募方式を採用し、この二十四件の提案を、専門家らが世界遺産としての価値などを検討しているらしいですが・・・

 富士山は当初、静岡、山梨両県が自然遺産としての登録を目指していたのですが・・・ごみの不法投棄問題などを理由に、環境省と林野庁の検討会が二〇〇三年に候補から外され、それからボランタァの協力も得て大分きれいになったようです・・・一時は不法投棄された電化製品や登山家もマナー違反のゴミを捨てていく・・・といった事から、色々な人が立ち上がりこの点はどうにかクリアしそうです。

    

        

             20030719_byKK_MtFuji_IMGP1117.jpg              20030719_byKK_MtFuji_IMGP0996.jpg

 政府がユネスコに提出するリストは、今夏にニュージーランドで開かれるユネスコ世界遺産委員会で追加登載が報告されるそうです。

リストの中から、地元の保護体制が確立されるなど準備が整った候補を、政府は原則として年一件、同委員会に推薦し、その後は、文化遺産については委員会の諮問機関、国際記念物遺跡会議の専門家が文化的価値や保存状態などを調べて評価報告書を委員会に提出し委員会は、世界遺産として登録するかどうかを決めるのだそうです・・・

 そこで、五年以内の登録を目指す静岡県は「〇九年度には委員会に推薦書が提出できるよう、必要な準備を進めていきたい」と今度は万全の準備をして国際記念物遺跡会議の専門家をから認証を貰うつもりのようです・・・

 世界遺産暫定リスト  各国が世界遺産にふさわしい自国の候補として、ユネスコに提出する目録で自然遺産も含めて1300件以上が登載済みで、このリストに載ることが世界遺産登録の前提となるのだといいます・・・


白虎隊員の直筆年賀状・・・

2007-01-21 08:27:54 | 地方新聞

 

 

 幕末の一八六八年(慶応四年)八月、新政府軍と旧幕府軍が戦った戊辰戦争で集団自決した白虎隊隊員唯一の生き残りで、明治末期に札幌で暮らしていた飯沼貞吉(後に貞雄と改名)の年賀状を、札幌市手稲区の郵便史研究家福井卓治さん(83)が発見した。白虎隊の悲劇は飯沼により、後世に伝えられた。関係者によると、飯沼の直筆のはがき、手紙などは大変珍しいという。    

    クリックすると新しいウィンドウで開きます                      02fukusima2.jpg



(北海道新聞)

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最近テレビでも白虎隊をテーマでドラマが放送されましたが、悲劇の会津藩の歴史は今でも会津地方では白虎隊の眠る墓所には花や線香が絶えないと聞きます。

徳川幕府末期に起きたこの戦いによって幕府制度は崩壊し日本は新しい制度に大転換をしましたが、会津藩の多くの人々は津軽の偏狭の地に追いやられ、ある人は北海道に渡り、そこでの新生活をした人もおおいと聞きます・・・
 

     

その中にある人から送られた年賀状の中にあり・・年賀状は一九一四年(大正三年)正月に当時根室在住だった小樽新聞(北海道新聞の前身)編集局の坂牛祐直氏に送られ、あて名は「阪牛」となっているそうです・・・そこには、「謹賀新年」と書かれた脇には、「旧臘(ろう)(昨年十二月)ハ結構ナル御品御恵投被下 萬々難有 拝領仕候」と、年末に贈り物をもらったことへの感謝の言葉が添えられていたそうです・・・・

  白虎隊に関する史料を所蔵する白虎隊記念館(福島県会津若松市)職員の佐藤雄一さんは自署の横には「仙臺(台)」と書かれており、「当時、飯沼は仙台在住だったことから、白虎隊の飯沼に間違いない」と説明してますが・・・ 福井さんは三十年ほど前、札幌市内の書店で坂牛氏ら小樽新聞社の記者にあてられた手紙やはがきを集めたアルバムを購入したとの事です・・・

そのまましまいこんでいたが、昨年末、あらためて調べていて、飯沼の年賀状を見つけた。福井さんは「歴史上の人物のはがきを見つけ、びっくりした」と行ってます・・・

 飯沼は十五歳で白虎隊に加わり、新政府軍と戦ったが、砲煙が上がる鶴ケ城(会津若松市)を見て絶望。仲間の十九人とともに飯盛山で自決を図ったが、地元の人に助けられ一命を取り留めたようです。

 飯沼はその後、逓信省の技師となり、一九○五年(明治三十八年)から五年間、札幌郵便局工務課長として札幌に住んでいたようです・・・同記念館の佐藤さんは「記念館にも飯沼の書があるだけで、直筆のはがきや手紙はないとは大変珍しい」と話しています・・・・

当時は薩長藩の天下で、会津藩のような賊軍は相当な厳しい環境に置かれた事は、私のような会津藩ではないにしろ・・・賊軍派の子孫は子供の頃からご先祖様の苦労を聞かされて育ちました・・・

私たちの藩は取り潰されはしませんでしたが・・・こうした中から日本は新時代を向かえたと思うと・・・今の歴史の中には日本が今日の繁栄された国家になるまで、多くの血が過去は流され、そこには一人一人の歴史があることを、ニート族にも知ってもらいたいものです・・・

 


松山千春さん夕張市応援・・・ 

2007-01-19 08:45:32 | 地方新聞

 

      松山千春さん太っ腹! 夕張で買い物、寄付を計200万円! 


 十勝管内足寄町出身のシンガー・ソングライター松山千春さんが十六日、財政再建団体になる夕張市を訪ね、後藤健二市長に百万円の寄付金を贈る一方、同市内で市民向けの無料ライブを開く考えを明らかにした。

 松山さんは「歌手仲間もみんな何かしたいと思っている。街に希望が持てるような応援をぜひさせていただきたい」と、早ければ二月にも支援ライブを行う考えを表明。

(北海道新聞)

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いいニュースですね。松山千春さんは歌手として一流なのに、地域の対する愛着もまたより大い方のように思います・・・

まして夕張市のように長年行政の間違いが多くの箱物を立て炭鉱で栄えた町だけにそれらの人の仕事場を提供するつもりが全てが赤字で、行政を圧迫しとうとう赤字団体にまで転落し、市職員は退職者続出・・・そして、結果その付けを住民に転化するようで気の毒な状態です・・・

 




                      夕張市:仕事始め 「4月から新しいスタート」後藤市長

そこに、松山千春氏が本気で夕張市を助けようと立ち上がり・・・後藤市長は「厳しい状況の中で、市民は夢や希望を求めている時だけに・・・寄付は有効に使わせていただきます」と感謝しています・・・  

松山さんはこの後「街の活性化に貢献したい」と同市本町、清水沢地区などの小売店を次々と訪ね、食料品や電気器具など約百万円分の物品を購入した。買い入れた品は同市内のグループホームに贈ったほか、近く札幌市内の児童養護施設にもプレゼントしたそうです・・・

 

       cm-yuubari.jpg      夕張石炭の歴史村(夕張市)
   夕張メロン           
夕張炭砿の跡地につくられた学び、遊べる、テーマパーク
                                 ここも閉鎖・・・ 
      


地方自冶体のあり方に警鐘鳴らす意味でも今回の夕張市の赤字団体転落はおおきな意味があると思います・・・


三十三間堂で伝統の「通し矢」・・・

2007-01-18 07:10:20 | 雑感

 

 

          晴れ着姿で弓を引く新成人たち=14日午前、京都市東山区の三十三間堂

京都市東山区の三十三間堂で14日、伝統の「通し矢」にちなんだ「大的全国大会」が開催され、晴れ着姿の新成人約1900人を含む約2100人が参加、日ごろ鍛えた腕前を披露した。

 通し矢は江戸時代、堂の軒下約120メートルに沿って、武士が一昼夜に何本の矢を射通せるか競ったもの。同大会は新成人らが60メートル離れた的を射る競技として、1951年から行われている。

 参加した新成人は、いずれも弓道初段以上の腕前。堂の隣につくられた会場ではピンクや赤色の振り袖にはかま姿の女性らが真剣な表情で弓を引き、「ビュウ」と音を立てて矢が直径約1メートルの的に当たると、観光客から大きな拍手が上がった。

(京都新聞)

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 新年の行事として定着した三十三間堂で14日、伝統の「通し矢」の会が「全国大会」が開催され、晴れ着姿の新成人約1900人を含む約2100人が参加し、日ごろ鍛えた鍛えた腕前のご披露の場としては新春に花を添えたような華やかなかに、古来からの武道の厳しさを的を得るたびにビュンとうなりを上げて的に当たるさまは見物客も身が引き締まった感じをもたれたと思いす・・・





           2005_03_33gendo02-thumb.jpg            sanjusan.JPG

ここは多くの人が修学校で行ったことがあると思うのですが、堂内には千体の仏像が鎮座しております。やはり素晴らしい仏像に圧倒されます。是非ここに降ります仏様は誰かに似ていつそうです・・・

 順番待ちをしていた三重県鳥羽市の大学2年、成瀬彩さん(20)は「6年前から弓をやっているので楽しみにしていたようで、的に届かせるのが目標」と笑顔で話していました・・

 男子も正装で参加して欲しいものです。女性も美しくりりしいですが、男性の力強さと真摯な態度で的を獲る姿も見たいものです・・・

 

                        


阪神・淡路大震災、今年は十三回忌・・・

2007-01-17 12:05:44 | 地方新聞

 

 

六千四百三十四人が犠牲になった阪神・淡路大震災は十七日、発生から丸十二年を迎えた。兵庫県内の被災地では雨の中、夜明け前から犠牲者を悼む人たちが各地に集まった。
今年は十三回忌。寺院などでは例年以上に鎮魂の鐘が響く。祈りに包まれながら、未来につなげる原点の日が巡ってきた。

 

                
      慰霊碑に手を合わせる女性                  地震の起きた5時46分にもくとうする人


(神戸新聞)

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 神戸市中央区の東遊園地では、神戸市が遺族、市民らと連携して「1・17のつどい」を開いたそうです・・・ここでは竹灯籠にろうそくをともし、地震発生の午前五時四十六分に黙祷・・・し「慰霊と復興のモニュメント」に献花する人の列が早朝にもかかわらず続き、人々の心の痛みは消える事はないと思います・・・

 関西地区のあちこちでは、同じ時刻に、西宮市の西宮震災記念碑公園や芦屋市の津知公園、淡路市の北淡震災記念公園などでも、追悼行事が行われたようです・・・

私は幸い東京に住んでいますので、テレビニュースで見てあまりの破壊の大きさに唖然としました。交通機関も道路も高層想建築も手抜きがあったかどうかは知らないけど、おもちゃ箱をひっくり返したような惨状で、被災者が学校、公園でと様々な所にテント生活・・・・

現代生活しか知らない人は余計困ったらしいです・・・

ただあの惨状の 中でも助け合いの精神は生きていたようで現場には多くのボランテアが駆けつけていました。

普段は感じない日本人の人情、陣中の差別もなくもな助け合いって乗り切ったんでと思うと頭が下がります・・・

13回忌の今日を私も思い出し亡くなられた方が現在の日本をどう天国から見てるのかしら・・・